森中定治ブログ「次世代に贈る社会」

人間のこと,社会のこと,未来のこと,いろいろと考えたことを書きます

2021年市民シンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか?」

2021-03-25 11:36:09 | 人類の未来

4月10日(土)午後、Zoomにて公開シンポジウムを行います。市民シンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか?」(無料)
『種問題(生物学)から見える人類の道』 
(利他が人類を救うー相模原障害者殺傷事件を発端に、鬼滅の刃を切り口に)

大量の死傷者を出した相模原障害者殺傷事件を発端に、昨年末に映画史上に残る大ヒットをしたアニメ映画『鬼滅の刃』を引用し、
種問題(生物学)の視点から人間の持つ利他性について述べます。そしてそれが現代人類にとって階段を一段昇った新しい道となることを述べます。

総合司会:蒲生 康重(進化生物学研究所、日本生物地理学会庶務幹事長) 
お話(インタビュー):雨宮 処凛(作家、活動家) 
インタビュアー:幾島 淑美(全国浄化槽フォーラム理事) 
人類の道説明:森中 定治(日本生物地理学会会長) 
コメント:小田 亮(名古屋工業大学教授)、斎藤 環(筑波大学教授、精神科医)、篠田 博之(月刊『創』編集長)、藤井 聡(京都大学教授)、松尾 匡(立命館大学教授)、宮台 真司(東京都立大学教授)、森 達也(映画監督、作家) クロージングアドレス:岡ノ谷 一夫(東京大学教授)

なお、弊学会のHPにこのポスターとともに私の以下の資料を添付しています。
https://biogeography.iinaa.net/index.html

趣旨説明:森中
添付資料1 雨宮処凛著『相模原事件・傍聴記』を拝読して(森中、2020年11月)
添付資料2 映画「鬼滅の刃」と利他性について思う (森中、2020年12月) 
登壇者略歴(あいうえお順、敬称略) 

ご参加の場合は、必ず10日市民シンポジウム参加希望と明記してください。

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潜在意識が顕在意識に変わる時

2021-02-04 17:31:27 | 人類の未来

トランプ米大統領は、2021年1月20日に大統領職を辞した。
死刑囚リサ・モンゴメリー(52歳、見出しの写真)は、トランプ大統領辞任の直前、2021年1月13日に刑が執行された。

2004年、リサ・モンゴメリーは妊婦の腹を割いて胎児を取り出し、自分の子どものように扱っていた。その妊婦は死亡。彼女の弁護士は、心神喪失によってリサ・モンゴメリーの無罪を主張した。しかし陪審は5時間足らずで有罪の評決に至り、彼女には死刑判決が言い渡された。死刑執行の日は、2021年1月12日と決められた。

事件に至るまでのリサ・モンゴメリーの凄惨な人生を弁護チームが調べ始めたのは、判決が下された後だった。新たな弁護チームは度重なる面会を経て、何十年にも及ぶ虐待、レイプ、凄惨な拷問の事実が突き止められた。
一言で言えば、彼女は少女の頃から、自分の母親によって支払いの対象とされてきた。分かりやすく言えば、ものを買ったり、家を修理したりすれば当然ながらその支払いが生じる。その支払いとして、リサ・モンゴメリーの身体が与えられた。逆らえば折檻、虐待、少女が母親や継父にあがらう術はなかった。

このような事実が明らかになって、死刑囚リサ・モンゴメリーにインディアナ州の連邦地裁が、死刑執行の前日2021年1月11日に執行延期の判決を出した。

私がこのことを知ったのは、毎日新聞がこのニュースを報じたからだ。
そのニュースはすでに消えてしまったが、Yahooニュースにも出た。
トランプ大統領は、米国において過去60年間の死刑執行の3倍以上を執行し、「急ピッチの連続執行」と呼ばれた。しかし米国の一地方の単なる一人の死刑執行が、わざわざ日本の新聞に掲載され、インターネット(Yahoo)にも掲載されるとは、私には不思議であった。
なぜこの死刑囚ばかりが掲載されるのだろうか??

インディアナ州の連邦地裁が、2021年1月11日死刑執行延期の判決を出したために、1月12日の死刑執行は取り止めになった。
まさに滑り込みセーフだった。
しかし連邦最高裁は、連邦地裁の死刑執行停止を取り消し、翌1月13日、人々に考える間を与えず、あっという間に刑を執行した。
このことも、毎日新聞のみならず、インターネットにも、朝日にも、日経にも、読売にも掲載された。
一体、米国の一地方の一女性死刑囚の刑執行がなぜ日本の大手新聞の総てに掲載されるのだろうか・・。

私は、毎日新聞でこの死刑執行の記事を読んだ時、トランプ政権に対して憤りを覚えた。
政治問題や人間の生き様について議論するMLで、先の米国大統領選挙について議論していたとき、この選挙には大きな不正が行われたと主張するトランプ大統領の応援者から、トランプは敬虔なクリスチャンだという主張があった。
この“敬虔なクリスチャン”という言葉が、死刑台の露と消えたリサ・モンゴメリーのことを、私に思い出させた。

私は以下のような内容の主張をこのMLに送った。
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私はトランプとも、この死刑囚とも、何の私的な関係ももたない。全く無関係の、赤の他人だ。でもこの人は死刑にならなければよいと思った。
インディアナ州の連邦地裁が彼女の精神障害から執行延期の判決を出して、ちょっと心が安らいだ。
それをトランプはあっという間に刑を執行した。
キリストは人の生命を奪えと教えているのか? 
敬虔なクリスチャンとは連邦地裁の判決などへのかっぱ、さっさと殺してしまえと言う人たちのグループなのか?
自分の味方をした人や、あろうことか自分自身にさえ恩赦を出すというのに。
一人の女の生命など知ったことではないというのだろうか。
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これに対して幾多のやりとりを経て、別の方から、以下のような反論が来た。

