mieのひとりごと。

生きていく。

少しずつ落ち着いてきた?

2019年01月22日 18時39分19秒 | Weblog

兄を思わない日はなくて特に1人でいる時はたまらなくなり
後悔と十分やってきた…と交互に思ったりします。
今頃どこにいるんだろうか。
母と祖母に会えただろうか。
何も悪いことしていないんだから
どうか迷わず会わせてください。
いつか私がそちらに行った時は
母と祖母と兄に会わせてください。
そしてずっと4人で一緒にいたい。
隣には夫がいて優しくなった父も一緒に。

般若心経覚えようか
写経してみようか…毎日いろんなことを考える。

実家から帰る時にお香典をいただいたので
お返しを買いにでかけた。
横浜。
ただデパートに行って一人ランチしてきた。
おいしくない。いつものお店だけど
いつもなら一人でも美味しくてテンション上がるのに…

ネコさんも待ってるしさっさと帰宅。
夜は鯖の味噌煮、肉じゃが、えのきの味噌汁。
何もしたくない。

実家に行けばやることだらけなので
また箇条書きにした。

相続手続き、台風で壊れた屋根の修理見積り、これは梅雨の季節までに何とかする。

なんたって家の片付け。
断捨離開始!金目のものは持ってきたので
ゴミ処理。
膨大な量。
叔父が来てくれるけど高齢なのでなるべく1人で。
長女は忙しいのでなかなか手伝ってもらえない。

お宝…あるはずない。

兄はどこにいるのか…
1日何度も思う。
今日は自分のことも…あまり体調がよくない。
お腹が痛い。
昨日は何とか動いてランチまでしたけど
朝からパン一枚とお茶1杯。薬1錠。
何だか食べられない。

無理はできない。
来週は通院。
仕事行きたい。何の問題もなく
5時間くらい。月~金で。
もう戦力外なのか。
友人がリウマチが悪化して眠れない日々を過ごしていたらしく
仕事をしていたけど
さすがにもう引退するらしい。
お家もあるしもう治療に専念してほしい。

お互いに年の始まりはいいことなし。
この先、ひとつでもいいことありますように。
あとは普通でいいので…。

ちょっと冷静になって考えてみた。
兄は私の負担をひとつなくすために
先に逝ったのか…

確かに3人の遠距離介護はホントに大変で
二人になってもこの二人が誰の言うことも聞かず
とても大変でヘトヘトだった。
でもさ、何もこんなに急にいなくなるなんて
おかしくなる。
いずれは施設にお世話になるつもりだったけど
元気なうちはもう数年は楽しいことがあってもよかったのでは
…と…。

兄の部屋には入る勇気がなくて
入ったことがなかったけど
マスクをつけて土足で入った。
恐ろしい光景が広がっていた。
埃が山のように積もっていて
シーツも布団も汚れで真っ黒。
ゴミが散らかってすごい状態。
いくら言っても掃除も洗濯もしない。
ここ2年くらいでやっと週1で着替えと洗濯をするようになった。
でも自室の掃除はしていない。
シーツも布団カバーも…。

相談してきたけど少しずつやっていきましょってことでした。
結局、数年掃除も寝具類の洗濯もしないままです。
私がすればいいのですが
部屋に入れようとしない。
力ずくで拒否されて発狂されてこちらの精神状態が保てない。

もう全て捨ててこの部屋は使えない。
ここは離れなので比較的きれいな部屋も一緒に解体。

母屋は押し入れやタンスを空にして
バルサン炊いてしばらく使う。
いずれは解体する。
とにかく動ける内にできることはやるしかない。

田んぼも畑もあるので問題を減らしておく。
何年かかることやら。

位牌のことで連絡があった。
祖母、祖父、母…3人と父の分を空けておいたけど
まさかの兄…。
四十九日までに塗り直し、墓石にも戒名入れ。
お墓の掃除もしておかなきゃ。

