新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

政治部記者たちと御用コメンテーターにはご用心

2024年05月08日 11時40分24秒 | マスメディア

先日、「憲法改正議論より先にやるべきことがあるだろう」とつぶやいたのだが、同じようなことを元グーグル日本法人代表取締役社長だった辻野晃一郎が詳述していた。
 
『改憲議論』以前の問題。率先して憲法違反を犯す自民や維新に高レベルの見識と叡智、倫理観が必要な憲法改正を任せられぬ訳
 

■憲法記念日に日本国憲法について考える
前述した通り、本来なら「DXとは何か」のシリーズ第4回目なのですが、今号の配信日の5月3日は憲法記念日にあたるため、DXシリーズは1回お休みにして、今号では日本国憲法について考えてみたいと思います。
安倍政権になってから改憲の議論がにわかに活発になりました。その後はトーンダウンしていますが、岸田政権になってからも、実現性はともかく、岸田首相は幾度か改憲に前向きな発言をしています。
おかしな例えに聞こえるかもしれませんが、個人的には、立憲国家における憲法とは、コンピュータにおけるアーキテクチャまたはOS(オペレーティングシステム)のようなものだと捉えているので、時代の変化と共に内容を見直すこと自体については特に異論はありません。むしろ見直しの議論がある方が健全だとも思います。
しかしながら、現行の日本国憲法は時代を先取りした世界的に見ても非常に優れた憲法であると解釈しており、これをより良くする方向で見直すには、相当に高いレベルの見識、叡智、倫理観などが必要で、少なくとも現在の自民党や維新などの手にはとても負えないと思っています。すなわち、現在の自民党や維新が中心になって憲法を見直すことについては断固反対です。自民党の改憲草案も読みましたが、とても賛同できるような内容ではありません。
現行の日本国憲法を「時代を先取りした憲法」と感じるのは、言うまでもなく3原則といわれる「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を掲げているからです。太平洋戦争前の日本は、国権主義に基づいて人権が軽視され、帝国主義に基づいて軍部が力を持つ国でした。その結果、太平洋戦争の加害者となり、また同時に被害者として艱難辛苦の時代を招き入れ、民間人を含めた310万人以上の国民が犠牲になってアジアの周辺国を苦しめる存在ともなりました。
その悲劇を教訓として、二度と再び同じ過ちを繰り返さないと誓い、国権主義から人権主義へ、帝国主義から平和主義へと大きく国の在り方を転換し、生まれ変わって出直すための最重要の行動規範が現行の日本国憲法であると解釈しています。
そして今や、デジタル時代、ネットワーク時代となり、個人がテクノロジーによって解放された時代を迎えました。「国民主権」や「基本的人権の尊重」という原理原則は、まさに今の「個が解放された時代」を80年近く前に予見していたかのようにすら感じます。
ですから、今あらためて日本国憲法の全文を読み返してみても、ここに書かれていることをしっかりと遵守しさえすれば、素晴らしい国になることは間違いないというほどの、きわめて崇高なものだと感じます。ところが、改憲派の自民党議員や維新の議員などは、そのことをまるで認識しておらず、国会議員でありながらこの憲法を遵守しているとはとても言えません。これは99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」に違反していると言えます。
最悪なのは、第二次安倍政権あたりから、あからさまに憲法を軽視したような発言や、違憲にあたるような行為が目立つようになってきたことです。安倍元首相は、現行憲法を「みっともない憲法」などと呼び、9条に象徴される「平和主義」の原則を踏みにじって、集団的自衛権の行使を容認し武器輸出の解禁を伴う安保法制を2015年に強行採決で成立させました。
その後、防衛費の上限をGDP比2%に倍増させることを米国に約束し、岸田政権に至っては、昨年10月、5年間で43兆円もの防衛費を積み増すことを十分な国会審議や国民との合意形成をすることも無しに閣議決定のみで決めてしまいました。
憲法違反は9条に留まらず、たとえば14条「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」なども守られていません。自民党裏金議員たちが、政治資金規正法違反でも脱税でも、まったく摘発されない事例をみても、一般国民との差別は明らかです。