>トランプさんは神様ではないので、今回の選挙を含む大きな軍事作戦で手一杯で、残念ですがリサさんの不幸に向き合う余裕が持てなかったのではないかと思います。

これに対して以下のような再反論を送った。
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この主張には、私は納得できません。
死刑囚リサ・モンゴメリーには、インディアナ州の連邦地裁が死刑延期の判決を出していたのです。だからトランプ大統領が選挙を含む大きな軍事作戦で手一杯でリサさんの不幸に向き合う余裕がなかったのなら、その地域の連邦地裁といえば権威があるわけですから、その地裁の判決に従ったでしょう。
その地裁の判決をひっくり返して、退任直前にわざわざ殺したのですから、「この女はバイデンに生命の救いを求めているようだから、そんなやつは最後の最後に俺が殺してやる」とその女性に最後まで生命の期待を持たせてその上で殺したのだと私は感じています。残虐だと感じています。
きっとトランプは、自分を追い落とす憎いバイデンにせめて最後の一太刀をと言う気持ちだったのではないかと感じています。一太刀を浴びせるならバイデンに直接すべきだったと思います。自らの力では自分の生命を救うことができない50代の一人の死刑囚、バイデンに対してではなく、自分の生命すらどうにもできない無力の女性に世界最大の力を持った男が剣を振るったのです。
これは、大統領の職務を遂行したのではなく・・、その職務にかこつけて一人の女性の生命を弄んだのだと私は思います。
言葉がありません・・。
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赤の他人の、他国の一死刑囚に対して、私はなぜこんなにも憤ったのか。MLでメールのやりとりをするうちに、私の憤りはどんどんと強くなった。
なぜインターネットや3大新聞、他が、他国のたった一人の死刑囚に対してこれほど書くのか。しかも一々写真付きの記事として。

さらに刑が執行されて10日近くも経った1月22日に『レイプ・虐待被害の女性に死刑執行 「おきて破り」認めた裁判官は誰か』と題して後追い記事が出た。
https://news.yahoo.co.jp/articles/dca4a764f09e3a7e54643d771b1fe52177ab8eb7

さらに、2月3日に『女性死刑囚の刑執行をめぐる悲劇、虐待とトラウマと精神疾患』と題して後追い記事が出た(これらの記事は早晩消えてしまうので、PDFで保持)。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1ac731f043bdf268389a78dd67328583e412ea52

他国のたった一人の死刑執行に、なぜこんなに後追いが出るのか。この扱いは一体何だろうか!

この女性は、妊婦の腹を裂いた時は狂っていたのだと思う。でも、それから刑務所で何年もの年月を過ごすうちに自分を取り戻したのだろう。バイデンは死刑執行をしない人だと噂に聞いたのだろう。だから、大統領が変わる日を指折り待っていたのだろうと私は推察する。

彼女の目的は生命への憧れ。すでに罪を犯し死刑を宣告、自分ではどうにもできない自分の生命・・。でも、生命への憧れはある。自分自身を取り戻したのなら、それはなおさら強くなった・・。
ここに赤の他人のことが、まるで自分のことのように心を掴まれる仕組みがある。
これは、人間が持つ深い、心の底にもつ利他性である。
私はふと気がついた。赤の他人でもあるし、同時にまた自分のことでもある。

アニメ映画『鬼滅の刃』が売上No.1になった。私もこの映画で目が潤んだ。これと同じ仕組み、他人の心を鷲掴みにする仕組みが私の心に働いた・・。

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日本生物地理学会の市民シンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか?」で、今年は4月10日に相模原障害者殺傷事件を発端として、種問題に基づく人間の利己性と利他性についての議論をします。人類のこれからの道についてのシンポジウムです。

Zoomでやります。現在ポスターを作成中です。
赤の他人でもあるし、同時にまた自分のことでもある・・。理念や訓話のような話ではありません。実在する生物としての現実の話です。なぜそうなのか。このシンポジウムでそれが分かります。
もうしばらくしましたら、ご案内いたします。

 

 

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相模原障害者殺傷事件 植松聖被告に死刑判決へのコメント

2020-03-17 10:04:42 | 人類の未来

昨日、2020年3月16日、横浜地方裁判所は多くの障害者を殺傷した植松聖に死刑を言い渡した。

NHKニュース

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200316/k10012333681000.html?fbclid=IwAR2D1Apc7Le0pP3z9MMwvf4O38Z28ygwTnRaC9hBBuS1hJJhMpZmzp_SR4U

この記事の最後に、この事件に深く関わった8名の人たちのコメントが出てくる。特に4名は社会的にも知名度の高い有識者である。

私が取り組んできた種問題がこの事件と深く関わり、解決への方向を示す一つの答えがあるので、ここでこの事件についてコメントをしておきたい。4月18日の市民シンポジウムの趣旨説明でお話をさせていただく予定であったが、コロナウィルス収束の見込みがなく、今年の市民シンポジウムは中止となったので、特にここでコメントしておきたい。

NHKニュースの、記事の最後に付記された森監督のコメントにあるように「被告は僕らの矛盾をついた」と言う点である。これは他の有識者も同様の視点を持っているように感じられるが、ではそれがどういう矛盾なのか、誰にもわかるよう具体的にはほとんど誰も指摘していない。

その点について、私は2017年11月に放送大学文京SCで機会をいただいて講演した。問題点は明確である。トランプはメキシコ国境に巨大な壁を作った。ベルリンを東西両陣営に分断した壁は30年前に打ち壊されたが、現代はその6倍にも及ぶ通行防止柵が空爆地域からの難民流入を防ぐために作られた。

なぜ、それらが作られたのか?

貧しい移民や難民を国に入れれば、国費(国民の税金)で食べさせねばならないからである。難民を排除するという政策を掲げたポピュリスト政党が欧州で台頭している。既に政権与党になった国すらある。日本でも同じ流れがある。若者が苦しい生活のなか、なぜ何の関係もない赤の他人の食い詰め老人を食べさせなければならないのかという声を聞いた。70歳以上の老人に対する生活保護や弱者への福祉を一切やめるべきだという声を私は聞いた。助けたいと思う人が助ければよい。私は嫌だという声を聞いた。もちろん自分自身の財力で生きている人は別である。しかし、お金のない人、自分自身で生きていけない赤の他人をなぜ俺たちのお金で食わさねばならないのかという素朴な疑問を聞いた。この疑問が世界の巷に溢れ出てきている。自分たちの考えだけが絶対に正しいという盲信が、このような異質の声を排除してしまい、それゆえにその対策をとることができないのである。

