mieのひとりごと。

生きていく。

眠いのに…。

2018年02月15日 00時29分54秒 | Weblog
キッチン、とっても広いんです。
なのに汚くて使えない。
ゴ…のフンとか虫が死んでたり…冬なのに。
それもかなり掃除してキレイになったけど
流しも鍋もフライパンもおたまも食器も包丁も全部漂白したけど
とても使えない。

兄が清潔ならまだいいけど…。

夕食にテンジンヤのしらすのおにぎりと筑前煮を買ってきて
カップのお味噌汁で夕食。
カップのお味噌汁、けっこう美味しかった。
テンジンヤのしらすのおにぎりが好きで二個買った。多すぎた( ̄▽ ̄;)

あーーー
眠れない。
眠い、疲れてるのに。
3時になると新聞配達がくる。
それまでには眠りたい。

ねこのむーちゃんが気掛かり。
私が帰るとそばを離れないし
玄関の方に行くと走ってくる。
行かないで…っていうことなのね
もう少し待ってて
おりこうさんにしててね。
もう一匹飼ってあげたい。
そうすれば寂しくないだろうし。
でも手いっぱい。
娘は仕事で遅いから
かわいそうでならない。

父は何とか落ち着いてもらわなきゃ

落ち着いても何せ超高齢者
なにがおきるかわからないから
いつだって覚悟している
さ、寝よ

今日もひとりで。

2018年02月14日 21時44分36秒 | Weblog
倒れそう…
朝からゴミ屋敷の大清掃。
父が入院してからずっとやってる。
1人で頑張ってる。
一旦自宅に帰って休んで
また始めた。
私の背丈の半分くらいの段ボールを片付けた。箱をつぶすとなぜか怒る父。
今まで片付けたくても出来なかった。
一気に片付けてホームセンターの段ボールなど資源ゴミ置き場に置いてきた。
子供会の資源ゴミ集めまで待っていられない。

なんでこんなに溜め込むのかわからない。
ちょっとすっきりした。
そして、床を拭きまくった。何回拭いても汚い。
ある程度、不要な物は捨てた。
でもまだまだある。
スーツやコート、ワイシャツ、Tシャツ
作業ズボンなど。
しかも汚い。埃まみれ。
何となく父が落ち着くまで
全部棄てることはできない。

今日は銀行に行ったり、無くした保険証の再発行の手続きしたり
カンファレンス、入居に必要な物を買ったりめちゃめちゃ忙しかった。
クタクタで一度寝転んだらもう
はーって感じ。
もう動けない。シャワー浴びてゆっくりする。
着替えをあまり持って来なかったので
ゆったりパジャマを買ってきた。
パジャマって滅多に着ないけど
袖もウエストも裾もゆるりとしていて
とても楽。

今日の父は
昨日の先生の言葉などすっかり忘れていて
そろそろここを追い出してもらうように頼むんだと言った。
そんなもん患者が決められるわけないのに勝手に明日帰るんだと言ってる。

今日は施設の人も来て
顔だけ出してくれたけど
あれは誰だ?と怒ってた。
おそろしくて施設入居なんて言えない。
無事に入居して落ち着いて生活してくれるといいけど…

金銭的な不安もある。
年金はわずか。
あんなに働きづめに働いてきたのに
ここにきてこんなに不安な思いをするなんて…
特養要介護3からなんてきつい。

しばらく様子みるしかない。
要介護度が変わるような状態になれば
特養に申し込んでおく。
まだ当分は要介護1。
気持ちだけはしっかりしている。

安いテレビと台を買った。
三段の衣装ケースに下着や冬物、バジャマを入れるために。
明日はタオル、洗面道具、筆記用具など細かいものを準備する。
少し動きやすいジャージみたいなものを買ってくる。

