衣 幾 揺 日
手 度 蕩(たゆと) 々
の に ふ の
乾(ふ) か 舟 夜(よ)
る 振 で の
に り 辺(へ)
は 侍 に
ら
む
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毎日毎日 夢の中で
(あなたに会いたくて)あてどもなく揺れ漂う舟の上で
何度(あなたの幻に向かって)手を振れば良いのでしょうか
(涙で濡れた)袖を乾かすには
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↓【死刑執行】「国民からレッドカードの法相がすべきことか」。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100728/stt1007281324006-n1.htm
↓【視点】人の死に「政治的演出」 千葉法相。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100728/plc1007282201023-n1.htm
結局、菅内閣というのは「政府」でも「頭脳集団」でも何でもない。
単なる「個人活動家」の集まりだ。
千葉法相も、
職責なら粛々とすれば良いのに、
こうした前例を作ってしまった為に、
次期から法相になる人々は
「立ち会うのか立ち会わないのか」と言われてしまうことだろう。
死刑に立ち会う時間があるなら、
被害者の遺族に直々に電話一本入れた方がよっぽどマトモだった。
(比較するならばという意味で。)
千葉法相は、
これを機会に死刑の現場を世間に公開して、
死刑の廃止を訴えたい、と言っていたが
とんでもないことだ。
死刑を執行できる立場を利用して、
死刑の現場を見世物にし、
己の個人活動の宣伝に役立てたい、と言っているのだから。
次期から法相になる人々の戸惑いも考慮せず、
死刑執行を、個人活動の宣伝に使い、
ただただ「自分が」「自分が」「自分が」、の果てに、
犯人の人権、尊厳を踏みにじって執行したようなものだ、
と言われても仕方がないだろう。
死刑廃止によって世の中にどれほど
被害者となってしまう人々が増える可能性があるか、を考え、
無念の被害者と、その家族の悲しみについて考えるならば、
死刑廃止を唱えることにこそ、
慎重でなければならない筈だ。
死刑制度「廃止」に、断固反対します。