森中定治ブログ「次世代に贈る社会」

人間のこと,社会のこと,未来のこと,いろいろと考えたことを書きます

2024年4月13日(土)市民シンポジウム『次世代にどのような社会を贈るのか?』のご案内

2024-04-05 15:04:05 | 人類の未来

4月13日(土)午後3時からZoomにて市民シンポジウム『次世代にどのような社会を贈るのか?』副題「人類の生成と消滅」を開催いたします。ポスターを添付します。

昨年2023年は、人間の持つ利己性と利他性について、その生成と論拠について講演し、前日本学術会議会長(前京都大学総長)の山極先生をはじめ、哲学者、生物学者の方などあれこれ論評をいただき、議論をいたしました。700万年前に人類が誕生して以来、ホモサピエンスと他の人類との葛藤、戦争の起源、定住など興味深い議論ができました。
https://www.dropbox.com/scl/fi/4j1pb727znum4wh23annt/2023.jpg?rlkey=mf3zrs5fhotgireejqdp8vly8&dl=0
私は人間の持つ利己性と利他性(真の利他性)が人類史においてどのように形成されたのか、お話ししました。このテーマはこのシンポジウムで、その都度切り口を変えて3回やりました。特に3回目は、ゲーム理論の専門家(生物学者)をお招きし、より深く考えることができました。そのまとめを以下に貼り付けておきます。
https://www.dropbox.com/scl/fi/ppylsr886qgm6ta4ei4hl/231220.pdf?rlkey=2h89ew0vmzjulbmmgs654uo1f&dl=0

「人類の消滅」については、少子化こそが大問題だというご意見をいただきました。現代日本の少子化問題については、今回のテーマではありませんが、慶應義塾大学の大西教授が経済学の視点からこれを言及しています。日本は貧困に陥り、結婚したくてもまた子どもが欲しくても経済事情によってそれができないという視点です。これについては大西先生からの依頼で書評を書きましたので添付しておきます。
https://www.dropbox.com/scl/fi/l2j3ho1dnapwmu0bumoy4/231227.jpg?rlkey=99rt4juydzvk6o3v06gugtukc&dl=0
これとは別に、橘怜さんが社会文化の面からこの問題を言及しています。封建時代は個人の意志などなく強制的な結婚でした。現代は誰もが制度として自由を謳歌し、自分の意志で結婚相手を決めます。しかし自分の意志のように見えても無意識の制約があります。橘さんともこのシンポジウムに出ていただいて以来あれこれやり取りしますが “モテ” と “非モテ” の問題です。自分の基準で自由に選ぶとほとんどが結婚できないと・・そんな状態に陥ります。
これはこれでとてもお興味深い議論になります。

私自身は、個人の持つ利己性(欲望、私欲)が生物そのままで変わらず、一方で科学はどんどん進歩・発展する。そのギャップが人類を滅亡させるのではないかという気がします。わかりやすく言えば「人類が生み出した科学によって滅ぼされる」ということです。
AIが人間の私欲で動かされ、その目的に沿ってどんどん進歩・発展していけば人間同士の競合は言葉にできないくらい熾烈なものになるでしょう。AIには「真の利他性」を組み込むことが必要のように思います。

参加ご希望の方は、ポスターの下にあるアドレスまで、メールください。

 

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私の歌

2023-10-06 21:02:36 | 原発・エネルギー

前回はジブリの最新の映画『君たちはどう生きるか?』について書きました。

自分自身がまとめつつある論考に深く関係するので、書いたのですが私の論考案を読んでくださった方から、いくつかの本を紹介されました。

1 フランス・ドゥ・ヴァール(2014)『道徳性の起源』(紀伊国屋書店)

2 リチャード・ランガム(2020)『善と悪のパラドックス』(NTT出版)

3 ルトガー・ブレグマン(2021)『Humankind 希望の歴史』上下、(文藝春秋)

2と3は読みました。すごい本でした。3は私の論考と一対になると思います。人間の利他性が働いたと思われる世界の様々な事例を集めています。私の論考がその原理を示します。

そのほかに、ジョシュア・グリーンの『モラル・トライブズ』も購入しました。これも読んで論考に役立てます。

硬い話は今回は抜きにして、私の歌の話をします。

私はもともと歌は好きでしたが、現役の時は歌を歌うことはほとんどありませんでした。年に数回、仕事仲間と飲み会の後でカラオケに行く程度でした。60歳でリタイアしてから、地元のカルチャーセンターでシャンソンを習い始めました。2年半くらいしてシャンソンの先生から「お前はベルカント(クラシック)に行け」と言われました。シャンソンよりクラシック(声楽)の方が向いていると思われたんでしょう。

それで、今度は楽器店の地元の声楽教室に行きました。8年くらい声楽をやりました。それから知り合いが新宿でシャンソン講座をやっていると言うのでまたシャンソンに戻りました。クラシックとシャンソンを大体同じ年数くらいやりました。