憲法違反の事例を挙げ出すと切りがありませんが、たとえば15条2項「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」も守られていません。森友事件が象徴的でしたが、今や多くの官僚は一部の政治家の奉仕者であって全体の奉仕者とはとても言えません。全体の奉仕者であることを誇りにしてきた近畿財務局の職員がその実態に悲観して自死されたことには断腸の思いです。
また、36条「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」などについても、ウィシュマ・サンダマリさん死亡事件における名古屋出入国在留管理局職員の態度は、公務員による拷問に当たらなかったのだろうかと感じます。
他にも、よく問題にされる「人質司法」の悪しき慣習などは、34条や38条に違反している可能性がありますし、大川原化工機事件など、公安や検察のでっち上げ等の暴走は一向に後を絶ちません。
いずれにしても、現行憲法を守っていない人たちに改憲を口にする資格はないと思いますし、改憲を議論するのであれば、まずは現行憲法をしっかりと遵守してからにして欲しいと思います。
ちなみに、前号の最後でも述べましたが、安倍元首相や岸田首相など、改憲派の自民党議員たちは、二言目には現行の日本国憲法は米国(GHQ)から押し付けられたものであると主張します。確かに、太平洋戦争で日本軍を極度に恐れた米国が、二度と日本を軍事大国にしないために仕組んだ背景はあったと思います。
しかしながら、前述の通り、誰よりも戦争の悲惨さを体験した日本人自身が、その教訓から戦争放棄を謳う平和憲法を諸手を挙げて受け入れたのも事実です。また、幣原喜重郎をはじめ、多くの日本人も草案作成に携わりました。ですから、私自身は、今の日本国憲法は必ずしも米国から一方的に押し付けられたものだとは思っていません。80年近くの長い時間を掛けて、日本人の血肉となった憲法であると思っています。
【関連】日本国民に対する裏切り行為。アメリカの意向に沿い国の形を変えてきたポチぶりを米国議会でアピールした岸田演説の“狂気の沙汰
その日本国憲法の精神を尊重して平和主義を貫いて生きた日本人の代表格が、アフガニスタンで亡くなった中村哲氏のような人物でしょう。2001年9月11日の米国同時多発テロの直後、衆議院のテロ対策特別委員会に参考人として呼ばれた中村氏は、「自衛隊派遣は有害無益」と自説を述べ、好戦的な自民党議員たちからヤジを浴び無礼な対応をされましたが、微動だにしませんでした。
同氏を偲んで、今年1月に佐高信氏が共著で『中村哲という希望 日本国憲法を実行した男』という本を出しています。その中で、中村氏と交流のあった佐高氏は、同氏を「歩く日本国憲法」と述懐していますが、最後にその本の一節を引用して終わりにしたいと思います。
(前略)岸田軍拡に賛成の人は中村哲を否定する人である。「軍拡で暮らしは守れない」ことを中村は実践で示した。軍拡に賛成しない人、つまりは平和憲法を守れと叫ぶ人は頭がお花畑だとタカ派ならぬバカ派は叫ぶが、アフガニスタンの地で中村は平和をつくりだしたではないか。そして、世界の人は中村に拍手を送っているではないか。その、いわば日本の宝をなぜもっと大切にしないのか。
中村は憲法が日本にとって一番大事だと言う。「あれだけの犠牲を払った上でつくられたものだから、一つの成果じゃないかと思います。それを守らずして、国を守るもないですよね。だから、それこそ憲法というのは国の掟、法の親玉みたいなものなんじゃないですかね。憲法をあやふやにして国家をどうのこうのというのはおかしい。(中略)あれは世界中の人が憧れている理想であってね、守る努力はしなくちゃいけないんだ」
(前略)澤地との共著で中村は嘆いている。「2001年に衆議院で話して、ほんとうにこの人たちは、日本の行く末をあずけられる政治家だろうかと、目を疑いましたね。戦争といっても、これは殺人行為ですよ。対米協調だとか、国際社会の協力だとか、そんなきれいな、オブラートに包んだような言葉を使っても、協力するということは、殺人幇助罪です。そのことが、ちっとも考えられていない」
中村氏に限らず、以前にも紹介した立石泰則氏の著書『戦争体験と経営者』を読んでも、戦地を経験して復員した戦後の経済人には筋金入りの平和主義者が多くいたことがわかります。私が世話になったソニーを創業した井深大氏も徹底した平和主義者でした。
また、これも何度か言及しましたが、一兵卒として戦争の恐ろしさと理不尽さを戦場で経験し、米国の圧力に抵抗してロッキード事件を仕掛けられ失脚した田中角栄元首相は、「戦争を知っている奴が世の中の中心である限り日本は安全だ。しかし戦争を知らない奴が出てきて日本の中核になったときは怖い」と予言し、「将来、憲法改定があったとしても9条だけには触ってはならない」とも断言していたと言います。
田中角栄の予言が的中。日本を狂わせた“安倍政権の犬”が作る「戦争国家」ニッポン