何だかちょっとかわいそうになってきたけど
ここに戻ったら もっとかわいそうな状態になる。
老人会にも行きたいと思う。でもそれは無理。

施設に慣れてテレビ見たり
演歌聴いたり、しっかりした入居者さんが多く、こじんまりした施設だから
話し相手ができるはず。
自由にリビング、自分の部屋を往復できるから
たまにはデイサービスにでかけたり
マッサージに行ったりして
外にも連れて行ってもらえる。
徐々に認知症が悪化していくと思うし
体も少しずつ弱っていくのかもしれない。
もしかしたら百まで、それ以上生きるかも。
70近くになって親の介護するなんて
ホラーだわ。
こっちが先にくたばりそう。
お金も続かない。体持たない。

どうか穏やかに…今日も仏壇に手を合わせる。
祖父母、母に
あの頑固じーさん、初期の認知症だってよ
なんなんだろうね。
ガン、治っちゃったし。
胃ガンだと言われたのに
症状でない腫瘍だってさ。4㎝もあって
胃の上に乗っかってるのに
なんでもないんだって。
と、話しかけた。

施設なんて入れやがって金がかかって
しょーがない!
早く帰らせろ…
言いかねない。
運転の心配はないけど
また携帯を気にする日々が続く。

少し落ち着いたら旅に出るんだ。
だっていつまた動けなくなるかわからない。
代わりがいないんだもの。
おまけに兄のこともあるから。

遠くに行ってみたい。
でも行けないだろうな。
長崎…いきたい。

気が付けは小平選手、高木選手、銀、銅メダル!!
すごい。
スノボの平野選手も銀。
高梨選手も。
モーグルの原選手も銅!
日本人選手大活躍。

オリンピックを忘れるくらい忙しかったけどちょこちょこ観たり
ダイジェストで観たり
やっぱり頑張ってる若い人たちを見るとうれしい。
すごいなって思う。

明日も忙しいけど
夜は温泉に行こう。そうしよう。
小さな癒し。

廃車手続き。

2018年02月14日 01時24分50秒 | Weblog
眠れないーーー
昨日も四時間寝たか寝ないか…なのに
体は疲れてるのに眠れない。

担当医師が父のところに来て
退院後、お薬だけで調整していきましょう、少し安定してきましたから。
父はとても喜んだ…
家に帰るつもりだから。

先生が私に何か聞きたいことはないですか?とおっしゃったので
父は家に帰るつもりでいます…
と、言った。

先生は
○さん、お家に戻るために
食事とお薬を管理してもらいながら
血糖値が下がるまでお泊まりしないとね
お一人での生活は今は無茶です。
いつ倒れるかわかりませんよ。


わかりました。先生の言う通りにするしかない。

とりあえず、こう言った。
たぶん、明日は忘れてる。

車を廃車にするため、親戚の車屋さんに行った。
事情を話したらすぐに車を取りにきてくれた。
これでもう父は車を運転することはない。
長かった…。
毎日毎日電話が鳴るたび
父が事故を起こしたのでは!?
と、思った。
何度も何度も返納するように言ってもきかなくて、今まできた。
中には
○さんは大丈夫だよ、運転しなくなったら
どこにも行けなくてボケちゃうよ
なんて無責任なことを言う人もいる。
もうとっくの昔に運転は危険な状態でした。
何か起きたら家族の責任ですから。
とにかく人を傷つけないうちに
返納できて車も処分できて
ホッとした。

あとは大人しく施設入居してくれるか
とても不安。
入居しても手に負えません…なんて
呼び出されそうで…。
おそろしい。

どうか私たちを安心させてください。
頼みます。

暗闇。

2018年02月13日 00時27分46秒 | Weblog
父の見舞いに行った。
変わらない様子。
たまっていた洗濯物を持ち帰り
実家で洗濯した。

退院カンファレンスが終わったら
退院~施設入居となる。

先生は毎日、良くなるまでしばらく
施設で食事、薬の管理してもらいながら
治していきましょう…と
毎日話して下さいと言われてるけど
言えない…恐ろしくて…

大丈夫だ、何ともないから家に帰ると言ってきかない。
父の性格はわかってる。
病室で私を詰り、怒鳴るに決まってる。
ケアマネさんと施設の担当の人が来てから
説得に協力してもらう。
任せてください…と言ってくれるけど
ホントに心配。

