mieのひとりごと。

生きていく。

父、97歳 人生の幕を閉じました

2023年07月16日 08時15分07秒 | Weblog
放置ブログ更新します。

2023年(令和5年) 7月8日
午前6時45分
父が亡くなりました

最期を見届けることはできませんでしたが
状況を聞いて
すぐに病院にかけつけました。
キーパーソンは私なので
この数ヶ月
何度高速運転して往復したことか。

亡くなる数日前にも面会は10分
だけどそばにいました。
その5日くらい前に転院したばかり。
転院前も、既に点滴のみで命を繋いでいました。
転院後、酸素マスクをつけ
顎を上げ、呼吸が苦しそうで
覚悟はしていました。
高速で向かう途中
ずっと泣いていました。

悲しみに暮れる中、
何からやっていいのか…
葬儀屋さんに連絡して
すぐに移動、葬儀会場に安置
打ち合わせ。
1人でバタバタと。

そして無事に通夜、告別式を済ませ
自宅に戻りました。
四十九日の法要、
諸手続きなどなど
やること山積み。
相続手続きが特に大変。
ひとつひとつやっていきます。

10年以上、夫、母、兄、父の事で奔走してきた。
スマホを常に気にして
肌身はなさずの日々。
そこから解放され、安堵の気持ちは大きいです。

自分の体のことを考えられる時間がやっと出来た。
胃潰瘍、胆石など…持病が増えてしまい、
胆石はたくさんあり、痛み止めで何とか凌いできたけど
来月のMRI結果次第で手術…になりそう。
今はなるべく1人で出掛けない
出先で痛みが出たら迷わず救急車を!
と言われました
胃壁からの出血は今のところ治まっている。

歌手のKANさんが罹患したメッケル憩室がん
私はメッケル憩室炎です
KANさんとほぼ同じ症状

お腹にいろいろ抱えてます
にゃんこもリンパ腫になってしまって
治療中。

つらいことたくさんあるけど
手続きなどまだまだ時間がかかるけど
目処がついたら那須に行こうと思います。

終の棲家は現在の場所だけど
行くべき場所は行っておこうと思う。
動けるうちに…。

あまり終活って言葉は好きじゃないけど
子供たちが困らないよう
負担をかけないようにしたい。

洋服はなるべく買わない。
食器、装飾品など増やさない。
書類は分かりやすくしておく。
とにかく物を増やさない。
不要な物は処分する。
身辺スッキリしておかないと。

実家は家具、洋服、布団、食器
私が1人でできるだけ処分してきたけど
私ができない農機具とか
まだまだあります。
これは業者に依頼するしかない。
家は空き家になり、
近い将来、解体予定。
固定資産税が……。

ホントにひとつひとつ。
体と相談しながら。

実家近くは空き家が増えました。
お墓も雑草まみれのところも。
実家のお墓問題も…
田んぼも茶畑も…ためいき出ます
休んでる暇ない!
誰もやってくれない!
来週から動きます!

95歳、父入院

2021年11月21日 02時42分42秒 | Weblog
施設に入所していた父が入院。
心不全。

私もガン検診の結果がきて
精密検査をしなければならない。
かなりショック。へこんでいる、落ち込んでいる。

おととい、救急搬送されて
高速飛ばして静岡へ。
そろそろ高速運転も限界かも。

病院に着いても本人には会えません。
遠くからほんの1分くらい窓越しに
会わせてもらいました。
会わせてもらった…と言うか、見ただけ。

入院の書類を受け取り説明を受け
昨日手続き。
主治医の説明を聞く。
高齢で手術に耐えられないので
薬で治療していく。
胸水がたまっていて息苦しい。
点滴、酸素マスクを外してしまう。
オムツ着けていても
トイレに行くと騒ぐらしい。
入院前まではトイレにも行けたし
食事も取れていたから
動けないのはつらいと思う。
少しずつ回復すると思うが
施設に戻れる確率は半分以下。
どこまで回復できるのかは不明。
何せ高齢なので体力、気力、
回復力が何処までかがわからない。

認知症はあるけど
自宅に戻ることはできないけど
先月、電話で確認した時は元気でした。
ここ数日、寝る時に息が苦しいと
話すことがあったので
担当の介護士は気にかけてくれていました。
救急車には自分で歩いて乗ったくらい。

私は一旦、自宅に戻ったけど
私も病院に行かなければならないし
父の退院後の施設も探さなければならない。
大変な日々になる。

実家の田んぼは貸すことになり、今年手続きをした。
茶畑も貸している。

1人で片付けをしてきたけど
農機具などまだまだ残っている。
タンスを壊したり、布団、ガラクタを処分するのに
すごくすごく大変でした。
誰も手伝ってくれないんだなぁ
何もかも1人でやるしかないんだと実感。
兄弟、姉妹がいて分担できたら…と泣きながら
片付け、解体、運搬してきた。
木材、廃材まだまだある。
茶畑の小屋にもいろいろ入っている。

