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森中定治ブログ「次世代に贈る社会」

人間のこと,社会のこと,未来のこと,いろいろと考えたことを書きます

憲法記念日に際して

2025-05-04 11:18:23 | 人類の未来

昨日は2025年5月3日、憲法の記念日でした。素晴らしい五月晴れでした。

憲法記念日に際して、市民のメール(CML)に以下の投稿をしました。

4月12日に行った市民シンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか?論考『人類が戦争をやめるための生物学』をめぐって」に関わります。
深く考えなければならないことはまだまだありますが、今までのこのシンポジウムの成果の上に「真の利他性は存在する」という趣旨の論文を書きたいと思います。
戦争は人間の持つ利己性と仲間内の強い利他性(擬似利他性)が引き起こします。これを引き起こさない方法は、真の利他性(人類愛)の存在を知ることです。
以下の通り、市民のメール(CML)に投稿しました。

憲法記念日にあたって(2025.5.3)           
森中 定治

人間は生物である。

生物とは何か?
それは生命を持つものである。

そのことから類推できるが、人間にとって最も悪いことは他人の生命を奪うことつまり “殺人” である。しかしそれが許され何の罰も受けない場合がある。それは自分の生命が奪われようとした時である。
相手が自分の真正面に銃を向けた。そのまま引き金を引けば自分は生命を失うことになるだろう。もし自分が銃を持っていたなら、相手より先に撃とうとするだろう。そしてその行為を「それは悪だ!法律違反だ!」として糾弾されたり罰せられたりすることはないだろう。

キューバという名の一人の人間が米国という名の一人の人間に銃を向けようとした。米国は持っている銃をキューバに向け、先に撃とうとした。そして世界核戦争が起こりかけた。キューバに銃を与えたソ連は、世界核戦争で人類それ自体が滅びるかさもなくば回復不能な窮地に陥ることを悟り、キューバに置いた銃をさっさと引き上げた。人類は窮地を脱した。

ウクライナとロシアの仲が悪くなり、ウクライナは悉くロシアに敵対し、一方でNATOと仲良くし親米となった。もしウクライナにロシアに向けた米の核ミサイルが置かれたらキューバ危機の再来である。キューバ危機が何だったかそこに視点を合わせれば、そんなことはすぐ分かる。ウクライナという名の一人の人間がロシアという名の一人の人間に真正面から銃を向ける。ロシア国民の生命が窮地に陥る。ロシアはそれは放置できないだろう。あとは、銃が向けられた後から銃を取り出すか、それともそんな状態になる前に手を打つかである。銃が近未来に自分の真正面に向けられると想定される時、攻め込んだ国を「それは悪だ!国際法違反だ!」と糾弾しても攻め込んだ国にとって意味をなさない。

現世には銃を持つ国もあれば持たない国もある。
世界から銃を廃止しようという動きも一つの方法である。だがそれは対処法の一つである。銃が廃止されればAIほか科学の発展によって今はまだ予想もできない別の銃が用意されるだろう。

もっと根本的なことがある。
それは全ての人間が持つものを知ることである。
人間は生物であり、全ての生物は利己性を持っている。
利己性がなければ生物ではない。つまり現世に存続し得ない。
しかし人間はそのほかに真の利他性も持っている。
それは人類愛である。

核兵器が世界に散在する現世においては、それを廃止しようとすることも重要ではあるが、人間の誰もが人類愛を持っていることを知り、その結果全ての人間が喜怒哀楽を持ち、お互いに理解し合える人間として敬意を払い仲良くしようとすることが、人類が戦争をやめるために最も重要ではないかと私は思う。

 


市民シンポジウム「論考『人類が戦争をやめるための生物学』をめぐって」

2025-04-06 20:26:06 | 人類の未来

前回のブログは “「生物の法」と「人類の法」” というタイトルで書きました。
今回は、4月12日(土)午後2時30分からのZoomで行う市民シンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか?」副題「論考『人類が戦争をやめるための生物学』をめぐって」について書きます。

人類は戦争をやめることができるのか?
この問いに対して、日本で賢者とも言われるような著名な方が「それはできないだろう」と言うのを聞いた記憶があります。
人間とはそのようなものだと・・。
私はやめることができると思います。

人間とは何なのか?
 “人間の形” を知ることが人類が戦争をやめるための第一歩です。
“人間の形” とは!?
どういう形をしているのか?
それが論考『人類が戦争をやめるための生物学』(森中、2024)に記してあります。

それをこのシンポジウムで話します。
奇想天外な形です。
 
シャンソン歌手の加藤登紀子さんがこのシンポジウムに向けてメッセージをくださっています。

市民シンポジウムへのメッセージ 加藤登紀子(歌手、星槎大学教授)
論考報告 森中定治(日本生物地理学会 会長)
論評 石戸光(千葉大学法政経学部 教授)
論評 小林佳世子(南山大学経済学部 准教授)
論評 竹澤正哲(北海道大学大学院文学研究院 教授)
論評 太刀川英輔( (公)日本インダストリアルデザイン協会 理事長)
クロージングアドレス 小林正弥(千葉大学大学院社会科学研究院 教授)

ポスター

趣旨説明・講演要旨

論考『人類が戦争をやめるための生物学』 

登壇者略歴


ご関心のある方はポスターの下段に書いてあるメールアドレスにご連絡ください。
よろしくお願いいたします。


「生物の法」と「人間の法」

2025-03-08 15:27:14 | 人類の未来

前回ブログを書いたのが昨年10月25日ですから、はや4ヶ月が経ちました。

その間に私の生涯のまとめの論考を書きました。
タイトルは『人類が戦争をやめるための生物学』です。
人間の持つ利己性と真の利他性、そして種問題から出てくる人類の姿です。人類の姿を認識できれば人類は戦争をやめる大きな一歩になると私は思います。
ご関心のある方はお読みくださればとても嬉しいです。

 

仏マクロン大統領が核抑止力の欧州全体への拡大提案を行いました。
私は、核抑止力拡大に反対するだけでは戦争を止めることはできないと思います。それでは侵略に反対!兵を退け!と一方的に言い放っているのと全く同じです。

なぜマクロン大統領が核兵器の使用地域を拡大しようとするのでしょうか?
そこを考えないと戦争を止めることはできないと思います。
行くところまで行って最後は人類が滅ぶと私は思います。

マクロン大統領はウクライナが負ければ、次はフランスが侵攻されると考えるからです。
マクロン大統領もプーチン大統領も喜怒哀楽を持つ同じ人間です。
楽しいこと、嬉しいことがあれば笑顔になり幸福を感じ、苦しいこと、悔しいことがあれば怒ります。
自国の国民の生命を守りたい・・、どちらも同じです。

