ジョゼフ・フーシェはテルミドール反動の直後から、貧窮のどん底暮らしをしていたという。漫画「静粛に、天才只今勉強中!」にそれが面白く描かれている。最も危険な時期を決して目立たぬように、ひっそりとやり過ごしたのだ。狂乱の時代には人々は猛り立ち、ギロチンが血を吸い続けることを知っていたのだろう。そしてほとぼりが冷めてから、反動政府のバラスを通じて再び政治に関わり出してゆく。三野村利左エ門以上に鋭い嗅覚があったのは、それからの彼の裏切りに次ぐ裏切りが成功したのを見ればよく分かる。
小栗忠順には残念ながらそんな嗅覚がなかった。彼は頭脳明晰で知識豊富な秀才だったが育ちが良すぎたらしい。そして権力は取るか取られるかで、失なってしまえば身分も領地も消え失せて命さえ危うくなるとは思わなかったのだろう。小栗忠順は米国に亡命しなくとも生き残るチャンスはあった。徳川慶喜に交戦論を拒否されて解任された後で、東征して来る官軍に唯一人で出頭すればよかったと思う。彼の地位なら西郷隆盛など官軍首脳陣は会って話を聞いただろう。そこで自分の計画した官軍撃滅案を堂々と語るのだ。そして慶喜はそれを拒否したので官軍と戦う気はなく悪いのは自分なのだから、慶喜を許して俺の首を斬れと主張するのである。大村益次郎は小栗の作戦案を後で知って青ざめたという。実現していたら大損害を被ったに違いないからである。そんな小栗を西郷隆盛は殺すだろうか?殺すはずがない。恐るべき敵でも、主君に忠誠で有能な男は味方にすればどれほど役に立つかは漢籍の素養があれば皆知っている。管仲も魏徴もそうである。それに捕虜にしてしまえば何の危険もないから殺す必要などない。黒田清隆が榎本武揚の助命をしたように、西郷隆盛も小栗忠順を許したはずである。そういう器の大きい大物に会わず、朝敵は殺せとだけ思い込んだ下っ端に捕まったのが小栗忠順の不幸であった。
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