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新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

石破茂は「日本解放」の最後の殉教者となれ

2025年07月30日 11時46分01秒 | 石破茂政権

石破茂おろしのことらしいのだが、連中のご託は、選挙で約束した自公政権で参院選で過半数を割ったということで、組織の責任者として辞めてケジメをつけろということなのだが、選挙は最終的に立候補した個人の問題である。
  
さらに比例区で敗れた連中の恨みを石破茂にぶつけるのは「お門違い」というものである。
 
旧安倍派4幹部、退陣要求で一致 世耕氏明かす
 

自民党を離党した世耕弘成衆院議員(前参院幹事長)は29日のテレビ朝日の番組で、自身を含む旧安倍派幹部4人で先に会談し、石破茂首相(党総裁)は参院選大敗を踏まえて退陣すべきだとの認識で一致したと明らかにした。世耕氏は23日に萩生田光一元政調会長、西村康稔元経済産業相、松野博一前官房長官と東京都内で会談している。
自民、近く両院総会開催 石破首相「逃げずに説明」
 世耕氏は4人の会談に関し「(首相は)もう交代しなければいけないということは一致した」と説明。「ポスト石破」候補として高市早苗元政調会長、小林鷹之元経済安全保障担当相、小泉進次郎農林水産相の名前を挙げ、「自民の中でビジョンを競い合うことが重要だ」と語った。
 世耕氏は「(旧安倍派幹部4人は)政治的経験が豊富。生かしてもらえれば政治の安定に寄与できる」と述べ、次期政権での重用に期待を示した。

 
 
  



 

 
そして「ガス抜き」の懇談会はこんな体たらくであったらしい。
 
自民両院議員懇談会で「石破おろし」が不発だったこれだけの理由…目立った空席、“主導側”は発言せず欠席者も」  
28日開かれた大注目の自民党「両院議員懇談会」。参院選大敗について石破首相(自民党総裁)は陳謝したものの、「政治空白を生むことがないよう責任を果たしたい」と続投の意思を改めて明言した。マスコミを締め出した意見交換の場では、石破首相の責任や退陣を求める厳しい意見が続出したというが、発言者64人、異例の4時間半におよんだものの、石破首相を辞めさせるどころか、むしろ続投の意を強くさせ、「石破おろし」は不発だった。
 その兆候は懇談会の冒頭からあった。会場となった自民党本部8階のホールに空席が目立ったのだ。
 懇談会の対象は党所属衆院議員と参院議員。参院は、先日の選挙の当選者と落選者の両方が含まれる。少なくとも300人以上が対象のはずだが、「会場にいたのは実感として150人くらい」(中堅議員)。議決権のない懇談会を「ガス抜き」の場と見てパスしたのか、麻生太郎最高顧問ら重鎮が仕掛けている「石破おろし」に冷ややかな向きが少なくないのか。いずれにしても迫力に欠けた。
 加えて、発言者は中堅・若手ばかりだった。ベテランでは船田元衆院議員や復党した鈴木宗男参院議員が擁護論を展開した一方で、「石破おろし」を主導する側では、茂木敏充前幹事長と萩生田光一元政調会長は出席していたが発言せず、西村康稔元経産相と高市早苗前経済安保相は姿さえ見せなかった。
「ベテラン勢が中堅・若手をリモコンで操って、本人たちは表で発言するでもなく裏でコソコソしているようでは、『石破おろし』はトーンダウンしていくんじゃないか」(別の中堅議員)
■醜悪な権力闘争はまだまだ続く
さらに、石破首相を退陣させても「次」の展望が見えていないことも、「石破おろし」が大きなうねりにならない理由だ。高市氏や小泉進次郎農相らの名前は挙がるが、「衆目の一致する『ポスト石破』候補はいない」(ベテラン議員)。衆参で少数与党だから、新総裁が確実に新首相に選ばれるわけでもない。
 極めつきは、世論の動向だ。週末(26、27日)に実施された朝日新聞の世論調査で、石破首相について「辞める必要ない」(47%)が「辞めるべきだ」(41%)を上回った。驚くのは自民党支持層に限ると「辞める必要ない」が70%に達していることだ。毎日新聞の調査では、内閣支持率が5ポイント上昇(24↓29%)、「次の首相にふさわしい人」のトップが石破首相だった。
「世論調査がね。びっくりした」(別の中堅議員)という声も懇談会出席者から聞かれた。石破首相も世論を味方につけようとしているのか、懇談会後の報道陣の取材に「国民世論とわが党の考え方が一致することが大事だ」と力説。「続投方針に変わりはないか」との質問にも即座に「ございません」と強気だった。
 とはいえ、28日の懇談会で「ガス抜き」が完了したわけではない。「反石破」の猛毒ガスはなお充満している。次は議決権のある両院議員総会が開かれる可能性が出てきた。醜悪な自民党の権力闘争はまだまだ続く