ロシアは罪もない小国をいきなり侵略した悪の国だ。プーチン大統領は国際法違反の戦争犯罪者だ!
この視点で考えるから戦争を止めることができないのです。
外交とはお互いが相手を尊敬し敬意を払わなければ成立しないと思います。
相手を悪だ!犯罪者だ!と考えて外交ができるでしょうか。
そう考えるなら力で押さえつけるか滅ぼすしかありません。
戦争を止めることはできず、相互に核に手を出せば人類は滅びるところまで行くでしょう。

ウクライナは元々ロシアでした。
今、ウクライナは親米になりNATOはウクライナを仲間に入れようとしています。ウクライナがロシアに敵対し、モスクワに向けた米の核ミサイルを配置したら、ロシアは滅びる。
滅びる前にロシアは米に向けて核ミサイルを撃つだろうからロシアのみならず人類が滅びる・・。
それならそんなことになる前にウクライナを元に戻そう・・。

なぜロシアはウクライナに侵攻したか?
これは場合によっては滅ぼされるという生命の危機をロシアの人々が感じたからです。『絶対に知っておくべきロシアがウクライナに侵攻した理由』という分かり易いたった7分のYoutubeが2年も前に作られています。


私は、真の外交とは戦争の代わりだと思います。
つまり真の外交があれば戦争はないのです。
その真の外交とは、相手に対し相互に尊敬と敬意をもって相手の気持ちを考えることだと思います。
お前は悪だ!侵略者だ!と上から目線でジャッジするところに真の外交はありません。
そこにあるのは力と力の殺し合いです。

日本のほとんどの政党、右も左も「ロシアは侵略者だ」と言います。
なぜそうなのか、考えてみました。

ロシアは「法」を破ったのです。
この世界に住む生物で人間以上の存在はない。
地球は人間が支配しています。
人間も人間が支配しています。
だったらその人間が作った取り決め「法」以上に従うべきものはない。

ロシアには「侵略」という言葉を使っても、ガザには「攻撃」と使います。
イスラエルはパレスチナ人が住んでいる所にどんどん入植します。
これこそ満州に入った日本人と同じ、まさに侵略そのものじゃないかと私は思います。ですがイスラエルのパレスチナへの行為を侵略だと言う人もそう書かれた言葉も見たことがありません。「侵略」ではなく「攻撃」です。
なぜ「侵略」と言わないのでしょうか?

3月1日(金)の毎日新聞のコラム『土記』で伊藤智永専門編集委員が「日本でもトランプ人気?」という記事を書いています。
テーマは瓦礫と化したガザの未来図です。
このコラムの最後「法の支配による国際秩序を守れ。だが国連議決という合法的第二次大戦後秩序が、パレスチナ分割、ガザ虐殺を生んだ」とあります。
ガザの虐殺は合法的な行為の結果なのです。
だからロシアには「侵略」、パレスチナには「攻撃」なのです。

ソクラテスは「悪法も法なり」と言って毒杯をあおぎました。
「法」に沿うことが最も重要であるとして死んだのです。
戦後食糧難の時に、法に従って闇米には手を出さず配給を守って餓死した裁判官がいました。「法」に従って死んだのです。
その論理でいけば、ガザは見殺しと言うことになります。
ガザには「攻撃」と使うけれども、でも人間はなんとかしようとします。
多くの人はその攻撃を食い止めようとします。
なぜでしょうか。
人間には「法」に抗うものがあるからです。
それは「生命」です。

人間は正義のもとに殺し合いをします。
正義と正義がぶつかって戦争が起こります。
でも真実は、人間は正義に生きるものではなく、それぞれ個人の生命の存続のために生きるのです。
国民の生命が脅かされると感じれば、「法」は吹き飛ぶのです。
それが生物です。
人類は生物です。
「生物の法」が「人間の法」より上位にあるゆえに、それが発揮されるべき時には理由なくそれが出てくる一つの事例のように思います。

土地は誰のものでもありません。
あえて言えばそこに住んでいる人間のものです。
土地は平和のための道具であって、戦争をするための道具ではありません。

ロシア人が住んでいる東部ウクライナはロシアにやればいいんじゃないでしょうか。資源は東部にあります。米国とロシアとそして中国にやればいいんじゃないでしょうか。
そして、中西部ウクライナはロシアとNATO間の緩衝の国として、一切の武器、軍備を持たない非武装中立の国になる。そして米国とロシアと中国とそしてNATOが永劫の安全を保証する。
この方がマクロン大統領の核の拡散より人類の未来にとってどれほど有益でしょうか。


太刀川英輔著『進化思考[増補改訂版]』を読んで

2024-10-25 14:56:07 | 人類の未来

太刀川英輔著『進化思考[増補改訂版]』を読んで

2024年4月、日本生物地理学会大会時にシンポジウムが開催された。テーマは「進化思考の光と影」、最近出版された太刀川英輔著『進化思考[増補改訂版]』に関する様々なコメントが、伊藤潤氏(東京電機大学)、松井実氏(東京都立産業技術大学院大学)および林亮太氏(武蔵野美術大学)によってなされた。

このシンポジウムが開催されるまで、私は太刀川英輔氏を知らなかったし、むろん彼がデザイナーであることも知らなかった。デザインと聞けば、パッと思いつくのは森英恵氏とかグッチ、ルイ・ヴィトン、ディオールくらいであった。でも考えてみれば衣服をはじめとして家電製品や食品の包装、自動車さらに建築物などあらゆる製造物にデザインは必須である。さらにインテリジェント・デザインという言葉があるように、人類を含む地球、そして大宇宙は神によってデザインされたという壮大なストーリーにまで使われる。

このシンポジウムの後、講演者と少しメールで話し合う機会があった。その時に、初めてこの著作を読んでみようという気になった。

私自身は、昆虫(チョウ)を対象とした生物学者であり、最初は形態形質を用いた分類学的研究、次に形態形質を用いた系統学的研究、そして塩基配列を用いた分子系統学的研究、分子系統地理学へと続き、最近は自然科学だけでは答えの出ない「種問題」や人間の持つ「真の利他性」について考察してきた。研究することは大変に面白く、研究を通して豊かな人生になったとそれをさせてくれた人間社会に感謝している。