今日も叔父は「俺は反対だ」って言ってる。
私は実家に戻れません。

兄と父の面倒を看るだけの残りの人生なんて悲しすぎる。
父は先に逝くかもしれないけど
わからない。
百まで…もしかしてそれ以上生きるかもしれない。
私の方が先かもしれない。

兄は先が長い。
私は精一杯やってきた。
両親は何もしなかったから
私が兄の将来が心配で福祉課に相談した。
そこから自立支援が始まった。
心の病。
どうにもなりません。
薬を処方されても変わらない。

もう少し様子をみて
高齢者介護に変えていった方がいいかもしれない。
私が病院の予約を取って連れて行ってたので
今は付き添って もらっているので
助かる。

私にも限界が近づいてきている。
父が無事に入居したら
何かない限り実家には来ない。
来る時はなるべく電車にする。
先日、一旦自宅に戻るとき、高速道路で
トラックに煽られて怖かった。
すぐに車線を変えたけど
走行車線を普通に走っていて
追い抜きたいのなら追い越し車線にいけばいいのに煽る…
おばさんは怖いです。
こんなの。

…でも車がないと用事ができないから
もうしばらく頑張るかな。
でも、あと2、3年。
無理はしたくない。

友人が電話くれて草津か箱根に連れて行ってあげるから
お父さんが落ち着くまで頑張れ!
と言ってくれた。
うれしい。
小さな楽しみができた。
とりあえず、お蕎麦食べにいこう!
とも言ってくれた。
泣ける。

父の性格は直しようがない。
その時その時に応じて対処、対応していくしかない。
その時、ケアマネさん、施設のスタッフ
とか、プロの力を借りる。
親戚、叔父の言うことには聞く耳待たずに。
鬼になる。鬼父には鬼。
自分で決断しないと前に進まない。
眠れないけど少し目を閉じる。
暗闇がこわい。
暗闇はこの辛い人生が永遠に続くような
そんな気がして
何度も何度も寝がえりを打ちながら
そのまま朝になる。
そして、体がきつい。

明日も片付けと掃除して
携帯解約、車の処分の相談して…
いろいろと用事がある。
ファミレスでランチしよ。
夕食はしらすのおにぎりだけだったから
お腹空いてきた。
キッチン、キレイにしたけどまだまだ使えない。
いろんな虫のフンがいっぱい。
少し来ないでいたらもう汚なくなってる。
とてもここで調理できない。
不潔な手であちこち触れて
手垢のあとがついてる。
無理。
寒いけどシャワーだけ。
エアコンつけたまま。
眠れない。

今週もがんばる!

2018年02月12日 11時36分14秒 | Weblog
昨日、一日ゆっくりできた。
今週もまた頑張らないと。。。

父、入院中。
痛いところもなく、退屈な病院のベットで退屈している。
だいぶストレスがたまっているようだと・・。

同じことを何度も繰り返し聞いたり、言ったことをすぐに忘れる。
下の失敗も。

明らかに認知症。
知人の娘さんが入院している病院で看護師をしていて
父の担当の看護師さんが同じ苗字。
その看護師さんが来るたびに
「○○さんの娘さんか?」と聞く。
一日何度も聞いて・・すみません。

知人の娘さんがここで看護師をしている・・ことは忘れない。
近所の人が入院していることも忘れないのに
面会できないことは忘れる。

父が入院前に買ったことを忘れてまたすぐに買ってしまったコロッケが
冷蔵庫に12個ある。
それを捨てようとすると兄がもったいないから食べるという。
さすがにもう捨てる。
信じられない世界にいる二人。

