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森中定治ブログ「次世代に贈る社会」

人間のこと,社会のこと,未来のこと,いろいろと考えたことを書きます

人類は戦争をやめることができるか?

2024-09-05 12:13:21 | 原発・エネルギー

前回のブログは2024年6月16日ですから、あっという間に3ヶ月弱が過ぎました。この間に私は、右股関節を痛め股関節置換手術と2週間強の入院をしました。リハビリは年末まで続きます。

この入院時から今までにいろんな本を読みましたが、中でも強く印象に残ったのは東北大学教授の千葉聡先生が書いた『ダーウィンの呪い』という本です。私は人間の持つ「利己性」と「利他性」について考えてきました。それと生物進化との関わり、そして私自身の生涯の望みである「人類が戦争をやめること」と深く関係することもありますが、ダーウィンの自然選択説が現代に至るまでどのような変遷を辿ったか言葉に言えないほど緻密で深い考証がなされています。さらにそれよりも強く私の心に響いたのは現代では忌み嫌われる「優生学」がどのように誕生し、そして現代にどのような形に変化しているかをこれまた緻密で深く考察した部分です。

千葉先生とこの本の内容に関し、メールのやり取りをしました。その結果「今のままでは人類は戦争をやめることができない」という結論を得ました。以下にそのことについて書きます。

人類の戦争の原点です。
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ある人類の集団が飢餓に直面し、このままでは多くの人が飢えて死ぬと仮定します。隣の集団は食料が余っていると仮定します。しかし頼んでも食料を全く分けてくれません。
こんな場合どうするのでしょうか?
個人の所有物は個人に帰する。これを絶対の正義だとすれば、我々は座して死ぬのが正義なのでしょうか?
いや絶対にそんなことはないだろう。我々は彼らよりも強い肉体があり腕力も強い。
それは何のためにあるのか?
我々はまず生物です。生物とは生きているものです。これが生物としての第一条件。そうであれば所有権よりも生存権の方が正義として上位にある・・・。
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こう考えてもおかしくないでしょう。隣の集団が余った食料を分けてくれれば戦争は起こりません。そういう選択肢もあります。だがしかし、分けないという選択肢もあります。どう考えどう決定するかは、まさに生物が持つ自由意志によります。他人が他人の自由意志をどうこうすることはできません。

こう考えた結果、暴力で奪いに行くくらいなら座して死ぬのが正義だと考える人もいれば、分けてくれない場合は戦って奪い取ることが正義だという考え方も出てきます。我々は生身の生き物なんです。はたしてどちらが正義でしょうか。
これが戦争の原点だと思います。

戦って奪い取ることが正義だという考え方を論破できるでしょうか。

私は「人類が戦争をやめることを望む」し、上記の主張に対抗しうる論理も持っています。でもその論理で私の望みが叶うかどうかはわかりません。生物学から結論は出ません。生物学(自然科学)はあくまで結論を出すための事実を見出すのであって、その事実を用いて人類が深く考えた末に、人類が結論を出すのだと思います。

 

 

 


私の歌

2023-10-06 21:02:36 | 原発・エネルギー

前回はジブリの最新の映画『君たちはどう生きるか?』について書きました。

自分自身がまとめつつある論考に深く関係するので、書いたのですが私の論考案を読んでくださった方から、いくつかの本を紹介されました。

1 フランス・ドゥ・ヴァール(2014)『道徳性の起源』(紀伊国屋書店)

2 リチャード・ランガム(2020)『善と悪のパラドックス』(NTT出版)

3 ルトガー・ブレグマン(2021)『Humankind 希望の歴史』上下、(文藝春秋)

2と3は読みました。すごい本でした。3は私の論考と一対になると思います。人間の利他性が働いたと思われる世界の様々な事例を集めています。私の論考がその原理を示します。

そのほかに、ジョシュア・グリーンの『モラル・トライブズ』も購入しました。これも読んで論考に役立てます。

硬い話は今回は抜きにして、私の歌の話をします。

私はもともと歌は好きでしたが、現役の時は歌を歌うことはほとんどありませんでした。年に数回、仕事仲間と飲み会の後でカラオケに行く程度でした。60歳でリタイアしてから、地元のカルチャーセンターでシャンソンを習い始めました。2年半くらいしてシャンソンの先生から「お前はベルカント(クラシック)に行け」と言われました。シャンソンよりクラシック(声楽)の方が向いていると思われたんでしょう。