『進化思考』は令和3年(2021年)に山本七平賞を受賞し、進化生物学者の長谷川眞理子氏と解剖学者で昆虫に造詣の深い養老孟司氏がその選考委員に含まれ、さらに進化生物学者で現日本進化学会会長の河田雅圭氏が『進化思考[増補改訂版]』の監修をされているので、その内容について私があれこれ言うことはしない。しかしこの書については批判があり、それは『進化思考批判集』として上記の3氏、伊藤潤氏、林亮太氏、松井実氏の共著として出版された。ここでは、私は『進化思考批判集』を読破し内容を十分理解した上でのコメントはできない。それだけの時間はない。私は『進化思考批判集』PDF版22ページから65ページまでの林亮太氏による “2『進化思考』における間違った進化理解の解説” についての私個人の感想を述べ、66ページ以降の長谷川眞理子氏と養老孟司氏の山本七平賞受賞の選評について感想を述べる。

まず林亮太氏の “『進化思考』における間違った進化理解の解説” の部分である。林氏は、教科書的には進化とは「変異・淘汰・遺伝」の3つのステップを経て顕現する現象と述べる。そしてこの『進化思考』では、このうちの「変異」と「淘汰」しか書かれていないと述べ、それが間違いだと主張する。この主張は、林氏執筆によるこの部分の全体を通して一貫した彼の主張であると私には感じられた。確かに生物の進化機構では遺伝によってその形質が何世代も先に引き継がれ、その過程でその形質が頻度を増し固定するのであろう。しかし、太刀川氏はご自身の専門であるデザインの分野に生物の進化機構から何かアイディアを得たいという目的でこの本を書いた。林氏の指摘の通り生物の進化機構に遺伝は必須である。しかし新しいデザインを生み出すのに遺伝は必要であろうか。新しいデザインをあれこれ考え出す。その中で現代の人間社会にフィットしたデザインがヒットする。ヒットしたデザインは機械でどんどん増産し社会的な需要に対応する。生物進化における遺伝とは、デザインにおける機械による増産に当たるのではないか。新しいデザインを生み出すための書籍に遺伝について書き込んでなければ間違いだとする林氏の主張には、私にはちょっと疑問である。
太刀川氏は “私たちは道具の創造を通して「進化」を達成してきた” という言葉を使っている。これについて林氏は “それは進化ではない。進化は常に現在進行形で走っている現象であり、達成するものではないからだ” と述べる。私は、達成もするし達成したものが環境の変化に応じてそこからさらに進化するものだと言っても間違いと断言されるまでとは言えないと思う。営業が数値目標を達成したと言えばそれで終わりだ。最終的な達成というものは人為的な線引き、取り決めがある場合だと思う。生物やデザインにおいては最終の形質と言うものはないので、別に達成したと使われても一時的な達成だと考えた方がよいのではないかと、私は受け止めた。
同様に林氏は、“「世代を繰り返すと、細部まで適応した形態に行き着く」ともあるが、 細部まで適応した形態に行きつくことはない。進化は現在も走っている現象だからである。終着点があるわけではない” と述べている。進化においてもデザインにおいても終着点はないという理解があるなら、細部に行き着くと言ってもそれが終着点でないことは理解できるのではないか。殺虫剤が効かないカやハエって、人為的な滅殺の環境においてカやハエの体内の遺伝子レベルの進化によって生じるのではないか。コロナが変異することによって新しいワクチンをつくらねばと人間は追われるけれど、これって細部に行き着いているからそしてそれが終着点じゃないから人間は困っているんじゃないのか。
林氏は “生物進化における「変異」はここに解説されている通り、環境とは無関係にランダムに生じるものだ。パターンはない” と主張する。本当にパターンはないのか。私が扱うチョウはたとえばアゲハチョウでは後翅の主にM3脈が伸びて翅にあたかも尾がついているように見える。クロアゲハ、キアゲハ、オナガアゲハ、ジャコウアゲハ、ギフチョウ・・・血縁の近いものも遠いものも尾状突起がある。またシロチョウ類では、モンシロチョウ、スジグロシロチョウ、ミヤマシロチョウ、ヒメシロチョウ・・、どれも白い地色に黒い縁取りが見られる。これってパターンじゃないの?
この部分の結びとして “当書における進化 を「太刀川進化」、変異を「太刀川変異」、適応を「太刀川適応」とし、生物学とは全く異なり矛盾もしない新たな概念『太刀川思考』として提唱するのが最適な改訂方法ではないかと代案を提案して本稿の結びとしたい” と述べている。もし太刀川氏がこの批判集から自著の誤りを見出し深く考えてみたいと思っても、書籍の出版それ自体を否定するかような結語が書かれていたら、読んで学ぼうという意欲が失われると私は思う。定価をつけて公に販売する書籍にこのような表現はそぐわないのではないかと、私は思う。

この『進化思考』は令和3年(2021年)に山本七平賞を受賞した。その選考委員である進化生物学者の長谷川眞理子氏と解剖学者の養老孟司氏の選評について述べる。
長谷川眞理子氏は、“本書の著者は、そのような進化生物学者ではない。つまり本書は、題名から思い浮かぶものとは違って、進化生物学の書そのものではないのだ” と言明している。先に私は、この書籍はデザインの専門家が新しいデザインを産み出すために生物の進化からアイディアを得ようとする書籍だと述べたが、長谷川先生の言う “進化生物学の書そのものではないのだ” との言葉と同じ意味だと思う。
私はこの山本七平賞について詳しくは知らないし、5人の選考委員がどのように受賞作を選んだのかも知らない。でも多数決はないと思う。選考委員はそれぞれは専門の領域を持つ学識者である。生物進化の専門は長谷川眞理子氏である。長谷川氏がこれは生物進化機構に間違いがあるから受賞に値しないと言えば、誰もそれに異を唱えないと思う。多数決で押し切るようなものではないと思う。ゆえに、一時的にはそんな思いはあったのかもしれないけれど最終的には受賞作に値すると総合的に判断されたのだろうと思う。
養老孟司氏の選評であるが、養老孟司氏と聞いて私は一番に「養老進化論」を思い出した。生命に視点を当てた進化論である。生命は時と場所に応じてその装いを変える・・。ここには「変異・淘汰・遺伝」のどれひとつとして出てこない。それを読んだのはもう数十年も昔、ただ一度きりであるが、それでも養老進化論がありありと頭に浮かんだ。進化って一体なんだろう。「変異・淘汰・遺伝」って書いてなければダメなんだろうか。

太刀川英輔著『進化思考[増補改訂版]』は、新しいデザインを生み出そうとする人にとっては大きな拠り所の一つになるだろう。第2章に具体的な発想の手掛かりと練習方法が示されている・・変量一一極端な量を想像してみよう・・擬態一一ちがう物や状況を真似よう・・消失一一標準装備を減らしてみよう・・増殖一一常識よりも増やしてみよう・・移動一一新しい場所を探してみよう・・交換一一違う物に入れ替えてみよう・・分離一一別々の要素に分けてみよう・・逆転一一真逆の状況を考えてみよう・・融合一一意外な物と混ぜ合わせよう。