もう無理なので業者を頼もうかと思う。
還暦過ぎて人生またきた試練、困難。
つらいです。
お墓の問題もあるし。

話を聞いてくれてた叔父も認知症。
私も認知症になるのか…。
なるべく手先を使ったり頭を使ったり
持病もあるし、適度な運動、食事も
気をつけていきたい。

もう特に食べたいものもなくなって
外食しても家でゆっくり食べたいと思ったり。
旅行もそんなに行きたいと思わなくなってきたり
自分の中でいろいろ変わってきました。
娘たちにディズニーランドに誘われたけど
まったく興味なくなっちゃって…。

今はパン作りとスイーツ作り、
孫に癒されてます。
お迎え頼まれたり、預かったり
それだけでクタクタ。
まだまだ踏ん張らねば!!

捨て活、少しずつ終活。
かなり捨てて服も
必要最低限。

児童のお迎えボランティア、したいなぁと思っていたけど
高齢父を抱えてるとそれもできない。
今回もすぐ来てほしい!ってなっちゃったし。

良い方向に向いていきますよう


久しぶりに更新します。

2020年11月16日 19時29分53秒 | Weblog
久しぶりに放置ブログを更新します。
いろいろありすぎてもう混乱してます。

今年はコロナで大変なご時世となり
施設にいる父にも会えず…。
それでも10月にケアマネに会う用事があって外で5メートルくらい離れて
話をしました。

2階の窓を開けてもらって遠くで手を振って元気か聞いただけ。
でも会えて良かった。

私も今年3月に終のすみかに引っ越しました。
これもいろいろあってこの年でローンを抱えています。

10月に叔母が亡くなった。
実家でお世話になってる親戚の奥さんが闘病中。
他にも自分自身にもいろいろあって
書ききれません。

いいことは…ほぼありません。
持病もあまりいい数値じゃないし。

引っ越して家が少し広くなったこと。
先日、一泊で箱根にいったこと。
家族が元気なこと。
父も元気。要介護1。

もうしばらく頑張ります。

気分転換。

2019年03月28日 08時38分44秒 | Weblog
平穏な日々を過ごしています。
実家での片付け、田んぼ、茶畑、駐車場を返す、
田んぼの草刈り、などの問題は残っているけど
わけのわからない保険は無事に解約。

父は何とかおとなしく施設にいる。
おとなしく…はないかな。
行けば明日帰る、こんなところにいられない…
お前はバカだ…と繰り返すし。

いつも頭を過るのは父を連れてくる…
自宅介護…
でも…絶対に地元を離れない。
そもそもあの父と暮らすのは無理。
私はもう限界がきている。
要介護1だけど面会にいくとやっていけるのでは
…と思ってしまうけど
相談員に相談してみたけど今のままでいいと思います。
十分にやっていますと言われました。

父のことだけじゃなく、父の残してしまっている
いずれ負の遺産となること(物)を
ひとつずつ片付けている。
全て片付かないけど娘たちの負担を少しでも
減らす努力をしている。
これがかなりの労力が必要。
今もとても疲れているし
今はこのままやっていくしかない。

自分の通院で薬を変えて下痢は治まり
血糖値はかなり下がった。
ちょっと調べたら
それだけすい臓に負担がかかっているらしい。
薬も高額なものしかなくて
落ち着いたらまた考えていくらしいけど
もう毎日下痢はつらい。

運動と食事。
心がけていくしかない。
今死ぬわけにいかない。

父も落ち着いてるし
先日、お墓の掃除したし
位牌も自宅に持ってきて夫と同じ仏壇に置いた。
悲しいけど自分の元に位牌を置いたら
なんとなく安心した。
お彼岸に行けなかったけど
仏壇にお花とお菓子をあげた。
お水だけ毎日。
ご飯はたまに。
私の部屋にみんないる。

少し落ち着いたので先日、遠い場所で
ライブを楽しんできた。
ホントに楽しかった。ボーカルさんは上手いし
ギターもピアノも上手。
アコースティックギタリストさんのギター
最高だった。
3時間ちょっと。
何もかも忘れる貴重な時間を過ごせた。
こんな時間があと何回あるのかな。
数日で還暦を向かえる。

40歳…まだまだいける!
50歳…いろいろあるけどまだ大丈夫!
60歳…いろいろありすぎ。体もきつい。

正直、つらい。普通の日がとても大事。
美味しいもの食べても美味しくないと感じたりする。
どこかへ出掛けても一切写真を撮らない。
アクセサリーとか家に飾るもの、置物一切買わない。
置くところないし。
もう断捨離、今日も断捨離。
洋服は1シーズンに1枚くらいは欲しいかも。
気分が変わるし。
1枚買ったら1枚処分する。
捨て過ぎてすっからかんになってしまったから
少しあってもいいかな。