それで、今度は楽器店の地元の声楽教室に行きました。8年くらい声楽をやりました。それから知り合いが新宿でシャンソン講座をやっていると言うのでまたシャンソンに戻りました。クラシックとシャンソンを大体同じ年数くらいやりました。

これで両方の良さを活かせる歌い手になりたいとごく最近思うようになりました。

9月末に赤坂区民ホールで歌ったら、見ず知らずの男の観客が私の歌に感動したと言って楽屋まで押しかけてきました。

私の歌をYoutubeにしたいと言うので了解したら1分のコンパクト版で以下のYoutubeを作ってくれました。

お差し支えなければ聴いてみて下さい🤗

https://www.youtube.com/shorts/F8f9___VJbI

8月には昨年末にいただいた埼玉県知事賞の受賞演奏会があって、シャンソンとクラシックを1曲ずつ歌いました。

シャンソン『8月のパリ』

https://www.youtube.com/watch?v=A9SjnIjRxWw

クラシック『ありふれた話』オペラアルルの女から

https://www.youtube.com/watch?v=qxgRjLf5QMw

10月28日には池袋の新しいホール「あうるすぽっと」で歌います。

夢・グローバル音楽祭 Vol.1

(ポスター)

https://www.maion2114.com/information/yumeglobalongakusai/

Part 1で1曲歌います。

11月12日(日)には初めてリサイタルをやります。

(ポスター)

https://www.dropbox.com/scl/fi/8s9lpku76dkmvhphzj9gn/231112.jpg?rlkey=72atdhdyvmo74s60l8zkyh682&dl=0

リサイタルに参加ご希望の方はポスターにある連絡先にご連絡ください。

 

 

 


素足遊歩道シンポジウム

2022-10-06 12:18:03 | 原発・エネルギー

急に寒くなりました。
埼玉県川口市でボランティア「綾瀬川を愛する会」の代表をしています。
綾瀬川は超汚い川で日本の水質汚染ワーストワンを何と15年連続!でもらいました😂
 
ところが私たちが30年ボランティアをやって、水質改善日本一をいただき、国土交通省から復活宣言もいただき、鮎が登ってくるまでになりました。
この川の堤防の小径の川口市の部分が舗装をまぬがれ、埼玉県が素晴らしい土を入れてくださって、素足遊歩道(アーシングロード)に生まれ変わりました。
裸足で歩ける道というのは、おそらく日本中でほとんどないと思います。
2021年5月30日にはお披露目会もやり子ども達もたくさん来てみんなで裸足で歩きました。
 
10月29日に地元の戸塚公民館で、素足遊歩道シンポジウムをやります。ウェルカム・コンサートもやります😊
芸大の修士を出たプロの歌手と一緒に歌います。私は「落葉松」と「ありふれた話」を歌います。
「メリーウィドウ・ワルツ」をデュエットで歌います。
初めてです。
うまくいったら、シャンソンでもやってみたいです。
 
 
 
 

 

 

 

 

 


9−10月コンサートの季節

2022-09-17 17:24:13 | 原発・エネルギー

ロシアとウクライナの戦争は今も続き、さらに過激になりつつあります。東アジアをめぐる情勢も急激に変化しています。日本は戦争前夜だと思います。
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リタイア後、歌唱をやってきました。ずっとクラシックでテノールのアリアや歌曲などを歌ってきましたが、ここ1−2年はシャンソンにシフトしています。

間近ですが以下のコンサートに出演します。

1 Deux Un Deuxの会コンサート
2022年9月19日(月、祭日)内幸町ホール
有名なシャンソン「愛の讃歌」とチレア作曲オペラ「アルルの女」からテノールのアリア「ありふれた話」を歌います。これも有名です。


2 秋の歌謡フェスティバル
2022年9月25日(日)赤坂区民ホール
ホップス「歩き続けて」とチレア作曲オペラ「アルルの女」からテノールのアリア「ありふれた話」を歌います。

3 村上敏明と歌う秋のソロコンサート
2022年10月19日(水)西国分寺いずみホール
「愛の讃歌」とチレア作曲オペラ「アルルの女」からテノールのアリア「ありふれた話」を歌います。

