大工風の道

仮設住宅ってわけでもないけれど、
ま、しばらくここで様子みようっと。

続「消えゆく昭和の建築」その(1)

2007年02月02日 | かまど、五月工務店


一昨年の9月。


(現)松阪市に残る、旧「三渡(みわたり)中学校」の講堂の屋根裏に私たちは上っていた。
1950年(昭和25年)築の木造建築。
もっとも、そのときは中学校の講堂ではなく、鉄工所として使われていたのだが…。


すぐ南を流れる「三渡川」はちょうどこのあたりで、くびれるように川幅が狭くなっており、たびたび水害の問題に悩まされ、このほど「河川改修」が行われる。
それに伴って、地域の文化遺産とも言えるこの建物も、いよいよ解体を迫られていた。


移築も考えていたのだけれど、結局うまく折り合いがつかず、皆があきらめかけていたところに、大工M田氏が、一部を自分の作業小屋に使用することを決意。
解体を請け負った業者さんや、工場のオーナーさんらとの話もまとまり、屋根を支える合掌と呼ばれる梁組みを、4組頂くこととなった。

大工仲間が集まってきて、屋根の上に登る。
前日の作業で、屋根のスレートを取ってあり、今日は朝から野地(のじ)と呼ばれる屋根の木板をはがすところから。
雪がちらつき、見ると西の空は灰色。
大雪になったら大変だ。
思うようにははかどれずも、とりあえず10時に小休止。


川を挟んだ旧家「I家」のIさんが、自宅で焼いたパンを休憩に差し入れしてくれた。
あの「サ○キと○メイの家」のガラスなどを提供してくれた「旧、六軒郵便局(3年前に解体)」の元局長さんのお宅。



そのあたりの縁から、今までいろんな人間関係がずーっと繋がって、今日の解体工事に結びついている。

これぞまさしく「六軒ロール」とM井氏もおいしそうにほおばる。





一昨年の調査では暗くてわかりにくかった「合掌」が姿をあらわした。
さあ、問題はこのあとどうやってこれを降ろすのか。

お昼休み、地元ローカル紙の「夕刊M」の記者が取材に訪れた。
夕刊Mさんは、7年前のN邸など、なにかとお目にかかる。



記者のYさんは「木の種類はなんですか?どう再利用するのですか?」などと熱心にM田氏に質問していた。
その姿を“取材”する私に「何かのホームページですか?お名前は?」とも。
私は「いえいえ、名乗るほどのモンではございません、しいて言うなら『大工風太郎』」と答えておいた。

続く(つづきへ)



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