つらいことばかり、泣いてばかりじゃつまらないし。
桜も咲いてきたし近場の桜を見てこよう。

あれから2ヶ月。

2019年03月04日 12時04分59秒 | Weblog
もう3月。あの日から2ヶ月経とうとしている。
いろいろありすぎて何をやっているのか
何をしていいのかわからなくなる。

自宅に戻ると少し落ち着くけどあれもやらないとこれもやっておかないと…
頭のなかをグルグルと…

バタバタの中、わけのわからない保険に加入させられてしまった。
間違い。大失敗。
お金、ないのに(´Д`|||)
これは解約。少し損することになるけど…。
一人で決めるのは絶対にダメ。

父の介護費用がこの先どれだけかかるかわからない。
父が貯めたお金を父のためにうまく運用する。
あと数年は大丈夫…のはず。
私は実家通いにかかる交通費がバカにならない。
兄がいないので兄のものを買っていく事はなくなったけど
高速代、ガソリン代は私持ち。
実家の片付けでかかるお金は父に出してもらおうかと思う。
今まで私が負担してきたけどもう限界。
かかった費用は領収書、レシートを残しておく。

父に話して一筆書いてもらう。
忘れてしまうことが多いけど普通に話せるし字も書ける。
お前はバカだ!とわけもなく罵倒されるけど
これがなくなったら心配。
憎らしいけど最近は一呼吸して冷静になれるようになった。
一緒に暮らしているわけじゃないから。
これが朝から晩までだとこちらがまいってしまう。

また通院日が近づいてきた。
体調は良くないけどもう少し頑張らないと。
前回は数値によっては入院…なんて言われたのでちょっと心配。
高い日もあれば落ち着いてる日もある…。
すごく疲れやすい。
実家の片付けをしているとハアハアと息があがることもある。

甘いもの禁物。
少し食べるけど。1ヶ月で3㎏痩せた。
首のたるみ、瞼の垂れ具合…悲しい。
でも元気!
炭水化物を減らすとホントに痩せる。
運動もしていないのに。

先日、ライブハウスに行った。
若いボーカリストとバンドの皆さんに癒してもらいました。
素敵な歌と演奏。やっぱりライブはいいです。
気分転換してリフレッシュできました。
また行きたいと思います♪



四十九日、無事に済みました。

2019年02月22日 11時05分12秒 | Weblog
もう2月22日。
早い。

2月12日、四十九日の法要を済ませた。
納骨してホッとした。

お寺さんの都合で9時40分からになってしまった。
頼んでおいたお花とお供物は前日にお寺に持っていった。
遺骨はお寺に預けておいたので
塗り位牌だけを持っていった。
お寺で読経してもらった。

塔婆、遺骨、ろうそく、線香、ライター、念のためマッチを持って
お墓へみんなで向かった。
墓石には兄の戒名と名前、享年齢を彫ってもらっておいた。
お花は早朝、私がたくさん供えておいた。
近所の親戚も持って来てくれたのですごい量。
納骨は石屋さんにはお願いせず
叔父たちに開けてもらって私が入れた。
祖父母、母、兄…の骨壺…涙が出ました。
お経を読んでもらってお線香あげて今回は近しい身内だけ来てもらったので
お返しをしてここで解散。

支払いや用事を済ませて次の日から4日間、寒かったけど夜中まで実家の片付け。
一人で。
これが不要なものが多すぎて汚くて
冬なのに虫と虫のフン、埃、汚れとのたたかい。
100均でお掃除シートを大量に買い込んだ。
掃除機なんか直接使えない。
使っても固まった埃、汚れで吸い込めない。
いきなり雑巾も使えない。
不要なリサイクルにも出せない雑巾(タオル)を何枚使ったことか。
頑丈な昔のタンスの中には亡くなった人の家族からもらったスーツやコート
ポロシャツ、ワイシャツ、ズボン、未使用の下着など大量にあった。
前回もかなり処分したのにまだまだある。
キレイで未使用で袋に入ったいいものは叔父が持っていったけど
潔癖症の叔母に要らない、気持ち悪いと怒られたらしい。

座布団、40枚処分。布団は5組。
処分した布団を今まで私たちは使っていたんだけど
いつも痒くなり、娘は大きめの発疹ができてしまっていたので
新しいものを2組買った。
毛布も全部捨てた。洗っても痒くなるので。
これはいつも泊まっていた2階の部屋の話。
夏、すごく大きいクモとあの虫もでた。
一人でいるとカサカサ…と音が聞こえたみたいでとても眠れない。