この書籍は、これからのデザイン創造を志す人にとっては有用な書籍となろう。私が何よりこの書籍を評価するのは、異分野からアイディアを持ってきてそれを生かそうとする太刀川氏の姿勢である。教科書的でなければならないと考える人、他人からあれこれ突かれることが極端に嫌な人、それゆえに異質な表現や今まで誰もしたことがないところに踏み出した表現などは思いもよらない人、そんな人に異分野をつなぐような発想はできないだろうし、さらにそんな本を書くなんてとてもできないだろう。そういうところに飛び込もうとする人には、多くが熱っぽさ、荒っぽさを伴っているのではないか。

先に述べたように、私自身はチョウの分類学研究からスタートした生物学者である。私の望みは “人類が戦争をやめること” である。幸いなことにというか運命なのか、私の生物学研究から派生して最後に行き着いたのが “種問題” と人間の持つ “真の利他性” への考察である。なんとこの二つが結びつき、私の生涯のテーマであり、そして人類への贈り物と考える “人類が戦争をやめること” を導く一つの論拠が生まれた。太刀川氏と私は、専門の分野も違うし生きる目的も違う。でも同志という気がする。

森中定治(放送大学埼玉SC、日本生物地理学会会長)

 

 


イスラエルがパレスチナへのジェノサイドをやめるには何が必要か?

2024-06-04 20:57:18 | 人類の未来

前のブログから時間が経ちました。2ヶ月ぶりのブログです。

あるブログから・・。
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犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛むとニュースになる。
イスラエルがパレスチナ人を殺してもニュースにならないが、
ハマスがイスラエル人を殺すとニュースになる。
前者は毎度毎度のありふれたことだが、後者はほとんどない珍しいことだからだ。
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イスラエルのネタニヤフ首相は、この戦いを3000年前から続くユダヤ人の生存をかけた戦いの一環だと語っています(BBC ニュース、2023年10月29日)。
ユダヤ人とは、私の知るところ旧約聖書を規範としてそれを守って生きる人のことです。イスラエル人には、ユダヤ人もいれば旧約聖書を心の糧としない非ユダヤ人もいます。ユダヤ人が規範とする旧約聖書には “ペリシテ人に情けをかけるな” と書かれているそうです。
ペリシテ人とはパレスチナに住むアラブ人のことです。ユダヤ人はドイツで民族浄化の恐ろしい目に遭いました。これは我々では想像できない民族としての心の傷(トラウマ、おびえ)となっているのでしょう。
ペリシテ人がいる限り、ユダヤ民族の存続と安寧はない・・・。これがパレスチナに対する容赦のないジェノサイドの根源的な理由でしょうか。もしそうであればこれは強迫観念であり、ある意味民族が受けた歴史的悲劇に由来する病気と言えるかもしれません。

米国で学生や若者がイスラエルのジェノサイドにNO!を示し、その運動が大きく広がりその中にはユダヤ人も多いと言われます。旧約聖書を規範としそれを守って生きるユダヤ人ではなく、旧約聖書に縛られない非ユダヤ系のイスラエル人でしょう。それとも本当に旧約聖書を規範とする敬虔なユダヤ人がNO!と言っているのでしょうか。

イスラエルのパレスチナに対するジェノサイドは一つには過去のドイツでの歴史的悲劇によって生まれた強迫観念、もう一つは旧約聖書の中のペリシテ人についての一文に基づいていることが理解できます。
強迫観念が頭に満ちた病気の人に国際法違反だよ!とかジェノサイドは人道上許されないからやめなさい!と言って通じるでしょうか。彼らがジェノサイドをやめるにはどうなればいいでしょうか。このように冷静に考えるとそれを止めるための論理的な道筋が見えてきます。

それは以下の通りです。
1 ユダヤ民族の強迫観念を取り除き、ユダヤ民族の隣にパレスチナ人がいても滅ぼされることはないという安心感を生み出す。
これはドイツの仕事でしょう。しかし全世界の精神科医が協力する必要があるでしょう。
2 これは作業自体はずっと簡単です。
旧約聖書の中の一文を改訂するのです。つまり “ペリシテ人に情けをかけるな” という一文を “ペリシテ人と仲良く助けあって生きていけ” と変えるのです。
2は作業自体は簡単ですが、それができるでしょうか?
米でデモをしている敬虔なユダヤ人(もし本当にいるなら)に聞けばいいでしょう。その人ができているならできるはずです。

このようになぜジェノサイドになるのかよく考えてみることがとても大事です。私の考えも必ずしも正しいとは言えないかもしれません。もっと大勢でもっと深く考えてみれば、もっと新しい視点やもっといい方法が出てくるでしょう。「考える」という人間が神様から授かったこの素晴らしい能力、これを使えば人類の未来に明るい道が開けると私は確信します。

ネタニヤフ首相は、この戦いを3000年前から続くユダヤ人の生存をかけた戦いの一環だと言います。現代人類が、わずかの言葉を修正することによって3000年続いたこの悲劇を一体あれは何だったんだろうかという回想に変えることができます。人類の持つ思考力は、パレスチナに利益をもたらし、イスラエルに利益をもたらし、そして何より人類それ自体に利益をもたらすことができます。

 


2024年4月13日(土)市民シンポジウム『次世代にどのような社会を贈るのか?』のご案内

2024-04-05 15:04:05 | 人類の未来

4月13日(土)午後3時からZoomにて市民シンポジウム『次世代にどのような社会を贈るのか?』副題「人類の生成と消滅」を開催いたします。ポスターを添付します。

昨年2023年は、人間の持つ利己性と利他性について、その生成と論拠について講演し、前日本学術会議会長(前京都大学総長)の山極先生をはじめ、哲学者、生物学者の方などあれこれ論評をいただき、議論をいたしました。700万年前に人類が誕生して以来、ホモサピエンスと他の人類との葛藤、戦争の起源、定住など興味深い議論ができました。
https://www.dropbox.com/scl/fi/4j1pb727znum4wh23annt/2023.jpg?rlkey=mf3zrs5fhotgireejqdp8vly8&dl=0
私は人間の持つ利己性と利他性(真の利他性)が人類史においてどのように形成されたのか、お話ししました。このテーマはこのシンポジウムで、その都度切り口を変えて3回やりました。特に3回目は、ゲーム理論の専門家(生物学者)をお招きし、より深く考えることができました。そのまとめを以下に貼り付けておきます。
https://www.dropbox.com/scl/fi/ppylsr886qgm6ta4ei4hl/231220.pdf?rlkey=2h89ew0vmzjulbmmgs654uo1f&dl=0