これで両方の良さを活かせる歌い手になりたいとごく最近思うようになりました。

9月末に赤坂区民ホールで歌ったら、見ず知らずの男の観客が私の歌に感動したと言って楽屋まで押しかけてきました。

私の歌をYoutubeにしたいと言うので了解したら1分のコンパクト版で以下のYoutubeを作ってくれました。

お差し支えなければ聴いてみて下さい🤗

https://www.youtube.com/shorts/F8f9___VJbI

8月には昨年末にいただいた埼玉県知事賞の受賞演奏会があって、シャンソンとクラシックを1曲ずつ歌いました。

シャンソン『8月のパリ』

https://www.youtube.com/watch?v=A9SjnIjRxWw

クラシック『ありふれた話』オペラアルルの女から

https://www.youtube.com/watch?v=qxgRjLf5QMw

10月28日には池袋の新しいホール「あうるすぽっと」で歌います。

夢・グローバル音楽祭 Vol.1

(ポスター)

https://www.maion2114.com/information/yumeglobalongakusai/

Part 1で1曲歌います。

11月12日(日)には初めてリサイタルをやります。

(ポスター)

https://www.dropbox.com/scl/fi/8s9lpku76dkmvhphzj9gn/231112.jpg?rlkey=72atdhdyvmo74s60l8zkyh682&dl=0

リサイタルに参加ご希望の方はポスターにある連絡先にご連絡ください。

 

 

 

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人類への贈り物、ジブリの『君たちはどう生きるか』

2023-08-02 11:23:48 | 人類の未来

この3月に前ブログを書いたので、ずいぶん時が経ちました。生物学の学会の年次大会、歌のコンサートやコンクール、自分自身の生物学の半生のまとめ・人類への贈り物である論考を脱稿しました。今、いろんな方に見てもらっているところです。あれこれとても忙しく過ごしました。

先日ジブリの映画『君たちはどう生きるか』を近くの映画館で観ました。私の論考とも重なりました。ジブリというか、宮崎駿氏の人類への贈り物だと思いました。

それより先に、トゥキュディデス(ツキジデス)による『人はなぜ戦争を選ぶのか』という本を読みました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(一部修正しています)
アテネが支配していた紀元前のギリシャ。都市国家ミュティレネがアテネとの同盟を解消し、離脱を目論んだ。

<クレオンの演説>
諸君らは我が帝国(アテネ)が、支配を不服とし、陰謀を画策するような都市を相手に暴君的な圧政を敷いているという事実を理解していない。同盟国が我々に服従するのは、我々が彼らのために恩を施すからではなく、力づくでねじ伏せているからだ。
それは力のなせる業で、  なにも我々を慕っているからではない。
質は悪いが実行力のある法を持つ都市の方が、質は良いが実行力のない法を持つ都市よりも優れている。起こりうる最悪の事態は、この事実を我々が見落としてしまい、意味のない決議を行うことだ。
抑制の効いた無知のほうが、自己を点検することのない知性よりも好ましく、都市をうまく運営できるのは、賢い者たちよりも単純な思考をするものたちである。

<ディオドトスの演説>
私はミュティレネを擁護するつもりも、非難するつもりもない。彼らの犯した罪についてではなく、我々のとりうる最善の道について討論するほうが賢明だ。仮にミュティレネの罪を完全に立証できるとしても、それがアテネの利益にならないのであれば、彼らを死刑にすべきではない。また、それがアテネの利益にならないのであれば、彼らを放免する必要もない。
我々は現在についてではなく、未来について討論すべきである。
クレオンはミュティレネ人を処刑することが反乱の抑止につながり、我々に大きな利益をもたらすと主張している。私は将来について真剣に案じるなら、反対の道を行くのが最善であると考える。
我々はミュティレネを正義の名の下で裁くのではなく、どうしたらミュティレネの反乱を最大限に利用できるか討論すべきなのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この演説を読むと、アテネの紀元前400年、今から2500年前と現代と何も変わっていないと思います。
クレオンの演説は、力でねじ伏せよ!恐怖で支配せよ!と言っているだけです。でも人間の一面を突いていると思います。
それに対し、ディオドトスの演説は人間には愛の心があり人を信じよと、説いているのではありません。
上記のディオドトスの演説の最後の文章を見てください。

自分が一番大事だ。
自分が一番都合よく行くにはどうすればよいか、そこを考えろと言っているのです。
2500年前と現代と何も変わっていません。
むしろこの時代は演説に正直な気持ちが出ているのに、現代では嘘の仮面をかぶっている分もっと悪くなっています。
ディオドトスの演説は自分ファーストそのものです。

先の大戦で日本が負け、日本は裁かれました。
正義の名の下、人道の名の下で裁かれたのではありません。
正義と人道で表面を粉飾されただけで、ディオドトスで裁かれたのです。
当時の主力の政治家や新聞社社主、そのほかの有力者が米のエージェントとして大きな資金を受けていたと言われます。
まさにディオドトスの演説そのものではないでしょうか。名目の正義によって処刑するよりも、日本を自国の役に立たせるにはどうしたらよいか。それこそが米にとっての正義です。
米はディオドトスに従って米の正義を為しただけです。
正義は国の数だけあるのでしょう。

これを利己性と言います。
この地球上に生物が誕生したとき、利己性つまり自分自身を維持し、未来に生命を繋いでいく機能を授かった生物が現在まで生き残ってきました。生物に利己性は必然です。