押し入れを掃除して除菌シートで拭いた。
こんなものじゃダメなので次はバルサンたくつもり。

両親の寝室…(´Д`|||)タンスの中はあの虫が…。押し入れにもいた。
冬なのに。台所じゃないのに…。

昔から恐ろしくて開けられなかった一番奥の物置と化した暗い部屋にも着手。
その奥の薄暗い湿っぽい物入れ…押し入れくらいの大きさ。ーーとうとう開けた。
恐ろしい光景が広がっていた。

むかしのお皿、魔法瓶、鍋、炊飯器、水筒などなど。
何個あっただろうか…。すごい量。
全て汚くて古くて使えません。レトロ雑貨…そんなもんじゃないです。
触りたくない息もしたくない状況。
床はフローリングが剥がれ、何故か泥が乾いたような有り様。
そこに食器棚、ミニタンス。本棚。
本は虫に食べられたり、ねずみがかじったりフン、尿まみれ。
大事な本もあったと思うけど無理。読めないくらい汚くて
叔父に見てもらってほとんど捨てました。
フローリングは木目が見えないくらい埃がたまって
それが湿気で泥みたいになってしまって
何度水拭きしても取れなくて
もう削る感じ。
4畳半の床を夜中2時まで約4時間かけて汗だくで掃除した。
食器棚と小さいタンス、カラーボックスの大きいもの。ー中のものは出したけど
まだ置いたまま。次はそれを解体。
移動する。こわい…。
でも暖かくなる前にやらないと恐ろしい。

叔父は昔の教科書数冊洗ってみるといって持っていったけど
あんなもの汚いだけなのに…。叔母には言わないでおくらしい。
お皿も30枚くらい持っていったけど…。
汚実家片付けブログを見たけど皆さん、兄弟と片付けていたり
業者に全て任せたり…。羨ましい。しかも近いので週2でやったりしていて
けっこう捗る。
離れもあるので2年くらいかかりそう。
少しでも進めておかないといけない。

before&after…写真撮っておけばよかった。

まだ用事はある。
ひとつ相続手続きが終わっていないので片付けと手続きと面会に行く。

父の面会にも行ってきた。
やはり兄のことは…言えない。
四十九日の法要前に近所の○○さんが亡くなったと言ったらすごく驚いていて
帰りに面会したときに○○さんの通夜に行ってきたよって話したら
いつ!なんで亡くなったんだとすっかり忘れていた。
もしかしたら兄のことを話したら忘れてしまうのかもしれない。
でももしかしたらショックを受けるかもしれない。
あんなにひどいことをしてきた父だけどショックを受けて認知症が悪化するかもあしれないし
もう少し様子をみるつもり。
寒いと言うので厚手のちゃんちゃんこみたいな暖かい上着を買って
着せた。
今回は明日帰る、迎えに来い!と言わなかった。
お城と神社の写真集を置いてきた。
本屋で持っていく本を探してもなかなか見つからない。
運動…リハビリするのが精一杯だし
健康食の本…もう作らないし
旅行の本…もう行けないのに酷だし
きれいな風景の写真集くらいしかない。
次は外国の風景の写真集でも持っていくつもり。
うんちくと平成の出来事の本も置いてきた。
あまり運びたくないので前のものは引き上げる。

兄のことを忘れる日はないし悲しくてかわいそうでどうしようもない。
でも自分の体が楽になったのは確実。
父が気になってスマホをいつも気にしているのは変わらないけど
少し気持ちが楽になってる。
まだ大変だけど頑張るしかない。

横浜の某梅園に行ってみたらピンクと白の梅が満開。
癒されました。
一人でカフェに寄ってお茶して
少しだけど癒しの時間を楽しむようになれた気がします。




父、トイレで転倒。

2019年02月10日 06時48分27秒 | Weblog
一昨日施設から電話があって
父が明け方、トイレに行った時に転んで前頭を切ってしまったらしい。
手をついたときに手首を痛めて腰も打った。
出血したけど大事には至らなかったです。
医師が診たところ入院の必要もないそうで
いつも通りにしているけど
ご報告だけしました…と言われました。

法事もあるし、どうしようと思ったけど一安心。
でもいつ何が起きてもおかしくない年齢。
いつも通りスマホはいつでも気にしている。

思えば3人抱え、一度に3人に関しての電話があったことも…。
対応しきれなくて泣いた日もあった。
その時は両親を優先した。
兄は体に関わること以外は後回しにできたから。

今は一人。父の施設から連絡だけ気にする。
がらんとした実家。
ここで母の認知症と闘った日々を思い出す。
壮絶だった。
声を出して泣き叫んだこともあったし
そんな状況で父が暴言吐き、兄がつきまとい何だかんだとうるさい。
警察呼べとか…認知症の行動で警察なんか呼べないし
どうしようもなかった。
夜中、布団に入れてもすぐに起きて
炊飯器を開けて生米食べたり、ガスの火をつけようとしたり
廊下で失禁したり…
オシッコはまだまし。うんちしちゃうしそれを手づかみ…
地獄だった。

