森中定治ブログ「次世代に贈る社会」

人間のこと,社会のこと,未来のこと,いろいろと考えたことを書きます

コロナウィルスに対する壮大な社会実験は、藤井モデルが望ましい

2020-04-26 09:28:10 | 原発・エネルギー

4月7日に緊急事態宣言がなされ、西浦モデルに基づく壮大な社会実験が始りました。
西浦モデルに基づくと2週間後には、急激に感染者が減るはずです。西浦モデルのグラフのようには、急激には減っていません。有効性よりもリスクの方が大き過ぎです。5月6日には終わるべきのように、私は思います。

西浦モデルでは、人から人への感染、人からモノ、モノから人への感染ルートが異なることを理解していません。これを混同しています。この二つは別物です。日本人は有利なことに、欧米と違ってキスやハグの習慣がありません。だから人から人への感染は基本、飛沫感染と空気を通したエアロゾル感染だけです。マスクで足ります。それなのに、人と人との接触を7割も8割も避けよと言います。キスとハグが習慣の欧米のやり方を深く考えずにただ真似ているのです。そのために店を閉めさせたり、あらゆる集いをやめさせます。経済が止まり、人が死にます。無茶苦茶です。ソーシャル・ディスタンスとして2mの距離をとれと言います。一つ前のブログでお示しした福井新聞の記事のように、マスクをしなければ3mでも5mでも感染します。距離ではなく、マスクをしているかどうかだと思います。
マスクは自分のウイルスを飛ばさないと言う利点だけではなく、他人のウイルスを大幅削減して吸い込むと言う利点があります。それで身体が勝てば、ワクチンと同じ意味になります。PCR陽性の感染者の10倍以上の無症状保菌者がいるのではないかと言われますが、マスクが、コロナウィルスを擬似ワクチンに仕立てているのではないか、だからそんなことになるのではないかと私は思っています。欧米は今になってマスクを重要視するようになりましたが・・。
代わって藤井モデルがあります。こちらは併せて書いてはいますが、二つの感染ルートの違いを明確に理解し、区別しています。
http://www.youtube.com/watch?v=Vu3EbKx_uU4

5月6日以降に社会実験として採用するモデルであれば、こちらの方が望ましいと私は思います。
日本政府は5月6日以降、マスク着用必須のうえでの藤井モデルを採用する方が望ましいように私は思います。

少し前、スーパースプレッダーという言葉がありました。ウィルスを広く撒き散らす人のことを言ったと思います。マスクをしない人が、実質的な機能としてスーパースプレッダーの役目を担っているのではないかと思います。

あるMLにこのブログの内容を紹介したら、藤井モデルは他の欧米諸国とは一線を画した、スウェーデン方式と同じだと言われました(4月27日)。

スウェーデン方式は他の欧米と違って10倍の人が死ぬ。それを覚悟してやっている。日本人の人口に換算すれば約100万人になる。藤井モデルは日本人100万人を殺す殺戮モデルだと言われました。

 
 
これは、全く違うと思います。
自分自身が絶対正しいと思い込んでいるので、私が主張したい重要な点を全く理解していません。
上のインターネットやYoutubeを見ると、スウェーデン人のほとんど誰もマスクをしていません。これでは感染者からモロに大量のウィルスを浴びます。私が強調するマスクの有無がとても大きいのです。次に、その方にスウェーデンでは他の欧米と違って、キスやハグはしないのでしょうか。日本と同じようにキスやハグをしない習慣なのでしょうかと問いました。もし他の欧米と同じくキスやハグをする習慣であれば、人から人へは物凄い感染力です。初期のイタリアで何が起こったか、それを思い浮かべれば簡単にわかることです。スウェーデン方式であれば。そりゃたくさんの人が死ぬでしょう。
日本人と欧米人では、キスやハグなど身体をくっつける習慣がない。これがとても大きい違いです。次にマスクをすること、これで感染者からも大量のウィルスをもらうことが大きく減少します。マスク着用必須のうえでの藤井モデルと書いた意味がわかってもらえると思います。
 
東京の小池知事は、人間が生きていくに最重要な食料まで3日に一度にしろと言います。残りのすべての時間は自宅で自粛しろ(引きこもっていろ)。もちろんお店は皆閉めます。開けていたって、お客がいないんじゃ閉める方がマシでしょう。資金繰りに困ってつぶれるところがいっぱい出てきます。自殺者もたくさん出るでしょう。おかしなことを言う人が出てきました。お金に困った美人が風俗に来るぞ。これはチャンスだ!と言います。

こんな方式が人間らしいでしょうか。私は西浦モデルはここまでいくように思います。
藤井モデルの方がずっと穏やかで、人間のやれることかどうか、よく考えて練ったモデルだと思います。
西浦モデルは「角を矯めて牛を殺す」だと思います。