 
ある程度は予想していたが、衆院補選で自民党が「惨敗」したことで、国民の中に政権交代の声が過半数を超えたという世論調査結果を踏まえて、御用オメンテーターたちが忙しくなってきたらしい。
 
御用コメンテーター参上
 

不可思議な数字を発表したJNNの世論調査。
岸田内閣の支持率が7.0ポイント上昇して29.8%になったと報じられたことを記述した。
一種の「異常値」なので無視した方がよいと思われる。
他社の調査を待つ必要があるが、この情報が他の世論調査回答者の回答に影響することがあり得るから悪質な面がある。
そもそも極めて少数のサンプル調査だから過大に報じることに疑義がある。
このJNN調査で「次の衆院選後の政権」という問いがあり、
「自公政権の継続」34%
に対して
「立憲などによる政権交代」48%
の結果になったことも報じられた。
政権交代した方がよいとの回答が多い。
これはうなずける。
こうした世論変化を背景にマスメディアの御用人が足並みを揃えて発言している。
TBSに登場する八代英輝。
「衝撃的ですよね」
「2009年を覚えている者としてはね。本当に驚きましたね、その数字は」
同じくTBSに登場した田崎史郎
09年について、
「当時の民主党に対する期待感は相当強かった」
民主党が公表したマニフェストについて、
「バラ色の世界を描いた」
と表現した上で、現在について、
「マニフェストを争うように手にした、そういうものがいま立憲民主党にないということです」、
「立憲民主党がいまどういう政策をやろうとしているのか、僕でもすぐ答えられないですよ。
なにか期待を抱かせるものを打ち出しているかというと、別にありませんので、自民党批判は相当強いけれども、立憲民主党に対する期待感が全然違うと思います」
と述べた。
これらの人々はメディアで「役割を果たす」ために起用されていると推察される。
「役割を担っている」と考えられる。
その「役割」を「しっかりと演じている」と評価できる。
メディアに接する場合には、こうした図式を踏まえることが絶対に必要。
民放を支えているのは大企業=巨大資本。
この巨大資本は自公政治と癒着している。
したがって、テレビ番組の内容が政権寄りになるように誘導する。
番組制作者はこの意向に沿って番組を編成しなければならない。
NHKの場合は内閣総理大臣がNHKの人事権を握っている。
最高意思決定機関は経営委員会。
その委員の任命権を内閣総理大臣が握っているから、番組制作の現場は内閣総理大臣の意向に沿う番組を制作することが必須になる。
いまの立憲民主党に輝きがないのは事実。
21年選挙、22年選挙は「反共」を宣言して選挙を戦い大惨敗した。
本年4月衆院補選は「共産党と共闘」して3戦全勝した。
こうもりの対応を続けている。
だから、誰からも相手にされなくなりつつある。
ここに問題があるのは事実。
しかし、国民が政権交代を求めているという部分が重要。
この民意に沿う政治を確立するために何が必要かを論じるのが、本来の番組コメンテーターの役割
しかし、矢代氏も田崎氏もこの視点でコメントしない。
人々の政権交代への期待を打ち消すための発言を示している。
ここにこれらコメンテーターの立ち位置が明確に表れている。
重要なことはこうした低質、低劣な番組を見ないこと。
これが一番重要だ。