今はシーンと静まり返っている。
バカヤローと大声で罵倒する父の声もつきまとう兄もいない。
ただひたすら片付ける。
今できること精一杯やるしかない。

疲れた…風邪ひかないでインフルエンザにもかからないで
何とか納骨まで終わらせたい。

横になると天井回ってるしあまり良くない体調。
早く暖かくなってほしい。


四十九日前に。

2019年02月04日 10時21分57秒 | Weblog
2月に入りまた少しずつ落ち着いてきたけど
買い物に行けば兄に何か買って…あ、いないんだ…
死んじゃったんだ…店で涙が出てしまうこともある…。
実家に行ってきた。相続と掃除、片付け。

家を整理していたら母と兄の写真が出てきた。
兄は3歳くらい。母は若くてきれい。
この二人がこの後、悲惨な人生を送ったかと思うと
ずっと涙が止まらなかった。

写真は見始めるとすぐに時間が経ってしまうので泣きながら缶の蓋を閉めた。
そこから3日間、夜中まで片付け。断捨離。
45リットルのゴミ袋60個は捨てて
大量のザル、洋服、プラスチック容器、陶器、グラス、鍋、フライパン、
タオル…古い雑誌、新聞紙、
フライパン、使えなくなったもの15ありました。何十年も壊れても捨てないでしまっておいて
鍋もたくさん。未使用のもあったけど虫のフン、尿がついてるし
とてもリサイクルには出せないし、触るのもいやだ。
お菓子の箱もつぶさないままとってあって100個以上。
埃、虫まみれ。とにかく庭へポンポン出していたら近所の親戚夫婦が通りかかって
潰してくれた。この日もつぶしてない段ボールが数個。
雑誌大量。ぜんぶ汚いので手袋、マスクしてまとめた。
問題はタンス。夜中までかけて洋服を出した。
未使用できれいなものは一度洗濯して袋に入ったものは拭いて
母のお世話になっていたホームに持っていった。
キレイにしたので全部引き取ってくれた。
父、母の年齢だと亡くなる人が多く、
洋服をもらってしまう。
いらないのに断れなくてもらってきてはしまっておく…の繰り返し。

おまけに独り暮らしで亡くなった知人のタンス、食器棚までもらっちゃって
結局私が始末することに…。
昔のタンスとか家具は頑丈にできていて重くて
処分するのにホントに困る。
とりあえず空にしたけど…。どうしよう。

小さいカラーボックスとか衣装ケース、外のガラクタは一度軽トラで
親戚が運んでくれたのでホントにホントに助かった。
鍵もつけてもらったので安心。
家の中はゴミだらけで金目のものはなにもない。
近所が密集しているので不審者がいれば誰かが気がつく。
いいようなそうでもないような…でも今となれば
密集地域でよかった。

とても疲れていてつらい。天井回ってる。
6時にお弁当作ってゴミだしして
ネコのトイレ掃除、ネコのお皿洗ってご飯あげたら
掃除したばかりなのにう○ちした┐(´д`)┌

パン食べて少し休む。
フラフラするのは血糖値のせいかも。
薬変えてから下痢は止まったけど血糖値が高い。
膵臓に負担がかかる糖尿病の薬。
なるべく優しい薬にしたいんだけど
一番安全な薬を服用すると毎日ひどい下痢。

薬変えたらフラフラ。数値が高い。
一ヶ月後、変わらなかったらまた考えていくんだけど
こうなるとあと何年生きられるのか
動けるうちにできる限りのことをやらなければ。と思う。
父が残してしまったもの、茶畑の防霜ファン。電気代がかかってしまう。
一ヶ所は電気を止めた。
あと2ヵ所。どうしたらいいのやら。伸びきったお茶の木に防霜ファンをつけて
おくわけにいかない。

ぼちぼちとか、少しずつなんて言っていられない。
自分の体が動かなくなるかもしれないし。
農機具も中古で引き取ってくれるところ、
処分してくれる業者も探す。

地元の同級生にも相談してみよう。
同級生のお父さんが一年前はわんこのお散歩でよく見かけたのに
この半年で寝たきりに。
ガンが転移して数ヶ月の命だとか。
でも高齢なのでガンの進行はかなり遅く
本人はいたいところもないし苦しくもないらしい。
ただ動けないので家には戻れない。
寝たまま、毎日天井しか見ていなくてかわいそうだと言ってました。
テレビも疲れるから見ないらしい。

父の面会にいってきた。
1人で行ったので「もう帰りたい、なんでこんなところにいるんだ、1人でなんでもできる」
と、困らせた。
注射しなきゃならないからね、一人じゃ買い物もいけない
一人じゃ無理だと、無駄なことを言ってみた。
やはり…。バカ言うな!と怒られた。
兄のこと、喉まで出かけたけど
言えなかった。
言っても忘れてしまうかもしれないけど…
もう少し様子見てからにする。
体調は変わらない。トイレも歩いていける。