5月6日で終わるのではなければ、さらに厳しく徹底的に西浦モデルをやるのではなく、欧米のマネではなく、日本人固有の特性を上手く活かした上での藤井モデルの方が望ましいと私は思います。

 

 

コメント (1)

コロナ風邪と緊急事態宣言

2020-04-09 22:58:40 | 社会問題

2020年4月7日に発令された緊急事態宣言が一体何を目的としているのか、私にはそれが不明瞭だ。私なりに見るとまるで「コロナ狂躁曲」だ。狂躁曲のビートに乗ってみんな踊り狂っているかのように感じる。
感染者の咳による飛沫は約2m。誰が感染者か分からない。だから他人とは常に2mの距離を維持せよ!他人との接触を80%減らせ! モデル式による計算結果をそのまま人間社会に当てはめればそうなるのだろうが・・。

コロナウィルス1粒たりとも吸わない、触れない。私には、皆これを目標にしているかのごとく、血走ってきているように見える。それに従わない人は白い目で見られ指弾される。このままでは、それは、これからもっとエスカレートして行くだろう。目に見えないウィルス危機、それにはそれ相応の対策が必要であることはよく理解できる。しかし、お互いを敵視し指弾し合う相互監視社会にしてはならないと私は思う。『天敬愛人』を説いた西郷隆盛は「我が誠の足らざるを尋ぬべし」と言った。我々は、政府の出した政策や社会の動きを注視することは必要であるが、それだけではなくウィルスに対する自分自身への対応についても同じように注視する必要があるのではないか。

コロナウィルスは、感染者の咳だけではなく呼吸そのもの、つまり吐く息からも出ている。感染者の呼吸から水分と一緒にウィルスが出て周辺の気中を浮遊しているのだろう。その参考事例を以下に示す。

---   ---   ---   ---   ---   ---   ---

3月のある夜、友人3人と食事をした。別のグループに、後に感染者と分かる知人がいた。自分と知人の距離は複数の人を挟んで3~5メートル。互いの席で、会釈程度のあいさつをした。店内では従業員らが動くから空気も動く。離れていても感染するのかもしれない。トイレには行っておらず、ドアノブにも触っていないので、接触感染の可能性は低いと思う。(福井新聞 2020.4.10)https://this.kiji.is/620895554607481953

---   ---   ---   ---   ---   ---   ---

感染者が触ったドア、エレベーターのボタン、エスカレーターの手すり・・、活性化している時間はそれぞれ異なるけれども、あらゆる場所にウィルスがいると考えた方がよいだろう。そんな状態で、どのような対処をしてもウィルスを1粒たりとも吸わない、1粒たりとも触れないを目指すのは現実を無視した架空の目標のように思う。
この自然界には、様々なウィルスが無尽蔵にいる。人間は日頃それを吸ったり、触ったりしている。でも何ともないのは、それらと共生しているか、あるいは無害化しているからだろう。いくらかは吸いこんでも病気を起こさない身体にすることがまず大事であろう。つまり体内で人為的に撃退することと、自己免疫を強化して無害化することが重要だろう。
コロナウィルスが病気を発症させるまでに3、4日の潜伏期がある。この3、4日、ウィルスは何をしているのだろうか。まさか休暇をとって遊んでいるわけではないだろう。最初に人の身体に付着した幾らかのウィルスが細胞の中に入り込み、細胞を工場にように使って次々と子どもを産み出し、それを工場の外に出す。細胞の外に出た子どもは次の細胞に入り込む・・。このようにして、人が体調がおかしいと感じるまでに増殖するのだろう。ある場所でそこが満杯になるまで増殖し、気管を通って肺にこぼれ落ちる。治療薬のない現時点では、免疫力の落ちた老人はウィルスが肺に入ってそこで増殖が始まればもはや回復は難しいだろう。
ではそのある場所、つまり最初に増殖する場所とはどこだろうか。どこから肺に落ちるのだろうか。論理的に考えればすぐ分かる。それは喉(咽頭)だろう。
昼間、咽頭で増殖を始めても3度の食事で大量の固形物や飲み物と一緒にウィルスの多くは胃に落ちる。だから増殖は進み難いだろう。つまりウィルスの増殖は、夜間、人が寝ている間が勝負だろう。しかも睡眠中は体温が下がりウィルスの増殖には願ってもない時だ。そして喉で一気に増殖したウィルスの一部が、気管を通って肺に入るのだろうと私は推測する。
だから私は、深夜2−3時、例えばトイレに起きた時にお湯でうがいをする。それで喉で増殖中のウィルスを一掃し、あとは暖かいお茶かお湯をうがいしながら飲みこんで、残りのウィルスを胃に流してしまう。次々子どもを消せば新しい工場は作り難く、古い工場は疲弊しアポトーシス(滅死)を起こして分解しウィルスもろとも遺伝子は断片になる。ほぼ毎日定時に食事とうがいをすれば、これでウィルスの増殖に対する防衛はかなりできるのではないかと、私は考える。
私は医学者でもないし、ウィルスの専門家でもない。異分野の生物学者だ。でも、自分なりにこの程度の推論はできる。社会の取り決めにはもちろん従うがそれだけではなく、自分の見出した推論に従って、自分自身の身体に対してもできる限りの対処をしていきたい。