兄のことはいつも思っている。
写真を持ち歩いている。
それで勘弁してもらう。
法要はちゃんとする。
位牌は連れてくるつもり。空き家に置いておけないし。

少しずつ兄が亡くなっていく場面を思い出さないように
努力できるようになってきている。

とにかく毎日毎日
心電図、心臓マッサージされてる場面と
最期の会話ばかり思い出して
声を出して泣いていた。

少し落ち着いて実家のことを考えられるようになってきた。
法要の手配もした。

インフルエンザにかからないように、風邪ひかないように
何とか納骨まで無事に終わらせたい。

父のことはそれから。

兄、急死。

2019年01月21日 15時46分04秒 | Weblog
兄が1月某日、21時に4分に亡くなりました。

支援センターで週一でランチを作って皆で食べて少し話したりゲームしたりしていて
その日でした。
兄はいつも野菜やお肉を切る担当で
いつも通り参加して
食事したあと、イベントに連れて行ってもらって
そこでお茶のサービスがあって
飲んだ後、コップを返す時、ふらついて
そのまま倒れたそうです。
ギリギリ職員さんが支えてくれて
ケガはなかったのだけど
意識を失い、救急車を呼んだそうです。

2時過ぎ、施設職員さんから電話があり、
「お兄さんが倒れて一時的に意識を失って今は意識はあるけど救急搬送しました、様子を見てまた連絡します。来られるのなら気をつけて!」
と、慌てた様子。
一旦、電話切ったけど
動揺して何をしていいのか
とにかく出る準備を始めた。

すぐに救急車の中から救急隊の方から電話があり
「妹さんですか?今、病院に向かっています。意識ははっきりしています。
こんなときの高速運転は危ないから慌てず、気をつけて来てください。」
とのことでした。

私は娘と自宅にいました。
すぐに向かいました。
その時点でどう動いたのかわかりません。
給油して休憩もしないで慌てないように気をつけて車を走らせました。
途中、病院と施設から電話が入ったので
パーキングエリアでかけ直し。
今、どこか、あとどれくらいで着きそうか…と言われ
「後、一時間くらい」と答えたような覚えが…。

その時点では
しっかり話しているのでゆっくり来てください…でした。

病院に着いたら施設の方が付き添ってくれていました。
トイレに一人で行けたんだけど
おう吐したそうです。

でも、普段と同じように足取りはしっかりしているし、普通に話せます。
と言ってしばらく待ち合いで付き合ってくれて担当の方は帰りました。
一時間くらいして呼ばれ
兄に会えました。

救急センターの診察室でストレッチャーに横になっていました。

泣くのを我慢して
「大丈夫?話せる?」
兄「みんなで出掛けたところで倒れた。大丈夫」
みたいなことを話したと思う。
私「入院だからね、すぐ退院できるから先生と看護師さんの言うことをちゃんと聞くんだよ」
兄「うん、入院のお金は?新聞がたまっちゃうから退院するまで家にいて。
何か飲みたいから明日ヤクルト持ってきて」
私「わかった。○ちゃん治るまでいるから心配ないよ」
…いつになく兄に優しい私。
涙が出そうで我慢していた。

あまりにも普段と変わらないので
医師に
「どれくらいの入院になりますか」と聞いてみたら
10日~2週間かな、すぐに帰れるよ…
ただ血圧が低いから
病棟に移動して循環器の先生からまた説明があります。
と、言われ病棟に移動。
その時も
新聞が…お金が…と心配していた。

兄は病室に。
私は少し待ってから医師の説明を受けました。
血圧が低い、このまま帰っても
心筋梗塞になりまた倒れる可能性大。
一人でいたら死んでしまう。
カテーテル検査をします。
と、説明をされました。

父は二回カテーテルをやってステントで
復活しているので
安心して同意書にサインしました。
1時間半くらいかかると言われ
何の心配もなかった。
父の時と同じだから普通に戻ると思って
きれいな下着持ってこよう。タオルと
洗面道具。新聞、イヤホン、コップ…
頭の中で持ってくるものを並べた。

待ち合いのテレビを観ながら軽い気持ちで待っていました。
1時間過ぎた頃、
家族の方、すぐに来てください!
と看護師が呼びにきて一緒に手術室へ。
何が何だかわからず
でも何か起きたんだ…動悸が止まらなかった。

