拙著「プルトニウム消滅!」にも書きましたが,私は福島での原発震災のずっと前から生粋の“反原発”です.ですから原発擁護者や推進者を敵視してはいませんが,どうしても原発やエネルギーに関する議論や対話は“脱原発”や“反原発”の人達とすることになります.
でも意見はあまり一致しません.なぜかというと,原発を廃止するためのプロセスとして私は“熔融塩炉”介在の可能性を考えるからです.熔融塩炉を考えてみてというと,“脱原発”や“反原発”の人達は拒絶反応を起こし,同意するどころか考えようとする人すらほとんどいません.原子炉,原発は危険だから総て廃止すべきだという人ばかりです.
たしかに福島の子どもたちの内部被爆や復旧が遅々として進まないことなど,日常的に声を上げてアピールしていくしか道はないように思います. しかし,原発の廃止は簡単なことではないと思います.国会や官邸の周りを沢山の人が集まってデモ行進をし原発反対を叫ぶ.これは今も続いており,それは明確な意思表示であるし,有用な行為だと思います.ドイツのように,日本の全原発を廃止に追い込む可能性も十分あると私は思います.
その場合,大変な苦労と努力のうえで日本の全原発を廃止に追い込んだことはまぎれない事実ですが,軽水炉原発のもつ日本人への危険性はさほど減っていないと思います.韓国には20基の多くが日本に面する海岸で運転され,中国は2020年までに80基の軽水炉原発を計画しています.日本だけが原発を廃止できても,周辺国に同じようにあるかもしくは増えるような状況では,原発の廃止が廃止になっていない,実質的な危険性は減っていないと思われます.
従って日本だけではなく,軽水炉原発の世界的な廃止がなされる必要があります.軽水炉原発の廃止は,世界が核抑止の軍事バランスを止めて核兵器を廃絶して初めてなし得るように思います.世界の核兵器の廃止が現実化して初めて,世界的な軽水炉原発の廃止が見えてくるのだと思います.だから日本が,世界の核抑止の軍事バランスを止め,反戦の方向へ動き出すシナリオを世界に示す必要があります.何故それが日本か,その理由は拙著「プルトニウム消滅!」に書いています.
私は,世界的な原発廃止の前に「熔融塩炉」という原子炉の時代を通らざるを得ないのではないかと思います.むろん,米国,中国の両陣営,ロシア他全世界の合意の基にです.拙著「プルトニウム消滅!」の真意ですが,熔融塩炉はプルトニウムを消滅させる可能性をもつ唯一の現実的な技術であり,それによってプルトニウムをこの世から消す道筋が見え,そのシナリオが空想や理想ではなく現実のものとして組めるようになってきたからです.
既に軽水炉から生まれ,次世代燃料として抽出された高純度プルトニウムが日本に30トン以上あります.この燃料は核弾頭そのものです.8kgで核弾頭1個とすると数千発になります.プルトニウムは熔融塩炉で高速中性子を充てて破壊できます.するとプルトニウムはなくなるけれども,代わりに,様々の別の元素ができます.強い放射性の元素にもなれば,放射性のない安全なもの,放射線があっても半減期の長いもの短いもの様々になります.熔融塩炉は,液体であるが故に原理的にこれらの仕分けができ,一方固体のまま扱う現在の軽水炉はこれら仕分け(分離)が事実上できないのです.
プルトニウムの核変換によってできた安全な元素を分離して取り出し,残った危険な元素にまた中性子を充てて破壊し,生まれた安全な元素だけをまた分離して・・という神経を使う縁の下の力持ちのような地道な仕事の繰り返しが主な仕事です.まだ実験の段階でその技術確立のための研究はまだまだ必要ですが,しかしプルトニウム他,危険な放射性のゴミをこの世から消してしまう可能性をもつ技術です.人類に対してもつ意味が,他の様々な技術とは比較できないくらい重いと思います.むろん成功しなければただの絵に描いた餅ですが,これをやってみないで逃げるのは,人間を捨てるに等しいと思います.
造り出したものをまた壊す.バカバカしい限りですが,しかしこの技術で,人類は核兵器を真に消滅させることができます.この技術がなければ人類が核兵器を捨てることはできません.まさに現人類にとっては福音的な技術だと思われます.真のこの技術の専門家に聞くと,純粋なプルトニウムよりもトリウムを少し混ぜた方がスムーズだそうです.
