「患者さんから学べ」「現場にこそ真実がある」・・・まさにその通りである。
ところが、画一化された医療システムの中では、幅広い臨床経験ができないため、目の前の患者さんのことだけが真実だと勘違いする場合が少なくない。相当経験豊富な人でも、忘却するので恐ろしい。私自身も、急性期病院にいながら、療養型の患者さんの実情を忘れないように自戒している。せいぜい発症後2か月くらいまでしか診療しない人が、「6か月以降は改善しない」と断言する姿に唖然としてしまう・・・。
6か月超えてから、どんどんよくなって回復した患者さんの臨床経験は、平均的臨床家であれば、誰でももっているはずである。そのような患者さんから6か月超えの入院リハビリを奪う打ち切り制度に、なぜ反対しない人がいるのか、摩訶不思議である。
病院の外来で無駄なリハビリに「見える」ことが確かにあるが、その「無駄」についての分析は見たことがない。一人一人を診察してみると、さまざまな問題を抱えつつリハビリを継続しながら、社会復帰も果たしている人が少なくない。慎重な調査と議論が必要ではないか。
「無駄=切り捨てろ」という発想には、人間の弱さが見えるような気がしてならない。当事者にとっては必要だから続けているのに、その意義がわからない臨床家。「麻痺を治すことができないから、生活重視だと言っているのに、いつまで病院に来て、医者や療法士に治せというのか。そんなストレスは受けたくない。もういいかげんあきらめなさい。」という、医療者の身勝手な陰性感情の逆転移が「治らないのにリハビリに来ている」という【感情】になっているのではないか?
(そういう『感情』が、高齢者リハビリ研究会における『長期にわたり効果が明らかでないリハビリが行われている』という悪意に満ちた提言に変貌したものと思う。『長期にわたるリハビリ』と『効果が明らかでないリハビリ』は全く次元が異なる概念である。)
完全に麻痺が治らないことくらい、長期の患者さんはわかっている。しかし、メインテナンスしなければ、寝たきりになることも、実感としてわかっている。だから、リハビリを続けるのだ。命がけの「根気強いリハビリ(大田仁史先生)」なのであって、「だらだらリハビリ」というネガティブな価値判断も含んだレッテルを貼ることは、臨床家としては厳に慎むべきである。
心理的効果も見逃せない。月に1回のメインテナンスで、外出すること。療法士や医師の専門的意見を聞くこと。これによって、どれだけの安心感が与えられるか、考えるべきであろう。心理的安定を得る効果をリハビリに求めると、そんなことのために運動療法や医学を学んだのではない、と言う人がいる。しかし、それは立派な「効果」ではないか? 『リハビリ依存症』というレッテルの背景には、心理的なところまでかかわりたくない、という臨床家の無意識も見えて来る。
関節が10度よけいに動くことにこだわるのは良くない。それよりも生活、生活・・・・と、二者択一を全ての人に迫る乱暴な意見には困惑する。どっちも大切ではないか。麻痺かADLか、という選択を強制する前に、QOLとは何か、障害にともなう心理的葛藤などを、患者さんから学ぶべきだと思う。
以上、私見でした。
ところが、画一化された医療システムの中では、幅広い臨床経験ができないため、目の前の患者さんのことだけが真実だと勘違いする場合が少なくない。相当経験豊富な人でも、忘却するので恐ろしい。私自身も、急性期病院にいながら、療養型の患者さんの実情を忘れないように自戒している。せいぜい発症後2か月くらいまでしか診療しない人が、「6か月以降は改善しない」と断言する姿に唖然としてしまう・・・。
6か月超えてから、どんどんよくなって回復した患者さんの臨床経験は、平均的臨床家であれば、誰でももっているはずである。そのような患者さんから6か月超えの入院リハビリを奪う打ち切り制度に、なぜ反対しない人がいるのか、摩訶不思議である。
病院の外来で無駄なリハビリに「見える」ことが確かにあるが、その「無駄」についての分析は見たことがない。一人一人を診察してみると、さまざまな問題を抱えつつリハビリを継続しながら、社会復帰も果たしている人が少なくない。慎重な調査と議論が必要ではないか。
「無駄=切り捨てろ」という発想には、人間の弱さが見えるような気がしてならない。当事者にとっては必要だから続けているのに、その意義がわからない臨床家。「麻痺を治すことができないから、生活重視だと言っているのに、いつまで病院に来て、医者や療法士に治せというのか。そんなストレスは受けたくない。もういいかげんあきらめなさい。」という、医療者の身勝手な陰性感情の逆転移が「治らないのにリハビリに来ている」という【感情】になっているのではないか?
(そういう『感情』が、高齢者リハビリ研究会における『長期にわたり効果が明らかでないリハビリが行われている』という悪意に満ちた提言に変貌したものと思う。『長期にわたるリハビリ』と『効果が明らかでないリハビリ』は全く次元が異なる概念である。)
完全に麻痺が治らないことくらい、長期の患者さんはわかっている。しかし、メインテナンスしなければ、寝たきりになることも、実感としてわかっている。だから、リハビリを続けるのだ。命がけの「根気強いリハビリ(大田仁史先生)」なのであって、「だらだらリハビリ」というネガティブな価値判断も含んだレッテルを貼ることは、臨床家としては厳に慎むべきである。
心理的効果も見逃せない。月に1回のメインテナンスで、外出すること。療法士や医師の専門的意見を聞くこと。これによって、どれだけの安心感が与えられるか、考えるべきであろう。心理的安定を得る効果をリハビリに求めると、そんなことのために運動療法や医学を学んだのではない、と言う人がいる。しかし、それは立派な「効果」ではないか? 『リハビリ依存症』というレッテルの背景には、心理的なところまでかかわりたくない、という臨床家の無意識も見えて来る。
関節が10度よけいに動くことにこだわるのは良くない。それよりも生活、生活・・・・と、二者択一を全ての人に迫る乱暴な意見には困惑する。どっちも大切ではないか。麻痺かADLか、という選択を強制する前に、QOLとは何か、障害にともなう心理的葛藤などを、患者さんから学ぶべきだと思う。
以上、私見でした。
厚労省はどんな計算をしたのか公表されているのでしょうか?
