op's weblog

文字通りのログ。経験したことや考えたことの断片のアーカイブ。

衆愚の勝利?

2009年11月28日 11時42分21秒 | Weblog

「国家予算の仕訳」について、テレビでニュースを観た時はひどいものだと思ったが、実際に行って見てみるとそうでもなかった、というコメントをネットで目にする。

もちろん、劇場型政治用の戦術でもあるのだろうが、それを逆手に取ったつもりのマスメディアの動き(ネガティブキャンペーン)は、作業が一般公開され、さらにネットでより早く/速く、詳細に情報が流れることもあり、空振りに終わりそうな気配だ。このイベントにより「公開仕訳」されているのは、国家予算だけでなく、マスメディア、つまり「従来の日本」を操縦していた官と世論誘導機関なのである。

ちょっと前のエントリで、与党の揚げ足取りに熱中している連中を批判したが、そもそも今「一般市民」は“民主党の中身”など見ていないのである。いままで抱えてきた社会システムのゆがみの部分が、いよいよ手に負えないものになってきて、いったんチャラにしなければならないのだが、その仕事のツールとして民主党は使えるかどうかだけを問題にしているのだ。

海外からも注目されているようだが、もちろん今回の「仕訳」がどんな結果をもたらすのかまだわからない。というか、これは個々の立場からの見方はもとより、“歴史的な観点でも”短期・中期・長期で評価が変わって当然であり、そのなかのどれが重視されるべきというものでもない。

それより今僕が興味を持っているのは、このイベントが提案され、実施されるまでの詳細なプロセスと今後の動き、そして国会議員以外に関わっている人たちの本当の役割、表には出ないが社会学者の宮台真司氏などもちょっと“怪しい”気がする。

「マクロ経済」については、大方の予想通り?二番底が現実化しそうだが、世界恐慌と同じプロセスをたどるのか(たどるとすれば、よりスピードアップした形だと思うが)?、今後世界的に大幅なインフレがきたとして、それまで他の国に合わせて通貨供給量を増やしておいたほうが結局まだましだったりはしないのか(供給の仕方をよく考えるべきだとは思うが)?といったところだが、グローバル化がどんどん進んでいる状況では、多分個々人が(経済的側面で)世界とどう関わっていくかによって違ってくることがよりはっきりわかってくると思うので、これは“日本のような先進国”ではもはやあまり大きな問題とはいえなくなるのかもしれない。

暇を見つけて宮崎学氏の最新の力作を読んでいるのだが、この“結末”もちょっと楽しみにしている。
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典型的な反応

2009年11月27日 10時39分28秒 | Weblog
「事業仕訳」関連で日の丸スパコン等科学研究関連予算についていろいろ騒いでいるが、

IT中心だが技術系の人間と付き合ってきた経験から言うと、技術者や研究者というのは(所謂職人さんもそうだが)、とにかく安定した環境で集中したいものなのだ。だから、根本的には予算の多少や有無が問題なのではなく、研究以外のことでビクビクしたり、気をつけなければならないことが増えるのがいやなのだ。

よく「国としての技術の蓄積」が失われると嘆いてみせる“関係者”のコメントが出るが、はっきり言って、国家的な戦略としての独自の明確なプランや、歴史的なビジョンを考え抜いたうえで本気で話している者は殆ど皆無だろう。もっとも、はっきりいってそんなことをしても意味はない。現実はおそろしく流動的で動的なものであり、技術の進歩によってさらにコントロール不能なものになってきているからだ。

一方、米国がうまくいっているのは、国は“市場をつくり”、そこに投資し、上がりをもらうことだけに専念しているからだ。
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怖い人

2009年11月24日 09時43分23秒 | Weblog
いつもニコニコしている人や笑顔が似合う人ほど、いざとなると怖い。

90年代のピーター・アーツがその典型で、リングで打ち合っているときの顔は「ザ・殺人者」であった。

ますます好調の(クルム・)伊達公子もそうで、20代の最初の現役の頃は、神経質だった以外にも、コワイ(悪いことをするわけではない)エピソードが残っている。まあ、女子テニスという、ほぼ伝統的にすさんだ文化を持っている(プロの試合では、シングルスでゲームセット時の握手の様子が象徴的)社会の中での話しではあるのだが。

ロジャー・フェデラーも似たところがあるが、彼の場合はナチュラルではなくて、メンタルトレーニングで“昇華”させた結果のようだ。いずれにせよ、エネルギーかどうかわからないが、根本的に“過剰”が大きい人ほど、“過剰”がそれを放出するステージを常に上回っている人ほど、そしてしかも“過剰”を自分でコントロールできる人ほど、ああいう非日常的ステージでは、強いらしい。
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意味不明の付加価値

2009年11月23日 18時57分10秒 | Weblog
グリップエンドにヒゲ用のトリマーがついている髭剃りが、特価で売っていたので買ってみた。普段は中国で買ったホルダーに、シックの2枚刃をつけて剃っているのだが、新しいのはデラックスな4枚刃である。

二日間ほど不精していた顔をあたってみると、すぐに剃れなくなる。刃と刃の間に切れたひげがつまってしまうのだ。詰まったひげを押し出す機構もなく(間が狭すぎて組み込めないのだろう)、水の中で振ってみても取れない。で、しかたなく使い古しの歯ブラシで時々掃除しながら剃った。

いつも使っている二枚刃でも、交換時期を間違えなければ肌を傷めることもないし、皮膚とひげの温度と湿度が不十分だと、4枚刃でも剃り残しは出るし、肌も痛い。

スイッチを入れるとブルブル振動するが、やはり効果なし。トリマーだけが実用レベルという奇怪な商品である。
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マムシ谷に行きたかった

2009年11月21日 08時30分50秒 | Weblog
慶應チャレンジャー国際テニストーナメント2009が横浜の慶應義塾日吉キャンパスで開催されている。

明日は男子シングルス決勝一試合のみという、興行上どうかとも思うスケジュールなのだが(入場は無料)、鈴木貴男氏が決勝に進出しているのだ。

いいところまでランキングが上がってきたなと思ったら故障してしまい、なかなか浮上できないでいる状態が長いが、勝敗はさておき彼のプレーは非常にエキサイティングで面白い。

こちらも故障中のホープ、錦織・Air・圭氏のプレースタイルも、まるでマンガのようなアタックとひらめきに富んだショット選択でとても楽しめるが、鈴木氏のサーブ&ボレーとスライスを多用するプレーも負けず劣らず面白い。最近は個性的なフォームやプレースタイルを持つ選手が本当に少なくなってしまったが(トップクラスにいないだけかもしれないが)、鈴木氏のプレーは、素人でも楽しめる。

ちょっと言い直そう。最近の選手は似たようなフォームで打つからか、プレーからその選手独特のリズムやゲーム/テニスに対する考え方が、昔よりずっと見えにくくなっているのだ。F1やMotoGPのマシンと同じく、勝つ確率を上げようとすると、みな似たような形になるのかもしれない。その点、鈴木氏のプレーには明らかに彼独自の美学を感じ取れるし、フェデラーを追い詰めたように、相手とかみ合うとまさにファンタジックなゲームを楽しむことができる。

残念ながらスケジュールが合わなかったが、マムシ谷に行きたかった。
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