op's weblog

文字通りのログ。経験したことや考えたことの断片のアーカイブ。

maitta

2005年09月23日 00時00分19秒 | Weblog
ガレージに行くと、丸めて置いといたよしずの上にむくむく動くものが。

金属製の棚の下を通り、NSR50の前輪と壁の間で止まる。あー3匹縦に重なってつぶらな瞳でじーっとこっちを見ている。なぜかそこから動こうとせず、けつを押しても逃げない。顔をさわっても動かない。

テニスから帰ってきてみると、三毛が乳をやっていた。またおまえかよー。近づくと薄情な母親と姉のちびは逃げ、そのとき隣の魚屋の車が帰ってきたら、なんと薄情にもそのままえさをもらいに行ってしまわれました。3つのぬいぐるみは定位置で重なっております。

小便やうんこでまたくさくなるのもたまらんので、CRC-556を近くに撒いてみたがやっぱり動きません。

でも最近三毛の腹がでかい様子もなかったし、だれか捨ててったんじゃないかと少し疑っている。
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最近新聞なぞ読まないので

2005年09月12日 18時53分03秒 | Weblog
プロフェッショナルとしてのPRについては、ある程度割り切ったつもりでいたが、さすがに胸糞わるくなった。ああ、昨日のTBSラジオでも勝谷某だか宮台某だかが褒めておったよ。

政治の世界でも広報重視

フライシュマンは日本では失敗ばかり目に付く。商売下手の元NR500部隊&セガの社長(入交氏)がいるし。もっとも、プラップにしてもどこまで請け負ったかわからんし、フライシュマンもクライアントに恵まれなかったことも確かだとは思うが。
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人間というよりもはや蟻、逝くところまで逝け

2005年09月12日 18時05分15秒 | Weblog
昨日の選挙の結果は、予想はしていたものの、昨年に輪をかけて非常に胸糞の悪い結果だった。さすがに特番ばかりのテレビを見る気になれず、ラジオに切り替えてしまった。

自民党に投票したガキどもや自分が割を食ってると思い込んでいる連中は、本当に勝ち馬の尻尾にしがみつくことができると思っているのだろうか?相手はお前らより数段上手だ。お前らは利用されるだけされて、差し引きプラスの“収支”なぞ、間違ってもありはしないよ、モーロック。ペ様と純様が画面でふらふら動いていればなんとなくハッピーになれるババアども、テレビの角に頭ぶつけて死んでしまえ。

宮台シンジっちゃ、栗本慎一郎とどっこいどっこいのウルトラナイーブな学者だな(だから学者なんだろうが)。(産業ロックならぬ)産業評論屋の宮崎哲弥よかましだが、過去の負い目はあるにせよ、いいかげん自分の戦略も見直せよ。
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台湾近辺の地震がここまで伝わったような気が

2005年09月06日 19時30分45秒 | Weblog
 今、ヴォネガットの「ローズウォーターさん、あなたに神のおめぐみを」(God bless you, Mr. Rosewater)を読み返している。アメリカ南部の台風被害をずっとニュースで見ているうちに思い出した、わけではない。図書館で「タイムクエイク」(TIMEQUAKE)を借りて読んだあと、手近にあったからだ。

 ヴォネガットは、著書を一、二行読んだだけで、アメリカ人とわかる。

 「ローズウォーター」は、学生の頃、栗本慎一郎が激賞していたので買ってみたが、当時は感傷的過ぎると感じ、またいわゆるSFとは違うことから一度読んで抛っておいた。

 「タイムクエイク」は著者が、自分にとって最後の小説 と宣言した本だ。やはり感傷的で、ちょっと説教くさい。それでも、この本が出版されたのは1997年なのだが、とうとう来るところまで来てしまった今の世の中を生きていると、共感せざるを得ない。

 世界の時間が10年前に逆戻りしてしまって、しかも戻った10年間を「前に一度やったのと同じことを、もう一度自動的に繰り返させられる」状態になってしまう。問題は、そうやって半ば機械のようにやり直した10年間が終わったあと、「自分の自由意志でどうすればいいのか判断できなくなってしまった」人が続出したこと。その繰り返した期間と言うのが1991年~2001年となっていて、なんだか日本人への皮肉にも思える。

<抜粋>※訳:浅倉久志
「それでもやっぱり聞きたいな。おれがなにをとりもどしたかを」
「わしはあんたが自由意志をとりもどしたといったんだ」
「自由意志、自由意志、自由意志」プリンスはふしぎそうに顔をしかめて復唱した。「前から不思議でね、おれがもっているものはなんだろうと。いま、その名前がわかった」
「さっきわしがいったことは、どうか忘れてくれ」トラウトはいった。「それより早く人助けを!」
「知ってるかね、その自由意志をどうすりゃいいかを?」とプリンスはいった。
「いや」とトラウトは答えた。
「自分のけつの穴へつっこめばいい」
<ここまで>
 最後の「自分の」は原文ではどう書かれているのかな。

 ヴォネガットは、現代の若者の境遇 -正確な定義は難しいが- についても語っている。
<抜粋>
この世界が怖気づいた人びとでこんなに超満員になり、自然と人工のまぬけ落としがこんなにぎっしり仕掛けられている現在、私が話したエデンの園のイメージは、あの若い聴衆からすれば、なんと無意味なものに思えたことだろうが。
<ここまで>

 ヴォネガットは実は、理数系の仕事をしている家族に生まれ、やはり理数系の学部を卒業している。
<抜粋>
「たとえあんたが一時間かかったとしても、かつてあの二つの天体のあった場所から場所へ、なにかが旅をしたわけだ。控えめに見積もっても、光の百万倍のスピードで」
「なにが旅をしたんです?」
「あんたの意識さ」
<ここまで>

 小説から抜粋するというのは、やっぱりすごく間抜けなことだし、見落としたり、解釈が間違っていたりしていることも多いことも自覚している。だからまたしばらくしたら読み返すつもりではいる。
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ちょっとこわれてみました。

2005年09月03日 00時07分44秒 | Weblog
 ブログだSNSだバイラルだダイナミックかつコアのない分散した、フラットな(水は低い方に流れるからな)知のネットワークだ言うけど。

 そのまえに僕はこれ以上ディスプレイ画面見たくない。ずっとITに関わる仕事やってきたが、いまだにディスプレイ画面自体に慣れない。白黒のみや液晶であっても、ちょっと長い時間見ていると疲れてストレスが溜まる。紙に書いてあるほうがずっと速く読めるし、内容も把握しやすい。ケータイにしがみついて、延々とどうでもよい事ちまちまやりとりしている連中など、はっきりいってキチガイ以外の何者でもない。カップラーメン常食にするようなものである。ディスプレイ画面ちゃ、ぼーっと動画を眺めるか、システムの状態を確認するために使うもんだ。
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