洗濯も掃除もしない。
父は腰が痛むので毎日お風呂に入るけど汚い。
私が行けば掃除するけど
ヘルパーさんを使っての掃除などしないので
すぐにヌルヌル。

父が無事に入居したら
兄の支援で掃除の支援を入れてもらえるか
プランを考えてもらう。

もしかして兄が使うと思って解約していなかった携帯。
もう無理なので解約する。

家の片づけは一年以上かかると思う。
農機具や不要なものは近所や親戚で使ってもらえるものは使ってもらって
不要なものは業者に頼んできれいにしてもらう。

そして離れは解体。兄がこじんまり暮らせるようにする。
農機具、かなりあるのでこれを仕分けるのにも大変。

車も処分するけど印鑑証明とか必要だと思うし。。。
あれもこれも大変。

終活なんて父には関係ない。
何も考えずずっと畑も田んぼもお茶もやっていくつもりでいた。
私はもう何もない。
ホントにない。

服も靴も。
服は衣装ケースに数個。ダウンとほとんど着ないワンピース3着。
コート1着。

娘たちのものは娘たちに渡したし、
困ったものは卒業アルバム、結婚式の写真、アルバム。
捨てたいけどさすがにそれはまずいでしょって娘たちが言うけど
もう開くことはないし・・重いし・・何とかしたい。
もう少し待ってみるけど。
生きてるうちに子供たちが困らないようにしておく。

忙しいけど空いた時間で実家を片付ける。
少しずつ。

小休止。

2018年02月10日 21時16分27秒 | Weblog
父のこと、案じても今は入院中。
安心、安全な場所にいる。

先のめどがついた今、私は自宅に戻って自分を取り戻す。
眠れない日々。
昨夜は5時間眠った。

食事もちゃんと取った。

落ち着いてオリンピックを楽しもう。
日本人選手の応援します!

実家にいると次から次、やることが多すぎて、兄はつきまとって
いつ退院するのか、今の電話は誰からだとか、
書類をもっていれば何の書類だ・・とか
ずっと付きまとう。
清潔な服装、体、手・・ならまだいいけど・・もううんざりする。

一時は洗濯も着替えもお風呂も週2になったのに
今はどうなっているのやら。
これも相談して見直さないといけない。

今は父がおとなしく施設入居できるのか・・。
とても心配。

叔父はずっと反対している。
でも、今まで父の様子なんか見にこない。

今もそんなところに行けば悪くなると、断固反対。
では同居してください!と、言いたい。
家に戻っても生活できないんですよ。
もう・・。
家に戻っても認知症は悪化していくし
家に戻った方が悪化するのが早い。

食事も薬の管理も通院もすべておまかせできるのは
安心だし、そうするしかないんです。

私もいろいろ考えて、こちらで小さなマンションを購入して
介護しながら・・なんて過ったけど
絶対に来ない。
ケアマネさんもそれだけはやめた方がいい、すぐに限界がきますよ、お互いに。
と言ってた。
私も一日中怒鳴られ、怒られ、そんな暮らしは無理だし
父が静岡を離れるなんて。。。
一気に認知症は進むと思う。

自宅介護経験者のいとこにしか相談できない。
いとこは初期の認知症の母(叔母、父と叔父の妹)を嫁ぎ先の近所に
引っ越しをさせ、面倒を看ながら暮らしていて
数年後、義父さんが要介護3になり、叔母も悪くなり
認知症の実母、義父、寝たきりの義母の面倒を看ていた。
義両親は亡くなり、9年間自宅介護した叔母は今は特養。

叔母を車で高速2時間半の遠方へ連れていくのに
父と叔父は大反対した。
住み慣れた家を離れるのは良くない、認知症が悪化するとか
散々言った。
家も誰にも相談しないで取り壊し、信頼できる人に売った。
いとこは一人っ子なので自分で決断するしかなかった。

叔父である父や叔父に相談しても
面倒看られるはずもないくせに反対されるのはわかっていたから
決行した。

今は少しの土地は残して、駐車場として貸している。
それでよかったんだと思う。

今度は私の番。
叔父に大反対されてるけど口だけ出して何もしないんだから
困難に陥るのは私。
二人抱えてどうしろと・・・。

介護中の親戚も一人で何もかもは無理だから
自分が決めたとおりにすればいいよ、助けてくれる人はいないから
ケアマネさん、施設、医師の言ってることが正しい。

ケアマネさんもいろいろだけど
母がお世話になっていた施設の母の担当だった方に聞いたら
あの人は信頼できるから安心して任せていいと思うと言われたので
お世話になることにしました。

