昨日発表された都内の感染者数は188人、熱中症で搬送された人たちが95人だった。
何しろ一気に猛暑が襲ってきて40℃を超える地域もあり、さらに真面目な日本人らしくマスクを離さない人も多く、今後は熱中症で搬送される人の数が上回ることが予想される。
一年前の今頃は、都内では五輪に向けての暑さ対策に余念がなかった。
この暑さでオリンピックに朝顔と打ち水で立ち向かおうとしていたことを皆さん覚えていますでしょうか。
— 華恋 (@0505lovekaren) August 11, 2020
新コロがなくても、東京五輪はそもそも無理だった。外に出てみれば分かることだろう。何故、未だに中止を決定できないのか。首相のレガシー作りにいつまでつきあわされるのか。 https://t.co/wZYsDX9i5y
— 平野啓一郎 (@hiranok) August 11, 2020
そんなレガシー作りに執着する安倍晋三は、もはや今では「経済の安倍政権」がぐらつけば崩壊するという危機感いっぱいで、どうやらコロナ禍にもかかわらず、死ななければ感染者数は増えても問題はなしという方針に大きく舵を切ったのであろう。
それを代弁するかのように安倍晋三の提灯持ち弁護士は朝の情報番組でこんなことを言っていた。
「感染者数は少ないほうがいいけど、医療崩壊が生じない限りは、感染者数はある程度あるもんだと国民が認識しないと、恐怖を覚えて社会経済活動が止まる。感染者数に一喜一憂するのは違う」
「致死率で判断か 大手を振って闊歩する『命より金』の暴論」
「これだけ感染者が増えているのに、政府は旅行を推奨する『Go To トラベル』キャンペーンを前倒しで強行した。『感染防止に気をつけろ』という精神論で対策を国民の自己責任に押し付けて、経済を回せというのです。国民の命より経済が大事だと考えているのでしょう。しかし、『Go To』キャンペーンに業界が期待したところで、感染の不安におびえる国民は動けない。若い人は軽症で済んでも、彼らが活発に動けば、高齢者など重症化しやすい人に感染させ、それで重症者も増えていけば、いつ医療崩壊が起きてもおかしくない。そういう不安がある限り、経済活動が活発になるわけがないことは、誰が考えても分かります。コロナ対応で無為無策の政府が目先のカネを優先した結果、感染症の抑え込みと経済活動のどちらもうまくいかないということになりかねません」
「コロナ封じ込めより、観光業界を救うための『Go To』キャンペーンを優先する政府の姿勢に多くの国民が疑問を抱くのは当然です。観光業界が窮地に陥っているのは確かですが、税金をバラまいて解決するものではない。需要回復の最善策はコロナ収束に注力することのはずです。実際に、感染者ゼロが100日間続いているニュージーランドなど、政治がリーダーシップを発揮して、ある程度コロナ封じ込めに成功した国ほど経済的なパフォーマンスも高くなっている。安倍政権はこれまでも弱者を切り捨て、格差を拡大させてきましたが、この感染拡大を目の当たりにしても“健康よりカネ”で、大企業を救うことに躍起な姿勢を見れば、誰のための政治をしているかがよく分かる。企業優先を正当化するために、感染者数の増加に一喜一憂しないなどと言い出して、これまでと違う基準を持ち出してくるご都合主義です。コロナ感染の恐怖におびえる国民のことなど、まったく考えていないのです」(経済評論家・斎藤満)
「分科会は政府の方針にお墨付きを与える御用機関でしかありません。政府は都合のいい時だけ分科会が出した数字を持ち出すし、意に沿わない提言は無視して“総合的判断”などと言う。コロナ感染拡大を無視して経済を回すというのも、安倍首相が来年の五輪開催に固執しているから、特定の企業に税金をジャブジャブ流して、五輪スポンサーの再契約をしてもらうためでしょう。それで国民の命と健康は犠牲にされる。御用学者が政権と一体になって、新自由主義的な命の軽視を推進しているのです」
「軽症であっても、中等症、重症に急変するケースは少なくないし、後遺症が長く残るという報告もある。現時点で致死率が低いからといって、感染拡大を放置していいはずがないのです。この政権は、コロナ感染者や死者の何万人、何千人という国民一人一人に生活があり、家族がいて、懸命に生きているという命の重みを分かっていない。自分たち権力者はコロナに感染しても優先的に検査も治療も受けられると安心して、庶民は虫けら扱いなのでしょうか。本来、政治は社会の最も弱いところに光を当て、弱者を救うためにあるのに、カネと利権しか頭にない政治屋ばかりです。一般国民のことは、税金と選挙の票を献上するマシンくらいにしか思ってなくて、弱者のための政治という視点が完全に欠落している。コロナ対策で経産省が旗を振っていることでも、“カネが全て”というこの政権の体質が分かります。安倍首相が敬愛する祖父の岸信介が牛耳っていた戦前の商工省が、利権のために庶民の命を軽視して戦争を主導した構図とそっくりです」(政治評論家・本澤二郎)
残念ながら、すでに多くの国民は感染恐怖に脅えており、政府の「Go To」キャンペーンの積極的な推奨にもかかわらず、人出は相変わらず低調で、ましてや「帰省自粛」警察が全国的にはびこり、公共機関や自家用車での帰省客も少ない。
ところで、「命より金」の安倍内閣の支持率はどうなっているのか。
NHK世論調査では、この内閣支持率は2012年の政権交代以降で最低にあたる。https://t.co/mBLGbP505z
— 三春充希(はる) ?みらい選挙プロジェクト (@miraisyakai) August 11, 2020