植松聖は、自分自身を救世主と言った。日本を含む、世界中にこのような考え方が溢れ出し、今や濁流となって世界を飲み込もうとしている。

植松聖の行為は、その濁流から目に見える形で吹き出した一つのあぶくである。植松聖のこの考え方が一方的であること、その意味で誤りであることを、彼に認めさせないまま彼をあの世に送ったら、彼の逃げ切りだろう。彼の考え方に賛同する人は、今や世界を席巻する濁流となっている。言うまでもなく日本にもたくさんいる。植松聖は、その人たちのその考え方を背負って、その人たちの救世主として、異教徒から死刑に追い込まれたジャンヌダルクとなって死んでいくことになる。それでは彼をあの世に送った我々の敗北だろう。NHKニュースが記事の最後に列記した有識者は、そのことがなんとなくわかっているのだろう。

彼は、一方しか見ていない。しかし一面で正鵠を突いている。だから難しいのである。

人間はそれぞれが独立しそれぞれ固有の意志を持つ個人である。しかしもう一方で、種として一つの存在である。こちらの視点が完全に欠けている。こちらの視点を持つ者もまた、一方的に自分だけが正しいと盲信し、もう一方の視点を意に介さない。実際にはこの両方が現存する。生物学で議論されてきた種とは何かという「種問題」は、新しい実在論を伴って現在の人類が飲み込まれようとする濁流を止める一つの盾となる。自然科学から派生した問題であるが今人類にそれが求められていると私は考える。

植松聖の考えが一方的であることを彼に理解させることができれば、その濁流に与する人たちの考え方を変える嚆矢となる。現代は、一方的な濁流とともに、それを止める手立ても一緒にやってきたと私は考える。

 

 

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2020市民シンポジウム

2020-03-03 21:47:45 | 人類の未来

以下に示すように、4月18日に東大弥生講堂にて市民シンポジウムを開催します。
https://biogeography.iinaa.net/index.html
折からのコロナウィルス禍で予断を許しませんが、3月になりましたのでご案内をさせていただきます。
私の趣旨説明の後半部分を以下に添付いたします。
楽しいウェルカムコンサートもあります。ご関心のある方はぜひおいでください。
3月18日頃に開催の可否を決定しますので、申し込みはその後にお願いいたします。
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2019年11月9日、人間の分断のまさにその象徴とも言いうるベルリンの壁が崩壊してちょうど30年が経ちました。「自由主義は多くの難題を抱え、民主主義も完全ではない。しかし、私たちは人を閉じ込める壁を作ったりはしない」と、1963年に西ベルリン市民に向かって米国のケネディ大統領が演説しました。しかし、その米国の大統領がまさに今にメキシコとの国境に巨大な壁を作りました。ベルリンの壁崩壊30年の記念式典で演説したドイツのメルケル首相は、「壁の崩壊は、人々を分断する壁がいかに高くあろうと、それを打ち破ることができる証だ」と述べました。しかし、ベルリンの壁崩壊30年後の現代、一つの欧州を実現した欧州連合(EU)において、長さの総計がなんとベルリンの壁の6倍にもなる難民流入防止用フェンス(壁)が生まれました。

「平成の野麦峠ね 実習生」 夏休み(中畑流万能川柳 2019. 03. 06)

我々の社会、人類社会のあり方に善悪はありません。我々個人はそれぞれが分離し、それぞれに独立した考え方、主張、理念・理想をもちます。それは個々の個人の価値観であって、相互に個人の価値観を尊重するが故に自由主義、民主主義が成立します。だからどういう社会にするかは、その時を生きる人の多数決になります。神ならぬ人間の持つ知識は非対称で不完全です。すなわち、ある人は知っていても他の人は知らないということは普通です。またフェイクニュースを信じたり、詐欺に引っかかることはオレオレ詐欺がいつまでもなくならないことを考えれば容易に理解できます。間違い、誤解、偏見、好き嫌い、人類からこれらがなくなることはないでしょう。こういった不完全な情報と感情の統合によって人間は意思決定します。
しかし、逆に多くの人がアプリオリ(先験的)に望ましいと考えること、願うことがあります。アプリオリとは、あれこれ損得を考え理性的に計算した結果、〇〇が正しいと意思決定することではありません。多くの人の心に、理由なくそれが正しい、そうしたいという願い、心の中に自然に湧き上がる願望です。現代社会を形作るその基礎となっている大前提、社会規範のことです。具体的に示せば、現在の日本国憲法に規定された基本的人権です。誰もが幸福になる権利を持ち、誰もが平等であり、誰もが差別されることがなく、誰もが生きる権利、教育を受ける権利を持つことです。誰もが人間らしい生活を通して幸せになる権利です。こういう理念は、多くの人が共有し、その理由など考えるまでもなく当たり前だと誰もが思います。多数決を取れば、誰もが迷うことなく賛成するから盤石なのです。
しかし、我々個人々は離れた異なる存在であり、異なる意見を持ちます。自分に全く無関係の、赤の他人の生存のために自分の所有する富を提供したくないとか、この国は仲間だからこの国の人は助けたいが、あの国は嫌いだからそこの人々は助けたくないとか、こう考える人が大多数になったらどうでしょうか。誰もが当たり前として疑うことのなかった基本的人権を、私はそうは思わないと考える人が過半数になったらどうなるでしょうか。所与の大前提として現代人の心に湧き上がる基本的人権が、なぜそうのか、それが一体どこから来るのか、その点について思考を深めなかった人類の怠慢であり、少数の超富裕者のもつ富が全人類の半数にも及ぶ貧困者の富の合計を超えてさらに大きくなろうとする現代社会は、基本的人権は人類の所与の大前提ではないとする人がさらに拡大することとパッケージであるように、私には思われます。
現代人の誰もが理由なく正しいと考える、心から湧き上がる基本的人権は、人間が進化の過程で身につけたものだとすれば理解が容易でしょう。人類はチンパンジーの祖先と袂を分かった600万年前から現代までほとんどが狩猟採集生活の時代でした。一人で生きていくことはほぼできなかったでしょう。厳しい自然環境の中で集団で暮らすことによってのみ生命を永らえてきたのでしょう。だから仲間外れにされることは死を意味しました。つまり仲間外れの人間というものは誰もいないのです。集団への強い尊重の意識と敵味方の意識が生まれたのでしょう。俺たちとあいつら、つまり味方と敵を峻別し、それに従わないものには厳しい罰。そういうしきたりをなぜ作ったのかと問われても答えはないのです。そのような指向を持った集団ゆえに現代まで生命を永らえてきたと考えると理解がしやすいのです。それは進化心理学という学問になっています。そしてその集団内では個々に個人が競争し、その競争に打ち勝った個人が持つ遺伝子が次世代へと伝わって、その遺伝子を持つ人たちがやはり現代まで生命を永らえてきたのでしょう。なぜ他人と争うのか、他人との競争に勝とうとするのか、それにも本源的な論拠はないのです。ゆえに、個人がより裕福になろうとする指向性について、その論拠は説明し難いし、裕福なものが財力、知力、持てる力の全てを駆使してより裕福になろうとするその意志が普遍的(誰にもある)であることがわかっていただけると思います。もちろんそれは、そのまま肯定されるものではありません。しかし、人類は今後どう存続していくのか、それを考えるための一つの大きな要素ではあります。
しかし、そういった狩猟採集生活時代における自然選択(生と死)によって自然発生的に人類の指向性が生じたとする説明は、集団同士における敵味方の枠を超えた人類愛については説明が難しいのです。種を超えた生命愛についてはなお説明が難しいのです。人間にはもう一つ、それは人間が生物であること、有性生殖生物であること、つまり生命の仕組みそれ自体から湧き出てくる指向性があると考えられます。そしてそれら総ての指向性が一人の人間の中で協力し、あるいは相克しています。
現代の日本国憲法に記された基本的人権は、自然科学的なバックボーンを持ちます。まずこれを理解することが重要です。現代の人類が普遍的に持つ理念は生物学的な視点からの検討が必要です。個人の価値観は、あくまでその個人のが生きてきた歴史、好悪、嗜好などが入り混じったものであり、生物学から得られたデータや知見、あるいは理性的な計算によって唯一の正解が見出されるものではありません。個人の価値観や意思は、たとえどのような内容であろうとも、あくまで個人が決定すべきものです。生物学的な発見や理解は、これが正しい人間の価値観だと証明するものではありません。個人の価値観や意思決定に役にたつけれども、あくまで単なる一つの要素です。しかし、現代の人類にとっては、とてつもなく大きな意味を持つと私は考えます。
人間はどのように生きるべきか。どのような社会を作るべきか。この問いに対して自然科学はずっとそっぽを向いてきました。個人が持つ価値観、個人が持つ人類社会はこのようにあるべきという理念や理想と自然科学は交わりませんでした。その結果、人類がどのような未来を持つべきなのか、未来社会のあるべき姿の探索は哲学や心理学など社会科学の独壇場となりました。しかし、人を殺すなとか、他人に迷惑をかけるなとか、人間はこうあるべきなどという道徳や倫理は人間の本源的、普遍的な美意識に基づいており、その美意識は生物学的な基盤を持ち、それぞれの人間の心の中に論拠なく自然発生します。どういう時にあるいはどういう相克があって自然発生するのか、それを社会科学に携わる者と自然科学に携わる者がともに手を取り、一緒に考えることがこれからの学問の道であり、また教育の大きい一面だと、私は考えます。