実際、ちょっと違うのでは?と思うこともあったけど
今は信頼している。

父がおかしい・・と相談しても
大丈夫・・だとか、運転してしまうことを相談しても
こちらからは何も言えない・・とか言われてしまった。
私は困って、母の担当だった方が近いしお父さんのこともいつでも相談に乗る・・と
言ってくれたのを思い出して
相談してみたら
免許証のことは警察に相談してみればいいと思うと言ってくれて
そうしようと思っていたところだった。

今日一日、休んで落ち着いていろいろとやっていく。
私、ひとりしかいない。




小さな幸せを探しながら生きる。

2018年02月09日 09時50分28秒 | Weblog
隙間・・ほんの少しの隙間みつけて楽しむ。
それがないと生きていられない。

小さくてもいいから一日一度だけでも
楽しい・・幸せ・・と思える時間を作る。

好きなドラマを観る、スポーツを観る、
おいしいものを食べる、孫を抱く、孫の泣き顔、孫の健康、娘たちの健康
自分も無事に一日終わる。。。
コタツで暖まりながらお茶を飲む、友人になかなか会えないけど
会う計画を立てる、電話で話す、温泉で2時間だけ何もかも忘れる・・とか。

やらなきゃいけないことたくさんあり過ぎる。
実際、誰も助けてはくれない。
仕事したいけど今は父のこと、兄の事・・実家をどうするか
田んぼ、畑、茶畑をどうするか・・
頭がいっぱい。

父がこうなったのでちょっと相談した。
近所でお茶をやめた人にも聞いた。
いずれは農業委員会に相談することになる。

いつかは司法書士、弁護士とかお金がかかることになる。
成年後見人のことも。

家、土地・・辺鄙な場所にあるとホントに困る。
特に山奥の茶畑。

完全に父が施設に入ってからさらに不要なものを捨てて
掃除してスッキリしないと
あのごみだらけの家ではやる気が起きない。

重要なものはこだわり強い兄が必要以上に毎日確認するし、
父がおかしい・・と感じ始めたこの一年くらいは特に気を付けるように言っておいた。
大事なものは私が持っている。

昨日は、医師、ソーシャルワーカー、施設の担当者、ケアマネ・・・
10回以上電話があって何がなにやらわからなくなってしまった。

カンファレンスをして入居となる。
施設の担当の方に偏屈で頑固で自宅に帰る気満々で変わり者なので
やりにくいと思います。。と伝えた。
大丈夫ですよ、最初は大変だけど日に日に慣れていきます。
認知症は少しずつ進んでいくと思いますが、できる限りのことはさせていただきます。
・・と、心強い言葉。

・・実際どうなのか、一見普通、毎日畑に行って老人会にも行って
あちこち動いていた91歳がおとなしくできるだろうか、
体は調子悪いながらも自由に暮らしていて
ある日いつもの通院でそのまま入院、そして施設なんて・・・
暴れそう・・抜け出しそう・・。

ソーシャルワーカーは
一旦家に帰さないでそのまま入居のほうがいいと思います。
家に戻ってから説得するのは難しいし
戻っても数日でももう一人での生活は無理です。
と言ってました。

それは私も当然そう思います。
一般の「普通」が普通にできていないのだから。
母が施設入居してから
父と兄を離れさせないといつか何かが起きる・・とずっと思ってきました。
短気な父、拘りが強く、普通のことができない兄。
私も一緒にいるとイライラ。
何度か父が兄に暴力を受けて呼び出されたことがあった。

兄は痣をつくって、額にこぶ、口元を切ってしまったことも。
それがなくなる・・それだけでも安心。

父が入居者の方とうまくやって、スタッフさんを困らせないで
その生活に慣れることをひたすら祈る。
長生き・・・もう十分長生きなのであまり長引かずあの世に。。。と願う。
食生活も薬の管理もしっかりしてもらえるので
さらに長生きしそうだけど・・・
仏壇の花を替え、「どうか早めに・・」と手を合わせる。