 
自民党の森山幹事長が8月末ままでには辞めるということは、同じ時期に石破茂も辞任を考えているのかもしれないが、石破茂にはもっと大きな仕事が残っているらしい。
 
「安倍政治の亡霊」を断ち切る覚悟。今さら“怖いものなし”の石破茂が右派との最終戦争の末「戦後80年談話」で堂々と遂げる“戦死”」
 
昨年の衆院選から先日行われた参院選までの「3連敗」の責を負うべしとして自民党内から激しい退陣要求を突きつけられ続けるも、依然として続投の意向を表明する石破首相。なぜ石破氏はここまで首相の座にこだわり続けるのでしょうか。今回のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』ではジャーナリストの高野孟さんが、首相が退陣を拒む理由を複数挙げその各々について詳説。その上で、「安倍政治の悪しき遺産」を精算する重要性を強く訴えています。
■日増しに高まる“石破おろし”の声。四面楚歌の石破首相は「安倍政治の亡霊」との最終戦争に打って出るのか
自民党内で「石破おろし」の動きが活発になっているのは事実だが、それを第一面の大見出しで「石破首相、退陣不可避に」と、もう決まったかのように煽り立てているのはマスコミである。
石破茂首相本人は最初から「続投」を口にしていたので、こうなると逆に意地を張って「行けるところまで行って、やれることはやって討ち死にすればいいじゃないか」という心境になっているように見受けられる。そうすべきだと思う。
■号外まで刷って街頭で撒くという「狂態」を演じた読売
マスコミには軽佻浮薄の癖があり、政局は荒れた方が面白いし、それで政変でも起きれば血湧き肉躍る大立ち回りとなってなおさら面白いと、興奮気味になるのは分からなくもない。しかし、各紙が23日夕刊から24日朝刊にかけ、こぞって「石破首相退陣へ」と書き立て、読売に至っては号外まで刷って街頭で撒くという狂態まで演じたのは、いかがなものだろうか。
そもそも、昨秋衆院選、今春都議選に続く今次参院選の3連敗という大惨事は、石破一人のせいなのか、それとも誰か別の顔を立てていれば避けられたはずのことなのか。そこをキチンと総括することなしに、自民党内からの派利派欲剥き出しの「石破おろし」キャンペーンに安易に同調することは出来ないはずである。
本誌は前号で、自民惨敗はまずもって石破の責任ではあるけれども、その責任とは、ここまで9カ月の政局過程の中心課題である「脱安倍化」に正面から取り組まずに逃げてしまったことにあるという総括視点を提示しておいた。敗けたのだから辞めろという単純な形式論ではなく、勝った(?)野党も含め、現今の政治過程の中心的課題にどのように対応し得ていたかという、もう少し複雑な内容論で評価しようという問題提起である。
その立場から考えると、石破がこの間、「脱安倍化」でまともに戦えてこなかったことを少しでも反省して、《麻生太郎・高市早苗の右翼コンビと、形ばかりは解散したもののやる気満々の萩生田光一、世耕弘成ら旧安倍派とが結合して「安倍政治」の亡霊を復活させようとする策謀を阻止するために頑張ることこそ自分の責任の果たし方だ》と考えるのであれば、本誌は当面、戦術的に、石破続投支持で、その点でラサール石井や国会周りで「石破止めるな」デモに集まっている人たちと同意見である。
■どうやら「本物」らしい石破首相の安倍派への憤り
さて、しかし、石破はこれまで出来なかったことを(遅まきながらも)これからやろうとするのかどうか。また仮にやろうと思い立ったとしても、これまで出来なかったことがどうして出来るようになるのか、大いに疑念が湧く。しかし、朝日新聞7月26日付「政界激動2025」欄の解説を読むと、なかなかやる気のようなのだ。要旨を拾うと……、
▼「総理はものすごく使命感に駆られて」「野党党首らとの会談で『辞めません』と明言した」(首相側近)
▼「首相が退陣の意向を固めた」との一部報道が伝えられた23日夜、首相は周囲に「古い自民党には戻したくない」と強い口調で語った。
▼首相は「石破おろし」を主導しているのは、派閥の裏金問題の震源地だった旧安倍派だとみて、周囲に「こんなでたらめをやられてたまるか。誰がここまで自民党を駄目にしたんだ」と強い憤りを見せる。
▼参院選で参政党が台頭したことも強く懸念していて、側近によれば、首相の「使命感」の一つとして「参政党が伸びるような社会状況に」「危機感をもって」いるという……。
そこまで言うなら、なぜこれまでそこで戦わなかったのかと思ってしまうが、しかしこれからでも「やる」と言うのであれば、「お願いしますよ。是非ともやって頂きたい」とエールを送らざるを得なくなる。
■「戦後80年」という石破首相が辞めないもう一つの理由
7月26日付毎日のコラム「土記」で伊藤智永が、「もう一つの辞めない理由」と題して書いている(〔〕内は引用者による補足)。
▼石破氏は胸の内に、いま辞めるわけにはいかないもう一つの宿題を抱えているに違いない。それは自民党〔がどうしたという〕より〔ずっと〕大きな〔問題である〕敗戦の総括、すなわち日本国の戦後80年には、自分が首相として見解を表明しなければ、という使命感ではないか。それを果たさずには、と腹を決めているのだろう。