「愛の讃歌」は一般に歌われている日本語歌詞ではなくて、美輪明宏の訳詞、原曲の意味に最も近いと言われています。

昨年からテノールのアリア「ありふれた話」が私の主要曲になりました。

昨年11月に、村上敏明と歌う秋のソロコンサートで歌った「ありふれた話」を添付します。

https://www.youtube.com/watch?v=mHBuyXdUPXo

9月のコンサートはいずれも無料です。

関心のある方はぜひおいでください。事前にご連絡いただけるとスムーズです。

 

 

 

 


映画 『護られなかった者たちへ』 を観ました

2021-10-11 10:34:30 | 原発・エネルギー

久しぶりに映画を観ました。

映画は1年に1回観るか観ないかなのですが、『護られなかった者たちへ』という映画です。

地元の美園イオンで観ました。生活保護の映画です。その実態が相応にわかります。
生活保護担当の言葉というか、その仕事自体が需給を受けようとする人の尊厳に触れるんですね。

福島の大震災で孤児となった二人の子どもを育てた倍賞美津子演ずる老婆が、二人の子どもに言われて生活保護を受けようとしますが結局自ら申請を取り下げて、その結果餓死する・・

なぜなのか? 私でもこの状況なら申請できないです・・

でも、生活保護担当が初めから受けさせないように仕組んでいるという見方は、一方的と思いました。
深く考えさせられる映画でした。見てとてもよかったです。

https://movies.shochiku.co.jp/mamorare/

 


日本学術会議会員の非任命問題に思う

2020-11-08 11:57:01 | 原発・エネルギー

首相の日本学術会議会員6名の非任命が大きな問題となって世間を騒がせています。
日本学術会議としては、法律違反だとか、学問の自由を損なうので憲法違反だとか、今までの慣習を踏みにじる行為だとか、あるいは過去の中曽根発言との相違を理由にして、首相に日本学術会議が推した6名を速やかに任命するよう主張しています。
首相は法律違反には当たらないと、堂々と明言しています。

自分自身が、自分自身の名において人を選ぶのに、自分自身が納得しない人を選ぶということ自体に無理があるように思います。それを首相は自分が選ぶ立場になってみて、はたと思い当たったのでしょう。これじゃ私は日本学術会議のロボットじゃないか! 昔ならいざ知らず、現代の民主主義社会でおいてこんなことが通るはずがない! この人たちは自分だけが正しいと信じ込んでいて、目が見えなくなっている! だからこそ、人間をロボットにしていることに気がつかないのだ。そこを突けば容易だ。この人たちは自分が正しい、相手が間違っていると手を替え品を替えて言うだけだ。その間違っている相手がどう言う戦略を取ってくるのか、何も考えていないし、むろん相手の戦略に対応する策も何も考えていない。ただ自分は正しいと、そればかり言い張っているだけだ。これじゃ楽勝だ・・。

法律違反 vs 法律違反ではない・・・そのどちらが正しいか、法廷で決着をつけようということになるでしょう。この時点で日本学術会議の負けだと思います。裁判になれば長い時間がかかります。そのうちに、さして関心のない一般市民の多くは忘れてしまいます。つまりその6名は任命されないまま月日だけが進むわけです。
しかも一般市民が冷静に考えてみて、なぜ私が私の名前で任命するのに、私が納得できない人を選ばなければならないのか、と首相が社会に訴えればむしろ、そうだ!首相の言う通りだとなりかねません。
日本学術会議の言いなりに首相が任命しなければならないとしたら、首相は日本学術会議のロボットじゃないか!と言う声が社会から上がってくるでしょう。裁判に負けてしまう可能性も出てきます。
だから任命者が納得できなければ、当然ながら任命しなくていいと私は思います。どちら側かに与する立場ではなく、私自身の頭で冷静、公平に考えてみて、任命者が他人の意志を強いられることには賛成できません。過去に中曽根首相が述べたことは、その時はその時の中曽根首相の判断があったのであり、それを今も無理強いしていると一般社会に訴えられれば、そんな過去の慣習など、変えてしまえ!と言うことになりかねません。