普通の親子関係ならば
長生きしてね、お金があれば生きてるだけでもいいから
長生きしてね・・・って気持ちになるはず。
ちょっと違う。

この世に私がいるのも娘たち、孫に会えたの両親、先祖がいるからこそ。
それには感謝して
鬼父でもいまできることをやる。
そうする。

涙出る夜はそのまま泣くことにする。

また眠れなかった。

2018年02月07日 08時00分10秒 | Weblog
昨日の今頃は掃除していた。
寒いけど起きて不要なものをゴミ袋に入れて
領収証も請求書も破いて捨てた。
平成に入ってからのものが大量にあった。
これは私が少しずつ捨ててきたけど
見つかると捨てるなと怒るから
最近はわからないように
持ち帰っては捨ててきた。
空き瓶、空き缶は一切捨てたことがない。
毎回私が持ち帰っては捨てた。
ちょうど不燃物の収集日に帰った時は
朝早く、わからないように捨てた。
なんでゴミを捨てるのに
父のご機嫌伺いをしなきゃいけないのか
モヤモヤしてた。
でも私がやらないとたまっていくだけ。

父の部屋には壊れたラジオが5個、
昔のラジカセ1台、マッサージ機2つ
すべて使えない。
ガムテープで修繕してある。
こんなものも捨てたら激怒。

今回は捨てます。
たとえ自宅で支援サービス使いながら
生活できたとしても
お前が何でも捨てると言われようが
相手はもうボケじーさん。
頭にくるけど無視。
医師はすぐに認知症だとわかった
認知症お墨付きだし。

ホントに叔父はじめ、親戚は
早く退院しないとおかしくなってくる
とか、言う。
もうおかしいんです。
一見、普通…いえ、普通の91歳の老人よりしっかりしてるように見える。

でもね、実際トイレのあと見てくださいな
オシッコの海です。
壁の茶色いものは…
便座、座れたもんじゃない。

すぐに忘れる。
免許証の再発行、二回
保険証も二回
今はまた無くして不携帯で運転してたのだから。
今回の入院がなくても警察に相談して
返納の説得に協力してもらうつもりでした(できないかも…だけど)
とにかく、もう無理だから
怒ろうがなんだろうが止めさせようと
決めてました。

何も起きないうちに返納できてよかった。
涙がでた。
本人はもう運転はできないと言っても
忘れてるけど
何度も何度も伝える。

施設のことなんか、すっかり忘れていて
毎日、痛くもかゆくもない
明日、退院するとか周りを困らせる。
腰の痛みはひどいのでそれはつらそう。

ベッドにセンサーが付いていて
動くと看護師さんが飛んでくる。
看護師さんも大変だ。
勝手に脱走、徘徊防止らしい。
すぐに忘れるから
これは助かります。
近所の人が入院していて暇だから見舞いに行くと言ってきかない。
あんたも病人なんだから見舞われる立場なんだから
もう呆れる。

その人の病棟は家族以外、入れないんだと毎回言ってるのに
今日も○ちゃんの見舞いに行けなかったと言う
すぐ忘れるのに○ちゃんが入院してるのは忘れない。不思議。

昨日はちょっと離れてるけど同じ地域の夫婦が来てくれていた。
退屈してるからありがたい。
小さい声でもまだ聞こえるから会話はできる。
こんなことも少しずつできなくなってくるんだろうな。

先のことも考えて次に進まないといけない。

昨日は2時まで眠れなかったのを覚えてる。
四時半、寒くて目が覚めた。
冷え冷えの階下のトイレに行った。

ねこのむーちゃんが気掛かりでならない。
一旦、戻ったときは私のそばを離れようとしない。
走って迎えにきた。
抱き締めて泣いた。
守ってあげられるのは私と娘だけだから。今まで一緒にいたのに
ずっと実家にきてしまって
不安だと思う。

早く落ち着いてほしい。
老人は1人で生きていけないんだから
生きたいのなら周りの言う通りにしないと。
私は父のようにならない。絶対。
両親共に認知症だから
絶対…はないかな

