綸言(りんげん)とは広辞苑によりますと,《[礼記(緇衣)](「綸」は太い糸の意。天子の言はそのもとは糸のように細いが、これを下に達する時は綸のように太くなる意)君主が下に対して言うことば。みことのり。》(電子版)とあり,「綸言汗のごとし」とは「一度発せられた君主の言葉は汗のように止められない」と云うことで,本来は君主の発する言葉の重さに対する戒めです。昭和天皇は,昭和2年総理大臣に就任した陸軍大将・田中義一が張作霖爆殺事件をうやむやにしようとした田中総理の言行不一致に激怒して強く叱責したことで,結局田中内閣を総辞職に追い込んだことを深く悔やみ,以後発言を慎まれた,という逸話があります。まさに「綸言汗のごとし」でした。
この戒めは,君主に限らず上に立つ全ての人にも通用することでもあります。組織があり,その一部であれ全部であれ,まとめる立場に立ったならば,軽々しく見解を発表するようなことがあってはなりません。指導者の言葉を俟って行動を起こす人たちは,指導者のひと言でそれぞれの行動を決めざるを得ないからです。これは常識です。
ところが,このたび発足した民主連立政権では,閣僚はそれぞれにいかにも軽々しく自分の考えを公に発表していまいます。
なかでも軽いのが前原国交相です。無知というか,軽率というか,何も考えていないというか,よく云えば率直というのでしょうか,思いつくと直ぐに口にしてしまうようです。民放ニュースの解説者の一人は,新しい政治手法だ,と賢しげに語っておりましたが,これを政治手法と云うには稚拙すぎます。発言の重さ,影響の大きさを思い知って修正しようにもマニフェスト政権の政策の硬直化が障害となるのではありませんか。
第一の例が,未だに問題とされている「八ッ場ダム」問題です。群馬県の現地に赴いたのは結構なのですが,それでなくとものっぺらぼうの顔を硬直させて冷ややかに,中止だと繰り返すだけで,何の救いも含みもない有様です。住民の今後は保証すると付け加えても,そこには何らの暖かさも精神的救いもありません。これでは中止反対の住民は納得せず硬化するのが当然でしょう。
第二は,大阪の橋下知事との会談で,唐突に羽田のハブ空港化に言及したことです。自分の言葉に興奮したのか,どんどんエスカレートして,日本にはハブ空港がないから羽田をハブ空港にする,と繰り返し,関西空港を始めとする神戸,伊丹の3空港の将来については,単なるローカル空港扱いにすると理解できる発言でした。成田空港については,橋下知事との会談での発言が大きな波紋を引き起こしたことに慌てて,いや成田空港も大事だ,と前日の発言を少しずつ変えるようになりました。
これでは,大阪だけでなく,成田空港を抱えてこれまで過激派に扇動された反対運動などを幾度となく切り抜けてきた成田市民,千葉県民,市長・知事を激怒させることになってしまいました。当然です。
ただし,お断りしておきますが,私は成田でなく羽田のハブ空港化には賛成です。成田にはあまりにも問題が多すぎます。地方から,あるいは関東近辺から成田を利用したことがある人は,成田の不便さが身に沁みているはずです。それに,成田には実質的には1本しか滑走路がありません。第二滑走路は未完成です。
しかし,前原国交相の手法は最悪です。政治家がすべき方法ではありません。
まさに「綸言汗のごとし」を理解しない,すなわち長の長たる資格のない行動です。
これは前原国交相だけの問題に留まりません。鳩山首相自身も繰り返している言動でもあります。むしろ,国内問題に過ぎない前原国交相の言動よりも鳩山発言の方が有害です。
わざわざ外国へ出かけて,できもしない温室効果ガスの25%削減(1990年比2020年目標)を国連で発表したり,東アジア共同体構想をいきなり発表して日本の米国離れを示唆したりするかと思えば,外国首脳との会談の冒頭で「まだ首相に成り立ての慣らし運転ですからお手柔らかに」と発言する。
とんでもない甘えです。どこに慣らし運転中の素人とまともに重要事項を話し合う暇がある元首がいるでしょうか。みんな外交辞令か,素人を抱き込もうとする下心の,したたかな連中です。
これからの日本は「鳩山大不況」(週刊現代最新号など)に見舞われて,少なくとも数年は苦しむことでしょう。朝四暮三のエサに釣られて民主党に一票を投じた国民は,その苦しみを甘受しなければなりません。
いまや鳩山由紀夫を思いのままに操る闇将軍のペースメーカーが電池切れになる日が一日も早く来ることを期待するほかありません。