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徒然綴り・・・歌詞&ひとり言

剿(そう)

2010年07月28日 23時35分38秒 | Weblog


             衣      幾      揺      日
             手      度      蕩(たゆと) 々
             の      に      ふ      の
             乾(ふ)   か      舟      夜(よ)
             る      振      で      の
             に      り              辺(へ)
             は      侍             に
                     ら
                     む


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    毎日毎日 夢の中で
    (あなたに会いたくて)あてどもなく揺れ漂う舟の上で
    何度(あなたの幻に向かって)手を振れば良いのでしょうか
    (涙で濡れた)袖を乾かすには

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↓【死刑執行】「国民からレッドカードの法相がすべきことか」。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100728/stt1007281324006-n1.htm

↓【視点】人の死に「政治的演出」 千葉法相。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100728/plc1007282201023-n1.htm


 結局、菅内閣というのは「政府」でも「頭脳集団」でも何でもない。
 単なる「個人活動家」の集まりだ。

 千葉法相も、
 職責なら粛々とすれば良いのに、
 こうした前例を作ってしまった為に、
 次期から法相になる人々は
 「立ち会うのか立ち会わないのか」と言われてしまうことだろう。

 死刑に立ち会う時間があるなら、
 被害者の遺族に直々に電話一本入れた方がよっぽどマトモだった。
 (比較するならばという意味で。)

 千葉法相は、
 これを機会に死刑の現場を世間に公開して、
 死刑の廃止を訴えたい、と言っていたが
 とんでもないことだ。

 死刑を執行できる立場を利用して、
 死刑の現場を見世物にし、
 己の個人活動の宣伝に役立てたい、と言っているのだから。

 次期から法相になる人々の戸惑いも考慮せず、
 死刑執行を、個人活動の宣伝に使い、
 ただただ「自分が」「自分が」「自分が」、の果てに、
 犯人の人権、尊厳を踏みにじって執行したようなものだ、
 と言われても仕方がないだろう。

 死刑廃止によって世の中にどれほど
 被害者となってしまう人々が増える可能性があるか、を考え、
 無念の被害者と、その家族の悲しみについて考えるならば、
 死刑廃止を唱えることにこそ、
 慎重でなければならない筈だ。

                      死刑制度「廃止」に、断固反対します。


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