1.人間はなぜ対立(壁、分断)するのか?
2.その対立はいつまで続くのか?
3.その対立を解消する方法はあるのか?

この3つの問題に対する一つの答えが、私が扱った生物学(種問題)への理解から得られます。

今回ご講演をいただく丹羽宇一郎先生は、総合商社でずっと働いて伊藤忠商事社長、会長を務められ日本の民間会社の中で人間というものをずっと見ていらっしゃいました。そして中華人民共和国駐箚特命全権大使を務められ、日本人と中国人、アジア人・・、人類の所業とその未来について考えていらっしゃいました。今回丹羽先生からいただきましたテーマの一部である~人こそ最大の資産~は、丹羽宇一郎先生の長く波乱万丈の人生経験における個別のお話ではなく、日本の、そして人類の未来を見据えた総合論になるかと存じます。何より、人間そのものについての思索をお聴きできればと思います。
本日のご講演とその論評と活発な討議が、人類社会の夜明けに射す光となることを私は願います。

クリックをお願いいたします。

  

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4月13日(土)市民シンポジウムの趣旨説明

2019-04-10 10:55:32 | 人類の未来

今回は作家の橘玲さんをお迎えして、「リベラル化する世界の分断」というテーマでお話しいただきます。論評者として作家の吉川浩満さん、哲学者の神戸和佳子さん、弊学会の春日井治さんに論評をいただきます。最初にウェルカム・コンサートで私も2曲歌います(笑)

https://www.tachibana-akira.com/2019/03/11583

おかげさまで400名の会場が満席でキャンセル待ちの状態です。ご参考までに私の趣旨説明を以下に添付いたします。

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我々が生活を営むこの人類社会の終焉は、どのように来るだろうか。

日本には1 億3000 万の人が住み、先進国として多様な食べもの、きれいな水、そして高い利便性をもち、物質的にもとても恵まれた生活を享受している。中国には13 億6000 万、インドには12 億6000 万の人がいる。ともに日本のほぼ10 倍である。この人たちが日本、米国を追いつけ追い越せと現資本主義のルールで世界的な展開を図っている。中国がアフリカの資源と北海道の水を押さえに入っているというニュースは、既にインターネットや週刊誌などで広く話題になっている。しかし、それらの国がコモディティー(生活用品)と生活の利便性において、日本と同レベルに至るには地球が2.5 個必要である(拙著『プルトニウム消滅!』p.205-210)。地球を2.5 個に増やすことは絶対にできない。ゆえに、我々が公正と認め標準にしている現在の自由主義、資本主義のルールが破綻し、現在の人類社会の終焉が来るのは、論理的な帰結のように思える。人類は、これをどのように平和裡に乗り越えるのか。これこそが、我々人類の現代の究極の課題ではないのか。 

「善悪に関心持たぬテクノロジー」 崩 彦(中畑流万能川柳 2018.10.3)

どれほどAI が進歩しても、仮にシンギュラリティー(技術的到達点)が到来して人工頭脳が人間の管理を離れ、それ自体が自ら考え設計し生産するようになったとしても、どういう目的を持って自ら生産を行うのか、それは我々人間がAI にインプットする。シンギュラリティーなど来ても来なくてもどちらでも同じ。我々人類は、これからどういう目的を持って人類社会を営んでいくのか、発展させていくのか。我々は今、その方向性を定めるべき歴史的な到達点を迎えたのだと思う。