「人類の消滅」については、少子化こそが大問題だというご意見をいただきました。現代日本の少子化問題については、今回のテーマではありませんが、慶應義塾大学の大西教授が経済学の視点からこれを言及しています。日本は貧困に陥り、結婚したくてもまた子どもが欲しくても経済事情によってそれができないという視点です。これについては大西先生からの依頼で書評を書きましたので添付しておきます。
https://www.dropbox.com/scl/fi/l2j3ho1dnapwmu0bumoy4/231227.jpg?rlkey=99rt4juydzvk6o3v06gugtukc&dl=0
これとは別に、橘怜さんが社会文化の面からこの問題を言及しています。封建時代は個人の意志などなく強制的な結婚でした。現代は誰もが制度として自由を謳歌し、自分の意志で結婚相手を決めます。しかし自分の意志のように見えても無意識の制約があります。橘さんともこのシンポジウムに出ていただいて以来あれこれやり取りしますが “モテ” と “非モテ” の問題です。自分の基準で自由に選ぶとほとんどが結婚できないと・・そんな状態に陥ります。
これはこれでとてもお興味深い議論になります。

私自身は、個人の持つ利己性(欲望、私欲)が生物そのままで変わらず、一方で科学はどんどん進歩・発展する。そのギャップが人類を滅亡させるのではないかという気がします。わかりやすく言えば「人類が生み出した科学によって滅ぼされる」ということです。
AIが人間の私欲で動かされ、その目的に沿ってどんどん進歩・発展していけば人間同士の競合は言葉にできないくらい熾烈なものになるでしょう。AIには「真の利他性」を組み込むことが必要のように思います。

参加ご希望の方は、ポスターの下にあるアドレスまで、メールください。

 


人類への贈り物、ジブリの『君たちはどう生きるか』

2023-08-02 11:23:48 | 人類の未来

この3月に前ブログを書いたので、ずいぶん時が経ちました。生物学の学会の年次大会、歌のコンサートやコンクール、自分自身の生物学の半生のまとめ・人類への贈り物である論考を脱稿しました。今、いろんな方に見てもらっているところです。あれこれとても忙しく過ごしました。

先日ジブリの映画『君たちはどう生きるか』を近くの映画館で観ました。私の論考とも重なりました。ジブリというか、宮崎駿氏の人類への贈り物だと思いました。

それより先に、トゥキュディデス(ツキジデス)による『人はなぜ戦争を選ぶのか』という本を読みました。
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(一部修正しています)
アテネが支配していた紀元前のギリシャ。都市国家ミュティレネがアテネとの同盟を解消し、離脱を目論んだ。

<クレオンの演説>
諸君らは我が帝国(アテネ)が、支配を不服とし、陰謀を画策するような都市を相手に暴君的な圧政を敷いているという事実を理解していない。同盟国が我々に服従するのは、我々が彼らのために恩を施すからではなく、力づくでねじ伏せているからだ。
それは力のなせる業で、  なにも我々を慕っているからではない。
質は悪いが実行力のある法を持つ都市の方が、質は良いが実行力のない法を持つ都市よりも優れている。起こりうる最悪の事態は、この事実を我々が見落としてしまい、意味のない決議を行うことだ。
抑制の効いた無知のほうが、自己を点検することのない知性よりも好ましく、都市をうまく運営できるのは、賢い者たちよりも単純な思考をするものたちである。

<ディオドトスの演説>
私はミュティレネを擁護するつもりも、非難するつもりもない。彼らの犯した罪についてではなく、我々のとりうる最善の道について討論するほうが賢明だ。仮にミュティレネの罪を完全に立証できるとしても、それがアテネの利益にならないのであれば、彼らを死刑にすべきではない。また、それがアテネの利益にならないのであれば、彼らを放免する必要もない。
我々は現在についてではなく、未来について討論すべきである。
クレオンはミュティレネ人を処刑することが反乱の抑止につながり、我々に大きな利益をもたらすと主張している。私は将来について真剣に案じるなら、反対の道を行くのが最善であると考える。
我々はミュティレネを正義の名の下で裁くのではなく、どうしたらミュティレネの反乱を最大限に利用できるか討論すべきなのである。
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この演説を読むと、アテネの紀元前400年、今から2500年前と現代と何も変わっていないと思います。
クレオンの演説は、力でねじ伏せよ!恐怖で支配せよ!と言っているだけです。でも人間の一面を突いていると思います。
それに対し、ディオドトスの演説は人間には愛の心があり人を信じよと、説いているのではありません。
上記のディオドトスの演説の最後の文章を見てください。

自分が一番大事だ。
自分が一番都合よく行くにはどうすればよいか、そこを考えろと言っているのです。
2500年前と現代と何も変わっていません。
むしろこの時代は演説に正直な気持ちが出ているのに、現代では嘘の仮面をかぶっている分もっと悪くなっています。
ディオドトスの演説は自分ファーストそのものです。

先の大戦で日本が負け、日本は裁かれました。
正義の名の下、人道の名の下で裁かれたのではありません。
正義と人道で表面を粉飾されただけで、ディオドトスで裁かれたのです。
当時の主力の政治家や新聞社社主、そのほかの有力者が米のエージェントとして大きな資金を受けていたと言われます。
まさにディオドトスの演説そのものではないでしょうか。名目の正義によって処刑するよりも、日本を自国の役に立たせるにはどうしたらよいか。それこそが米にとっての正義です。
米はディオドトスに従って米の正義を為しただけです。
正義は国の数だけあるのでしょう。

これを利己性と言います。
この地球上に生物が誕生したとき、利己性つまり自分自身を維持し、未来に生命を繋いでいく機能を授かった生物が現在まで生き残ってきました。生物に利己性は必然です。

