和納中37年入学

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雪晒(ゆきさらし)の里

2014-03-09 13:50:05 | 旅行
公民館の「からむし織講座」が「越後上布の雪晒し体験」バスツアーを募集したので連れと出かけました。
行き先は江戸のベストセラー「北越雪譜」鈴木牧之のふるさと南魚沼市塩沢です。


 
塩沢織物工業協同組合の皆さん。小雨の中待っててくれました。


  
傘など尖ったものはNG。
穴あけられてから「あっ!さぁーっさ!」ではね・・・。
生地1反50万円もするって聞きました。高いのは○百万円か?
でも体験コースではそんなに高いの使わないと思いますが・・・。

雪冷たくて、生地が凍ってくっつきます。
かじかむ手でからむし会員たちは満足したよう。

えっ?「からむし」って?
「茎の皮からは衣類、紙、さらには漁網にまで利用できる丈夫な靭皮繊維が取れるため、分布域では6000年前から栽培されてきた。日本書紀」持統天皇7年(693年)条によれば、天皇が詔を発して役人が民に栽培を奨励すべき草木の一つとして「紵(カラムシ)」が挙げられている。
中世の越後国は日本一のカラムシの産地だったため、戦国大名として有名な上杉謙信は衣類の原料として青苧座を通じて京都などに積極的に売り出し、莫大な利益を上げた。新潟県の魚沼地方で江戸時代から織られていた伝統的な織物、越後縮はこれで織られていた。国の重要無形文化財に指定されている「小千谷縮・越後上布」の原料であり、福島県会津地方の昭和村で栽培され本州唯一の産地となっている。別名は苧麻(ちょま)、青苧(あおそ)、紵(お)、山紵(やまお)、真麻(まお)、苧麻(まお)。」:Wikipedia




ほんとはこんな晴れた日にする雪晒し。「中島屋」に貼ってあった写真。
原理は「オゾン漂白」。
春の雪原の強い紫外線が雪面に発生させるオゾン(O3)の漂白作用を利用したのが「雪晒し」。
先人の知恵はすごいです。

地球を取り巻いて太陽の紫外線から生物を守ってくれてるあの「オゾン層」。
毎年南極のオゾンホールが話題になり、南極近くには紫外線で視覚障害の動物がたくさんと聞きます。
ヤギにもサングラスが必要です。
10年近く前に三洋電機がエアウォッシュ「空気で洗う洗濯機 AQUA アクア」出したの思い出しました。
洗濯機の中で発生させたオゾンを吹き付けて水使わないで洗濯って不思議だな?と思ってました。いまもまだあるんだろうか?
世界中で使えばオゾンホールも小さくなって地球を救う画期的洗濯機だったのに・・です。

タオルで有名、愛媛県今治のタオル染色工場は省エネと環境保護から「オゾン漂白」を取り入れているそうです。
なんと空気中の酸素にプラズマ放電を与え、オゾン(O3)を人工的に作り出す先端技術。三洋電機が先発なのでしょう。
が、それより遥か先に雪晒しなのですね。


「雪晒しは、国の重要無形文化財「小千谷縮・越後上布」の指定条件の一つで、越後上布には欠かせない重要な工程です。よく晴れた日の日中、織りあがった反物をまっさらで平らな雪の上に広げます。
こうすることで、製作途中についたのりや汚れ、原料の苧麻本来の色がとれて真っ白になり、柄があざやかに浮き立ちます。
3月~4月ころ、1週間~10日間ほど行われ、南魚沼の春の風物詩とされてきました。
一度製品化され、人の手に渡った上布が再びこの地に戻ってくることがあります。長年着用してしみついた汚れを、雪晒しできれいにするためです。これを、昔のひとびとは愛情をこめて「越後上布の里帰り」と呼びました。
長年着てしみついた汗ジミや、うっかり付けてしまったしょうゆジミも、雪晒しをすることで不思議なくらいきれいに落ちます。
雪晒しは、絹織物には出来ない、麻織物ならではの天然のお洗濯なのです。」:南魚沼市HP