行ったら心臓マッサージされていて…
先生から画像で説明されたけど
兄が気になってなにが起きてるのか
立っていられなくて
看護師さんに支えてもらっていた

心臓の細い管が3本詰まっていて
バルーンを入れて通したが低血圧を起こしてしまった。

もう一度バルーンを入れてみます
また待ち合いへ。
その時は待っていられなかった。
あの姿見て落ち着けるはずがない。
また手術室へ…
心臓マッサージされてる
また説明された
心臓マッサージをやめれば亡くなります
人工心肺の手術をすれば
意識は戻らない。
それでも数日で亡くなると思います
…そんな、さっきまで話していたのに
そんな選択…無理。
でも答を出さないといけなくて
手術はいいです…と言ったと思います。
病棟待ち合いで待つように言われました。
ただ涙が溢れてどうしようもなかった。

そして兄は心臓マッサージをされたまま
ストレッチャーで上がってきました。
ナースステーションの隣の処置室へ移動して
また説明を受ける。
マッサージをやめれば亡くなります…
ずっとマッサージしてくれていたので
もう十分ですと答えた。
そして兄はあっと言う間に亡くなってしまいました。
私はすぐに叔父を呼んで兄を葬儀会社の迎えが来るまで一緒にいてもらった。
ただ泣いてるだけ。
兄の顔を見ればつらくなり
でも兄の顔に触れて謝った。
今年はまたひとつ楽しみが増えて
去年よりひとつ幸せな時間を過ごせるはずでした。
父が施設に入ってから一年、一人でやってきて
あまりにも寂しそうでかわいそうなので
何とかしたいと思っていました。
でもグループホームは高くてどうにもならず
家があるから支援を受けながらこのまま
様子みて支援を増やすとか
今年からは週1で体の様子も見にきてもらうことになっていました。
悔やまれるのは
年末のこの一年の計画の話し合いに参加できなかったこと。
父の入院、退院と重なってしまったので行けなかった。
電話で参加したけど昨年と変わらないので大丈夫だとのことでした。

わけがわからないまま
葬儀を済ませ、手続き、実家の片付けをして一旦帰宅。
この2週間ほどなにが起きたのか
何をしてきたのかまだわかりません。

年末に段ボールにいっぱいの食品を買って置いてきて
みかん、りんご、ほとんど食べていなくて
冷蔵庫には蒲鉾、伊達巻など年末ヘルパーさんと買い物にいって買ってきたものがたくさん入っていた。
私もお餅を買ってキンピラを作るのでゴボウと人参、お雑煮作るから鶏肉も。
炊飯器にはご飯がそのまま。
これを片付けるのはつらかった。

私が行けば後をついて
それは捨てるな、さわるな、
とにかくうるさくて
お風呂やトイレまでついてきては
話しかける。
バッグの中身を探る。汚い手で。
それがストレスになっていたけど
こんなことになるなんて
それくらいガマンすれば良かった。

私は兄のために動いてきたつもり。
もっとやってあげたいことがあったけど
精一杯だったと思う。

今回、みんなと出掛けたところで
倒れたのは不幸中の幸い。
施設の職員さんがいたので
すぐに対応してもらえた。
これが一人きりの夜、階段で倒れたりして次の日ヘルパーさんの来ない日だったらと思うとぞっとします。
…結局亡くなってしまったけど。

葬儀は家族葬でこじんまりと送りました。
ヘルパーさん、支援センターのスタッフ
さん、関わって下さった方々が5人来て下さり
涙を流してくれました。
ホントに兄を支え、支援してくださったことに感謝しかないです。
旅行も二回行けて今年も行くはずだった。
昨年はおみやげを私にも買ってきてくれて
ヘルパーさんにも買ってきてくれた。
福祉課を訪ねなかったら
父に罵られ、暴力を受け
ひきこもるだけの人生だったと思う。
優しい女性スタッフさんや仲間とセンターでご飯作ったり出掛けたりした仲間ができたことは
うるさい私とだけ関わるより
楽しかったはず。
最後にドライブに行く約束をしていたのでそれができなかったことが悔やまれます。
父のことがあって2ヶ月くらいは
買い物にも連れていけなかった。
天気がよければ富士山とお茶畑が見える場所に行って
たこ焼を買ったりしていたのに
もう兄はいない。
電話もかかってこない。

