PAGES OF MY LIFE ~著作権保護ページ~

徒然綴り・・・歌詞&ひとり言

思記2673219

2013年02月19日 12時07分13秒 | Weblog
============================================================

■「ニホン」はこれからどうなるのか

ジャパンが消えてニホンになったとして…

    ---ところであなたは、
    なぜ「日本(ニッポン)」が
    「JAPAN(ジャパン)」なのか、
    不思議に思ったことはありませんか。

    これにまつわるお話も、
    いずれ機会があれば書くことにしましょう---

私達が「ニホンになった」として、
これからそのニホンの姿はどのようなものになってゆくのでしょうか。

それは、国民が拒絶した、
あの自民党末期の麻生政権からの異常っぷり

   (政権交代が起ころうとも、自民党が返り咲こうとも、
   見てくれがどこかの勢力寄りになろうとも、
   あの時からずーっと、
   「同じ精神」が表立って国政を動かし続けています)

・・・を観察していれば、
ひとつひとつの政策を見なくても、
私たちの行方というものは知らされているも同然なのです。

「ニホン」は、「ジャパンではなくなった」かのように、
全国的に、書き換え続けられているのです。

■変わりゆく国名

このような「国名の変化」は、
絶えず世界中で繰り返されて(繰り返させられて)きた、
と言っても良いでしょう。

私が子供の頃は、「ペルシャ絨毯」「ペルシャネコ」
という言葉を、年配の方の会話などからよく耳にしたものです。

それは、『(はるか彼方の豊かな国からやって来た)高級な物』
という意味を持っていました。

貧しい庶民にとってその響きは、
「憧れ」であり、「ロマン」であり、
また、
誰かがそれらを持っていると聞くと、
「へぇ~、お金持ちなんだな~」と
その人の社会的地位や成功を知らせる記号でもあったのです。

時を経て、大人になって、
「ペルシャ」ってどこに在るんだろう、などと思って
調べてみましたら、現在の「イラン」でした。

なぜ「ペルシャ」は「イラン」になったのでしょうか。

それに、「ミャンマー」は、
なぜ「ビルマ」から「ミャンマー」になったのでしょうか。

また、先ほど私は
「なぜニッポンがジャパンなのか」と言いましたが、
フィンランドも、
フィンランドの人々にとっては「スオミ」であるのに、
私達は「フィンランド」と呼んでいますよね。

ひとつひとつ時代を遡って、
世界の国々の名前、種族の名前、消えた国々、
消えた民族などを辿って行きますと、
ある時点・ある時点で、その地域・その地域での
大きな策謀の河跡が浮き上がってくるのです。

責任を追及されない為に、
証拠隠滅のごとく
破壊に破壊を繰り返した挙句に、
国名・地名・種族を消し去って、
台風のように去ってゆく勢力。

成功を刻む為に新しく作り上げてゆく国名・地名・種族名。

あるいは宗教。

そして、数字・・・。

私達はそれが、
「自然の為せる業」
「歴史的な転換の積み重ね」
「時代の変化」だ、
などと言って、受け容れてきたのです。

果たしてそれらは、本当に、
自然に、現地の人々の望みに沿って、
起こったことであった、と言えるのでしょうか?

すべてがすべて・そうではないということを、
私達が、今、体験しているこの日々が、
私達に向かって
証明していると言えるでしょう。

============================================================

つづく。