ああオソロシヤロウゴ。
今日も片付け。見舞い。
朝刊、昨日の夕刊を持って
着替えも少し多目に。
いいお天気。
寒い中咲いてる紅梅、癒される。

そしてクタクタ。

2018年02月07日 00時55分41秒 | Weblog
もうこりゃ実験だ。
60手前の女ひとり、高速運転で片道
三時間弱、
汚実家片付け、掃除しながら
午後見舞いに行くと「遅い!何をしてるんだ」…と怒る父の相手。
どこまでやれるのか。
兄は日常が少しでも変わると
落ち着かないし、起こりっぽくなるから
こちらも掃除しにくい。
ずっとついてきては、ここはやらなくてもいい、レシートの山も捨てるなと言うし、お金はどうするのかとか、大掃除しながらしつこい兄の相手をしている。
今日、私の部屋に鍵をつけた。
すごく怒ったけど汚い靴下、汚い手で荷物を漁るのはがまんできない。
でも、ネジをドライバーで外して入ってしまうかもしれない。力はあるから。

出掛ける時は押し入れに荷物を突っ込んで鍵をかける
なるべく車に入れておくことにする。

なんでこんなことしなきゃならないんだろうか、情けない。
兄の手が汚くて窓や冷蔵庫の取っ手、
玄関の扉の取っ手、二階に上るのに触るクロスが手垢で汚い。それをキレイにした。相変わらず、ゴミの処分もした。今日は45リットルの袋、三つ。
外に出しておけないので玄関に置いてある。
ヘルパーさんが台所と玄関が見違えるほどキレイになったと驚いてた。
1人、わかってくれる人がいた…

ホントにホントに汚くて二階にまで臭いがする。
消臭ストロングでも敵わない。

兄は一度は着替えをするようになったのに
またほとんどしなくなった。
また担当に相談する。

あっちもこっちもおかしくなりそう。
階下で何してるのか…
ガタガタ音がする。
ホントに困る。

ホントはグループホーム入居も考えてる。
でも、兄は先が長い。
とてもお金がかかるのでできる限り
ここにいるようにする。

父のほうもかなりお金がかかる。
二人は無理。

私も今まで実家のために相当使った。
今もだけど。
自分の老後、生活もあるので
実家をこじんまりさせたら
必要最低限の支援しかしない。
高速代、ガソリン代、電車代
食品、雑貨、灯油代、消耗品
全部私が買ってきた。
もうしない。
兄ひとりならそんなに必要ない。

まだまだ不要な汚いものがいっぱい。
なくした免許証や保険証も出てきた。
埃まみれで。
広報など数年分まとめた。
段ボールも潰して処分。
それでもまだ五個はある。
なんで段ボールをためる!?
どうしたいのか不明。
父がいたらすごい勢いでおこるだろう。
組み立てたままの箱が20はあった。
それを全部つぶしたのだから。
虫やホコリで汚いので庭にポンポン出して外で作業した。
玄関の下駄箱の上は虫のフンがついた
まねき猫や木彫りの熊、中国の人形、ホコリまみれの造花…などなど。
ぜんぶ捨てたい。
せめて箱に入れたい。
とりあえず拭いて整理した。
まだまだまだまだ片付かない。
明日も見舞いに行くまでやる。
疲れた…眠れない。

今日もたいへん。

2018年02月06日 01時32分51秒 | Weblog
朝早くからずっと掃除、片付け。
あー、病院行かなきゃ、あれもこれもやらなきゃ…果てしない。
父はしばらくここには戻れない…はず。
でももしかしたらサービス受けながら
ここで暮らすかも!?
施設に入って、帰ると言って暴れて
受け入れてもらえず
施設の手に負えず
追い出されるかも???