 


 
昔の記憶では安倍晋三が政権に復活した当時から最も多くの御用コメンテーターが輩出されたり、内閣記者クラブが仕切る首相会見にはフリーの記者たちが参加できないとか、一切の発言ができなかったということが当たり前になっていた。
 
その後も大手メディアの政治部記者連中は与党幹部への取材が中心となり、政権に有利な発言を「スクープ」と称してテレビメディアで垂れ流していることも事実である。
 
そして「政権交代」という自民党が下野するという風潮が高まれば、必ず野党叩きが盛んになってくる。
 
そんな権力側に対しては、野党をディスルことなく具体的なアドバイスが肝要となる。
 
衆院補選「立憲民主党3選全勝」 政権交代に向け野党が国会でやるべき「3つ」のこと 古賀茂明
 

4月28日投開票の衆議院の補欠選挙において、立憲民主党が3選挙区全てで大勝した。
しかし、大手メディアの政治部記者たちの多くは、仮に解散総選挙になっても、野党共闘がまとまる気配がないことから、政権交代につなげるにはまだハードルが高いと見ている。したがって、彼らにとっては、自民党内部の話の方が野党の話よりも大切だということになる。
 そのため、ポスト岸田をめぐる動きを面白おかしく伝えることに彼らはご執心だ。
 さらに、彼らは、岸田文雄首相側から見て、終盤国会の焦点が、「政治資金規正法(以下『規制法』と呼ぶ)の改正が今国会中に実現できるかどうか」に移ったと報じている。
 今回は、この報道は完全に間違っているので、絶対に信じてはいけないという話をしてみたい。
 まず、政権交代へのハードルが本当に高いのかどうかについて考えてみよう。
 実は、今回の補選の投票率は低かった。
 国民の裏金問題に対する怒りが沸騰していたのに、投票率が低かったのは、有権者の中に、「選挙に行ってもどうせ何も変わらないだろう」という諦めと政治への強い不信があったからだ。これでは、いくら野党が頑張っても投票率は上がらず、組織票が多い自民や公明党に有利だというのがオーソドックスな見方かもしれない。
 しかし、この低投票率については、二つの意味で野党、とりわけ立憲側にプラスの面がある。
 まず、低投票率でも島根1区で自民党が大敗したのはなぜか。
 時事通信の出口調査では、自民党支持層の2割が立憲候補に投票した。JNN(TBS系の民放ネットワーク)の期日前出口調査では、これが3割だった。これは、2月9日配信の本コラム「独自入手『自民党員1000人調査』で見えた岸田政権崩壊の予兆『自民に投票しない』が2割強の衝撃」で紹介した自民党員調査の結果どおりだ。
 自民支持層のかなりの部分が、棄権ではなく、わざわざ投票所に足を運んで立憲に入れるというとんでもないことが、実際に起きたのである。
 同じことが次の総選挙で起きれば、自民票が大きく減り立憲票に上乗せされる可能性が高い。これまでにない地殻変動である。
 低投票率については、「伸びしろ」というもう一つのプラス面がある。
 今回は、仮に立憲候補全勝でも、国会での自公圧倒的多数は変わらないことはわかっていた。そんな「意味のない」選挙に、GWのお祭りムードの中で無理して投票に行く気がしないという有権者が多くても不思議ではない。
 しかし、次の総選挙では、大きな変化が期待できることが今回の選挙でわかった。これにより、「選挙に行っても無意味」というムードが、「選挙に行って政治を変えよう」となり、投票率が大きく上がる可能性が高い。2009年の民主党政権誕生の時も、政権交代の可能性が高いと報じられたことで投票率が大きく上昇して民主党大勝となった。
もう一つ、大きな地殻変動がある。維新人気が急降下していることだ。