▼石破氏は……戦争への反省に人一倍強いこだわりがある。原点は、政治の師である田中角栄首相と、その親友だった父・石破二朗元自治相の体験だ。
▼20歳の初年兵として旧満州へ送られ、軍隊内のリンチや極寒の冷気で体を壊して帰国し、九死に一生を得た田中氏は「この国は戦争体験者がいなくなった時が怖い」が口癖だった。
▼官僚としてインドネシア・スマトラ島の占領行政を担当し、敗戦で2年間抑留された父……から石破氏は「非戦・反ファシズム・リベラル」の信条をくみ取ったという。
▼石破氏は〔今年〕1月、国際シンポジウムで「今年は敗戦後80年。あえて敗戦と言う。終戦ではことの本質を間違える。今を逃して戦争の検証はできない」と述べている。〔また〕7月20日夜、TBS番組で、第2次大戦の日本軍死者について「兵隊さんで亡くなった方々の6割は戦って亡くなったわけじゃない。病死や餓死だった。過去の直視を忘れてはならんのだと思っています」と語った。
▼「台湾海峡で戦争になれば日本は潜水艦や軍艦で戦う」(麻生太郎元首相)といった不見識には〔石破氏は〕憤まんやる方ない思いだろう……。
正直いって、これはいささか褒めすぎというか、石破の平和・リベラル指向を過大評価しすぎているように思う。
彼は1993年の政治改革国会の後、自民党を離党し小沢一郎の新生党、後に新進党に参加し、無所属を経て97年に自民党に復党するが、たぶんご本人の意思を反映していると思われるWikipediaの記述では、自民党からの離党は河野洋平総裁の改憲封印への反発からであり、小沢との決別も改憲や集団的自衛権の議論がまったく行われないことへの失望からだと説明していて、その限りでは旧自民党的なタカ派そのもので、麻生・高市と親和してしまう。
しかしこれは、自民党を勢いよく飛び出して後にしおらしく復党を果たした「出戻り組」によくある弁解術で、自分は軽挙妄動して出たり入ったりしたのではなく、石破の場合で言うと「改憲と集団的自衛権解禁」という1つの軸に従って身を処したのであると言う「後付け理屈」である。
伊藤は、石破が「軍事オタク」だとヤユされるのは不当で、「本当に戦争をなくすには軍事を知ることが必要だ」という考えによるものだと綺麗に整合させようとしているが、私に言わせれば、石破における平和・リベラル志向と改憲・集団的自衛権解禁のタカ派志向とは上手く整理できず、一部は論理的に破綻さえ起こしながら彼の中で相剋している。
それはともかくとして、ここで彼が辞めてしまい、その平和・リベラル志向が発動される機会を得ないまま8月15日が何も起こらないまま過ぎてしまうよりも、伊藤が期待するような出来事が何か勃発するのであれば、それに越したことはない。
■「戦後80年談話」に向けすでに始まっている右翼の策謀
石破がもし「戦後80年」問題で何か決起するのであれば、それは吉田茂、石橋湛山、田中角栄、大平正芳から細川護熙を経て村山富市、小渕恵三、鳩山由紀夫へと連なってきた保守リベラルの流れの中に身を投じ、「安倍政治」の悪しき遺産を断ち切る覚悟を示すことになるのだろう。今更怖いものは何もないだろうから、思い切り開き直ってそのように振舞ってほしい。
細川は今週の『サンデー毎日』8月3日号「倉重篤郎のニュース最前線」でインタビューに応じ、「細川政権で世の中はどう変わった?」と問われ、こう答えている。

