和納中37年入学

同級生と和納と旅行をアップ。誰だか分かる?

「初春や心を磨く剣の道」

2016-01-11 17:25:34 | 同級会

今年も新春の巻、三笠屋で高校クラブOB会に出て来た。OB会やろうやと話がでて毎年1月第二土曜、もう19回を数える。私より年上はもう4人しかいなかった。74歳になる名誉会長のクラブ創設時、対新潟商業戦の話も何時聞いても感動だ。芸者さんが大勢いた巻の料亭もここ三笠屋を残してなくなり寂しいかぎりだ。ことしも玄関にたくさんの繭玉が下がっている。

戦後GHQはその野蛮性を教育から来ているとして武道、修身を禁止したが弘前藩士族の生れ、全日本剣道連名最高顧問であり国会議員の笹森順造がGHQに教育としての武道の心身鍛錬と人間形成の有用を説いて剣道の復活を嘆願。その証明に米海兵隊銃剣術教官の真剣と、昭和の武蔵と言われた鹿島神流、國井善弥の木刀の試合が行われ、一瞬圧倒的な実力差で真剣の海兵隊教官をねじ伏せて剣道復活の話は有名。後楽園の野球殿堂。剣道殿堂は武道館にある(そうだ)。柳生新陰流兵法家伝書柳生宗矩と五輪書宮本武蔵を別格顕彰、千葉周作ともに笹森順造氏は殿堂に顕彰されている。そう、人を殺傷・制圧する技術にその技を磨く稽古を通じて人格の完成をめざす道の追求にあるとWikiにはある。

昭和40年一年生の夏休みにあった昇段試験。大河津駅から越後交通線寺泊の中学校が会場だった。初段の筆記試験にあった「残心」。心が途切れないという意味で、とくに技を終えた後油断せずに注意を払っている状態のことをいう。反撃に対し瞬時に対応する準備と、更なる攻撃準備の身構えと気構えをいうのだ。後片付け、しつけ、思いやり、美しい所作など武道や茶道、芸に通じる奥深い言葉に出会った15歳の夏だった。

「初春や心を磨く剣の道」 高村雅馗

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