 長崎3区では、立憲と日本維新の会の一騎打ちで維新が完敗した。
 都市型選挙の東京15区でも、維新候補は立憲候補に大差をつけられた上に、完全無所属候補にまで敗れた。政治資金改革が主要テーマだったのに、「改革政党維新」という宣伝文句が全く通用しなかったのだ。
 今回の選挙で、維新は立憲を叩く戦略をとったが、これにより、有権者に自民に近いとみられて失速した。維新の馬場伸幸代表はいまだに立憲叩きを続けている。もはや、「自民に近い維新」というイメージを拭い去るのは難しい。これを立憲がうまく利用すれば、特に都市部では、維新と戦っても勝てる選挙区が増えるだろう。
 さらに、連合とその支援を受ける国民民主党の力もかなり落ちている。   
 長崎と島根では国民が立憲候補を応援したが、共産党が自前候補を立てずに立憲候補を支援した効果の方が大きかったと見るべきだ。
 東京で都民ファーストの会と組んで立憲候補に大敗したことも、国民の力が非常に弱くなったことを明示した。国民の自民補完勢力というイメージが強まった結果であろう。
 連合の芳野友子会長もまた自民に擦り寄っていたが、今後は、その連合が味方につくことで、自民寄りと見られる効果のマイナスが大きくなるはずだ。
 次の総選挙では、「共産党と組む立憲は共産主義勢力だ!」という自民、維新、国民などからの批判を立憲が過度に恐れる必要はなくなった。
 以上のとおり、さまざまな観点から見て、これまでの政治の常識、というより政治部記者の常識が通用しない大きな地殻変動が起きている。
 それを明確に認識した上で、当面の国会について、何が最も重要かを考えてみたい。
 冒頭で紹介したとおり、大手メディアの政治部記者たちは、終盤国会の焦点は、規正法改正を「今国会中に実現できるかどうか」だと報じている。
 しかし、これは、規正法改正実現で裏金問題を収束させ、その後は、6月からの定額減税実施や春闘の結果を反映した賃金上昇などを材料として支持率アップを狙う岸田首相のシナリオに乗った報道に過ぎない。
 そもそも、自民党政治の問題の本質は何かというと、補助金、減税、公共事業の配分などを期待する企業・団体・富裕層に、政治献金やパーティー券購入で自民党に資金を提供させ、その資金を使って選挙を戦い権力を維持するという金権体質にある。
 1件ごとの献金と利益供与が結びつけば「贈収賄罪」だが、阿吽の呼吸で特定の結びつきを見せないため、実際には野放し状態である。こうした仕組みの中で、政治家は裏金を作り、選挙で広い意味での買収が行われてきた。今回の裏金問題は、それを見事に暴露したわけだ。
 この構造はかねて問題視され、1994年成立の政党助成法や99年改正の規正法では、公費による政党助成金導入の代わりに企業献金を廃止することを大きな目標として設定していたが、実際には企業献金は残し、政党は国民の税金による政党助成金を受け取るという「二重取り」の制度となってしまった。
 こうした経緯と問題の本質を正しく理解すれば、これから行われる政治資金改革においては、「企業団体献金」を全面禁止することが最重要だということがわかる。
その際、裏金問題の温床となった「政治資金パーティー」(献金の上限や情報開示の規制の抜け道となっている)を個人向けやネット開催も含め全面禁止することも必要だ。
 二階俊博自民党元幹事長が5年で50億円を使った例に見られるように、使途不明で許される巨額の資金を政党幹部に流すことにより、選挙における買収資金などに使われてきたと見られる「政策活動費」の全面禁止も必須である。
 これまでの政治資金改革が失敗に終わったのは、この禁止3点セットを実施しなかったことが原因だ。