自由社会とは個々の人間がそれぞれの自由な意思で好き勝手に暮らす社会である。ゆえに人類社会の方向なんてものはない。それぞれ個人が好き勝手に歩んで来た道が人類の道である。こういう考え方に、私は与しない。ステュアート・ミルが言ったように「自由」とは勝手気ままではなく一つの方向がある、と私も思う。その方向とは、どの方向か。それは、ミルの時代では、人間の思考だけによる思弁、観念論だった。その時代は過ぎ、自然科学から得られたデータやエビデンスを土台にして、多くの人が納得できる目に見えるものを提案する時を、人類は迎えたと思う。

コモディティー(生活用品)と生活の利便性において、地球が2.5 個必要な状態へと、今後も同じ方向にさらに突き進んだ時、現在の自由主義、資本主義社会の状態で人類社会はどうなるだろうか。

2019 年1 月、ダボス会議に合わせNGO オクスファムは、世界の富の偏在に関する報告書を公開した。世界の富裕者上位26 人が所有する資産は、世界の人口の約半数に当たる貧困層38 億人が持つ資産と、ほぼ同額と指摘した。私有資産では、26 人:世界の人口の半分、という構図である。今後も、裕福な人はますます裕福になり、貧しい人はますます貧しくだろう。なぜなら、裕福な人はさらに裕福になるように働く(行動する)からである。その上、政府もメディアも警察も全てが彼らを守る盾となるだろう。そのように働く(知力、財力を用いる)からである。過去のように特定のイデオロギーの下に暴力革命で富裕者を殺し、生産手段を奪い取ることは不可能である。第一、暴力に正義はない。むろん解決もしない。

その結果、現在は私有資産において世界の富裕者とバランスする世界の人口の50%の貧困者が、未来においては60%、70%と増えていくであろう。つまり超富裕者が存在し、一方で貧困者は世界の過半数を占めるという人類社会の構図である。こういう人類社会は正しいのだろうか。善なのだろうか。

我々の社会、人類社会のあり方に正邪、善悪はない。我々個人はそれぞれが分離しそれぞれに独立した考え方、主張、理念・理想をもつ。それは個人の価値観であって、他人の価値観は尊重されねばならない。だからどういう社会にするかは、その時を生きる人の多数決になる。神ならぬ人間の持つ知識は非対称で不完全である。すなわちある人は知っていても他の人は知らないということは普通にある。またフェイクニュースを信じたり、詐欺に引っかかることはオレオレ詐欺がいつまでもなくならないことを考えば容易にわかる。間違い、誤解、偏見、好悪・・、人類からこれらがなくなることはないだろう。こういった不完全な情報と感情の統合によって人間は意思決定する。

しかし、逆に多くの人がアプリオリ(先験的)に望ましいと考えることがある。アプリオリとは、あれこれ損得を考え計算した結果、〇〇が正しいと意思を決定するものではない。多くの人の心に、理由なくそれが正しい、そうしたいという思い、心の中に自然と湧き上がる願望である。現代社会を形作るその基礎となっている大前提、社会規範である。具体的に示せば、現在の日本国憲法に規定された基本的人権である。誰もが幸福になる権利を持ち、誰もが平等であり、誰もが差別されることがなく、誰もが生きる権利、教育を受ける権利を持つことである。誰もが人間らしい生活を通して幸せになる権利である。こういう理念は、多くの人が共有し、考えるまでもなく当たり前だと思う。多数決を取れば、誰もが迷うことなく賛成するから盤石なのである。しかし、我々個人一人々は離れた異なる存在であり、異なる意見を持つ。自分に全く無関係の、赤の他人の生存のために自分の所有する富を提供したくないとか、あの国は仲間だからあの国の人は助けたいが、この国は敵だからそこの人々は助けたくないとか、そう考える人が過半数になったらどうだろうか。誰もが当たり前として疑うことのなかった基本的人権を、私はそうは思わないと考える人が過半数になったらどうなるだろうか。所与の大前提として現代人の心に湧き上がる基本的人権が、それがどこから来るのか、その思考を深めなかった人類の怠慢であり、先に述べた少数の超富裕者が全人類の半数の貧困者を超えてさらに大きくなる人間社会は、基本的人権を所与の大前提ではないとする人がさらに拡大することとパッケージであるように、私には思われる。

現代人の誰もが理由なく正しいと考える、心から湧き上がる基本的人権は、人間が進化の過程で身につけたものであろう。人類は600 万年もの狩猟採集生活の時代、厳しい自然環境の中で集団で暮らすことによって生命を永らえてきたのだろう。だから仲間を自分自身と同様に大事にし、逆に仲間はずれにされることは死を意味した。非常に強い集団への尊重と敵味方の判別の指向性が生まれたのだろう。俺たちとあいつら、つまり味方と敵を峻別し、それに従わないものには厳しい罰が与えられる。そういうしきたりをなぜ作ったのか、なぜ尊重するのかと問われても答えることは難しい。そのような指向を持った集団ゆえに現代まで生命を永らえてきたのであろう。そしてその集団内でより多く子孫を残した人たちがやはり現代まで生命を永らえてきたのだろう。ゆえに、なぜ個人が競争に打ち勝ってより裕福になろうとし、裕福なものが財力、知力、持てる力の全てを駆使してさらに裕福になろうとするのか理解することは難しいが、生物学的な視点を持つことによって明確な認識が可能になりまた理解しやすくなろう。もちろんより裕福になろうとする指向性は、そのまま無制限に肯定されるものではなく制御せねばならない。生物学的な視点からの理解は、我々人類がその真の制御方法を構築するために必須であろう。その指向性は人間の進化の過程と次に述べる生命の仕組みから生み出されるものであり、その理解と認識なくしてそれを真に制御することはできない。その指向性に対する明確な認識と理解が進むことによって、その制御は強制ではなく真の制御つまり和解となる。

しかし、そういった狩猟採集生活時代における自然選択によって自然発生的に生じたとする説明は、集団における敵味方の枠を超えた普遍的な人類愛については説明が難しい。種を超えた生命愛についてはなお説明が難しい。人間にはもう一つ、それは人間が生物であること、つまり生命の仕組みそれ自体から湧き出てくる意思がある。そしてそれら総ての意思が一人の人間の中で協力しあるいは相剋している。