では、この問題のどこが間違っているのでしょうか。
首相が6名を外したことに問題はないと私は思います。けれども慣習に従って推薦された人を自らの意思で外す場合は、当然ながら公正な理由が必要です。首相だからといって恣意的に好き勝手に外したのであれば、それは誰も認めないでしょう。だから、どういう理由で外したかが重要なのです。外した理由が公正かどうかなのです。
だから、首相がその6名を外した理由について、それが受け入れられる正しい理由なのかどうか、日本学術会議と首相で納得いくまで討議すべきなのです。
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事件を起こした被告が、検察からなぜあんなことをしたのか、その理由は?と問われて、正直にその真の理由を言えばそれは犯罪なので、有罪になります。有罪にはなりたくない。さりとて嘘を言えば、今度は偽証罪になります。そんな場合どうするでしょうか。被告は黙秘をするのです。「黙秘権」は一般社会に認められた権利です。こう考えると、首相は、任命しなかったその本当の理由を言いたくないし、さりとて嘘も言いたくない。だから「黙秘権」を使っている状況だと、私は思います。
だから、任命されなかった6名が公式の記者会見をして、我々はなぜ外されたのか。その理由が、なるほどと納得できるものであれば我々6名は粛々とそれに従います。だからその理由を教えて欲しいと言えばいいのです。
首相は、それは個人情報だから公表を控えると言いますが、その当事者本人が、なぜ任命されなかったのか、それが知りたい。その理由に該当する個人情報などいくら公表してもらっても構わないと、記者会見で明言すればいいのです。
これで個人情報だから公表できないと言う論法は使えなくなります。そうすると「黙秘権」は被告のような弱い立場の人に認められた権利なのか、それとも人を任命するような強者の権利なのか、と言う議論になります。このような議論展開を図るのです。
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裁判官が被告に「懲役3年の刑に処する」と言ったとします。そしてその理由はと問われて、「それは個人情報だから申し上げられない」と言ったらどうでしょうか? 俺は罰として懲役3年の刑を受けるのに、その理由はわからない! こんなバカげた話と同じことになります。非任命の6名は、いわば社会的に罰せられたと言えるでしょう。それはおかしいと、この問題に関心のない人も含め一般社会の誰もが分かります。このように一般社会に分かるように訴えるべきではないでしょうか。
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デビュー戦のリングで、首相が新任の挨拶代わりに、ちょっとしたジャブを放ちました。ところがそのジャブは、相手にはストレートパンチのような強烈な打撃を与えてしまい、食うか食われるかの生命を賭けたラウンドになりかけました。
ここでセコンドからタオルが投げられそうになりました。
つまり、複数の野党から、首相がその6名を存じ上げないと言うのであれば、では改めて日本学術会議会長がその6名を指名したら首相は任命してくれるかと質問しました。首相は、それは満更でもないとの様子・・。もしこれでその6名が任命されたら、私には、本当にバカバカしく思えます。

既に首相は、日本学術会議に手を突っ込むワーキング・チームを立ち上げました。民間の機関にしろとか、解体しろとまで声が出てきています。
ちょっとしたジャブを放ってみたら、結果として首相は予想外の大きい成果を得られるかもしれません。大山鳴動して結果は今まで通り、その一方で首相は少なくとも日本学術会議の中へ手を突っ込み、都合のよいように改革をなせるところまで持っていきました。これは歴代の首相ができなかったことであり、このままでは現首相の大手柄となるでしょう。首相のあのニンマリ顔は、ここまで見通しているように思います。

日本学術会議議長が、その6名を再指名してはならないでしょう。首相がその6名を知っていたか、知らなかったのか、そんなことは問題ではありません。
再指名するのではなくて、今の状態のままで任命しなかった理由について議論するリングを作り、そのリング上でジャブを打ち返す必要があると私は思います。その討議の上で任命するのか、非任命なのか改めて明確にし、そのワーキング・チームの解散も含めて討議の結論を出すべきだと、私は思います。

歴史ある日本学術会議、あらゆる分野の日本最高峰の叡智の集団が、こんな新参の首相のジャブに苦もなく捻られたら、おそらく今後右傾化は眼に見えるように進むでしょう。

涙が出ます。


コロナウィルスに対する壮大な社会実験は、藤井モデルが望ましい

2020-04-26 09:28:10 | 原発・エネルギー

4月7日に緊急事態宣言がなされ、西浦モデルに基づく壮大な社会実験が始りました。
西浦モデルに基づくと2週間後には、急激に感染者が減るはずです。西浦モデルのグラフのようには、急激には減っていません。有効性よりもリスクの方が大き過ぎです。5月6日には終わるべきのように、私は思います。