映画『君たちはどう生きるか』では、人間の真の姿が描かれています。主人公の名前は眞人(まひと)、ここにこの物語の全てが凝縮されています。
主人公が転校先で喧嘩をし、帰り道で石で自分の頭を叩いてこめかみから血を流して家に帰ります。父親が誰にやられたんだと聞いても、道で転んだだけだと言います。なぜこんな演技をするのか。なぜ父親を騙すのか。これが私の持つ悪意だと、眞人自身が映画の終わりの方で告白します。
私は人間の持つ利己性の一つの表れだとみます。その眞人の傷を見た社会的に大きな力を持つ父親が学校へ行って何をしたか、そこは映画には出てきません。想像せよと観客に迫るだけです。
でも人間は、利己性の他に真の利他性を持っています。最終的に自分の利益につながる擬似の利他性ではなく、言わば無私の愛、博愛、人類愛ともいうべき真の利他性です。この映画のポスターは1枚だけです。顔が二重になったアオサギのポスター、それだけです。アオサギは人間の持つ悪意そのものでした。でも眞人と関わっていくうちに、別の面が出てきます。これが人間です。
アオサギに導かれた幻想の世界で、眞人は世界を統べる大爺に会います。大爺は眞人に「私を継いで欲しい」と頼みます。でも眞人はそれを断ります。例え世界が火の海になろうとも嫌だと、眞人はそれを断ります。人間というものは、本来他人によって支配できないものだという主張がここにはあります。
この映画は小説『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎、1982)をタイトルにしています。その本の内容は映画では全く出てきませんが、大きな影響を受けていることは映画を見ていくとわかります。宮崎駿氏がこの小説にきっと大きな影響を受けたのでしょう。

でもこの小説には反論があります。
「『君たちはどう生きるか』に異論あり!」(村瀬、2018)です。
『君たちはどう生きるか』の物語は、主人公コペルくんが銀座のデパートの屋上から下を見ると、人間が分子のように見えるというところから始まります。村瀬(2018)の異論は、この人間分子論についてがメインです。でも村瀬は、この人間分子論を否定してはいません。人間を分子として見る目、言葉を代えれば高い位置から人間や人間社会を俯瞰する目、感情を除外した客観的な目は必要だと言っています。でも人間を横から見る目、「目、口、尻」を持った等身大の位置から見る目とのバランスが大事だと言っています。
小説『君たちはどう生きるか』は、現代の人間社会に生きる我々が原点から再考すべき時が来ていると私は思います。

そしてもう一度映画に戻りますが、眞人の新しい母である夏子のお腹には子どもがいます。この子が未来の人類を表しています。『君たちはどう生きるか』の、科学的と称する高いところから俯瞰した人間分子論、そして等身大の位置からの目・・・。
この両方を備えた新しい目を持った未来の人類が、この夏子のお腹の子です。

私は、この両方の目がこれからの人類に必要だ、身につけよと言っているのではありません。人間は、生物としてこの両方の目を本来持っているのです。この両方の目の生物学的な視点から機構の解明が私の論考であり、人類への私の贈り物です。この年末には出版できるでしょう。

これを読むと人間がどんな生き物なのか、どんな目を持っているのか、それがわかります。
この目こそが夏子のお腹の子の目だと、私は思います。
美しい情景や幻想的な展開、エンターテインメントで飾られてはいますが、この映画は哲学映画であり、宮崎駿の長く生きたこの人類社会への彼の贈り物、長く生きたこの人類社会への宮崎駿の感謝の気持ちの表れではないかと私は思います。

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市民シンポジウム 「人類は戦争をやめることができるのか?」

2023-03-30 20:49:00 | 人類の未来

昨年12月に開催された第1回さいたま国際音楽コンクール一般部門で、「ありふれた話」を歌って埼玉県知事賞をいただきました。
昨年はクラシックやシャンソンコンクールにチャレンジしたけれど鳴かず飛ばずだったので、年末になって栄誉ある賞をいただき大変嬉しいです。先日表彰楯が送られてきました。
歌で県知事賞なんて、私の生涯でもう2度とないでしょう。これを励みに今年も頑張りたいと思います。

今年2023年4月8日(土)に午後1時から市民シンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか?」をZoomにて行います。

テーマ:人類は戦争をやめることができるのか?

ロシア・ウクライナ戦争、そしてそれが終われば東アジアでの戦争かと恐ろしい社会情勢になってきたと思います。

私は、一昨年、昨年と2年間、人間の真の利他(純粋利他)をテーマとしてこの市民シンポジウムを行いました。
私は真の利他性(純粋の利他性)、つまり自分の利益を動機としない利他性が、現代以降つまり人新世において人類を導くと考えます。
一昨年は、「真の利他性とは天動説である」と言うお話がありました。つまり本当は利己性に基づいてあらゆる生物はこの世に存在できるのだけれど、真の利他性があるように見えるから、あるいはあると思いたいから、それがあると人は考えるのだと、そう言うお話しと受け取りました。
昨年は、細胞内部にある真の利他性について「それは単なる制約」に過ぎないと言われました。

それから丸1年、私はさらに考えました。
単なる制約!
それは間違っていません。正しいです。
でも、その理解は正しくても人間にフィットするものではないのです。この1年でそれがわかりました。
その話をいたします。

人類が戦争をやめるには、2つの主張と理解が必要です。


1 種問題
2 真の利他(純粋利他)