映画『君たちはどう生きるか』では、人間の真の姿が描かれています。主人公の名前は眞人(まひと)、ここにこの物語の全てが凝縮されています。
主人公が転校先で喧嘩をし、帰り道で石で自分の頭を叩いてこめかみから血を流して家に帰ります。父親が誰にやられたんだと聞いても、道で転んだだけだと言います。なぜこんな演技をするのか。なぜ父親を騙すのか。これが私の持つ悪意だと、眞人自身が映画の終わりの方で告白します。
私は人間の持つ利己性の一つの表れだとみます。その眞人の傷を見た社会的に大きな力を持つ父親が学校へ行って何をしたか、そこは映画には出てきません。想像せよと観客に迫るだけです。
でも人間は、利己性の他に真の利他性を持っています。最終的に自分の利益につながる擬似の利他性ではなく、言わば無私の愛、博愛、人類愛ともいうべき真の利他性です。この映画のポスターは1枚だけです。顔が二重になったアオサギのポスター、それだけです。アオサギは人間の持つ悪意そのものでした。でも眞人と関わっていくうちに、別の面が出てきます。これが人間です。
アオサギに導かれた幻想の世界で、眞人は世界を統べる大爺に会います。大爺は眞人に「私を継いで欲しい」と頼みます。でも眞人はそれを断ります。例え世界が火の海になろうとも嫌だと、眞人はそれを断ります。人間というものは、本来他人によって支配できないものだという主張がここにはあります。
この映画は小説『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎、1982)をタイトルにしています。その本の内容は映画では全く出てきませんが、大きな影響を受けていることは映画を見ていくとわかります。宮崎駿氏がこの小説にきっと大きな影響を受けたのでしょう。

でもこの小説には反論があります。
「『君たちはどう生きるか』に異論あり!」(村瀬、2018)です。
『君たちはどう生きるか』の物語は、主人公コペルくんが銀座のデパートの屋上から下を見ると、人間が分子のように見えるというところから始まります。村瀬(2018)の異論は、この人間分子論についてがメインです。でも村瀬は、この人間分子論を否定してはいません。人間を分子として見る目、言葉を代えれば高い位置から人間や人間社会を俯瞰する目、感情を除外した客観的な目は必要だと言っています。でも人間を横から見る目、「目、口、尻」を持った等身大の位置から見る目とのバランスが大事だと言っています。
小説『君たちはどう生きるか』は、現代の人間社会に生きる我々が原点から再考すべき時が来ていると私は思います。

そしてもう一度映画に戻りますが、眞人の新しい母である夏子のお腹には子どもがいます。この子が未来の人類を表しています。『君たちはどう生きるか』の、科学的と称する高いところから俯瞰した人間分子論、そして等身大の位置からの目・・・。
この両方を備えた新しい目を持った未来の人類が、この夏子のお腹の子です。

私は、この両方の目がこれからの人類に必要だ、身につけよと言っているのではありません。人間は、生物としてこの両方の目を本来持っているのです。この両方の目の生物学的な視点から機構の解明が私の論考であり、人類への私の贈り物です。この年末には出版できるでしょう。

これを読むと人間がどんな生き物なのか、どんな目を持っているのか、それがわかります。
この目こそが夏子のお腹の子の目だと、私は思います。
美しい情景や幻想的な展開、エンターテインメントで飾られてはいますが、この映画は哲学映画であり、宮崎駿の長く生きたこの人類社会への彼の贈り物、長く生きたこの人類社会への宮崎駿の感謝の気持ちの表れではないかと私は思います。


市民シンポジウム 「人類は戦争をやめることができるのか?」

2023-03-30 20:49:00 | 人類の未来

昨年12月に開催された第1回さいたま国際音楽コンクール一般部門で、「ありふれた話」を歌って埼玉県知事賞をいただきました。
昨年はクラシックやシャンソンコンクールにチャレンジしたけれど鳴かず飛ばずだったので、年末になって栄誉ある賞をいただき大変嬉しいです。先日表彰楯が送られてきました。
歌で県知事賞なんて、私の生涯でもう2度とないでしょう。これを励みに今年も頑張りたいと思います。

今年2023年4月8日(土)に午後1時から市民シンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか?」をZoomにて行います。

テーマ:人類は戦争をやめることができるのか?

ロシア・ウクライナ戦争、そしてそれが終われば東アジアでの戦争かと恐ろしい社会情勢になってきたと思います。

私は、一昨年、昨年と2年間、人間の真の利他(純粋利他)をテーマとしてこの市民シンポジウムを行いました。
私は真の利他性(純粋の利他性)、つまり自分の利益を動機としない利他性が、現代以降つまり人新世において人類を導くと考えます。
一昨年は、「真の利他性とは天動説である」と言うお話がありました。つまり本当は利己性に基づいてあらゆる生物はこの世に存在できるのだけれど、真の利他性があるように見えるから、あるいはあると思いたいから、それがあると人は考えるのだと、そう言うお話しと受け取りました。
昨年は、細胞内部にある真の利他性について「それは単なる制約」に過ぎないと言われました。

それから丸1年、私はさらに考えました。
単なる制約!
それは間違っていません。正しいです。
でも、その理解は正しくても人間にフィットするものではないのです。この1年でそれがわかりました。
その話をいたします。

人類が戦争をやめるには、2つの主張と理解が必要です。


1 種問題
2 真の利他(純粋利他)

この二つです。
私の話の内容は決して専門家しか理解できないような話ではありません。誰もが理解できます。

でもそれが本当にあり得るのか?という点において、実際に認識するには壁を飛び越える必要があるのです。

壁を飛び越えることができれば人類は戦争をやめることができます。
少なくとも、その原点を持つことができます。
でも、それができなければ人類は戦争をやめることができないと私は思います。

私は人類がその壁を飛び越えることができると思います。

講演:
森中 定治(日本生物地理学会会長、綾瀬川を愛する会代表、放送大学埼玉SC所属

   「人類は戦争をやめることができるのか?」

論評:
山極 壽一 (総合地球環境学研究所所長、前京都大学総長、前日本学術会議会長)
千葉 聡 (東北大学 東北アジア研究センター教授)
松本 直子 (岡山大学 文明動態学研究所所長)
石川 洋行 (八洲学園大学 非常勤講師)
論評・クロージングアドレス:
石井 剛 (東京大学大学院 総合文化研究科教授)

ポスター

講演要旨

参加費無料
参加申し込みは、お名前と市民シンポジウムと明記して、学会事務局 (delias@kjd.biglobe.ne.jp)へ
学会のHPからも申し込みができます。
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdiAR7gXhd9CkGURbmG6APln1PmRyPbxbOyaxQBwixJcc-p2g/viewform

 


日本の未来

2023-01-07 14:20:32 | 人類の未来

新年おめでとうござます。

ロシア・ウクライナ戦争はまだ続くのでしょうか。
それが終わって、日本・中国へと死神がシフトすることを恐れます。

以下のメールを今朝「市民のメール(CML)」に投稿しました。

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一昨日、1月5日に知人から年賀状が来ました。


コロナの前は講演会や集会などでお会いし、親しく話をさせていただいた方です。
そのころはかくしゃくとしていました。
コロナ以後はお会いしたことがありません。
92歳になられたと聞いて、私はとても驚きました。
あれこれ議論していた時、そんなお年には全く見えませんでした。