<NHK世論調査(8?10日)>内閣支持率34(?2)%で第二次安倍内閣発足して以来、最低、不支持率47(+2)%。政府のコロナ対策:評価38%、不評価58%。GoToキャンペーン:中止すべき62%、臨時国会速やかに召集:必要72%、不要17%。国民の不満、不信は高まっている。政権に黄信号が灯っている。
— 舛添要一 (@MasuzoeYoichi) August 11, 2020
このように内閣支持率の低下が著しければ、当然ながら野党が活気づかなければならないのだが、残念ながら事態は複雑で深刻である。
こんな記事を朝日新聞は書いていた。
「吉村知事人気で『東征』一気、維新の胸算用 菅氏太鼓判」
タイトルだけを見た瞬間、「うがい薬で株価操縦か 吉村府知事にインサイダー疑惑浮上」というヨタ記事を読んだ後だったので、「『東征』一気」が「東証」での株価一気に上昇」と錯覚してしまった。
この記事には多くの批判が集まっていた。
朝日新聞へ、
— hweofupf3490 (@hweofupf3490) August 11, 2020
日本の新聞の中ではマシな方だと思うが、最近気になることが多い。維新の人気はどう贔屓目に見ても、マスコミがヨイショしたせいだ。問題点を洗い出す報道を望む。広報は要らない。
吉村知事人気で「東征」一気、維新の胸算用 菅氏太鼓判:朝日新聞デジタル https://t.co/Fgla0ky9x3
おちゃらけ記事シリーズなのかもしれないけど、
— 蒲田ピースケ (@sientablanche) August 11, 2020
「東征」一気
って、品がなさすぎる。朝日新聞もとことん堕ちたものよのう。
吉村知事人気で「東征」一気、維新の胸算用 菅氏太鼓判:朝日新聞デジタル https://t.co/Xwc9YhFGIn
視点はいいが、遅すぎる
— ブタミソン (@butamison) August 11, 2020
遅すぎて、維新をめぐる論点がイソジンに代表される軽挙妄動の党体質に移っている
にもかかわらず論点の変化についていけていない
すぐに記事化できない無能上司の問題だ
吉村知事人気で「東征」一気、維新の胸算用 菅氏太鼓判:朝日新聞デジタル https://t.co/hFuwMDHOux
新聞記事は週刊誌記事とは異なる「即日性」(フットワーク)と共に、読者に正確な情報を提供し、ある時には一定方向に読者を導くという使命がある。
そんな観点からは上記の記事はまさに「周回遅れ」であろう。
そして、期待されている野党はどうなっているのか。
多くの支持者には唐突感が否めない、「国民民主、分党へ 立憲との合流、自身は不参加―玉木代表」という記事が出ていた。
さらに、「国民・玉木氏 分党まで持ち出しこだわったものとは 混乱残り前途多難」という記事ではこんなことを言っていた玉木雄一郎。
「今の日本には政策提案型の改革中道の政党が不可欠だと信じている。大きな塊を求めてきたが、消費減税など軸になる政策でも一致できなかった」
聞こえは良いがいいくら政府と異なる斬新な政策を提案したところで、丸呑みされ良いとこ取りされるか、あっさりと採決されてそんな提案は葬り去れるのがオチである。
「党として合流の条件は、基本的に合意する。私自身は新党に参加しない」ということは梯子を外されたということか。
「分党」になれば政党交付金は所属議員数で配分されるので、玉木雄一郎にとっては、引き続き「お山の大将」となり自由に使える金を得ることになる。
しかし、この男にこんな熱烈な支持者がいたとは知らなかった。
そしてゆうちゃん。本心では合流賛成だけど慎重派を含めた全ての人の国民民主党代表として、色々言わなきゃならない立場は大変だったと思います。おかげで一部の立憲支持者からは蛇蝎の如く嫌われて、破断を期待する国民支持者から合流反対派として変な期待をかけられて苦しかったでしょう。ありがとう
— 軍畑先輩 (@ixabata) August 9, 2020
なんていう最悪の結果を招いたんなら、新党にも参加せず、国民民主党にも残らずに純粋無所属として禊ぎをするのが責任の取り方って物だろうが。玄葉光一郎なんか代表じゃなかったのにそうやって筋通したぞ。誰にでもいい顔しようとする優男の甘さ軽さが招いた結果だよ。今頃官邸は高笑いしてるだろうよ
— 軍畑先輩 (@ixabata) August 11, 2020
そもそも玉木雄一郎は香川県高松高校から東大法学部を出て大蔵(財務)官僚へとエリートコースを歩み、こんな官僚出身エリートにありがちな自己評価が高すぎる自惚れ過ぎ人間なのかもしれない。
それに対して、家系的にはサラブレッドなのだが、「醜いアヒルの子」のまま大きくなり、父や祖父のような大学には進学できず、両家の子女が通う学園で小学校から大学まで過ごした安倍晋三は特段秀でたところもなければワルでもない人間であった。
まさに「担ぐ神輿は軽くてパーがいい」を絵にかいたような生き方で、この8年間ズット側近官僚たちに担がれっ放しである。
しかし、安倍政権の強さは安倍晋三の大学時代の恩師の加藤節・成蹊大名誉教授がこう言っていたことを思い出す。
「安倍政権は二つのムチである」
すなわち「無知」と「無恥」であり、いまさら無知に関する過去の逸話を並べても仕方がないのだが、無恥というのは、「王手飛車取り」の局面で平然と飛車を逃がして王がとられても「負けていない」と言い張れる廉恥の欠如である。
結党の精神も基本的な政策も全く異なる宗教団体を最大支持者とする政党と、選挙のためにはなり振り構わず連携する自民党のしたたかさ(廉恥の欠如)を少しは学ばない限りは、永遠に「お山の大将」ゴッコを国民に見せ続けさすのでは、弱小野党の明日はない、とオジサンは思う。