この二つです。
私の話の内容は決して専門家しか理解できないような話ではありません。誰もが理解できます。

でもそれが本当にあり得るのか?という点において、実際に認識するには壁を飛び越える必要があるのです。

壁を飛び越えることができれば人類は戦争をやめることができます。
少なくとも、その原点を持つことができます。
でも、それができなければ人類は戦争をやめることができないと私は思います。

私は人類がその壁を飛び越えることができると思います。

講演:
森中 定治(日本生物地理学会会長、綾瀬川を愛する会代表、放送大学埼玉SC所属

   「人類は戦争をやめることができるのか?」

論評:
山極 壽一 (総合地球環境学研究所所長、前京都大学総長、前日本学術会議会長)
千葉 聡 (東北大学 東北アジア研究センター教授)
松本 直子 (岡山大学 文明動態学研究所所長)
石川 洋行 (八洲学園大学 非常勤講師)
論評・クロージングアドレス:
石井 剛 (東京大学大学院 総合文化研究科教授)

ポスター

講演要旨

参加費無料
参加申し込みは、お名前と市民シンポジウムと明記して、学会事務局 (delias@kjd.biglobe.ne.jp)へ
学会のHPからも申し込みができます。
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdiAR7gXhd9CkGURbmG6APln1PmRyPbxbOyaxQBwixJcc-p2g/viewform

 

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第1回さいたま国際音楽コンクール

2023-02-11 21:30:38 | 声楽

昨年2022年は、歌のコンクールにあれこれチャレンジしました。クラシックが1回、カンツォーネが1回、シャンソンが5回もチャレンジしましたが、入賞なし。鳴かず飛ばずでした。シャンソンは予選落ち(CD審査で落選)が2回ありました。

年末に第1回さいたま国際音楽コンクールがありました。FBでそれを知ったのが11月末、締切は12月末で日がなくギリギリでした。

今までに聞いたことのない面白いコンクールで、ピアノ、ヴァイオリン、トランペット、マリンバなど楽器は何でもOK、歌もクラシック、シャンソン、ポップス、合唱、演歌、民謡他、何でもOKのコンクールです。自分の演奏のYoutubeを作成し、主催の事務局に送って審査というコンクールでした。

私は年末のどん詰まり、12月20日に幸手市在住の懇意なピアニストに頼んで幸手の公民館で録音録画し、送りました。

結果の発表は2023年1月27日、私は一般部門で4位、埼玉県知事賞を受賞しました。入賞の多くはピアノ演奏です。歌は少ないです。
県知事賞なんて、私の生涯にもう2度とないでしょう。
今年も努力し、また様々のチャレンジもしたいと思います。

第1回さいたま国際音楽コンクール

歌唱(ありふれた話)

森中 定治

 

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日本の未来

2023-01-07 14:20:32 | 人類の未来

新年おめでとうござます。

ロシア・ウクライナ戦争はまだ続くのでしょうか。
それが終わって、日本・中国へと死神がシフトすることを恐れます。

以下のメールを今朝「市民のメール(CML)」に投稿しました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

一昨日、1月5日に知人から年賀状が来ました。


コロナの前は講演会や集会などでお会いし、親しく話をさせていただいた方です。
そのころはかくしゃくとしていました。
コロナ以後はお会いしたことがありません。
92歳になられたと聞いて、私はとても驚きました。
あれこれ議論していた時、そんなお年には全く見えませんでした。

彼の年賀状をご紹介します。
https://www.dropbox.com/s/a9o3j7v2aaysqgv/年賀状2023年1月5日.jpg?dl=0

今年いただいた、私にはいちばんの年賀状です。
日本が戦争を避けるにはどうしたらよいのか、ここには貴重な示唆があります。

ロシア・ウクライナ戦争の評価は概ね以下のとおりです。
1 ウクライナを侵略したロシアは悪者である。国際法違反の犯罪者である。
2 ロシアはこの厳冬の中ウクライナのインフラを破壊し、ウクライナの子どもたちが凍えている。

1、2は事実でしょう。
でもロシア・ウクライナ戦争に関してこの1、2の視点にとどまる限り、平和外交による解決はなく、暴力によって押しつぶすしか道はないと思います。

プーチン大統領は、世界の多くの国がロシアの侵攻を批判していることを知らないでしょうか。
国連が批判していることを知らないでしょうか。
そんなことは絶対にありません。
そんなことは百も承知でウクライナ侵攻を続けているのです。
国民の生命を預かる立場の人間にとって、国民の生命と安寧を守ることが最高最大の使命です。
ゼレンスキー大統領は親米であり、NATOに入りロシアへ向けた核ミサイルを配備した後では遅いのです。
それが予想されるなら、ロシアはウクライナ侵攻など何の躊躇もしないでしょう。
侵攻に入る前の何年もの間、ゼレンスキー大統領がプーチン大統領にどのような接し方をしてきたのかそれが問われます。

ゼレンスキー大統領がロシア国民にロシア語で話しかけたYoutubeを観ました。
ロシア国民に向かってプーチン大統領を、常にこそこそ逃げ回る子ネズミのように言っています。
平和を願う心がここに現れているでしょうか。

