濁泥水の岡目八目

中国史、世界史、政治風刺その他イラストと音楽

ブリジストン創業者の石橋正二郎は「本物の天才」だった

2019-01-10 14:11:08 | 歴史談話


 ブリジストン創業者の石橋正二郎の実家は仕立て屋だった。兄もいたが徴兵されたので病気であった父の代わりに家業を継ぐことになった。正二郎の父親は,なぜ17歳の息子に仕立て屋「志まや」を任せたのだろうか。志まやには7~8人の職人がいたという。当然、最も有能で古参の職人が職長として腕の良い職人から見習いまでを采配していたはずである。職人の世界には腕と年期による厳しい序列がある。商業学校を卒業して経営を学んでいたとはいえ、職人の世界ではズブの素人である。たとえ同じ家に住んでいても主人一家と職人達は別である。落語家の世界もそうで、9代目林家正蔵が父の林家三平に頼み込んで弟子にしてもらったとたんに、やさしかった三平が鬼のような師匠に豹変したし弟子達の態度も変わったという。お坊ちゃんから一番下っ端の見習いになったのである。
 そんな職人の世界をなにも知らないはずの息子に店を任せたのは、職人というのは技能は信用できるがそれ以外では当てにならない連中が多いからである。磨き上げた自分の腕には誇りと自信を持って仕事は完璧にやり遂げるけれども、私生活は飲む、打つ、買うが大好きだったりするのである。私の昔働いた建築関係にもそういう親父達がいっぱいいた。会社の人が
「あいつもあれさえなけりゃあ申し分ないのになぁ!」
と嘆くような腕利きの職人達がいたんだよ。私は見習いだったけれど真面目に働いたので会社には信用されていた。でも、酒で大失敗して同じように言われちゃったみたいだね、あはは。
 正二郎の父は仕事を職人頭に任せても、店の金は息子に守らせようとしたのだろう。商業学校を出ているから算盤勘定ならすぐに身に付くはずである。職人達の仕事をただ監督させるつもりだったはずである。ところが、17歳の正二郎が店の経営方針と職人達の勤務状況を抜本的に大変革するのである。職人でも特に見習いは一日中働きづめである。しかも給料は貰えない。昔の商家もそうだが、タダで住まわせて食わせて仕事を教えてやるのだから有難いと思え、という発想だったのである。もちろん熟練の職人にはそれなりの手当が与えられただろう。彼等に逃げられたら困るからである。しかし給料ではないし半人前ならタダ働きが当然なのが当時の職人だったのである。正二郎の店だけでなく、他の仕立て屋も皆同じだったという。昔ながらの仕来りだったのである。正二郎はそれを変えてしまった。
 勤務時間を決めて、それ以外は自由にさせた。一番の下っぱにも安くてもきちんと給与を与えた。工場労働者と同じ待遇にしたのである。それを聞いた父は激怒したそうである。まあ無理もないが、私は父以上に腹を立てたのが職長と熟練の職人達だったろうと思う。自分達がさんざん苦労して技能を身に付けたのに、半人前の連中が楽をすると思えばむかつくのも無理はない。「素人の坊ちゃんが店を潰しますよ!」と訴えたはずである。よその仕立て屋達も正二郎のやり方を知ると嘲笑ったそうである。そんな生ぬるい方法で職人は育たないし仕立て屋稼業を舐めるんじゃないよ坊や、といったところだろう。
 ところが、仕立て屋として全くの素人である17歳の正二郎があらゆる猛反対を押し切って改革を断固として実行し、大成功するのである。これを天才と言わずしてなんと言うべきなのか。

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