 この本質を国民が理解することが必要だが、そのためには、まず、裏金問題の全容解明を行うことが大前提となる。裏金作りがいつからどのように行われ、その裏金がどう使われてきたかを明らかにすれば、前述の禁止3点セットがいかに重要かが理解できるだろう。
 そのためには、忘れられた森喜朗元首相や二階氏を含めた関係者の証人喚問を終盤国会の最大のテーマとすべきだ。これを自民が拒否するなら、野党は全ての審議を拒否し、今回の補選で示された民意に応えよと自民に迫れば良い。
 大手メディアの政治部記者たちは、こうした本質論を無視し、証人喚問も忘れたまま、今国会で規正法改正ができるかどうかが焦点だなどと喧伝する。そのために野党も妥協が必要だという方向に世論を誘導しようとしているのだ。
 彼らは、「企業団体献金の禁止を野党が主張しているが、これはハードルが高いので実現は難しい」と決めつけているが、過去の経緯を無視した暴論だ。
 国会最終盤になれば、全く内容がない自民案に反対する立憲民主党など野党に対して、政治部記者たちは、「今国会で改正を実現する」ためには、「妥協が必要だ」という論調の記事を流すだろう。
 その際注意すべきは、維新の出方だ。
 維新は、政治資金パーティーについて、個人向けは残すという妥協をする可能性が高い。彼らは、収入が激減するのでこれを絶対に残したいと考えている。政策活動費もなんらかの形で残したいと考える維新はそこでも妥協するだろう。
 自民との妥協を選べば、企業団体献金という本丸中の本丸はもちろん禁止できない。
 維新との妥協案ができれば、自民は、「議論は尽くした。お互い妥協するのが民主主義だ。妥協案を頭から拒否する立憲の態度は許されない。『今国会中に改正を実現』できなければ、その責任は全て立憲にある」と批判するだろう。
 維新も、「立憲は批判だけの『古い』『昭和』の万年野党だ。維新こそ、古い政治に終止符を打つ、真の改革政党である」と攻め立てる。
 だが、立憲は、このような批判に怖気付いて中途半端な改正で折り合ってはいけない。そうなれば共犯者となり、次の総選挙で自民批判ができなくなるからだ。
万一、裏金問題が、規正法の「なんちゃって改正」で「一段落」となれば、6月からの定額減税と春闘の効果による賃上げなどを実感できるタイミングで解散総選挙だという岸田首相の思う壺である。
 こうした展開を予想して立憲などの野党が今すぐなすべきことは何か。
 まず、審議拒否も辞さない強い姿勢で証人喚問を要求して実現する
 その上で、
・企業団体献金の全面禁止
・政治資金パーティーを個人向け・ネット開催も含めて全面禁止
・政策活動費の全面禁止
の3点が、自民の「贈収賄政治」を根本から断つために不可欠であることを強く主張し、これができない規正法改正なら今国会での成立はさせないと宣言する。
 同時に、次の総選挙でこれらを争点として国民の審判を仰ごうと唱えるべきだ。
 本物の改革は自民党政権にはできない。
 私たち国民は、岸田政権と政治部記者たちの世論操作に騙されず、立憲中心のリベラル政権実現を目指すべきだ。


 
今後もこんななまっとうな記事が続けば、次の総選挙が大いに盛り上がることだろう、とオジサンは思う。
    

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 政治献金とは現代の「ミカじ... | トップ | 小池百合子の虚飾の魔法は七... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

マスメディア」カテゴリの最新記事