現代の日本国憲法の基本的な理念は、自然科学のバックボーンを持つ。まずこれを理解することが重要である。現代の人類が普遍的に持つ理念は生物学的な視点からの検討が必要である。個人の価値観は、あくまでその個人の考えであり、生物学から得られたデータや知見、あるいは計算によって唯一の正解が証明され得るものではない。個人の価値観や意思は、どうであろうとあくまで個人が決定すべきものである。生物学的な発見は、人間の価値観はこれが正しいと証明するものではなく、個人の価値観や意思決定に単に影響を与えるものである。しかし、これはとてつもなく大きい意味を持つ。

人間はどのように生きるべきか。どのような社会を作るべきか。この問いに対して自然科学はずっとそっぽを向いてきた。自然科学における発見やエビデンスと、個人が持つ価値観とは無関係と断じてきた。その結果、人間がどのような未来を持つか、未来へと歩む道の探索は哲学や心理学など社会科学の独壇場となった。しかし、人を殺すなとか、他人に迷惑をかけるなとか、人間はこうあるべきなどという道徳や倫理は人間の本源的な美意識に基づいており、その美意識は生物学的な基盤を持ち、人間の心の中に自然発生する。どういう時にあるいはどういう相剋があって自然発生するのか、それを一緒に考えることがこれからの教育の大きい一面だと、私は考える。

今回ご講演をいただく作家の橘玲先生は、2019年1月に新著『もっと言ってはいけない』を上梓された。今まで言ってはいけないことになっていたこと、考えてはいけないこと、タブー、それを明らかにして議論を進めるべきときがきたのである。その内容は、多くが生物学を基盤とし、それから得られたエビデンス(証拠)に基づいた人間社会論の展開、つまり自然科学と社会科学の融合である。これが人間の基本的人権を、自然科学を土台にして改めて認識する大きな力を与えてくれるだろう。そして、人類が生命体としてどういう存在なのかを示した拙考『種問題とパラダイムシフト』は、生物学と哲学の融合であり、今回のシンポジウムと重なる。

本日の講演とその論評と活発な討議が、人類社会の夜明けに射す光となると私は考える。

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市民シンポジウム「種問題とパラダイムシフト」をめぐって

2018-03-18 11:19:01 | 人類の未来

前回のブログに記したが、「生活費のない老人、親戚縁者友人など誰からも援助のない老人を、なぜ税金で助けなければならないのか。なぜ赤の他人の若者がそんな人の生活を支えねばならないのか」という疑問が見えないところで広がっている。前回のブログを書いたとき、閲覧者の数は、なんと日頃の20倍に跳ね上がった。私はその考え方の問題点と処方箋を書いた。もし、70歳を過ぎた人には一切社会保障をしない。無論資産のある人はその資産で自由に生きればよいが、資産のない人は安楽死をしてもらう。こういう政策を掲げる政党があれば投票し応援する。ここで止めておけば、20倍どころか何百倍、何千倍の閲覧者になったと思う。これは、欧州の移民・難民排除の政党の台頭・急進あるいはトランプ現象と同じだと考える。人類社会において、いま何が問題なのか?どういう仕組みで、全世界にこのような潮流が押し寄せるのだろうか?この壁を乗り越えるにはどうしたらよいのだろうか。

新自由主義の原理をなす「リバタリアニズム」。日本語では、自由至上主義とか自由尊重主義と呼ばれる。個人の意志を最上位に置く思想である。貧しい人を支えたい。それを否定はしない。そう考える人がいれば大いに結構だ。そうすればよい。しかし、そう考えない人まで一律に税金を徴収し、そこから支払う。そこに問題があると考えるのである。論考『種問題とパラダイムシフト』にも書いたが、これはリバタリアニズムと少し違うように思うが、一般にはこのような理解だと考える。

この考え方には欠陥がある。というより、この世の実体の半分しか現していないのである。

これが今回の市民シンポジウムの内容であり、何が欠けているのか、何を理解すればよいのか、人類が成長の過程で今迎えた巨大な壁をどうすれば跳躍できるのか・・・

― ― ― ― ―

 種問題、生命論、生物学に端を発し、哲学、現代の社会規範、税金の意味に及ぶ壮大なシンポジウムです。

人類が乗り越えるべき壁を示します。

ぜひおいでください。

 申し込み:森中まで(参加費千円、資料代別途500円、懇親会3500円参加の可否も含めて)メールをお願いします。

宛先:delias@kjd.biglobe.ne.jp

 なお例年の弥生講堂と違って、狭い会場です。早めにお申し込みください。満席になったら締め切ります。

 日時:4月7日(土)午後1時から4時過ぎまで

場所:東京大学農学生命科学 フードサイエンス棟中島菫一郎記念ホール

(メトロ南北線 東大前下車)

報告者:森中定治

論評者:松井暁(専修大学教授)、大西広(慶応大学教授)、原田桃子(元高校生平和大使、立教大学)、春日井治(日本生物地理学会会員)

クロージンングアドレス:養老孟司(東京大学名誉教授、養老昆虫館館長)

ポスター

http://www.nua-alumkanto.net/image/simpo20180407.jpg

 

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2017.4.8 市民シンポジウムを終えて

2017-04-15 08:35:42 | 人類の未来

4月8日(土)東京大学弥生講堂で開催した市民シンポジウムにお出でくださいまして有難うございました。学長になられたばかりの自然人類学者の長谷川眞理子先生のお話と、ノーベル賞理論物理学者の益川敏英先生と長谷川眞理子先生の対談、そして質疑の後、放送大学特任教授でカント哲学者の渋谷治美先生に取りまとめをしていただきました。

また最後に元シールズの奥田さん、新外交イニシャティブ(ND)の猿田さんが、飛び込みでいらして人類の次代を継ぐ若者として今日のシンポジウムの内容を受けて感想を述べてくださったことは私としてはとても嬉しかったです。

私も1、プルトニウムと原発、核兵器、2、相模原障害者殺傷事件を表面に出た一つの事例として現代の世界の流れと人間の立ち位置について趣旨説明に盛り込みました。この1と2について4月22日(土)に、それぞれ別の集会で、二つ掛け持ちで話をします。1については、猿田さんが最近プルトニウムについてのご著書を上梓されたというので、是非読んでみたいと思います。2については、私のチョウを対象とした系統学研究や生物の種、生命についての思索が、相模原障害者殺傷事件、トランプ現象、ヘイトクライムや移民排除など、個人あるいは特定の限定された集団の利益擁護という現人類の歴史的な流れそれ自体につながりました。この人類の流れをどのように転轍するか、というより生命自体がもつ本来の流れに戻すこと、これは私の生涯に与えられたテーマとして捉え、今後進展を図りたいと考えます。

ウェルカム・コンサートは初めての試みでしたが、アンケート結果では概ね好評です。声がホールに響き渡ったという感動のコメントを頂いて、お出でいただいたソプラノの岩崎京子先生もとても喜んでいます。今後どうするか伴奏も含めて考えてみたいと思います。

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テロへの処方箋・・合唱劇「再生の大地」がもつ意味

2016-01-23 12:12:47 | 人類の未来

もし日本でテロが起きたら・・

新幹線が爆破転覆,通勤時の新宿駅が爆破され何百人,何千人の死者・重傷者が出た.自分の奥さんが殺された,子どもが死んだとなったら,軍備を増強しろ!朝鮮,中国をやっつけろ!となりかねません.これを止めるためは,憎しみを憎しみで返さないことが人間に要求されるのです.人間はその能力を持っているけれども,それは並大抵のことではないでしょう.