なんて、考えると何もかも捨てるわけにはいかない。
何しろ、一見普通の初期の認知症だから
サービス受けながらやるしかない
と、言われるかもしれない。

今日もゴミ袋三つ。
今まで
父の部屋に入ると怒るので
留守のとき、空いてるところをざっと掃除機かける程度だった。
今日は未踏の汚部屋に潜入。
窓を全開!掃除専用のズボン、前掛け、マスク、手拭いかぶってまずははたきかけ。すごい埃。
外に向けてかけた。タンスの上はぬいぐるみができそうなくらいの量の固まった埃。
こんなの見たことない。
兄の部屋なんてどうなってるのか恐ろしい。
タンスの間もはたきをかけ、障子のさん、サッシの溝、押し入れの中もはたきかけ、拭いた。
畳のお姿、久しぶりに見た。掃除機をかけて拭いた。ゴミが…すごい。
ティッシュペーパーじゃなくて
昔ながらのちり紙が散乱。
かりんとうのかけら、あめ玉の袋
落花生の殻などなど。
数年前にリフォームしたキレイな和室が
再び現れた。
押し入れもキレイに拭いた。
布団もわりといい物を使ってる。
カバー外して洗った。
冬用のシーツもふわふわでいい匂いになった。
タンスの表面も拭いた。窓も。サッシの溝も。
父の部屋はとてもキレイになった。

母の衣類がわずかに残してある。
よく使ってたエプロン…悲しくなったけど捨てた。
認知症が重度の時に使ってた
毛糸のケープ。
これをつけて寒い夜、真夜中にウロウロ
生米を食べたり、きのこを生で食べたりしてた。
一時も目を離せない状態。
父と交代で横になっても
大騒ぎして朝まで眠れなかった。

そして今度は父。
男の認知症、しかも頑固で偏窟が重度になるとどうなるのか…。
今は、一見、普通。
病院、施設にいたら悪くなると言われるけど家に帰って誰がみると言うの?
下の世話、徘徊見守り…
私はもう四人目だよ、もう無理です。

家にいても施設にいても良くなることはない。
私だって幸せになりたい。

今日、同級生の親戚の人が車があったから寄ってみたと、来てくれた。
彼女、お母さんが私のいとこにあたる。
認知症でお父さんと彼女で自宅介護中。
デイサービスは週3。たまにショートも利用。
徘徊なし。異食なし。暴言、暴力なし。
オムツ使用。
下の世話は一番大変だけど夜は寝てくれるし、デイ、ショートを使いながら
二人でやってるから何とかなってる。
私のことはわからない。

彼女は
「もう少し、もう少し だから」と言って
帰っていった。

叔父の家に寄ったら
娘たちの家族で食事中。
私に「大変だね、おじさん、しっかりしてるよ、家に帰れるよ」
あーた!では帰ってきたら面倒みてくれる?
と、心の叫び!

まあ、簡単に思ってる。
話題は楽しかった家族でドライブの話に変わった。
関係ないから仕方ないんだけど。

私はじーさんのことで頭がいっぱい。
掃除で体がクタクタ。

遠方でお母さんを9年間自宅介護して
ようやく特養に入居したいとこは
しょっちゅう連絡してくれる。
やっぱり経験者でないとわからないと
実感。

今日もじーさん、
帰りたいと看護師さんを困らせた。
まだ数値が安定してなくて
お薬で調整中だからもう少し頑張ってと
言われてた。
苦しいところもないし、退屈らしい。
テレビのカードは点いてるのに忘れて
眠ってしまうからすぐになくなる。

腰が痛くて寝返りも大変。
湿布貼ってきたけど気休め。
温湿布の方がいいのかもしれない。

今日も何も進まない。
受け入れ先に落ち着いて
私は安心して暮らしたい。
どんどん悪くなり
その都度対応していかなければならないけど
とりあえずは安心、安全な場所で暮らしてほしい。

近所の父のいとこの子供…私にしてみればもはや他人なんだけど
このご夫婦が何でもできることは手伝うからと言ってくれる。
私の車があると心配して寄ってくれる。
1人で抱えるな、とか言ってくれる。
実際は私が1人でやるしかないけど
言葉に救われる。
じーさんのお見舞いにもすでに何度も行ってくれてる。

お茶畑のことも相談にのるから心配するなと言ってくれてるので助かる。
ホントにこれからが大変。

仏壇を掃除して
今日も祖父母、母に早くお迎えお願いします。と手を合わせた。