西浦モデルでは、人から人への感染、人からモノ、モノから人への感染ルートが異なることを理解していません。これを混同しています。この二つは別物です。日本人は有利なことに、欧米と違ってキスやハグの習慣がありません。だから人から人への感染は基本、飛沫感染と空気を通したエアロゾル感染だけです。マスクで足ります。それなのに、人と人との接触を7割も8割も避けよと言います。キスとハグが習慣の欧米のやり方を深く考えずにただ真似ているのです。そのために店を閉めさせたり、あらゆる集いをやめさせます。経済が止まり、人が死にます。無茶苦茶です。ソーシャル・ディスタンスとして2mの距離をとれと言います。一つ前のブログでお示しした福井新聞の記事のように、マスクをしなければ3mでも5mでも感染します。距離ではなく、マスクをしているかどうかだと思います。
マスクは自分のウイルスを飛ばさないと言う利点だけではなく、他人のウイルスを大幅削減して吸い込むと言う利点があります。それで身体が勝てば、ワクチンと同じ意味になります。PCR陽性の感染者の10倍以上の無症状保菌者がいるのではないかと言われますが、マスクが、コロナウィルスを擬似ワクチンに仕立てているのではないか、だからそんなことになるのではないかと私は思っています。欧米は今になってマスクを重要視するようになりましたが・・。
代わって藤井モデルがあります。こちらは併せて書いてはいますが、二つの感染ルートの違いを明確に理解し、区別しています。
http://www.youtube.com/watch?v=Vu3EbKx_uU4

5月6日以降に社会実験として採用するモデルであれば、こちらの方が望ましいと私は思います。
日本政府は5月6日以降、マスク着用必須のうえでの藤井モデルを採用する方が望ましいように私は思います。

少し前、スーパースプレッダーという言葉がありました。ウィルスを広く撒き散らす人のことを言ったと思います。マスクをしない人が、実質的な機能としてスーパースプレッダーの役目を担っているのではないかと思います。

あるMLにこのブログの内容を紹介したら、藤井モデルは他の欧米諸国とは一線を画した、スウェーデン方式と同じだと言われました(4月27日)。

スウェーデン方式は他の欧米と違って10倍の人が死ぬ。それを覚悟してやっている。日本人の人口に換算すれば約100万人になる。藤井モデルは日本人100万人を殺す殺戮モデルだと言われました。

 
 
これは、全く違うと思います。
自分自身が絶対正しいと思い込んでいるので、私が主張したい重要な点を全く理解していません。
上のインターネットやYoutubeを見ると、スウェーデン人のほとんど誰もマスクをしていません。これでは感染者からモロに大量のウィルスを浴びます。私が強調するマスクの有無がとても大きいのです。次に、その方にスウェーデンでは他の欧米と違って、キスやハグはしないのでしょうか。日本と同じようにキスやハグをしない習慣なのでしょうかと問いました。もし他の欧米と同じくキスやハグをする習慣であれば、人から人へは物凄い感染力です。初期のイタリアで何が起こったか、それを思い浮かべれば簡単にわかることです。スウェーデン方式であれば。そりゃたくさんの人が死ぬでしょう。
日本人と欧米人では、キスやハグなど身体をくっつける習慣がない。これがとても大きい違いです。次にマスクをすること、これで感染者からも大量のウィルスをもらうことが大きく減少します。マスク着用必須のうえでの藤井モデルと書いた意味がわかってもらえると思います。
 
東京の小池知事は、人間が生きていくに最重要な食料まで3日に一度にしろと言います。残りのすべての時間は自宅で自粛しろ(引きこもっていろ)。もちろんお店は皆閉めます。開けていたって、お客がいないんじゃ閉める方がマシでしょう。資金繰りに困ってつぶれるところがいっぱい出てきます。自殺者もたくさん出るでしょう。おかしなことを言う人が出てきました。お金に困った美人が風俗に来るぞ。これはチャンスだ!と言います。

こんな方式が人間らしいでしょうか。私は西浦モデルはここまでいくように思います。
藤井モデルの方がずっと穏やかで、人間のやれることかどうか、よく考えて練ったモデルだと思います。
西浦モデルは「角を矯めて牛を殺す」だと思います。