会えば少し安心。
家の片付けができる。
今回も父の蔵書を捨てた。残して置きたくても
汚れがひどいし、もう読む人もいない。
写真が大量にあるけどこれは段ボール一つ分残す。
不要なものばかり。
布団は10組はある。
離れには兄が使っていた汚いもの。
雛人形、毛布…。頭が痛い。
とりあえず捨てる。処分する。
一人じゃ無理。ある程度になったら
便利屋、シルバーさんを考えなければ。

ふらつきが少し落ち着いた。
洗濯機が今朝から動かない。安いものを買ってくるしかないかな。
そもそも頂き物だし、古いし。

なんで朝はこんなにふらつくんだろう…
無理は禁物…でも無理しないといけない。

何か忘れていないかな…1人でやってるので何か忘れる。
四十九日があるのでお墓の掃除もしてきた。
ひとつひとつチェックする。



少しずつ落ち着いてきた?

2019年01月22日 18時39分19秒 | Weblog

兄を思わない日はなくて特に1人でいる時はたまらなくなり
後悔と十分やってきた…と交互に思ったりします。
今頃どこにいるんだろうか。
母と祖母に会えただろうか。
何も悪いことしていないんだから
どうか迷わず会わせてください。
いつか私がそちらに行った時は
母と祖母と兄に会わせてください。
そしてずっと4人で一緒にいたい。
隣には夫がいて優しくなった父も一緒に。

般若心経覚えようか
写経してみようか…毎日いろんなことを考える。

実家から帰る時にお香典をいただいたので
お返しを買いにでかけた。
横浜。
ただデパートに行って一人ランチしてきた。
おいしくない。いつものお店だけど
いつもなら一人でも美味しくてテンション上がるのに…

ネコさんも待ってるしさっさと帰宅。
夜は鯖の味噌煮、肉じゃが、えのきの味噌汁。
何もしたくない。

実家に行けばやることだらけなので
また箇条書きにした。

相続手続き、台風で壊れた屋根の修理見積り、これは梅雨の季節までに何とかする。

なんたって家の片付け。
断捨離開始!金目のものは持ってきたので
ゴミ処理。
膨大な量。
叔父が来てくれるけど高齢なのでなるべく1人で。
長女は忙しいのでなかなか手伝ってもらえない。

お宝…あるはずない。

兄はどこにいるのか…
1日何度も思う。
今日は自分のことも…あまり体調がよくない。
お腹が痛い。
昨日は何とか動いてランチまでしたけど
朝からパン一枚とお茶1杯。薬1錠。
何だか食べられない。

無理はできない。
来週は通院。
仕事行きたい。何の問題もなく
5時間くらい。月~金で。
もう戦力外なのか。
友人がリウマチが悪化して眠れない日々を過ごしていたらしく
仕事をしていたけど
さすがにもう引退するらしい。
お家もあるしもう治療に専念してほしい。

お互いに年の始まりはいいことなし。
この先、ひとつでもいいことありますように。
あとは普通でいいので…。

ちょっと冷静になって考えてみた。
兄は私の負担をひとつなくすために
先に逝ったのか…

確かに3人の遠距離介護はホントに大変で
二人になってもこの二人が誰の言うことも聞かず
とても大変でヘトヘトだった。
でもさ、何もこんなに急にいなくなるなんて
おかしくなる。
いずれは施設にお世話になるつもりだったけど
元気なうちはもう数年は楽しいことがあってもよかったのでは
…と…。

兄の部屋には入る勇気がなくて
入ったことがなかったけど
マスクをつけて土足で入った。
恐ろしい光景が広がっていた。
埃が山のように積もっていて
シーツも布団も汚れで真っ黒。
ゴミが散らかってすごい状態。
いくら言っても掃除も洗濯もしない。
ここ2年くらいでやっと週1で着替えと洗濯をするようになった。
でも自室の掃除はしていない。
シーツも布団カバーも…。

相談してきたけど少しずつやっていきましょってことでした。
結局、数年掃除も寝具類の洗濯もしないままです。
私がすればいいのですが
部屋に入れようとしない。
力ずくで拒否されて発狂されてこちらの精神状態が保てない。

もう全て捨ててこの部屋は使えない。
ここは離れなので比較的きれいな部屋も一緒に解体。

母屋は押し入れやタンスを空にして
バルサン炊いてしばらく使う。
いずれは解体する。
とにかく動ける内にできることはやるしかない。

田んぼも畑もあるので問題を減らしておく。
何年かかることやら。

位牌のことで連絡があった。
祖母、祖父、母…3人と父の分を空けておいたけど
まさかの兄…。
四十九日までに塗り直し、墓石にも戒名入れ。
お墓の掃除もしておかなきゃ。