▼一番の仕事は、先の大戦を侵略戦争だと明言したことだと思う。……戦後50年の村山富市首相談話にも繋がり、アジア各国の信頼を繋ぎとめることができた。
▼問題はこれからだ。世代が変わり、戦争の実体験への記憶が失われ、ウクライナ、ガザ戦争や米のイラン攻撃を目の当たりにして若い世代がどう反応するか。日本の歴史がどこでどう間違ったのか、この機に改めてしっかり考え抜いてもらいたい……。
その通りで、石破には、党内の状況もマスコミ環境も厳しいけれども、自分の方から崩折れてしまうような野垂れ死にだけは避けて、頭をもたげて、やれるだけのことはやり抜いた上で堂々と戦死を遂げるようにして頂きたい。
ちなみに、『月刊日本』8月号に菅野完が「石破内閣は戦後80年決議で有終の美を飾れ」と書いている。50年の村山談話は、当時の加藤紘一=自民党政調会長が文案を作り、それを村上正邦=参院自民党幹事長(生長の家の右翼活動家出身=故人)が受け取って待ち構えた椛島有三(日本を守る会事務局長=当時、現日本会議事務総長)や中川八洋=筑波大学教授ら右翼活動家に見せ、彼らが文句を付けて突き返すということを繰り返したが、最後は加藤や野中広務(当時自民党幹事長代理)らが上手く立ち回って村上に日本の侵略責任を認めるかの文言を呑ませてしまう。
椛島らは激怒するが後の祭りで、それで仕方なく戦後60年の際に、安倍晋三首相に日本の行為を侵略とは認めない談話を作らせてリベンジを果たすのである。さて今回も右翼の策謀は始まっていて、これを阻むことができるのは石破である。
つまり、これも、「安倍政治の悪しき遺産」を綺麗サッパリ清算してその呪縛から日本を解放できるのは誰かという問題の大事な一部なのである。


 
安倍晋三のその後の首相は菅義偉・岸田文雄と口では目新しいことを言っても、所詮は「アベノミクス」の徹底的な検証なしに今日に及んでいる。
 
「「安倍政治の悪しき遺産」を綺麗サッパリ清算してその呪縛から日本を解放できる」のはもはや石破茂しかいないのだろう、とオジサンは思う。     
 

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