5月6日で終わるのではなければ、さらに厳しく徹底的に西浦モデルをやるのではなく、欧米のマネではなく、日本人固有の特性を上手く活かした上での藤井モデルの方が望ましいと私は思います。

 

 


学習院大学における尖った謝辞

2020-04-02 12:37:51 | 原発・エネルギー

学習院大学では卒業式が中止になったことを受けて、2020年3月20日に卒業生による謝辞が国際社会科学部のHPに掲載された。小堀奈穂子さんは、国際社会科学部卒業生の代表の一人として大変興味深い謝辞を述べた。
https://togetter.com/li/1485459

ツゲッターなどでは、「これは伝説に残る文章だ」とか、パンチが効いているとか、オリジナリティーと攻撃力に満ちているなどというコメントが目についた。学習院大学では最高の名誉ある安倍能成記念基金奨学金をもらった人であるから、賢い人であることは疑いがない。どういう謝辞をすれば社会が彼女を称賛するか、そんなことは百も承知だろう。だから、この尖った謝辞は確信を持った明確な自己主張であり、またその意志を入学から卒業まで一貫して貫いてきた人であることが分かる。
ではどういう意志だろうか。
この世には自分の意志しかないという確信であり、自分の意志を最優先すべきという確信である。この謝辞の内容に対して、現代社会や先人に感謝をすべきだというコメントが多い。例えば学習院大学において図書館を使って知識を深めるのも様々の便利な機器を使えるのも多くの先輩達のおかげだ。それに感謝すべきだというコメントである。
彼女の謝辞は、まさにそれを否定している。感謝がいけないというのではない。感謝するなというのではない。感謝をしたい人はすればよい。感謝をしたくない人にまでそれを強要するなというのである。まさに自分の意志を尊重し、それがまた他人の意志を尊重することになると、彼女は考えるのである。
だから彼女は「自分に感謝する」という。図書館を利用するのも、便利な機器を使うのも自分の意志である。図書館に頼みこんで無理やり使わせてもらったのではない。あくまで自分のアイディア、意志、そして必要ならば幾ばくかの自分のお金である。それで自分自身が大きな収穫を得たのなら自分の意志のおかげであって、図書館を作ったあるいは維持している人々のおかげではないと、彼女は考える。だから感謝するならそれは自分だと彼女は考えるのである。むろん過去の長い間に渡って、この社会を作り上げてきた多くの人に感謝したい人はそうすればよい。他人の自由を制約し、感謝をするなと強要するつもりは彼女にはない。だが、逆には自分の意志にそぐわないことはするべきではないと彼女は考える。
自分と、そして他人の自由を尊重するのである。
その意味では、相模原障害者殺傷事件の犯人の植松聖と同じである。メキシコ国境に巨大な壁を作ったトランプ大統領、難民を入れないEUの防御フェンス・・。なぜそれらを作るのか?自分で食べていけない貧困者を自国の税金で食べさせることをしたくないのである。食い詰めた縁もゆかりもない赤の他人をなぜ私たちのお金で食わさねばならないのかと疑問に思い、それを望まない人々が急激に増えている。それらの人たちの収めたお金が税金には含まれている。そう考える人たちは当然ながら、難民排除を掲げる政党に投票する。欧州では難民排除の極右政党が台頭している。もはや政権与党になってしまった国すらある。この流れが濁流となって世界中を席巻しつつある。日本では、卒業生の代表として謝辞を述べるくらいの、著名な大学の最優秀の生徒が、この流れの先陣を切ったのである。


以前このブログに書評を掲載したが、アイン・ランドの小説『水源』の主人公ハワード・ロークと重なる。ハワード・ロークは自分の意志を貫き自分が生み出したものを守ったが、その自分自身が生み出したものが大きな財貨をもたらした。しかし、ハワード・ロークは生み出したものに付随して生まれる財貨には関心をもたなかった。小説ではそうだが、現実はそんな綺麗事ではすまない。自分自身が生み出した固有のものではなく、それに伴う財貨によって貧富の差が拡大する。GAFAを見ればそれがわかる。
この『水源』の主人公ハワード・ロークあるいは、優秀な小堀奈穂子さんの謝辞に対して、堂々と対峙する有識者からのコメントやメディアなどからの論陣はないのか?

