森中定治ブログ「次世代に贈る社会」

人間のこと,社会のこと,未来のこと,いろいろと考えたことを書きます

”平和外交”とは何か

2013-02-11 16:16:08 | 国際政治・外交

2013年2月10日に,「友愛平和の風よ 吹き渡れ!ーー改憲? 国防軍? 私たちはどうすべきだろうか?」と題した対話型発足集会が開かれました.

発端は,マイケル・サンデル白熱教室の解説で著名な公共哲学者,小林正弥教授(千葉大学)です.

宗教家,右翼,左翼が集まった討論集会で,こういう試みは一つの考え方の人が集まって一方的に意見を述べる場よりも大変大きな意義があると思います.落語家三遊亭京楽さんのお話は,決意と意志が感じられ印象深くお聴きしました.私が昨年上梓した「プルトニウム消滅!」でも述べましたが,反対も賛成も両方が一堂に会して率直に意見を述べるところに,人間の真の進展と理解が産まれるのではないかと思います.私もこの活動の賛同者の一人になっており,議論のなかで一度意見を述べましたので,それを中心にこのブログで考えてみたいと思います.

“平和外交”という言葉は分かっているようでよく分かっていないと思います.というか,その意味を誤って捉えられているように感じられます.この言葉は,この集会でもある一つのコンテクストのなかで用いられ認識されようとしました.例えば北朝鮮がミサイルを発射する,尖閣諸島で戦端が開かれる・・.こういった場合にどういう意味をなすのか,どういう働きをするのか?相手が攻撃をしてくれば,それに対し同等以上の武器で戦わなければ,国民の生命と安全を守ることができない.平和外交とは,言葉はきれいだが結局はその戦いを放棄して敵に蹂躙させることではないかという暗喩です.

私は, “平和外交”という言葉はそういう意味ではない.私なりにその言葉の意味を明確にしたいと申し上げました.

ここに姿は人間だけれども,実は人間の皮をかぶった悪魔がいるとします.その悪魔は,人を殺すこと,環境を破壊することそれ自体が好きでそのこと自体を目的としている.こんなことがあるでしょうか.

ここに一人の母親がいるとします.何も知らない小さな子どもが5人いるとします.その5人が誰一人として大人になることはできない.大人になる前に,殺されるか餓死するかで皆死んでしまう.そんな境遇にあって,もしテロ組織に入れば,銃を持って金持ち国の船を襲わなければならないけれども,少なくも毎日生きていく食事は与えられる.もし仮に,こんな運命の母親がいたらどうだろうか.

テロリストといえども,人殺しそれ自体が大好きで,それ自体を目的とする悪魔ではありません.喜怒哀楽をもった我々と同じ人間ではないでしょうか.砂漠で厳しいイスラムの戒律を守って暮らしている.あるいは,草原でのんびりウシや馬を放牧して暮らしている.土地は誰のものでもなく,自分が生きてくに必要なら生きていくに必要な範囲で使い,他人が必要なら他人が使う.生きていくに必要な以上は使わない.こういう風土,伝統のなかに朝から晩迄せこせこ働き,土地を囲い込んでしまう人達が入ってきたらどうなるか.今迄の伝統のなかで生きてきた人は生きていけなくなるのではないか,その風土,伝統は消滅するのではないか.

一つの価値観を一方的に押し付け,力でその地を変革し,その社会を変えてしまうことが果たして正義なのだろうか.生きていくに必要以上を取らない風習の人達のなかに,生きていく生きていけないに関係なく,取れば取るほど自分のものになるという価値観をもつ人達が入っていく.自由という価値,つまりどちらの立場でも自由であるという建前の元に両方が混じりあい,その結果元々あった一方がどんどん追い込まれ消滅してゆく.何故テロが絶えないのか?どうすれば真にテロリストが産まれない安全で安心な世界を我々人類は建設することができるのか?

人類は,どういう社会を目指していけばよいか?テロ,紛争,戦争をこの世から無くすために,武力攻撃されたらどうするのかという狭い議論だけではなく,こういった伝統,風習,そして真の豊かさ,人間のあり方という原点から考えることを“平和外交”というのではないか,人類に真の平和をもたらすためにはこの考え方が必要なのではないかと,その場で私は申し上げました.

  原発を切り口としていますが,経済学,公共哲学,生物学を統合した読み易い本です.是非読んでみてね!

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