コメント (2)

学習院大学における尖った謝辞

2020-04-02 12:37:51 | 原発・エネルギー

学習院大学では卒業式が中止になったことを受けて、2020年3月20日に卒業生による謝辞が国際社会科学部のHPに掲載された。小堀奈穂子さんは、国際社会科学部卒業生の代表の一人として大変興味深い謝辞を述べた。
https://togetter.com/li/1485459

ツゲッターなどでは、「これは伝説に残る文章だ」とか、パンチが効いているとか、オリジナリティーと攻撃力に満ちているなどというコメントが目についた。学習院大学では最高の名誉ある安倍能成記念基金奨学金をもらった人であるから、賢い人であることは疑いがない。どういう謝辞をすれば社会が彼女を称賛するか、そんなことは百も承知だろう。だから、この尖った謝辞は確信を持った明確な自己主張であり、またその意志を入学から卒業まで一貫して貫いてきた人であることが分かる。
ではどういう意志だろうか。
この世には自分の意志しかないという確信であり、自分の意志を最優先すべきという確信である。この謝辞の内容に対して、現代社会や先人に感謝をすべきだというコメントが多い。例えば学習院大学において図書館を使って知識を深めるのも様々の便利な機器を使えるのも多くの先輩達のおかげだ。それに感謝すべきだというコメントである。
彼女の謝辞は、まさにそれを否定している。感謝がいけないというのではない。感謝するなというのではない。感謝をしたい人はすればよい。感謝をしたくない人にまでそれを強要するなというのである。まさに自分の意志を尊重し、それがまた他人の意志を尊重することになると、彼女は考えるのである。
だから彼女は「自分に感謝する」という。図書館を利用するのも、便利な機器を使うのも自分の意志である。図書館に頼みこんで無理やり使わせてもらったのではない。あくまで自分のアイディア、意志、そして必要ならば幾ばくかの自分のお金である。それで自分自身が大きな収穫を得たのなら自分の意志のおかげであって、図書館を作ったあるいは維持している人々のおかげではないと、彼女は考える。だから感謝するならそれは自分だと彼女は考えるのである。むろん過去の長い間に渡って、この社会を作り上げてきた多くの人に感謝したい人はそうすればよい。他人の自由を制約し、感謝をするなと強要するつもりは彼女にはない。だが、逆には自分の意志にそぐわないことはするべきではないと彼女は考える。
自分と、そして他人の自由を尊重するのである。
その意味では、相模原障害者殺傷事件の犯人の植松聖と同じである。メキシコ国境に巨大な壁を作ったトランプ大統領、難民を入れないEUの防御フェンス・・。なぜそれらを作るのか?自分で食べていけない貧困者を自国の税金で食べさせることをしたくないのである。食い詰めた縁もゆかりもない赤の他人をなぜ私たちのお金で食わさねばならないのかと疑問に思い、それを望まない人々が急激に増えている。それらの人たちの収めたお金が税金には含まれている。そう考える人たちは当然ながら、難民排除を掲げる政党に投票する。欧州では難民排除の極右政党が台頭している。もはや政権与党になってしまった国すらある。この流れが濁流となって世界中を席巻しつつある。日本では、卒業生の代表として謝辞を述べるくらいの、著名な大学の最優秀の生徒が、この流れの先陣を切ったのである。


以前このブログに書評を掲載したが、アイン・ランドの小説『水源』の主人公ハワード・ロークと重なる。ハワード・ロークは自分の意志を貫き自分が生み出したものを守ったが、その自分自身が生み出したものが大きな財貨をもたらした。しかし、ハワード・ロークは生み出したものに付随して生まれる財貨には関心をもたなかった。小説ではそうだが、現実はそんな綺麗事ではすまない。自分自身が生み出した固有のものではなく、それに伴う財貨によって貧富の差が拡大する。GAFAを見ればそれがわかる。
この『水源』の主人公ハワード・ロークあるいは、優秀な小堀奈穂子さんの謝辞に対して、堂々と対峙する有識者からのコメントやメディアなどからの論陣はないのか?

この考え方を食い止めるだけの論理を持つコメントあるいは論陣を張ることができなければ、現代において飛び抜けて優秀な第2、第3の小堀奈穂子が出てくることは、もはや必然のように思われる。小堀奈穂子の考え方を変える力を持つ、あるいは相模原障害者殺傷事件の犯人、死刑を宣告されそれを堂々と受ける植松聖の心を揺さぶる論理である。


皆さんは、この流れは正しいと思われるだろうか?
もしこの流れを止めたいと思うならば、どうすればよいだろうか?

 

コメント (3)