この考え方を食い止めるだけの論理を持つコメントあるいは論陣を張ることができなければ、現代において飛び抜けて優秀な第2、第3の小堀奈穂子が出てくることは、もはや必然のように思われる。小堀奈穂子の考え方を変える力を持つ、あるいは相模原障害者殺傷事件の犯人、死刑を宣告されそれを堂々と受ける植松聖の心を揺さぶる論理である。


皆さんは、この流れは正しいと思われるだろうか?
もしこの流れを止めたいと思うならば、どうすればよいだろうか?

 


4月13日ウェルカム・コンサートで歌います

2019-03-23 07:34:35 | 原発・エネルギー

4月13日(土)午後の市民シンポジウムのウェルカム・コンサートで歌います。
場所は東京大学赤門を入ったすぐ右側、伊藤国際学術研究センターの地下2階、伊藤謝恩ホールです。

先日初めて見ましたが、400名の素晴らしいホールです。音楽ホールではなくて、学術シンポジウム用のホールですが、ちょっと声を出してみたら素晴らしい響きです。このホールで歌を唱った人はまだいないでしょう。とても楽しみです😊

お呼びした小林純子さんは、昨年山田耕筰の石碑のある巣鴨協会で行われた小川明子先生の発表会で『蘇州夜曲』を唱われ、私は感動しました。3曲唱ってくださいます。私は『星は光りぬ』と『やがて来る自由の日』の2曲を歌います。

おかげさまで市民シンポジウムの申し込みは、すでに380名に達しました。ほぼ満席の状態です。有難うございます。

クリックお願いします。

  

 

 


2019市民シンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか?」

2019-02-21 14:03:22 | 原発・エネルギー

市民シンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか?」をご案内いたします。

日時:2019年4月13日(土)午後1時―(開場12:30)
場所:東京大学本郷 伊藤国際学術研究センター 伊藤謝恩ホール

副題:「リベラル化する世界の分断」

◎最初にウェルカム・コンサートを行います。

参加費1000円、要旨集代500円、懇親会3500円

講演者:橘 玲(作家)
論評者:吉川 浩満(作家)、神戸 和佳子(哲学者、公民科教員、「子どものための哲学」実践者)、春日井 治(日本生物地理学会)
司会:三中 信宏(国法 農研機構)

当初は例年の開催場所、東京大学フードサイエンス棟の中島記念ホールを予定していましたが、橘玲さんのブログに出た後すぐ申し込みが満席の100席をすぐ超えてしまい、多数の女性を含め20歳台30歳台の若者が次々と申し込まれることから、赤門を入ってすぐ右側の4倍もの広さを持つ伊藤謝恩ホールへと会場を移しました。
ポスター(会場が変わっていますのでご注意ください)

橘玲さんは作家で、現代人類社会の経済、社会事象について、人間の生物学的な視点を含んで様々の論考を出版されています。週刊プレイボーイ誌にもコラムを連載し、若い人に大きな人気を呼んでいます。進化理論、進化生物学などを踏まえた思考、哲学が必要と主張されます。その意味では自然科学と社会科学の統合ということになるでしょう。
私は、チョウを材料とした分子系統学から「種問題」に入り、人間を生命の視点から捉えた論考「種問題とパラダイムシフト」を出版し、昨年の市民シンポジウムでは「森中報告『種問題とパラダイムシフト』をめぐって」と題して、大西広先生(慶應義塾大学教授)や松井暁先生(専修大学教授)などのマルクス経済学者をお招きし、討議を行いました。その時の講演録ができていますが、十分な理解がなされたようには思えませんでした。
私の論考の趣旨は、(A)“分離独立し個別の意思を持つ個人(唯個論)”と(B)“一つの実体である人類”の相克という視点であり、今年の市民シンポジウムも、広い意味ではその論考の範疇ではないかと考えます。どちらかといえば、橘さんは(A)、論評者の吉川さんは(B)のように理解しています。
吉川浩満さんは、現代社会を鋭く切った多数の論考を出版されています。人間の進化、進化心理学を思考のベースにされています。
毎日新聞の哲学論議で著名な哲学者の神戸和佳子さん、弊学会の会員で学会誌の書籍紹介を執筆してくださり、深く鋭い思考の持ち主、春日井治さんにも論評をお願いしています。

申し込みは森中まで。delias@kjd.biglobe.ne.jp
お名前、年齢、懇親会の可否をお願いいたします。

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