もう一つは,トリウム熔融塩炉原発といって,今の原発の代替え原発(原子力発電)です.これは日経新聞などが大きく宣伝しているし,静岡の川勝知事らが推奨しています.10万キロワット/h位の小さなものにできます.プルトニウムも超ウラン元素もほとんど生まれない (「プルトニウム消滅!」p.81)けれども,他の人工放射性元素はできます.でも熔融塩炉は元素分離ができるから,前述のプロセスで核のゴミ(少なくとも高レベル放射性元素)を破壊することが原理的に可能です.
最重要なことは,プルトニウムを壊すことです.他の放射性元素は,福島の原発震災のように爆発して環境に出ることさえなければ,固体元素(金属)として保管しておけます.プルトニウムは人間による保管では絶対に駄目です.なぜかというと,核爆弾になるからです.他の放射性元素は危険なばかりで役立たずです.誰も欲しがりません.プルトニウムは,個人やグループが爆弾を造るために盗みにきたり,買いにきたりするでしょう.2万年以上も保管できる保証はありません.日本がデフォルトになってその永久の管理業務に誰も給料を支払わなくなったら,もし1kg1億円で売ってくれと金持ちのテロ集団が言ってきたら,給与未払いのその管理者は売るかも知れません.それどころか,管理者がいなくなって放置されればただで盗み放題になるでしょう.次世代に対する罪です.
プルトニウムを消滅させても人類はより恐ろしい次の爆弾を考えるという人もいますが,単に物理的にプルトニウムを消滅させるのではなくて,人類の核兵器廃絶,戦争放棄に向けた新しい歴史イベントとするのです.こうして,人類を,戦争をやめる方向に導くのです.人間は知恵があるから一つ位禁止されてもいくらでももっとすごい爆弾を造り出す.だからプルトニウムを消滅させても徒労だという主張もありますが,その主張は人間の悪い面だけを見ているゆえに生まれるのだと思います.人間の悪い面だけ過大評価していると思います.人間にはさらに恐ろしい悪魔を産み出す知恵もありますが,平和とより穏やかな社会を望み,そこに価値をおき,そういう社会を産み出そうとする知恵も意志もあるのです.人間が未来に向かってどう生きようとするか,どこに価値をみいだすか,人間の値打ちはそこにあるのです.
中国は,トリウムが吐くほど大量に捨ててあっても軽水炉原発を止めません.軽水炉原発はプルトニウムを産み出すので,エネルギー生産のためではなく,軍事(核抑止)のバランスからその必要性があるのです.自由主義体制の諸国が軽水炉でプルトニウム(核爆弾)を次々産み出しているのに,形のうえでは対立陣営の中国が一方的に軽水炉を廃止することは,トリウムがどれほど余っていようと捨ててあろうと,国民の安全保障の意味から絶対にしないでしょう.世界が一緒に止めるしか道はないように思います.
こういう明確な論拠から,私はプルトニウムを産み出す現在の軽水炉原発の全面廃止を訴えます.軽水炉原発の代わりにどうしてもエネルギーが必要なら,再生可能エネルギーだけでは足らないというのなら,熔融塩炉でエネルギーを補えと中国に訴え,米国をはじめ全世界,全人類に軽水炉原発(プルトニウム生産)を止めさせ,熔融塩炉でプルトニウムを破壊し,核兵器の廃絶を一緒に世界に訴えるのです.
拙著「プルトニウム消滅!」について反原発の人からメールをもらいました.内容は真摯で評価できるけれども,事業として大量のプルトニウムを取り扱うということは人間にとって危険すぎると主張されています.これは反原発の人に共通したごく常識的な見方であり,また私もその通りだと思います.
ここに10人を殺した殺人犯がいるとします.彼は裁判で死刑の判決を受けました.この殺人犯の死刑は危険すぎるから止めろと言ったらどうでしょうか.確かに死刑が危険なことは間違いなく正しいです.人の生命を奪うのだからまさに危険そのものでしょう.死刑制度には反対も多く,無期懲役という方法もあるでしょう.でもいずれにせよ,10人を殺した行為に対する責任を自分自身で取らなくてはならないのです.それこそが人間の矜持ではありませんか.
プルトニウムは,我々現代人が過去にない便利さと豊かさを享受したことによって産み出された結果(ゴミ,悪)です.産み出した結果の責任を取れる可能性があるにも拘わらず,人為的に消滅させる技術は“危険すぎる”といって未来の世代に残すのは,人間としてどうでしょうか.私には?です.
死刑囚が自分の為した行為を購うように,人類の存亡(生命)をかけてこれを,富を謳歌した世代が購う(「プルトニウム消滅!」p.99).今我々は,真の意味で人間になれるチャンスを迎えているように思います.
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面白く読み易いよ!ぜひ読んでね!