今朝の新聞によれば、プーチン大統領のクリスマス休戦提案を拒絶したとか。
どこまでも殺し合いをするぞっ!と言う勇ましい意志表示です。
プーチン・ロシアを追い詰めれば、ロシアは最後には核兵器を使うでしょう。
核兵器を使わずむざむざ降参することも絶対にないとは言えませんが、相手を殺そうとする時、滅ぼそうとする時、その滅ぼされる相手が滅ぼす相手に
手心を加えてくれると考えることは間違っていると思います。
核兵器を持っていなければそれで論理的でしょうが、持っているのですから、持っているものを使わないと期待することは論理的に破綻しています。
追い詰めたその結果、核戦争に道を開きます。

この年賀状には、フルシチョフ・ソ連とケネディ・米国の関係が記されています。
キューバにソ連の核ミサイルが置かれそうになった時、ケネディ大統領は世界核戦争も辞さなかった。
ケネディ米大統領は自国民の生命と安寧を、世界核戦争よりも上に置いたのです。
フルシチョフはキューバからソ連の核兵器を引き上げました。
だからケネディ・米国は安心しました。これが戦争を止めたのです。

上の1、2の考え方をとる限り、プーチン大統領はそんなこと知っていてやっているのですから、国際法違反だからやめろと言っても兵を引くわけがありません。
ロシアの侵攻を未然に防ぐ。
つまり戦争をしないためには、プーチン大統領に自国民の生命は安全だよという安心を与えなければならなかったのです。
ゼレンスキー大統領はそれがわからないのでしょう。

2度あることは3度あります。
中国も全く同じです。
台湾が米国と仲良くし、台湾に中国に向けた米国の核ミサイルを置けば、世界核戦争です。
世界核戦争まで行かなくても、そんな場合は中国は台湾侵攻に何の躊躇もしないでしょう。
沖縄も同じです。
幸い沖縄には、核兵器を持たず、作らず、持ち込まさずの非核3原則があります。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku/gensoku/ketsugi.html

ソ連・米国、ロシア・ウクライナ、そして日本・中国です。

全く同じですが、我々には神様から授かった大きな頭脳があります。
過去の2事例から我々はどうすれば戦争を未然に防ぐことができるのか、ソ連・米国型の解決、あるいはロシア・ウクライナ型の解決、どちらがよいのか、
よく考えるべきだと思います。

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戦争とプルトニウム

2022-12-06 15:55:33 | 人類の未来

10月16日にNHKTVの日曜討論で各政党の国会議員の議論を視ました。
冒頭、与党議員から「弱いあるいは自国を守る気がないとみられた国はいきなり侵略されることを、このロシア・ウクライナ戦争で我々は学んだ」との趣旨の発言がありました。これを与野党の全てが基本的な考え方として合意しているように私には見えました。

この主張はまさに「人を見れば泥棒と思え」の諺通り、国はハリネズミのような防備をし、常に構えていなければならないことになります。
人間は相手が弱いとみればいきなり襲いかかる野獣でしょうか。いや野獣でさえ、空腹時しか弱い動物を殺さないでしょう。では人間は野獣以下なのでしょうか。

私はこの主張は間違っていると思います。

この主張には、国は違っても、この地球に暮らす誰しもが喜怒哀楽を持つ同じ人間だという、人間についての理解が欠損しているように思います。その理解の上に、人間の信頼が築かれるのだと思います。人間とは何なのか。その理解の上で、初めて人類は戦争を捨てることができるのだと私は思います。常に最新の兵器でハリネズミのように防備しても、人類は戦争を終わらせることはできず、むしろ未来永劫戦争に苦しむと私は思います。

ロシアは自国が攻撃されれば核兵器の使用も辞さないと公言します。人類は現在、核戦争の縁に立っています。

10月24日、25日、26日、27日、4日連続で「汚い爆弾」(ダーティーボム)という言葉が、私がとっている新聞に出ました。おそらく他の新聞も同様でしょう。24日、25日はロシアが管理するザポロジエ原発をウクライナ軍が攻撃し、放射性物質の拡散を狙っているとの論調でした。西側諸国は、これはロシアの嘘だと言います。本当なのか、嘘なのか私にはわかりません。

26日になって内容が変わりました。
見出しは「米露軍トップ電話協議「汚い爆弾」意思疎通は維持」です。
これは原発が攻撃され、破壊された原発から放射性物質が漏れ出るというようなレベルの話ではないと思います。兵器として汚い爆弾をウクライナが使うとか、ロシアが使うとか、そのような話だと私は感じました。

この汚い爆弾はとても恐ろしい兵器です。言葉で言い尽くせないほど恐ろしい兵器です。
自然界でも放射性元素は種々あります。放射性元素を汚い爆弾の材料にするとすぐ失効したり、危険で扱いが困難だったり探知されやすいとか、難点がたくさんあります。でも都合のよい放射性元素もあります。プルトニウムです。

現在の原発の燃料であるウラン235の3万倍の力を持ちます。わかり易く言えばプルトニウムの微粒子1粒が鼻から肺に入るのと、ウラン235の微粒子3万粒が鼻から入るのと、計算上その力は同じになります。コソボやイラクで奇形児が生まれたり白血病が出るのは、劣化ウラン弾のせいだと言われます。戦車の装甲を貫く劣化ウラン弾、爆発によってでき空気中を漂うこの劣化ウランの微粒子が体内に入ったせいだと言われます。劣化ウランはほぼウラン238でできていますが、プルトニウムはこの19万倍の力価です。

