先週に続き、サッカーの戦略の歴史を「発生時点」から再現してみせるような展開。そして主人公は自分の「アイデンティティ(武器)」に気付き始める回。大変そうだけどアニメーションつくる人達は原作がこういう動きの見せ方や絵柄の方が楽しいのかな?
いつの間にか「暗黙の了解」となっていた「形」を破壊し、一度「原始的段階」まで引き戻し、「調教」される以前の状態から競技の「本質」「特性」について個々に自ら気づきを得ることを促す。
という野暮この上ない「テキスト化」を用いず、これ程鮮やかに「革命」をやってのけたのは本当にすごい。「そういうことか!」となる前に、話の動き方の激しさや描写に圧倒されてしまう視聴者も多いと思うので、第1話から何度も観返すことをお勧めする。
それにしても、現実のスポーツやってても、「そういうことか!」と先に気づいて実践できるのは所謂「運動神経のいい奴」なんだよね。そこがお膳立てが整ったうえでやる「学校の勉強」と違う所で、単に力が強いとか足が速いのともちょっと違う。
そうはいっても、(少なくとも日本では)そういう「運動神経のいい奴」もどんどん調教されて、社会に出る頃には「ただの将棋の駒」になってしまうんだけどね。
という野暮この上ない「テキスト化」を用いず、これ程鮮やかに「革命」をやってのけたのは本当にすごい。「そういうことか!」となる前に、話の動き方の激しさや描写に圧倒されてしまう視聴者も多いと思うので、第1話から何度も観返すことをお勧めする。
それにしても、現実のスポーツやってても、「そういうことか!」と先に気づいて実践できるのは所謂「運動神経のいい奴」なんだよね。そこがお膳立てが整ったうえでやる「学校の勉強」と違う所で、単に力が強いとか足が速いのともちょっと違う。
そうはいっても、(少なくとも日本では)そういう「運動神経のいい奴」もどんどん調教されて、社会に出る頃には「ただの将棋の駒」になってしまうんだけどね。
8インチの古いタブレットでも素人がすぐに気付くぐらいキャラクターの線が「美しく」なっている(スポーツアニメというよりなんだか美少女アニメ?に近いテイストもあったが)。プレイの足の動きも同様。ただ、難を言えば肉体なので、動きに加減速の意識がもう少し欲しいのと、ボールに働く重力や回転があまり考慮されていないところがあります。それでもあの原作の表現(スタイル)に迫る気満々、気合の入り方が感じられ、観ている方もアガります。でも、数少ない女性キャラの見せ方が若干控え目だったのはなぜでしょうね。
漫画ではテキストと図解になっているところの見せ方がまだ若干苦労している様子です。これは逆に原作にこだわらず、言いたいことさえ大体伝われば、アニメ(動画)の利点を活かした見せ方でいいと思います。
漫画ではテキストと図解になっているところの見せ方がまだ若干苦労している様子です。これは逆に原作にこだわらず、言いたいことさえ大体伝われば、アニメ(動画)の利点を活かした見せ方でいいと思います。
TVの放映時間がスポーツ物らしくないからこれでいいのかな?原作漫画のファン以外の視聴者の「脊髄反射率」が測れそうです。
サッカーも動画で上手く動きを見せるのが難しそうなスポーツだが、今の所「正攻法」でやっている。#ベイビーステップ の時も指摘したが、ポイントだけ抑えて「漫画的」に見せてもいいとは思うが。特にフェイントなどは足元だけ動画で見せてもあまり意味がない場合が多い。
いずれにせよ、寝る前に観るコンテンツが増えて有難い。実写は一回分が長いし、活字は目が悪くなってきたので横になって読むのが辛くなってきた。(最近、小説は極力古めのものを日中に読んで「デトックス」するようにしています。)
サッカーも動画で上手く動きを見せるのが難しそうなスポーツだが、今の所「正攻法」でやっている。#ベイビーステップ の時も指摘したが、ポイントだけ抑えて「漫画的」に見せてもいいとは思うが。特にフェイントなどは足元だけ動画で見せてもあまり意味がない場合が多い。
いずれにせよ、寝る前に観るコンテンツが増えて有難い。実写は一回分が長いし、活字は目が悪くなってきたので横になって読むのが辛くなってきた。(最近、小説は極力古めのものを日中に読んで「デトックス」するようにしています。)
『機動戦士ガンダム 水星の魔女』の公式サイトでは、第1話放映と同日に短編小説『オープニングテーマ YOASOBI「祝福」原作小説 「ゆりかごの星」』が公開された。
単なるいち視聴者が改めて言う事でもないが、この『水星の魔女』は非常にチャレンジングな「プロジェクト」だ。前日譚『PROLOGUE』で何に挑むか宣言したうえでの、「本編」である。第1話放送後の反響をtwitterで見れば、つくり手側が今日背負わなければならない荷物の大きさ、複雑さ、奇怪さ(?)が窺える。
そんな中公開された『ゆりかごの星』を読むと、「これは今出しておいた方がいいだろう」という判断があったのだろう。だからこの短編は、単なる「おまけ」ではなく、「物語をきちんと楽しみたい(多くの?)視聴者」にとってアニメとセットで一つの作品ぐらいに考えた方がいいと思う。
もしこれが20世紀中に公開された作品だったら、特にファーストガンダムを「読み込む」様なセグメントをメインターゲットにしていたら、この短編は不要だったかもしれない。そうでなくとも、『ゆりかごの星』の各エピソードを本編に徐々に挿入してゆく「オーソドックスな構成」にしていたかもしれない。
古い世代の人間としては、第1話を観て、当分静かに、興味深く見守ろうという感じだったのだが、この短編を読んで「俺も頑張るしかないか」と勝手に「再確認」してしまいました
単なるいち視聴者が改めて言う事でもないが、この『水星の魔女』は非常にチャレンジングな「プロジェクト」だ。前日譚『PROLOGUE』で何に挑むか宣言したうえでの、「本編」である。第1話放送後の反響をtwitterで見れば、つくり手側が今日背負わなければならない荷物の大きさ、複雑さ、奇怪さ(?)が窺える。
そんな中公開された『ゆりかごの星』を読むと、「これは今出しておいた方がいいだろう」という判断があったのだろう。だからこの短編は、単なる「おまけ」ではなく、「物語をきちんと楽しみたい(多くの?)視聴者」にとってアニメとセットで一つの作品ぐらいに考えた方がいいと思う。
もしこれが20世紀中に公開された作品だったら、特にファーストガンダムを「読み込む」様なセグメントをメインターゲットにしていたら、この短編は不要だったかもしれない。そうでなくとも、『ゆりかごの星』の各エピソードを本編に徐々に挿入してゆく「オーソドックスな構成」にしていたかもしれない。
古い世代の人間としては、第1話を観て、当分静かに、興味深く見守ろうという感じだったのだが、この短編を読んで「俺も頑張るしかないか」と勝手に「再確認」してしまいました