四十九日を済ませたら
お位牌と写真は連れてくるつもり。
この狭い家に置いて毎日手を合わせて
兄、母、祖母、祖父、叔父を思う。

兄は写真など撮らないから遺影をどうしようか困ったけど
みんなと旅行に行ったときのものを
使わせてもらった。
コピーだけど旅行の写真をもらった。
スマホのポケットに小さい写真を入れた。
かわいそうな人生でした。

お骨はお寺に預けて
一旦戻りました。
疲れがひどくて3日間くらい動けなかった。
ただ横になっていた。
まだまだ落ち着かないし
やることいっぱい。
一度仕切り直してまた行って片付け。
手続きもあるし。
一人では一年以上かかりそう。
何しろ不要なものがたくさんあって
とても一人では無理。
業者を探すことになると思う。
少しでもゴミを片付けて
スッキリする。
一年でできるだろうか。

父のこともあるし。
とにかくしばらくは大変。
一人で頑張るしかない。
今年は母の三回忌もあるし
兄の初盆。
夫の七回忌…。
こんなことになるとは…。

ゆっくり。

2019年01月02日 21時03分44秒 | Weblog
箱根駅伝、応援に行ってきました。
大東文化大学、1区の選手の転倒。
悔しかったでしょう…痛かったでしょう…
最終ランナーが通過するまで応援しました。
涙が出そうでした。

全選手を応援します!
明日はテレビで。

今日もおかしなlineあり。
「ドンキに並んでるよ~」…だから?
抽選外れて買えなかった~(T_T)…何を?

新年の挨拶もなく変な連絡いりません。
返信しないけど。
超何とか、めっちゃ何とか…とか若者か!ヤングか!
「~」が多い文章には見るだけで疲れます。
「○○ぢゃ」も使う┐(´д`)┌
やたらと娘さんの写真送ってくるけどどう答えていいのか…。

放っておくしかないです…。
悪い人じゃないんだけど付き合えない。

父も兄も安心なので
ゆっくりし過ぎるくらいゆっくり過ごしてます。
煮物、食べてしまったので今日も煮物作って
明日も食べる。
ゴボウと鶏肉を甘辛く煮てご飯に混ぜた。
後はカニの残り、かまぼこ、伊達巻、ローストビーフ。

明日は外食したい…
なんだかんだ毎日作ってる。
楽したい…
楽してるけど外食したい。
ドラマ観てから寝よ。



元旦、ひとり。

2019年01月01日 09時51分50秒 | Weblog
駅伝観ながら1人で過ごしています。
高台で初日の出を拝むつもりが…やっぱりやめました。

お天気も良くそんなに寒くもなくいいお正月です。
頭の中は父と兄のことばかりだけど…。

孫も娘たちも元気で私も持病と太股とお尻の痛みはあるけど
何とか新しい年を迎えられたことに感謝。

お雑煮作ってカマボコと伊達巻など買ったもの並べて
カニを解凍。
あれこれ作っても食べる人がいない。
煮物を作った。もう何もしない。

朝から新年早々、( ̄▽ ̄;)呆れるLINEあり。
初日の出見るつもりがすでに上がってた。
イタリア楽しみ~とか。

もーーー知らんがな
なんで私に送信するの?
55歳なのに…私の事情、知ってるのに。
昨日のLINEは京都に2回行ってその行程とか。

その後の介護中の同級生から
今年も介護、遠距離介護、お互いに頑張ろう。
息抜きしながらね。会ってストレス解消しよう!
…ありがたい。
介護していない同級生も
落ち着いて話聞いてくれる。
旦那さんの愚痴言ったり、かわいいな。
落ち着く。
暖かくなったら会えるかな。