森中定治ブログ「次世代に贈る社会」

人間のこと,社会のこと,未来のこと,いろいろと考えたことを書きます

仕事をしながら趣味の研究で学位をとる

2016-06-28 07:38:13 | 声楽

 私は1972年に農学部を卒業し、学士として民間企業に就職しました。人間社会の様々な問題に深い関心のあった私は、経済学や哲学、あるいは環境問題といった人間の起こす現象の概要を知りたいと思い、1994年44歳の時に企業で仕事を続けながらも1年間の在籍が許される選科履修生として放送大学に入学しました。以後選科履修生を繰り返し大学に在籍し続けます。

 暫くして就職先が農業関連部門を売却し、それに伴って農業関連部門から医薬学術部門に異動になり、仕事もガン免疫担当に変わりました。ガン免疫は分子生物学そのものでした。趣味のチョウの研究を通して生物学には係わっていましたが、分子生物学は全くの未知でDNA、ゲノム、遺伝子、染色体の区別もできませんでした。新しい職場の上司は関連の本を読めというだけです。これでは仕事を続けることができず早晩辞めねばならなくなると思い、必死で策を考えた結果、学ぶ時間が自由な放送大学で分子生物学の基礎から理解することを思いつきました。

 これで仕事の継続が可能となり、職場で恥ずかしい思いをすることがなくなりました。さらに当時の副学長の趣味がなんと“チョウの研究”でした。それでガン免疫に関わる医師との対応をスムーズに進めるための分子生物学の知識だけでなく、チョウの身体からDNAを取り出したり、増幅したり、解読までできるようになりました。

 それで趣味のチョウの研究が、新種や新生息地の発見、分類学、生態学などだけではなく分子データを用いた分子系統研究ができるようになり、東京大学の若い人たちと共同研究をするようになりました。暫くして名古屋支店の学術室に異動になり、古巣の母校に挨拶に行くと、まさに母校でも分子を用いた研究が真っ盛りであり、教授から「君も分子を扱えるなら東大の仲間もいいが、こちらも一緒に共同研究をしたらどうかね」とのお話しをいただき、とても嬉しく思ったものです。ただ平日は仕事があるので、平日の夜か休日を利用した研究にならざるをえず、とても忙しかったのですが、好きなことができて日々とても充実していたことを思い出します。自宅でならなかなかこうは行かなかったでしょうが、単身赴任であり家族と離れて暮らしていたことが幸いしました。当時所属した放送大学愛知学習センターや、母校の教室との共著で書いたチョウの系統学の論文が、2002年分子系統研究では世界的な雑誌(Molecular phylogenetic & evolution)に掲載され、この論文を中心に今までの全研究をまとめました。そしてそれを名古屋大学に博士論文として提出しました。それから約1年かかって数回の審査を終え、外部からは日高敏隆先生においでいただき、厳しい口頭試問を経て2003年母校から博士の学位を頂きました。

 一般に企業に勤める人が博士になるのは、企業の研究所に勤めていて必要な研究が生じて大学に派遣される場合だけだと思います。民間企業に勤め生活の糧を稼ぎながらも、仕事とは関わりなく企業の助力も得ず趣味で博士号を取得することは稀のように思います。なぜ、どのような経緯か?思い起こしてみると、完全に無知の分子生物学が自分自身の仕事に必須になり、その時まだ私は若くて私より若い周囲の人が皆こなしている学術の仕事ができず営業や専門知識の不要な他の部門へ移ることが心理的にできず、それができなければ辞めざるをえないという気持ちに追い込まれたところから始まって、名古屋に異動になり家族と離れ自由時間を思い切って使うことができ、分子系統学上の発見があって論文が国際雑誌に掲載になり、広い心で私を受け止めてくださる母校がそこにあった・・・。結局これは、私の人生の総合論ということかと、感慨と共に人間に対して天に対して感謝の気持ちを禁じえないこの頃です。

  最近声楽(テノール)をやっています。コンクールで3度入賞しました。クリックをお願いします。

    

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