彼の年賀状をご紹介します。
https://www.dropbox.com/s/a9o3j7v2aaysqgv/年賀状2023年1月5日.jpg?dl=0

今年いただいた、私にはいちばんの年賀状です。
日本が戦争を避けるにはどうしたらよいのか、ここには貴重な示唆があります。

ロシア・ウクライナ戦争の評価は概ね以下のとおりです。
1 ウクライナを侵略したロシアは悪者である。国際法違反の犯罪者である。
2 ロシアはこの厳冬の中ウクライナのインフラを破壊し、ウクライナの子どもたちが凍えている。

1、2は事実でしょう。
でもロシア・ウクライナ戦争に関してこの1、2の視点にとどまる限り、平和外交による解決はなく、暴力によって押しつぶすしか道はないと思います。

プーチン大統領は、世界の多くの国がロシアの侵攻を批判していることを知らないでしょうか。
国連が批判していることを知らないでしょうか。
そんなことは絶対にありません。
そんなことは百も承知でウクライナ侵攻を続けているのです。
国民の生命を預かる立場の人間にとって、国民の生命と安寧を守ることが最高最大の使命です。
ゼレンスキー大統領は親米であり、NATOに入りロシアへ向けた核ミサイルを配備した後では遅いのです。
それが予想されるなら、ロシアはウクライナ侵攻など何の躊躇もしないでしょう。
侵攻に入る前の何年もの間、ゼレンスキー大統領がプーチン大統領にどのような接し方をしてきたのかそれが問われます。

ゼレンスキー大統領がロシア国民にロシア語で話しかけたYoutubeを観ました。
ロシア国民に向かってプーチン大統領を、常にこそこそ逃げ回る子ネズミのように言っています。
平和を願う心がここに現れているでしょうか。

今朝の新聞によれば、プーチン大統領のクリスマス休戦提案を拒絶したとか。
どこまでも殺し合いをするぞっ!と言う勇ましい意志表示です。
プーチン・ロシアを追い詰めれば、ロシアは最後には核兵器を使うでしょう。
核兵器を使わずむざむざ降参することも絶対にないとは言えませんが、相手を殺そうとする時、滅ぼそうとする時、その滅ぼされる相手が滅ぼす相手に
手心を加えてくれると考えることは間違っていると思います。
核兵器を持っていなければそれで論理的でしょうが、持っているのですから、持っているものを使わないと期待することは論理的に破綻しています。
追い詰めたその結果、核戦争に道を開きます。

この年賀状には、フルシチョフ・ソ連とケネディ・米国の関係が記されています。
キューバにソ連の核ミサイルが置かれそうになった時、ケネディ大統領は世界核戦争も辞さなかった。
ケネディ米大統領は自国民の生命と安寧を、世界核戦争よりも上に置いたのです。
フルシチョフはキューバからソ連の核兵器を引き上げました。
だからケネディ・米国は安心しました。これが戦争を止めたのです。

上の1、2の考え方をとる限り、プーチン大統領はそんなこと知っていてやっているのですから、国際法違反だからやめろと言っても兵を引くわけがありません。
ロシアの侵攻を未然に防ぐ。
つまり戦争をしないためには、プーチン大統領に自国民の生命は安全だよという安心を与えなければならなかったのです。
ゼレンスキー大統領はそれがわからないのでしょう。

2度あることは3度あります。
中国も全く同じです。
台湾が米国と仲良くし、台湾に中国に向けた米国の核ミサイルを置けば、世界核戦争です。
世界核戦争まで行かなくても、そんな場合は中国は台湾侵攻に何の躊躇もしないでしょう。
沖縄も同じです。
幸い沖縄には、核兵器を持たず、作らず、持ち込まさずの非核3原則があります。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku/gensoku/ketsugi.html

ソ連・米国、ロシア・ウクライナ、そして日本・中国です。

全く同じですが、我々には神様から授かった大きな頭脳があります。
過去の2事例から我々はどうすれば戦争を未然に防ぐことができるのか、ソ連・米国型の解決、あるいはロシア・ウクライナ型の解決、どちらがよいのか、
よく考えるべきだと思います。


戦争とプルトニウム

2022-12-06 15:55:33 | 人類の未来

10月16日にNHKTVの日曜討論で各政党の国会議員の議論を視ました。
冒頭、与党議員から「弱いあるいは自国を守る気がないとみられた国はいきなり侵略されることを、このロシア・ウクライナ戦争で我々は学んだ」との趣旨の発言がありました。これを与野党の全てが基本的な考え方として合意しているように私には見えました。

この主張はまさに「人を見れば泥棒と思え」の諺通り、国はハリネズミのような防備をし、常に構えていなければならないことになります。
人間は相手が弱いとみればいきなり襲いかかる野獣でしょうか。いや野獣でさえ、空腹時しか弱い動物を殺さないでしょう。では人間は野獣以下なのでしょうか。

私はこの主張は間違っていると思います。

この主張には、国は違っても、この地球に暮らす誰しもが喜怒哀楽を持つ同じ人間だという、人間についての理解が欠損しているように思います。その理解の上に、人間の信頼が築かれるのだと思います。人間とは何なのか。その理解の上で、初めて人類は戦争を捨てることができるのだと私は思います。常に最新の兵器でハリネズミのように防備しても、人類は戦争を終わらせることはできず、むしろ未来永劫戦争に苦しむと私は思います。

ロシアは自国が攻撃されれば核兵器の使用も辞さないと公言します。人類は現在、核戦争の縁に立っています。

10月24日、25日、26日、27日、4日連続で「汚い爆弾」(ダーティーボム)という言葉が、私がとっている新聞に出ました。おそらく他の新聞も同様でしょう。24日、25日はロシアが管理するザポロジエ原発をウクライナ軍が攻撃し、放射性物質の拡散を狙っているとの論調でした。西側諸国は、これはロシアの嘘だと言います。本当なのか、嘘なのか私にはわかりません。

26日になって内容が変わりました。
見出しは「米露軍トップ電話協議「汚い爆弾」意思疎通は維持」です。
これは原発が攻撃され、破壊された原発から放射性物質が漏れ出るというようなレベルの話ではないと思います。兵器として汚い爆弾をウクライナが使うとか、ロシアが使うとか、そのような話だと私は感じました。