昨年末にフランスで,ISのテロで奥さんを殺されたレリスさんがISに対し「君達に憎しみの贈り物をあげない」と言いました.憎しみを憎しみで返さないという意思表示です.フィリピンのキリノ大統領も日本軍に対して同じことをしました.NHK(BS1)を観て涙しました.「憎しみとゆるし マニラ市街戦その後」,素晴らしい番組でした.中国では“恨みに報いるに徳を以てす”と言い,日本では“罪を憎んで人を憎まず”といいます.

 平頂山でゲリラを通過させた腹いせに,村人を皆殺しにした日本軍が終戦時ソ連軍に捕まり,シベリアに抑留されます.シベリア抑留が終わり,捕虜の日本兵の祖国への帰還が次々と許されます.しかし彼等だけは,さらに中国の撫順戦犯管理所に送られます.中国人を皆殺しにしたことをソ連は知らないが中国は知っているんだ!だから刑期を終えてもさらに中国に送られるんだ!と怖れおののきます.

撫順戦犯管理所で何が起こったのか.

人間は人間を平気で殺すけれども,その逆もします. “人間の本当” を目の当りにします.テロの連鎖を断ち切るには,これしかないと私は思います.

こんな悲しいことを起こさないように,想像し予想して日頃から恒常的に心がけ友愛を深めていくことが99%だと思います.しかし,起こってしまってから更なる連鎖を止めるためにはこれしかないと思います.

まさに憎しみの連鎖を断ち切った実話です.テロへの処方箋です.合唱劇「再生の大地」,ご都合のよい人は是非観てください.

http://www.bujun-no-asagao.org/20160207concert.html

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この子は,沖縄だ・・

2015-07-18 09:59:08 | 人類の未来

現役の頃,沖縄へは何度も行きました.名護へも行ったし石垣島にも数回渡りました.全部仕事で,観光目的や社会運動で行ったことはありませんでした.

リタイアしてから,自分の専門の研究や趣味とは別に,日本がどうなっていくのか,人類がどういう道を歩んでいくのか,その行く末が気がかりで社会問題のグループで討議をしたり,講演会に参加したり,幅広く本を読んだりしてきました.今回の沖縄ツアーは「コスタリカに学ぶ会」の勉強会で誘われて参加しました.『この子は,沖縄だ・・沖縄へ行こうwith RED WEAR(女の平和)』というツアーで今回が3回目,30名の募集をオーバーし32名の参加者でした.若い人,憲法に大変深い思索をされる人,いろんな人と話ができてとてもよかったと思いました.私にとって重要な問題の答えが得られたことは大きな収穫でした.

ツアーは7月11日(土)から13日(月)の3日間で,メインの12日は「島ぐるみ会議」が用意してくださったバスで,沖縄『建白書』の趣旨をお聴きし,親切なガイドをしていただいて辺野古の海を見ました.美しい海に広く連なる黄色のオイルフェンス(浮き)は自由な航行が妨げられるとのことでしたが,これは見た目にも醜く映りました.それから参加者全員に配られた赤いタオルやそれぞれが用意した赤い服を着て,キャンプ・シュワブのテント村で抗議の座り込み,そして東京オリンピックの直前,植木等が一世を風靡した「スーダラ節」の元気のいい替え歌と振りで抗議のアピールを行いました.翌日13日は「ひめゆり平和祈念資料館」,日本軍が壕(沖縄ではガマと言われます)を作って籠った「暗御門(クラシンウジョウ)」,そして米軍に追いつめられた日本兵や市民が身を投げた断崖「ギーザパンダ」など悲しくも意義深い場所を訪れました.

「ひめゆり平和祈念資料館」では,心が締め付けられるような気持ちになりました.殺しあい殴り合って物事を決めるのは人間の諸行ではないと思います.過去人間がものを深く考えることのできない動物であった時は,それでよかったのかもしれませんが,少なくとも他の動物とは違って,ものを深く考えることができ,また考えた結果を他人に示すことができます.そんな人間にあって殴り合い殺しあって物事を決めることはイヌやネズミ以下だと私には思われました.11日の夕食後は,「基地・軍隊を許さない女たちの会」の高里鈴代さんらから,12日の夕食後は沖縄で平和の語り部をしていらっしゃる横田眞利子さんからお話をお聴きしました.いずれも過去日本軍がしたこと,現在の米軍基地をそのままにしている日本政府に対して強い怒りをもっているけれども,だからといって暴力でやり返そうとは思わないと話されたことがつよく心に残りました.中国の撫順戦犯管理所のこと,日本軍に妻子を殺されたフィリピンのキリノ大統領が日本敗残兵にしたこと・・,暴力を暴力で返さない・・この人間の心と行為は,言葉で形容できません.

私は,リタイア後声楽を初めて習いました.今年10月12日(月,祝日)に仲間と一緒に都内のホールで平和憲法にちなんだ声楽のコンサート(『コンサートナイン2015』)を開催します.護憲や反戦などのオリジナル曲が沢山出ます.ハングルの歌もあります.心安らいでいただきたく思います.2日目の夕食時にそのご案内をさせていただき,日本歌曲の「初恋」,「落葉松」,イタリアオペラのアリア「愛さずにはいられないこの想い」を唱わせていただいて,そして皆で「芭蕉布」を歌いました.聴いてとてもよかったというご感想を沢山の方からいただいたことがとても嬉しかったです.次のブログで、このコンサートのご案内をいたします.