しかもプルトニウムの放射線はアルファ線で空気中を5cmしか飛ばず、探知ができません。核爆弾のように高純度に精製する必要もありません。
もしプルトニウムの1ミクロン以下の微粒子をドローンで都市上空で撒けば、その都市は死の都市となります。半減期は24000年、万年の単位で地球を汚染します。恐ろしい兵器です。

Wikipediaに詳細が出ています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9A%E3%81%84%E7%88%86%E5%BC%BE

Wikipediaでは、放射能兵器とか放射能爆弾という用語が使われていて、それが核兵器なのか通常兵器なのか明記されていません。
私は、もし汚い爆弾にプルトニウムを使えば、プルトニウムは核弾頭なので、これは核兵器だと考えます。でも汚い爆弾は、核分裂によって瞬時に爆発する核力を解放する爆弾ではありません。だから汚い爆弾は通常兵器の一種という考え方も出てくると思います。

汚い爆弾についての協議とは、このようなことを協議をしたのではないかと、私は推察します。米国はロシアを世界的な悪と叫び、高い戦闘力を持つ通常兵器をウクライナに供給しています。そのためにロシアは苦戦しています。この汚い爆弾を通常兵器と考えれば、米国やNATOからのウクライナへの高性能の兵器供給に対して通常兵器同士で対等に戦えます。米国がロシアに対して急に軟化し、和解を求めるように変わってきたのは、こういうやりとりがあったのではないかと、そんな気もします。

先に示したWikipediaでは、実際に汚い爆弾の使用が計画された事例が出ています。日本でも、2015年4月にドローンが首相官邸の屋上に落下した事件がありました。所有者は不明で放射線のマークがついていたそうです。私には意図が感じられます。同年にワシントンのホワイトハウス敷地内にもドローンが落ちています。オバマ大統領も2016年の核セキュリティーサミットの演説で汚い爆弾について言及しました。2日前の12月4日には沖縄那覇空港にドローンが飛行したと、新聞に出ました。

今のままの状態で放っておけば恐ろしいことが起きると思います。戦争と同じく起きてからではなく、起きる前に対処すべきです。汚い爆弾はすでに公知の事実であり、我々平和を望むものは核についてもっと敏感さと深い理解を持つ必要があると思います。

今現在、我々人類は、人類の未来まで汚染する核戦争、その縁に立っています。
人類は戦争をやめる時が来ています。

プルトニウムは人類史上最悪の物質だと私は考えます。
プルトニウムは現在の自然界にあるものではありません。
人類が生み出したものです。
プルトニウムを生み出したのが人類なら、人類はプルトニウムをこの世から消滅させる責任があるでしょう。
その責任があると私は思います。

核兵器廃絶運動を推進するのであれば、まずこの汚い爆弾が核兵器なのか、それとも通常兵器なのか明確にする必要があります。核兵器を廃絶することができても、その代わり弾頭のプルトニウムが通常兵器として汚い爆弾へとシフトしたら、地球の未来は何万年も恐ろしい放射性物質で汚染されることになります。核ミサイルが飛んできて爆発する以上の恐ろしさを私は感じます。

核兵器廃絶運動というなら、プルトニウムをこの世から消滅させる運動をやらねばならないでしょう。鋼鉄やアルミやその他の金属、プラスティックなどでできたミサイル本体やミサイルの発射台を廃絶しても、弾頭のプルトニウムが残れば意味がありません。核兵器廃絶運動によって核ミサイルは無くなったけれども、弾頭のプルトニウムは通常兵器に衣替えしたのでは、より悪いと私は思います。端的に言えば、核兵器廃絶運動とはプルトニウムをこの世からなくす運動だと言えるでしょう。

ところが、ウラン235を燃やす現在の軽水炉原発でプルトニウムはいくらでもできてきます。
人間は電気が欲しいだけです。
ただ電気を得るために、こんな恐ろしいものを生み出す必要があるのでしょうか。
プルトニウムは人類が原子炉で作り出したものです。原子炉で作り出したものであれば原子炉で消滅させることができます。
その時の熱を利用して電気を起こす、つまり原発にするかどうかは、冷静に考えてみる必要があると私は思います。

もう10年以上も前ですが、スウェーデン社会についての研究会で古川和男先生という液体金属や原子炉の専門家に出会い、プルトニウムができない原発って知っているかい?と問われて・・、私は全く知らなかったのです。それどころかその原子炉でプルトニウムを消してしまうことができるんだよと聞きました。そして本を書きました。もうずっと前、東日本大震災の前のことです。今年になって絶版になっていた私の本を電子書籍にしたいという申し出があってごく最近電子書籍になりました。そしたらそこがYoutubeも作ってくれました。

以下に要約されています。

https://www.youtube.com/watch?v=avj2xbZJL7g&list=RDCMUCLoKVNpZfI9ozZSORdX2_fg&start_radio=1&t=4s

10月14日の新聞に出た中畑流万能川柳の一つです。
「無防備で子らが眠れる国であれ」 姫路 ダイキン前

冒頭に戻りますが、日本の未来を担う政治家が、このロシア・ウクライナ戦争で他国に対して常にハリネズミであらねばならないと学んだとしたら、私は間違った学びをしたと思います。

