CARREL10月号「大人の日帰り遠足」にあった群馬、富岡製糸場に行って来ました。混まないうちに・・・
「平成19年にユネスコの世界遺産暫定リストに記載された、国指定重要文化財の富岡製糸場・・・。世界遺産に登録されたならば、その混雑ぶりは尋常ではないのは察しがつく。その前に見て学ばねば。」とCARREL誌。三条燕ICから往復504kmでした。
新潟は雨。トンネルを抜けて群馬は雨上がり。
逆走ではない。左は上り走行車線。右は谷川岳SA合流出口へ。
富岡ICから5分。ナビのとおりに門まで行くと駐車場がない。登録後は大混雑だろうな・・・100m手前の市営駐車場に停めて街を歩いた方がいい。100円/30分。
明治五年建造「木骨レンガ造り」の東繭倉庫。
長手と小口を交互に積むフランス積みのレンガ造り。
レンガ積みパターンは他にアメリカ積み、イギリス積み、小口積みなどいろいろ。
目地材はセメントモルタルではなく、漆喰で積まれている。
アーチのキーストーン(楔石)に刻まれた「明治五年」。
ブリュナ館は工女の夜学校、後に片倉富岡高等学園の校舎としても使われたとある。
三井、原、片倉と民間に払い下げられてから操業停止した昭和62年までの115年間、動いてきた機械と建物がそのまま保存されている。
明治26年。官営廃止の勅令にある「御名 御璽(ぎょめいぎょじ)」 明治天皇睦仁(むつひと)の署名と「天皇御璽」印。
「朕・・・之ヲ公布セシム」とある。
民間経営なってからは「糸相場」「原料繭購入」「工女確保」が製糸場の成り立ち。
糸相場の変動は、養蚕農民への繭買い叩きと工女の等級賃金制へと弱者に波及したのが歴史だ。
日経連の「総額人件費管理」の考え方は製糸場に既にあった?。
映画、山本薩夫監督「あゝ野麦峠」。
大竹しのぶの政井みねが地井武男の兄辰次郎に背負われ野麦峠で「飛騨が見える!」と言って息絶えるシーンは感動的でした。
いつか行ってみたい場所(私的には)Top10・・峠のお助け茶屋の老婆役は北林谷栄だった?。
本は山本茂実が「ある製糸工女哀史」の副題で、飛騨から峠を越えて諏訪、岡谷の製糸場に出稼ぎした10代の少女たちの50~80年昔を、おびただしい飛騨の婆様たちに聞き書きしたと昭和43年あとがきにある。
明治という時代、山国の飛騨から二月半ばから「くちべらし」に年の暮れまで信州へ「糸引き稼ぎ」でるしか現金収入の道がなかった。
大晦日間近、二月三月の飛騨信濃の雪の峠をどれほどの数の娘たちが越えたのだろう。
群馬のこの富岡製糸場にその暗いイメージはありません。ここで働いた工女たちが、次々にできた各地の製糸場で指導者になったというガイドの説明に野麦峠の工女哀史を感じません。
富国強兵の外貨稼ぎに貢献した建物はあってもその底辺で働いた彼女たちが少しも見えてこないのに「遺産」とは?を感じた富岡製糸場でした。
CARREL誌にもあった「信州屋絹しゅうまい」。舌触り滑らかでうまかった。
東野 舞の海 小朝 小野文惠アナ そして8月に富岡を訪れた両陛下の写真が飾ってある店内。
こんな小さな狭い町、世界遺産になって世界から人が押し寄せたらどうなるんだろう?大きなお世話でしたネ。
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