2日目と3日目の早朝に,このツアーの世話人の一人であった田中美津さんの呼吸法のレッスンに参加しました.初日は“ウー”,2日目は“オー”の呼吸法で,身体がリラックスするのを覚えました.声楽の発音と相通ずるように思いました.

その他にも,今回のツアーではチョウの研究仲間から数種類のチョウを採ってきて欲しいと頼まれました.台風の直後で断続的なスコールや強風があり,辺野古ではタマムシとシロオビアゲハしか採ることができませんでした(不要なので両方とも逃がしてやりました).「暗御門」では立派なオオゴマダラのメスを採りましたがこれも放しました.断崖「ギーザパンダ」では,最も強く希望された“ナミエシロチョウ”と“カワカミシロチョウ”のメスを採りました.飼育と観察を行うようです.

帰ってその翌日から,地元の「綾瀬川を愛する会」の会議や川関連のNPOの会議,埼玉県主催の生物調査の中間報告会,間もなく「彩の国さいたま芸術劇場」で行われる声楽コンクールの伴奏合わせなどひっきりなしで息つく暇もありません.このせいかちょっと熱中症気味です.強い陽射しに当るのを避け,可能な限り静養したいと思います.

このツアーで最も印象に残ったのは皆が揃った羽田空港の待ち合いで配られた名札です.1965年沖縄で幼稚園に通う幼い女の子が米軍にひき殺された衝撃の写真(嬉野京子/写真)でした.そもそもこの1枚の写真が,このツアーの発端だそうです.そして,その少女が生きていたら・・それが描かれた(阿倍紀子/画)素敵な名札です.添付します(絵をクリックすると大きくなります).最後になりましたが,ツアーでお世話をいただいた杉浦ひとみさん,田中美津さん,泉田守司さん,有り難うございました.

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市民シンポジウムを終えて

2015-05-12 10:39:47 | 人類の未来

2015年4月11日に立教大学タッカーホールで開催された市民シンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか?」“右派の異端者 左派の異端者”に多数おいで下さいまして厚く御礼申し上げます.

今年で,立教大学のタッカーホールでの開催が最後となりました.それで,右派の鈴木邦男さんとお話しして,人類の未来,日本人の未来に贈る1.貧富の格差/経済,2.国防/憲法,3.原発/エネルギー,核兵器を含めた人間の生き様についての総合論にしました.

メインスピーカーであった鈴木邦男さんがご自身のブログに経過とご印象を掲載されましたので転載させていただきます.

http://kunyon.com/shucho/150420.html

市民シンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか?」は,立教大学で2011年の計画停電の時を除いて2004年から今年まで11回連続で開催しました.来年も場所を変えて,おそらくは規模は小さくなると思いますが,継続していきたいと考えています.

以下に参加してくださった方から頂いたコメントを付記して御礼に代えさせていただきます(一部加筆修正).

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 先日4/11の市民シンポジューム(立教大学)は様々な分野の人からの話しが聞けて有意義なひとときでした。今回この会場では最後とのことでしたが企画はぜひ継続されることを希望します。森中さんも司会・進行・講演とお疲れ様でした。

 さて当日の入場者数ですが、朝日新聞に掲載されたわりに少なかった印象があります。前10列くらいはぎっしり座っていましたが後ろ10列にはまばらで一般の人たちの関心の薄さが見て取れました。パネリスト・関係者の知り合いのグループの人たちが全体の三分の一を占めていたでしょうか。なんといってもトータル6時間の長丁場は途中休憩が入ったとはいえ聞いている側からすると辛いものがありました。

 森中氏、鈴木氏、それに対するコメントとして田原氏それぞれ30分はいいとして、宇都宮氏他のパネラーの人数を全部で6名に限定し、各15分計90分、全体で3時間で終了すると(1時半~4時半)5時前には会場を出られ外はまだ少し明るくよかったかもしれません。案の定、田原氏目当ての人たちは休憩と同時にだいぶ帰ってしまいました。

 バリバリ右派代表と思われていた鈴木氏はすっかり丸くなってまるで牙の抜かれたライオンのようでしたが、30代の頃のご自身の考えや感じ方をよく記憶されていてそれと現在の自分と比較して話しをされたところは、人は変わり成長するもの、諸行無常をつくづく感じました。他に印象に残った言葉、フレーズを書き出してみました。(発言順不動)

・    過去に目を瞑る者は現在にも目を瞑る(ドイツのワイツゼッカー前首相)

・    愛国心なんか入らない。恋国心がいい(三島由紀夫)

・    人に批判される人間になれ

・    医者の世界はこの世界しか知らない人たちばかり

・    ドイツ・フィリピンは完全にアメリカの基地をなくした。だが日本はできない

・    中国に招かれ口角泡を飛ばし話した講師のお題は・・「沖縄の日本からの独立」

・    選挙の供託金日本は300万円。因みに米・独・仏・伊はゼロ。

・    中国はこれから百基以上の原発を建設しようとしている。世界一の人口を考えると無理からぬことなのか。

・    中国のトップ大学生は3000人(13億の中の)、日本のトップ3000人(1億3000万人の中の)。どちらが優秀かは言わずもがな。

・    「熔融塩炉」で放射性廃棄物を廃棄すべきお荷物ではなく有効利用できる

  (この話を聞いた後偶然図書館で次の本を見つけた→《「原発」、もう一つの選択~使用済核燃料を処理できる原子炉がある~》金子和夫 ごま書房新社)

・    槍と携帯(アフリカの奥地でさえ)

・    タウン&ガウン(イギリスの身分社会を表す)

・       自由な取材、番組作りができない、なぜならクレームがスポンサーに直に行くから。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

この他にも沢山のコメントやお礼のメールを頂きました.有り難うございました.

2014年の市民シンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか?」”人類は原発をどうするのか?”の詳細な講演録の残部がまだ少しあります.ご興味のある方は森中までメールくださいQYV04336@nifty.ne.jpです.対論者の主張,論評者のコメント,参加者からの質疑まで詳細な講演録です.今年の講演録も作成します.出演者に別刷りとしてお渡ししますが,残部を来年の市民シンポジウムの時に販売の予定です.

なお,全く話は変わりますが,10月12日(月,祝日)に都内で声楽のコンサート(憲法を活かす)を企画しています.時期がくればご案内いたします.単にマイクなしで歌を唱うというだけではなくて,社会性の特徴あるコンサートです.

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