相手に弱いと見られたからいきなり侵攻されるということはないと、私は思います。侵攻の前に両国の永い関係があるのです。戦争の種蒔き、芽吹き、そして成長があり、そして一番最後に戦争という死の花が咲くのです。
このことを理解すれば、戦争になる前に対処ができます。
それしか人類は戦争を廃絶する道はないと、私は思います。

「国は違っても、この地球上の誰もが喜怒哀楽を持つ同じ人間」です。この言明に対する深い理解が根底にあれば、先に掲載した川柳が地球上のあらゆる国の間に、個々の人間の間にできると、私は確信します。

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素足遊歩道シンポジウム

2022-10-06 12:18:03 | 原発・エネルギー

急に寒くなりました。
埼玉県川口市でボランティア「綾瀬川を愛する会」の代表をしています。
綾瀬川は超汚い川で日本の水質汚染ワーストワンを何と15年連続!でもらいました😂
 
ところが私たちが30年ボランティアをやって、水質改善日本一をいただき、国土交通省から復活宣言もいただき、鮎が登ってくるまでになりました。
この川の堤防の小径の川口市の部分が舗装をまぬがれ、埼玉県が素晴らしい土を入れてくださって、素足遊歩道(アーシングロード)に生まれ変わりました。
裸足で歩ける道というのは、おそらく日本中でほとんどないと思います。
2021年5月30日にはお披露目会もやり子ども達もたくさん来てみんなで裸足で歩きました。
 
10月29日に地元の戸塚公民館で、素足遊歩道シンポジウムをやります。ウェルカム・コンサートもやります😊
芸大の修士を出たプロの歌手と一緒に歌います。私は「落葉松」と「ありふれた話」を歌います。
「メリーウィドウ・ワルツ」をデュエットで歌います。
初めてです。
うまくいったら、シャンソンでもやってみたいです。
 
 
 
 

 

 

 

 

 

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9−10月コンサートの季節

2022-09-17 17:24:13 | 原発・エネルギー

ロシアとウクライナの戦争は今も続き、さらに過激になりつつあります。東アジアをめぐる情勢も急激に変化しています。日本は戦争前夜だと思います。
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リタイア後、歌唱をやってきました。ずっとクラシックでテノールのアリアや歌曲などを歌ってきましたが、ここ1−2年はシャンソンにシフトしています。

間近ですが以下のコンサートに出演します。

1 Deux Un Deuxの会コンサート
2022年9月19日(月、祭日)内幸町ホール
有名なシャンソン「愛の讃歌」とチレア作曲オペラ「アルルの女」からテノールのアリア「ありふれた話」を歌います。これも有名です。


2 秋の歌謡フェスティバル
2022年9月25日(日)赤坂区民ホール
ホップス「歩き続けて」とチレア作曲オペラ「アルルの女」からテノールのアリア「ありふれた話」を歌います。

3 村上敏明と歌う秋のソロコンサート
2022年10月19日(水)西国分寺いずみホール
「愛の讃歌」とチレア作曲オペラ「アルルの女」からテノールのアリア「ありふれた話」を歌います。

「愛の讃歌」は一般に歌われている日本語歌詞ではなくて、美輪明宏の訳詞、原曲の意味に最も近いと言われています。

昨年からテノールのアリア「ありふれた話」が私の主要曲になりました。

昨年11月に、村上敏明と歌う秋のソロコンサートで歌った「ありふれた話」を添付します。

https://www.youtube.com/watch?v=mHBuyXdUPXo

9月のコンサートはいずれも無料です。

関心のある方はぜひおいでください。事前にご連絡いただけるとスムーズです。

 

 

 

 

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ウクライナにおける人間の盾から人類が戦争をやめる方法を思いつく

2022-08-17 16:17:02 | 人類の未来

ロシアとウクライナの戦争は今もって続いています。
日本も中国と戦争になるのではないかと、とても不安な気持ちです。

来年の市民シンポジウムでは、「人類は戦争を廃止することができるのか?」と言ったタイトルで、人類が未来永劫に戦争を廃止する方法について論じたいと思っています。

以下の内容はそれを論じたものです。
私のアイディアの半分ですが、先般のアムネスティー・インターナショナルの報告でそのヒントを得ました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
毎日新聞がこの8月上旬に、ウクライナ軍が住宅地に軍拠点を置いていることは国際法違反だとして、アムネスティー・イターナショナルがウクライナ軍を批判する報告書を出したと、報道しました。
https://mainichi.jp/articles/20220806/k00/00m/030/027000c

ウクライナは自国の一般市民を盾に使っていると、数ヶ月現地を見てきたアムネスティーの人が感じたようです。

ウクライナ軍とロシア軍が殺し合いをする。
ウクライナ軍は自国での殺し合いだから自国の市民の中に混じり込むことができる。ロシア軍が撃とうとすると、ウクライナ軍は一般市民の中に混じり込む。

「ロシア軍よ!どうだこれでも我々を撃てるか!」と言ったところでしょう。
これを現地でつぶさに観察してきたアムネスティーの人が、これじゃウクライナ市民は、ウクライナ軍のためのロシア軍に対する盾だと感じたのでしょう。

