和納中37年入学

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水上、湯檜曽の秋

2011-11-24 17:05:23 | 旅行

国道291号一ノ倉沢出合からの谷川岳。
ここから先の清水峠は「地図上の道」で通れない。
「富岡製糸場」を見たあと、その日(19日土曜)水上に泊まった。
山岳会「雪と岩の会」の創立50周年記念祝賀会が谷川岳にすぐの水上温泉旅館であり、昭和47年春からたった1年間の在籍だった私にも案内がとどいた。
懐かしい顔に40年前の記憶がよみがえる。

開会の挨拶をする尾形好雄さん。
1993(平成5)年に45歳での世界最高峰サガルマータ(英名エベレスト)南西壁冬季初登攀をはじめ8,000m峰5座登頂のほか、一度の事故も無くリーダーとして17回もヒマラヤ遠征の経験を持った世界のアルピニストだ。
尾形さんはじめ大勢に知り合えたことで今も「雪と岩の会」は懐かしい。

スポニチ登山学校の校長を長く務め卒業生は数多い。
おととし出版された「ヒマラヤ初登頂 未踏への挑戦」で45年の山人生を振り返っている。
いま日本山岳協会専務理事。

参加者はみな昔の青年だ。
会歌「山男の歓び」を歌う。
「♪陽は映ゆる朝の峰に さあ登ろう頂に ・・・」

全員に記念品。「雪と岩」ワッペンのザック。
宴会の後、それぞれの夢の世界に・・・・。

翌朝解散後、ロープウェイで谷川岳天神平(1,319m)に。風強く県境稜線は雲。眺望悪し。
湯檜曽川の対岸ピークの白毛門(1,720m)手前右と、笠ケ岳(1,852.1m)左。奥中央に朝日岳(1,945m)。
ここから天神尾根を谷川山頂へ続く登山道。
下山直前に晴れ間が。谷川岳の双耳峰(トマノ耳1,963.2m オキノ耳1,977m)

国道291号線をロープウェイ駅から一ノ倉沢出合(750m)まで行き、大岸壁を見上げる。
正面右の三角は圧倒的な「衝立岩」。稜線はガスって見えない。
ここから先はエキスパートの世界だ。



上越線上り清水トンネル出口の真上、湯檜曽川を渡る手前にある遭難者慰霊碑。昭和6年、上越線全線開通した年からの名前が刻まれている。
平成23年にも2人の名前があった。
「魔の山」の所以、約800人の数はギネスの記録にもなっている。
転落だけでなく、平らな稜線で霧に巻かれ方向を見失ったら恐ろしい。

上り湯檜曽駅手前の珍しいループ式トンネル出口。湯檜曽ループと呼ばれる第一湯檜曽トンネル出口を鉄橋から見る。
出口の右上に交差する線が見え第二湯檜曽トンネルに入る。上り線は越後中里駅を過ぎ松川ループ松川トンネルで1回転して標高を上げ、湯檜曽駅手前で下げている。
昭和42年に開通した下り線の新清水トンネルは、湯檜曽~土樽間が直線のトンネルになっている。
湯檜曽駅と土合駅の下り線ホームがトンネルの中にあるのはこのため。下り線土合駅から地上にでるのに500段近い階段を上る。

JR上越線湯檜曽駅。上り線ホームからもループ式の線路が右手中腹に見える。
いまや上下線とも旅客は1日5本の運転。他に夜行と貨物が通っている。
土合とともに湯檜曽駅下り線ホームもトンネルの中だ。
昭和57年の新幹線開業まで「特急とき」はこの上越線ループトンネルを1日に13往復も走っていたのが今は・・・・・。
40年以上も前に「急行佐渡」の夜行で5時間以上かけて上京帰省したことを思い出します。
「あゝ上野駅」に着くとまだ暗い四時過ぎ頃。
晩年リタイヤする前は越後線の通勤電車にもなった165系に乗った時はいつも「急行佐渡」を思い出していました。
えっ?今でも通勤電車で走ってる?

懐かしい上越線トンネルと湯檜曽の駅に触れた一日でした。





昭和48年1月5日 槍ヶ岳(3,180m)から。
中岳(3,084m)、南岳(3,032.7m)、大切戸(2,748m)を経て穂高岳(北穂3,106m 奥穂3,190m 前穂3,090.2m ジャンダルム3,163m)。
西に目をやれば抜戸岳(2812.8m)、奥に笠ヶ岳(2,897.5m) 真下には槍ヶ岳山荘の屋根。 (PENTAX-SP 50mm ネオパンSS)
:Wikipedia
槍ヶ岳山頂から撮った写真(上)と比べると、やや高度が足りないようです。
肩にある槍ヶ岳山荘付近から撮ったのでしょう。

走ってましたよ。165系
4月15日新潟駅5番線新津行き 9:14pm                                                  

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