私は今、外来リハ(健康保険、患者負担3割)と、通所リハ(介護保険、患者負担1割)の両方に毎週1回づつ通っています。
外来リハは、OT1時間+PT1時間です。患者負担はほぼ2,300円/回。 通所リハはOT/PTごちゃ混ぜで1時間です。患者負担はほぼ400円/回。
患者の負担率の違いと、時間数の違いを含めて単純比較すると、外来リハ(健康保険)の総コストは1時間当たり3,833円。通所リハ(介護保険)の総コストは1時間当たり4,000円です。
健康保険でのリハを打切られた人は介護保険で通所リハ・在宅リハを受けなさい、と言うのが厚労省の説明のようですが、上述のように健康保険を使った方が総医療費は安くなると思います。(私の例が特殊なのでしょうか)
穿った見方をすれば、
(1)介護保険は地方自治体の負担で国の負担ではないので、見かけ上医療費削減になる。(国民の負担は何も変わりません)
(2)日数制限で打切られた人は「介護難民」となり、リハビリを諦める人がいる。 その人の余命は短くなるであろうから、健康保険+介護保険+年金(これが大きい)を含めた高齢者用の総コストは小さくなる。
と考えているのでしょうか? (2)は被害妄想患者の考えですが、意外とこれが本音かも。 「年よりは死んでください国のため」という川柳を思いだしました。
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自分がいざ当事者になってみると、障害受容なんて簡単に説明できるような代物ではないと言う事がよくわかりました。世の中では一般的に個性を持つ事を奨励しているのに、リハビリの日数や障害受容には画一性を求めるなんて、なんだかおかしな話ですね。
現在セラピスト4名でどこまでやれるか……
「やるだけやってみよう!」と話し合っています。
よく考えてみれば、何故そんなことに悩まなければならないか…やはり画一的な法律の運用方法に課題があるのではないでしょうか?
正直介護保険に移行しても、結局今度は介護保険での利用者が増加するだけなのに・・・
自分の障害と向き合い充実した人生を選択することと、回復の可能性を信じて努力し生きていくことは、人間の生き方としては同じ方向にあると思います。その期待にこたえるために専門家は研究、研鑽に励むべきなのに、およそ科学的根拠とはかけ離れた「報告書」が専門家の集約した意見として堂々と発表されてしまう。効果のないリハを口にする前に、専門家の代表としての現在の臨床レベルに対する自分たちの努力不足や社会的責任、報告書が患者や障害者に与える影響力はどのように考えていたのか。
医学の世界には尊敬すべき先人が数多くいます。不治の難病や未知の感染症に自らの命を削って取り組んだり、自分の患者を社会的差別から救うために国を敵に回して戦ったり。リハビリ医学の世界にはそのような専門家が存在するのか。そういう意味で打ち切り後の今後2年間は一つの節目になると思います。個人のレベルでも、できる努力をするしか道はありません。
リハビリが後方医療扱いされ、医療費削減の象徴として扱われる状況は、今後も続くような気がして、暗澹たる気持ちです。
これは患者にとっては(少なくとも私にとっては)大切です。 今は週に1度病院でリハを受け(そのうち打切りになるでしょう)、その他の日は自宅や近所のコミュニティセンタで自主トレ(自主リハ)を行っています。
自主トレをやっているといろいろと疑問にぶつかります。 例えば、どのへんまでの痛みはこらえて指の屈伸をやっても良いのかとか、コミセンにあるトレーニング機器(例:エアロバイク)を使って自主トレを行うとき、負荷はどの程度までかけて良いかとかです。(コミセンには療法士やトレーナはいない)
例え月1でも病院で見てもらえれば、上記のようなことが相談できます。療養期の患者でも毎日自主トレをやっていると症状が変わってきます。良くなったり悪くなったり変化することも珍しくありません。 そのときに、この程度までは痛くてもやりなさい、とか、今の状態だとエアロバイクの負荷を少し軽くした方が良いとか、症状が良くなったので、負荷を強くしようとかアドバイスしてもらえます。 打切り後は全て自分で判断しろと言うのでしょうか?
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「病院として診療報酬を得てリハビリテーション
を提供している以上、請求できない方への
サービス提供には抵抗があります。」
なにも”請求できない方にサービス提供しろ!”と言っているのではないと思いますが・・・・
国語力が弱いのでしょうか。。。
なるほどなぁと思うブログなのですが、
文章が長かったので理解できなかったんでしょうね。
病院として診療報酬を得てリハビリテーション
を提供している以上、請求できない方への
サービス提供には抵抗があります。
今回の改正内容が抜本的に変わらない以上
リハビリテーションを提供していくことはでき
ません。
署名活動に対する何らかの回答を期待しつ
つ、整形患者さんには終了の手続きを
はじめました。