この汚い爆弾はとても恐ろしい兵器です。言葉で言い尽くせないほど恐ろしい兵器です。
自然界でも放射性元素は種々あります。放射性元素を汚い爆弾の材料にするとすぐ失効したり、危険で扱いが困難だったり探知されやすいとか、難点がたくさんあります。でも都合のよい放射性元素もあります。プルトニウムです。

現在の原発の燃料であるウラン235の3万倍の力を持ちます。わかり易く言えばプルトニウムの微粒子1粒が鼻から肺に入るのと、ウラン235の微粒子3万粒が鼻から入るのと、計算上その力は同じになります。コソボやイラクで奇形児が生まれたり白血病が出るのは、劣化ウラン弾のせいだと言われます。戦車の装甲を貫く劣化ウラン弾、爆発によってでき空気中を漂うこの劣化ウランの微粒子が体内に入ったせいだと言われます。劣化ウランはほぼウラン238でできていますが、プルトニウムはこの19万倍の力価です。

しかもプルトニウムの放射線はアルファ線で空気中を5cmしか飛ばず、探知ができません。核爆弾のように高純度に精製する必要もありません。
もしプルトニウムの1ミクロン以下の微粒子をドローンで都市上空で撒けば、その都市は死の都市となります。半減期は24000年、万年の単位で地球を汚染します。恐ろしい兵器です。

Wikipediaに詳細が出ています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9A%E3%81%84%E7%88%86%E5%BC%BE

Wikipediaでは、放射能兵器とか放射能爆弾という用語が使われていて、それが核兵器なのか通常兵器なのか明記されていません。
私は、もし汚い爆弾にプルトニウムを使えば、プルトニウムは核弾頭なので、これは核兵器だと考えます。でも汚い爆弾は、核分裂によって瞬時に爆発する核力を解放する爆弾ではありません。だから汚い爆弾は通常兵器の一種という考え方も出てくると思います。

汚い爆弾についての協議とは、このようなことを協議をしたのではないかと、私は推察します。米国はロシアを世界的な悪と叫び、高い戦闘力を持つ通常兵器をウクライナに供給しています。そのためにロシアは苦戦しています。この汚い爆弾を通常兵器と考えれば、米国やNATOからのウクライナへの高性能の兵器供給に対して通常兵器同士で対等に戦えます。米国がロシアに対して急に軟化し、和解を求めるように変わってきたのは、こういうやりとりがあったのではないかと、そんな気もします。

先に示したWikipediaでは、実際に汚い爆弾の使用が計画された事例が出ています。日本でも、2015年4月にドローンが首相官邸の屋上に落下した事件がありました。所有者は不明で放射線のマークがついていたそうです。私には意図が感じられます。同年にワシントンのホワイトハウス敷地内にもドローンが落ちています。オバマ大統領も2016年の核セキュリティーサミットの演説で汚い爆弾について言及しました。2日前の12月4日には沖縄那覇空港にドローンが飛行したと、新聞に出ました。

今のままの状態で放っておけば恐ろしいことが起きると思います。戦争と同じく起きてからではなく、起きる前に対処すべきです。汚い爆弾はすでに公知の事実であり、我々平和を望むものは核についてもっと敏感さと深い理解を持つ必要があると思います。

今現在、我々人類は、人類の未来まで汚染する核戦争、その縁に立っています。
人類は戦争をやめる時が来ています。

プルトニウムは人類史上最悪の物質だと私は考えます。
プルトニウムは現在の自然界にあるものではありません。
人類が生み出したものです。
プルトニウムを生み出したのが人類なら、人類はプルトニウムをこの世から消滅させる責任があるでしょう。
その責任があると私は思います。

核兵器廃絶運動を推進するのであれば、まずこの汚い爆弾が核兵器なのか、それとも通常兵器なのか明確にする必要があります。核兵器を廃絶することができても、その代わり弾頭のプルトニウムが通常兵器として汚い爆弾へとシフトしたら、地球の未来は何万年も恐ろしい放射性物質で汚染されることになります。核ミサイルが飛んできて爆発する以上の恐ろしさを私は感じます。

核兵器廃絶運動というなら、プルトニウムをこの世から消滅させる運動をやらねばならないでしょう。鋼鉄やアルミやその他の金属、プラスティックなどでできたミサイル本体やミサイルの発射台を廃絶しても、弾頭のプルトニウムが残れば意味がありません。核兵器廃絶運動によって核ミサイルは無くなったけれども、弾頭のプルトニウムは通常兵器に衣替えしたのでは、より悪いと私は思います。端的に言えば、核兵器廃絶運動とはプルトニウムをこの世からなくす運動だと言えるでしょう。

ところが、ウラン235を燃やす現在の軽水炉原発でプルトニウムはいくらでもできてきます。
人間は電気が欲しいだけです。
ただ電気を得るために、こんな恐ろしいものを生み出す必要があるのでしょうか。
プルトニウムは人類が原子炉で作り出したものです。原子炉で作り出したものであれば原子炉で消滅させることができます。
その時の熱を利用して電気を起こす、つまり原発にするかどうかは、冷静に考えてみる必要があると私は思います。

もう10年以上も前ですが、スウェーデン社会についての研究会で古川和男先生という液体金属や原子炉の専門家に出会い、プルトニウムができない原発って知っているかい?と問われて・・、私は全く知らなかったのです。それどころかその原子炉でプルトニウムを消してしまうことができるんだよと聞きました。そして本を書きました。もうずっと前、東日本大震災の前のことです。今年になって絶版になっていた私の本を電子書籍にしたいという申し出があってごく最近電子書籍になりました。そしたらそこがYoutubeも作ってくれました。

以下に要約されています。

https://www.youtube.com/watch?v=avj2xbZJL7g&list=RDCMUCLoKVNpZfI9ozZSORdX2_fg&start_radio=1&t=4s

10月14日の新聞に出た中畑流万能川柳の一つです。
「無防備で子らが眠れる国であれ」 姫路 ダイキン前

冒頭に戻りますが、日本の未来を担う政治家が、このロシア・ウクライナ戦争で他国に対して常にハリネズミであらねばならないと学んだとしたら、私は間違った学びをしたと思います。

相手に弱いと見られたからいきなり侵攻されるということはないと、私は思います。侵攻の前に両国の永い関係があるのです。戦争の種蒔き、芽吹き、そして成長があり、そして一番最後に戦争という死の花が咲くのです。
このことを理解すれば、戦争になる前に対処ができます。
それしか人類は戦争を廃絶する道はないと、私は思います。

「国は違っても、この地球上の誰もが喜怒哀楽を持つ同じ人間」です。この言明に対する深い理解が根底にあれば、先に掲載した川柳が地球上のあらゆる国の間に、個々の人間の間にできると、私は確信します。