兄のことはいつも思っている。
写真を持ち歩いている。
それで勘弁してもらう。
法要はちゃんとする。
位牌は連れてくるつもり。空き家に置いておけないし。

少しずつ兄が亡くなっていく場面を思い出さないように
努力できるようになってきている。

とにかく毎日毎日
心電図、心臓マッサージされてる場面と
最期の会話ばかり思い出して
声を出して泣いていた。

少し落ち着いて実家のことを考えられるようになってきた。
法要の手配もした。

インフルエンザにかからないように、風邪ひかないように
何とか納骨まで無事に終わらせたい。

父のことはそれから。

兄、急死。

2019年01月21日 15時46分04秒 | Weblog
兄が1月某日、21時に4分に亡くなりました。

支援センターで週一でランチを作って皆で食べて少し話したりゲームしたりしていて
その日でした。
兄はいつも野菜やお肉を切る担当で
いつも通り参加して
食事したあと、イベントに連れて行ってもらって
そこでお茶のサービスがあって
飲んだ後、コップを返す時、ふらついて
そのまま倒れたそうです。
ギリギリ職員さんが支えてくれて
ケガはなかったのだけど
意識を失い、救急車を呼んだそうです。

2時過ぎ、施設職員さんから電話があり、
「お兄さんが倒れて一時的に意識を失って今は意識はあるけど救急搬送しました、様子を見てまた連絡します。来られるのなら気をつけて!」
と、慌てた様子。
一旦、電話切ったけど
動揺して何をしていいのか
とにかく出る準備を始めた。

すぐに救急車の中から救急隊の方から電話があり
「妹さんですか?今、病院に向かっています。意識ははっきりしています。
こんなときの高速運転は危ないから慌てず、気をつけて来てください。」
とのことでした。

私は娘と自宅にいました。
すぐに向かいました。
その時点でどう動いたのかわかりません。
給油して休憩もしないで慌てないように気をつけて車を走らせました。
途中、病院と施設から電話が入ったので
パーキングエリアでかけ直し。
今、どこか、あとどれくらいで着きそうか…と言われ
「後、一時間くらい」と答えたような覚えが…。

その時点では
しっかり話しているのでゆっくり来てください…でした。

病院に着いたら施設の方が付き添ってくれていました。
トイレに一人で行けたんだけど
おう吐したそうです。

でも、普段と同じように足取りはしっかりしているし、普通に話せます。
と言ってしばらく待ち合いで付き合ってくれて担当の方は帰りました。
一時間くらいして呼ばれ
兄に会えました。

救急センターの診察室でストレッチャーに横になっていました。

泣くのを我慢して
「大丈夫?話せる?」
兄「みんなで出掛けたところで倒れた。大丈夫」
みたいなことを話したと思う。
私「入院だからね、すぐ退院できるから先生と看護師さんの言うことをちゃんと聞くんだよ」
兄「うん、入院のお金は?新聞がたまっちゃうから退院するまで家にいて。
何か飲みたいから明日ヤクルト持ってきて」
私「わかった。○ちゃん治るまでいるから心配ないよ」
…いつになく兄に優しい私。
涙が出そうで我慢していた。

あまりにも普段と変わらないので
医師に
「どれくらいの入院になりますか」と聞いてみたら
10日~2週間かな、すぐに帰れるよ…
ただ血圧が低いから
病棟に移動して循環器の先生からまた説明があります。
と、言われ病棟に移動。
その時も
新聞が…お金が…と心配していた。

兄は病室に。
私は少し待ってから医師の説明を受けました。
血圧が低い、このまま帰っても
心筋梗塞になりまた倒れる可能性大。
一人でいたら死んでしまう。
カテーテル検査をします。
と、説明をされました。

父は二回カテーテルをやってステントで
復活しているので
安心して同意書にサインしました。
1時間半くらいかかると言われ
何の心配もなかった。
父の時と同じだから普通に戻ると思って
きれいな下着持ってこよう。タオルと
洗面道具。新聞、イヤホン、コップ…
頭の中で持ってくるものを並べた。

待ち合いのテレビを観ながら軽い気持ちで待っていました。
1時間過ぎた頃、
家族の方、すぐに来てください!
と看護師が呼びにきて一緒に手術室へ。
何が何だかわからず
でも何か起きたんだ…動悸が止まらなかった。

行ったら心臓マッサージされていて…
先生から画像で説明されたけど
兄が気になってなにが起きてるのか
立っていられなくて
看護師さんに支えてもらっていた

心臓の細い管が3本詰まっていて
バルーンを入れて通したが低血圧を起こしてしまった。

もう一度バルーンを入れてみます
また待ち合いへ。
その時は待っていられなかった。
あの姿見て落ち着けるはずがない。
また手術室へ…
心臓マッサージされてる
また説明された
心臓マッサージをやめれば亡くなります
人工心肺の手術をすれば
意識は戻らない。
それでも数日で亡くなると思います
…そんな、さっきまで話していたのに
そんな選択…無理。
でも答を出さないといけなくて
手術はいいです…と言ったと思います。
病棟待ち合いで待つように言われました。
ただ涙が溢れてどうしようもなかった。