戦争は殺し合いです。
相手がこちらを殺そうと銃撃してくるのに、相手がいるところに一般市民が混じっているからロシア軍は撃てない。
双方対等の殺し合いではなく、一方が不利な殺し合いになります。
これではロシア軍はたまったものではないから、結局は市民がいても撃ちます。
これで殺し合いとしては対等ですが、ロシア軍は一方的に極悪非道になります。
なぜならロシア軍は一般市民を撃っているからです。
普通の人間なら誰もがそう思い、ロシア軍は許せない!となります。
確かにロシア軍は極悪非道ですが、ウクライナ軍もロシア軍を撃っているくせに、自分達は一般市民を盾にしてロシア軍の良心に訴えて、撃たせないようにしています。

人間は本来、心の底に優しさや他人に対する暖かさ、いわゆる良心を持っています。兵士がいくら心を鬼にするように訓練されても、その心の奥底の人間らしさを失ってはいないでしょう。だからPTSDになるのでしょう。
ウクライナ軍は、自分は撃っているのに、ロシア軍には心の奥底の人間らしさを利用して撃たせないようにしているのです。それでも撃てば、今度は真の人でなし!鬼になります。
これってどちらが悪どいでしょうか。

世界中の誰もがロシア軍を悪くいう。しかし現地にいたアムネスティーはウクライナ軍が自国市民を人間の盾に使って、ロシア軍を鬼にしていることを感じ取ったのです。
ゼレンスキー大統領は、ロシア軍の極悪非道の上を行く存在だと思います。
アムネスティー・インターナショナルの報告書はそれを言っているのでしょう。
ゼレンスキー大統領の怒りに押されて言葉を濁してしまいましたが、報告書は撤回しませんでした。

私は、プーチン大統領やロシア軍の極悪非道さ、さらにその上を行くゼレンスキー大統領やウクライナ軍の極悪非道さを言いたいのではありません。

戦争とは、一度始まってしまったら、人を鬼にするものだということを言いたいのです。

この報告書が出て、アムネスティーウクライナ代表がこの報告書はロシアに利するとして、代表を辞めてしまいました。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022080600530&g=int

もしこの報告書が全くの間違いだとか、嘘だとかいうのであればこの代表者は絶対に辞めないでしょう。アムネスティーの代表者になるくらいの方です。強い意志と人間愛、信念を持った方でしょう。徹底的にこの報告書の撤回を求めて闘うはずです。

辞めるというのは、それについて自分は何も出来ないから、その責務から降りるということ、逃げてしまうことです。
これは、この報告書が真実を語っていることを意味します。そして、ウクライナ代表は、だからと言って今まさに自国とロシアが殺し合っていて、ロシア軍に利することなど言えない。人間個人の能力を超えるから、個人ではどうにもできないから、辞めざるを得ないのです。

私も、このロシア・ウクライナ戦争がどういう結末になるか、未来を見通すことができません。全くわかりません。

戦争が始まってしまったらもう遅い。人間には、始まってしまった戦争に適正に対処する能力がないのです。

「戦争とは、その種蒔きがあって、蒔かれたその種が芽を出し、育ち、そして戦争という死の花が咲く」のです。戦争という死の花が咲いてしまったら、どちらが悪いと上から目線のジャッジをしても解決しない。
種のうち、芽のうちに摘み取ってしまうのです。それなら人間の個人の持つ能力でやれることがたくさんあります。

私は、安倍元首相の国葬にロシアを呼ばないとの政府の揚げたアドバルーンを耳にしました。日本がロシアに対して、「お前は俺たちの仲間じゃないので来るな!」と言っています。悪意を含んだ意地悪です。それを察知してプーチン大統領は、日本に通告される前に、私は行かないと言った。日本が蒔こうとした戦争の種を、蒔かせなかったのです。

広島市民は、原爆の追悼である広島平和記念式典にロシアを呼びませんでした。広島市民は、ロシア人は原爆で死んだ人のために祈る必要はない。来るな!と言っています。なんということでしょう。それを事前に察したロシアは、広島平和記念公園で献花し原爆での死者とその後遺症に苦しんでいる広島市民及び他の被曝者のために祈りを捧げました。
どちらが戦争の種を蒔き、どちらが戦争の芽を摘もうとしたのでしょうか?

このような時点でのことなら、我々一般市民も声を上げたり、行為を止めたり、反省を促したり、個人レベルで対応ができるのです。こういった戦争の種蒔きに敏感に対応すること、こまめに戦争の芽を摘むこと、これこそが人類が未来永劫に戦争を廃止するための我々一般市民がなしうる行為だと思います。
戦争が始まってから、上から目線で一方的にジャッジし退け!退け!と言っても遅いと思います。

日本が戦争をするとすれば、相手は中国、ロシア、北朝鮮です。今からはそれらの国と信義と友好を心がけ、少なくとも同じ人間としての礼節を保ち、戦争の種を蒔かないようにすることが一番重要であるし、またそれは一市民の個人の能力でできることです。

我々は、できないこと、人間の能力を超えることをやるのではなく、人間の能力の範囲内にあることやるのです。それだけで戦争をなくすることは十分できると思います。

始まってからでは、その適正な対処は、もはや個人というより人間の能力それ自体を超えていると私は思います。

 

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