  
「塩沢つむぎ記念館」で見た「居座機いざりばた」の実演。
腰紐で張った経糸(たていと)に、緯糸(よこいと)をつなぎながらの手織機(ておりばた)。
腰掛けて足踏みで経糸を上下に開口する手織機よりも原始型で、足首につけたヒモを引っ張って開口するのです。作業の形が居座機の名前の所以なんでしょう。

重要無形文化財って、①糸は手紡ぎの苧麻糸のみを使い、②かすりの柄付けを手作業で行い、③居座機(いざりばた)で織り、④湯もみ、足もみをし、⑤雪晒しで晒しをする。というすべて手作業の手間暇だらけの條件満たさないと認定されないものなんですね。

乾燥を嫌う苧麻糸の機織りは湿気のある冬の手間仕事だったそうです。
脇で加湿器が煙を出していました。
物差しのウラに南雲織物と書いてありました。



  
「三国街道塩沢宿 江戸まで五十五里 寺泊まで二十二里」と道標にあります。
ここは「北越雪譜」鈴木牧之のふるさと。
雁木の街並みは「牧之通り」と名付けられ生家が鈴木酒店として残っていました。


   
江戸からの古今雛を飾る「ひな雪見かざり」。
ここ中島屋にある江戸寛政のひな人形。

中島屋は江戸時代からの海鮮問屋。
江戸が天保の飢饉に見舞われた時、佐渡沖で獲れたイカをスルメに加工して三国街道を越えて江戸に運んだと。それが中島屋の祖先の仕事だそうです。
楽天市場の「雪国の台所」見ると魚沼コシから日本海の幸まで新潟の食材・・・「サラダホープ」もあった。

2009年雪祭りの頃訪れた秋篠宮ご夫妻。「これは何ですか?」「タイの菓子器です」「あっ、そう」と殿下。妃殿下はたくさんお話されましたが・・・と女将さんの説明。
感想や意見を述べられないのはお立場上なのでしょう。
たしか昭和天皇の口癖も「あっ、そう」でした。
あちこちの店で雪の雁木に立つご夫妻の写真になごみました。
 


ここに木喰(もくじき)さんもいました。
木喰唯一の明見菩薩なんだそうです。
三国峠を越えて上州(群馬県)へ向かう際の文化2年(1805年)木喰88歳の作。
優れた視力の意で善悪や真理をよく見通す妙見菩薩も木喰さんは明見としたようです。
北斗七星を神格化したもので災いを除き眼病を治すという妙見信仰。拝観者の願いがつながるよう糸が結ばれていました。
抱けば幸運が・・「どうぞ抱いてください。」と言われて抱いたもう1体?はきっと複製でしょうね。


  
途中立ち寄った外山康雄さんの「野の花館」
南魚沼の山野草と古い建物がバランスして絵をひきたてる癒される空間。
ご本人がコーヒーサービス(花の落雁付いてました)してくれました。


盛りだくさんに雪の塩沢を見た公民館の文化事業「からむし講座」ツアー。
去年は、いま日本で唯一からむしを商業栽培してる奥会津の昭和村にバスツアーしたそうです。
苧麻を刈り取り清水に漬け皮を剥いて肉質をこそぎ落として繊維だけにして乾燥したものが原麻。
写真クラブの坂田さん。昔からむし繊維こそぎ落とす苧引きしたことを思い出して「くそこげ」と言った。
薄い金ヘラでただひたすらこそげるなんて、クソつくほど楽しくなかったんでしょう。
このあと、割いた糸をつなぐ苧績みで単糸の手績み糸ができるんだそうです。
想像しただけで気の遠くなる?作業です。
今年で補助も終了とのこと。バスツアーが無くなることに一寸残念です。




鈴木牧之記念館わきの句碑

「そっと置くものに音あり夜の雪」牧之


雪の夜は、どんなにそっとものを置いてもはっきり音がすると言う意味でしょうか。
「静寂の中の音」とでも言うのでしょう。
「雪の夜」でなく「夜の雪」・・なんですね。

その昔、「卒業」で聴いたThe Sound Of Silence (=沈黙の音?)思い出しました。
今でも歌の意味さっぱりわかりませんけど・・・






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