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徒然綴り・・・歌詞&ひとり言

東海地方~一部・新潟 注意マップ

2014年06月10日 12時56分36秒 | Weblog
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東海地方から一部新潟にかけての、
2014年6月~7月にかけての、
注意点、注意線の一例は上図の通り。
赤いラインを独占・制圧されないように、
充分気をつけてお過ごし下さい。

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■テレビ、通信機

 「テレビはテレビ番組を観るもの」、
  「通信機は、通信料を払っている契約者が自らの意志で自由に使用出来るツール」

・・・という概念は、終わる。

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                      《人工渦》
■中東のツボ
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■アフリカのツボ
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■イスラム教のツボ
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《質問1》

「生きて帰る道はない。敵に体当たりして潔く散ることが、故郷の家族や国を救うことだ」と言われて、戦地でそのように行動し、亡くなった人々は、英雄か?


《質問2》

「必ず生きて帰ることが出来る。どのような状況下にも道は用意してある。何も心配せずに存分に能力を発揮して戦え」と言われ、そのように行動したが、実は、いかなる策も用意されておらず、ただ見殺しにされ全員亡くなってしまった時、その人々は、英雄か?


《質問3》

「ただ横一列に並んで30キロの道を前進するだけだ。」と命令されて横並びで進んだ兵が、ある地点で全員爆死させられた時、この人々は、英雄か?


《質問4》

「今は戦時中じゃない。経済第一に、国民の生活を立て直します」と言われている国民が、外交的背景を持つ(しかし外交的背景を持っているとは知らされない)「事故」や「事件」や「病気」で突然、次々と、果てしなく延々と大勢が順番に殺されてゆく時、これらの亡くなった人々は、英雄か?


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これらの人々はみな、「悪政による被害者」ではないのか。

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《質問5》

 「殺した人」と「殺された人」は、どちらが勝った(強い)のか?

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 殺した人の方が、殺された人よりも、強くて、「勝った」のだと、それが多くの人々の素直な考え方かも知れない。

 しかし、こうも言えないだろうか?

 もしも、彼ら「殺された人々」が、「殺す側」の人々にとって、本当に取るに足らない人々であるならば、本当に殺す必要があっただろうか?ということだ。

 「殺す側」が、最も確実に、着実に、その死を成し遂げたい相手は、むしろ「殺す側」にとって、彼らよりも「高い」からではないだろうか。


 多分なにがしかの領域を独占したいと考える人々は、自分たちより何かが高く、手に負えないとか、不本意に何かを変えられるかも知れないなどなどと思う様な何かに出会った時、その「高いもの」について、排除・排斥・末梢しようとするのではないだろうか?


 合図の為に殺された、「取るに足らないと思われた人々」が無数にいる一方で、「取るに足らない人のように」、着実に死へ運ばれた、「高かった」人々がいる、と私は思う。

 そして死して尚、濡れ衣を着せられて、「高かった人」は貶められる。

 そこまで貶めなければ、殺した側にとって、安心出来ないのだろう。

 死しても「何か高いもの」が、この世に残って引き継がれることは「殺す側」にとって、忌々しい、好ましくないことであるに違いないから。


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 それにしても…。

 「日本人が知らなかったニッポン」について、日々タネ明かしが行われているような昨今、それをどれほどの人々が受け止め、また、驚愕していることだろうか…。

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