2011年は、震災とは別に、私にとっても大切な存在を前触れなく亡くして涙に暮れた年でした。
あらゆる命の儚さを思い知らされた1年でした。
毎年、当時のブログを読み返します。
自然災害に為す術もなく呆然とした無力さ、一瞬で奪われた命の無念さ、愛する存在を失った悲しみ、物流が途絶える中で買い溜めに走る自分本位な都会人の浅ましさ、寒さに震えながらも生き延びた強さ、節電による薄暗い外の世界に感じた温かさ、福島支援とばかりに「ままどおる太り」してしまった自分への戸惑い、置き去りにされて朽ち果てた動物たちへの申し訳なさ、今尚故郷に戻れない苦しみ…
あれから5年。
あの年に見聞きし、経験した時の様々な感情が甦ると共に、この国が被災地の復興を第一にして動いていない事に憤りも感じます。
正直、オリンピックどころではないのでは?
お金の使いどころがおかしいのでは?
優先順位が間違っているのでは?
国への不満は多々あれど、個人で出来る事は限られているけれど、結局、今日は被災動物のボランティア団体にわずかな募金をしただけで終わっちゃったけれど、今日に限らず心は被災地に寄り添っていたい。
「忘れない」事が、きっと復興への大きな力になるのでしょう。
多くの方の命日となったこの日、犠牲になられた方々と動物達のご冥福を改めてお祈りいたします。
そして、被災された方々の元に、本当の意味での春が一刻も早く訪れますように。
あらゆる命の儚さを思い知らされた1年でした。
毎年、当時のブログを読み返します。
自然災害に為す術もなく呆然とした無力さ、一瞬で奪われた命の無念さ、愛する存在を失った悲しみ、物流が途絶える中で買い溜めに走る自分本位な都会人の浅ましさ、寒さに震えながらも生き延びた強さ、節電による薄暗い外の世界に感じた温かさ、福島支援とばかりに「ままどおる太り」してしまった自分への戸惑い、置き去りにされて朽ち果てた動物たちへの申し訳なさ、今尚故郷に戻れない苦しみ…
あれから5年。
あの年に見聞きし、経験した時の様々な感情が甦ると共に、この国が被災地の復興を第一にして動いていない事に憤りも感じます。
正直、オリンピックどころではないのでは?
お金の使いどころがおかしいのでは?
優先順位が間違っているのでは?
国への不満は多々あれど、個人で出来る事は限られているけれど、結局、今日は被災動物のボランティア団体にわずかな募金をしただけで終わっちゃったけれど、今日に限らず心は被災地に寄り添っていたい。
「忘れない」事が、きっと復興への大きな力になるのでしょう。
多くの方の命日となったこの日、犠牲になられた方々と動物達のご冥福を改めてお祈りいたします。
そして、被災された方々の元に、本当の意味での春が一刻も早く訪れますように。