そして兄は心臓マッサージをされたまま
ストレッチャーで上がってきました。
ナースステーションの隣の処置室へ移動して
また説明を受ける。
マッサージをやめれば亡くなります…
ずっとマッサージしてくれていたので
もう十分ですと答えた。
そして兄はあっと言う間に亡くなってしまいました。
私はすぐに叔父を呼んで兄を葬儀会社の迎えが来るまで一緒にいてもらった。
ただ泣いてるだけ。
兄の顔を見ればつらくなり
でも兄の顔に触れて謝った。
今年はまたひとつ楽しみが増えて
去年よりひとつ幸せな時間を過ごせるはずでした。
父が施設に入ってから一年、一人でやってきて
あまりにも寂しそうでかわいそうなので
何とかしたいと思っていました。
でもグループホームは高くてどうにもならず
家があるから支援を受けながらこのまま
様子みて支援を増やすとか
今年からは週1で体の様子も見にきてもらうことになっていました。
悔やまれるのは
年末のこの一年の計画の話し合いに参加できなかったこと。
父の入院、退院と重なってしまったので行けなかった。
電話で参加したけど昨年と変わらないので大丈夫だとのことでした。

わけがわからないまま
葬儀を済ませ、手続き、実家の片付けをして一旦帰宅。
この2週間ほどなにが起きたのか
何をしてきたのかまだわかりません。

年末に段ボールにいっぱいの食品を買って置いてきて
みかん、りんご、ほとんど食べていなくて
冷蔵庫には蒲鉾、伊達巻など年末ヘルパーさんと買い物にいって買ってきたものがたくさん入っていた。
私もお餅を買ってキンピラを作るのでゴボウと人参、お雑煮作るから鶏肉も。
炊飯器にはご飯がそのまま。
これを片付けるのはつらかった。

私が行けば後をついて
それは捨てるな、さわるな、
とにかくうるさくて
お風呂やトイレまでついてきては
話しかける。
バッグの中身を探る。汚い手で。
それがストレスになっていたけど
こんなことになるなんて
それくらいガマンすれば良かった。

私は兄のために動いてきたつもり。
もっとやってあげたいことがあったけど
精一杯だったと思う。

今回、みんなと出掛けたところで
倒れたのは不幸中の幸い。
施設の職員さんがいたので
すぐに対応してもらえた。
これが一人きりの夜、階段で倒れたりして次の日ヘルパーさんの来ない日だったらと思うとぞっとします。
…結局亡くなってしまったけど。

葬儀は家族葬でこじんまりと送りました。
ヘルパーさん、支援センターのスタッフ
さん、関わって下さった方々が5人来て下さり
涙を流してくれました。
ホントに兄を支え、支援してくださったことに感謝しかないです。
旅行も二回行けて今年も行くはずだった。
昨年はおみやげを私にも買ってきてくれて
ヘルパーさんにも買ってきてくれた。
福祉課を訪ねなかったら
父に罵られ、暴力を受け
ひきこもるだけの人生だったと思う。
優しい女性スタッフさんや仲間とセンターでご飯作ったり出掛けたりした仲間ができたことは
うるさい私とだけ関わるより
楽しかったはず。
最後にドライブに行く約束をしていたのでそれができなかったことが悔やまれます。
父のことがあって2ヶ月くらいは
買い物にも連れていけなかった。
天気がよければ富士山とお茶畑が見える場所に行って
たこ焼を買ったりしていたのに
もう兄はいない。
電話もかかってこない。

四十九日を済ませたら
お位牌と写真は連れてくるつもり。
この狭い家に置いて毎日手を合わせて
兄、母、祖母、祖父、叔父を思う。

兄は写真など撮らないから遺影をどうしようか困ったけど
みんなと旅行に行ったときのものを
使わせてもらった。
コピーだけど旅行の写真をもらった。
スマホのポケットに小さい写真を入れた。
かわいそうな人生でした。

お骨はお寺に預けて
一旦戻りました。
疲れがひどくて3日間くらい動けなかった。
ただ横になっていた。
まだまだ落ち着かないし
やることいっぱい。
一度仕切り直してまた行って片付け。
手続きもあるし。
一人では一年以上かかりそう。
何しろ不要なものがたくさんあって
とても一人では無理。
業者を探すことになると思う。
少しでもゴミを片付けて
スッキリする。
一年でできるだろうか。

父のこともあるし。
とにかくしばらくは大変。
一人で頑張るしかない。
今年は母の三回忌もあるし
兄の初盆。
夫の七回忌…。
こんなことになるとは…。