op's weblog

文字通りのログ。経験したことや考えたことの断片のアーカイブ。

今日のひとこと: #生成AI について「知りたい」なら、#翠星のガルガンティア 第4話 追憶の笛 がおすすめ。 #AI がらみでこれから何が起こるのか(1.5)

2023年06月21日 22時47分29秒 | Weblog
夕飯を食べながらHuluでまた公開した『翠星のガルガンティア』の 「第4話 追憶の笛」を観ていたら不覚にもちょっと泣きそうになってしまいました。今まで何度も観てきた作品であり、その中でもそれ程インパクトの強い回とは思っていなかったのですが。

この「追憶の笛」は今、ジェネレーティブAI(ジェネラティブAI)とロボティクスの急速な進化によって引き起こされている問題・課題、そして世界中の沢山の人々が感じている戸惑いや不安、を見事に表現しています。

『翠星のガルガンティア』はちょうど10年前に放映されたSFアニメで、僕は既にこの作品をいわば「歴史的視点でのAIの意義」という切り口で『今日のひとこと: Microsoftはチェインバーを目指せ』という文章で取り上げています。が、この作品のテーマの一つは実はより具体的な(?)「若者とお仕事」であり、「追憶の笛」は2023年6月現在に観ると、恐ろしいほどのリアリティ、生々しさを感じさせます。そしてその分、ヒロインであるエイミーの弟ベベルが主人公レドとの対話で語った内容がより深く胸に刺さります。





























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今日のひとこと: いまさら「ハリウッド映画が終わってる」と言うのはギョーカイ内の人だけだと思うぞ

2023年06月19日 20時41分16秒 | Weblog
映画は死なない。でも、我々が夢中になってきた ハリウッド映画はもう存在しない。「ハリウッド映画の終焉」著者・宇野維正、1万字インタビュー(MOVIE WALKER PRESS) 

もうとうの昔にハリウッド映画云々どころか、映画館に行くことも殆どなくなった人間としては、普段読まない類の記事なのですが…

どんくさい僕が最初に決定的な違和感を感じたのはやはり『ダークナイト』(日本公開は2008年夏)です。米国の住宅ローンバブル崩壊と同時期に日本公開された、バットマンのリブート映画ですが、911、イラク侵攻等から結構経ったあの時期に、流行りの(何故か今もまだ流行っている)マットでダークな絵柄で「正義の味方のアメリカは悩んでいます」と。僕が国内の評論家さん達に煽られて恵比寿まで観に行ったら、やっていたのは高そうなスーツ着た白人中年が小学校の教壇で延々自慰行為見せる様な作品だったわけです。それでも当時日本で「今時こんな勘違い映画」と批判したのは、某経済学者ぐらいだったでしょうか。この方リフレ推進派なので本業の方は評価できませんが、この評価は的を射ていましたね。

米国のヒーロー物映画は、2年後の『スーパー!(Super)』によって正しいコンテクスト的には完結、終焉を迎えるわけですが、そんな事には関係なく、金かけてキラキラの、「ユニバーサル市場」向けにマーケティングされた娯楽(?)作品群は、ポップコーンや綿あめよりも徹底的に空虚でありながら圧倒的な資本と経済効率により、完全に「公開された金融商品としての映画市場」を完成させてしまいました。そして一旦オープンな金融市場としての「映画市場」がNASDAQの様に動き出せば、ファンコミュニティを含む映画市場が株式市場の様な特性を持ってゆくのは当然なわけです。

映画製作の主役が巨大資本のストリーミング事業者に代わり、コンテンツの主力も単発の映画から連続ドラマに代わってゆくにしても、(「ハリウッド取引所」の様な)グローバルにオープンな市場と、そこで高収益を狙う作品/金融商品である以上、「そこの状況」は変わらないでしょう。


一方で、いわばハリウッドを空洞化した一因でもあるテクノロジーは、個人レベルで高品質・大規模な映像作品をつくることをますます容易にしています。現代の共同幻想のふるさととして、テレビ同様映画を懐かしむようになり、知性の劣化スパイラルを加速し続けるマスメディアやSNSでの「経済効率」を狙った悲惨なコンテンツが圧倒する状況であっても、テクノロジーが可能にする「分散化・自動化・アーカイブ化」はギョーカイに背を向ける者たちがつくる「本当の次の時代」の道をしっかり舗装し続けています。

所謂既存の商業映像作品の中心的なテーマが「明確なプロパガンダ」になる時代が近づいていますが、次に来るだろう決定的に悲惨な時代をより深刻にするのも、逆に今までの例と違うものにするのも、「映画」同様テクノロジーであり、「本当にタフな連中」なのだと思います。
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今日のひとこと: さよなら #MotoGP そして #AI がらみでこれから何が起こるのか(2) の導入として

2023年06月14日 20時23分59秒 | Weblog
先週の土曜日、MotoGPを観るのも関連情報を追うのもやめました。初めてWGPの存在を知ったのは、雑誌の裏表紙にRGγとウンチーニが映っていた広告ページ。ウン10年濃淡はあったもののファンであったスポーツに愛想をつかしたということです。

勿論決定打となったのはM.マルケスが予選中に行った走路妨害混じりの後追いです。非常に危険で明らかに異常な行動でしたが、予選はそのまま続けられ、なんとM.マルケスはそのまま予選上位になってしまいました。更に驚いたのは(いや、少しは予想していましたが)、ツイッターでマルケスを擁護・応援する日本語の声がそれなりにあったことです。MotoGPの興行は完全にタガが外れたものになり、日本のファンのコミュニティは最低限の善悪の区別もつかないバカの割合が閾値を超えたということです。(ツイッターだけで判断するなと言われそうですが、日本のレースファンやレース関係者なんてどの年代も結局この程度という事を僕は身に染みて知っています。)

念のために付け加えておくと、ホンダのバイクの出来不出来に関係なく、マルケスの異常行動は彼が王座についた初期の頃から始まっていました。コーナーリング中のペドロサに異常接近し、ペドロサ車のスイングアームについていたセンサーの配線を接触で切ってしまい転倒させています。チャンピオンの目がなくなった年では、ロッシに対し走行妨害を繰り返し、最後はロッシに蹴り倒された事件が有名です。

MotoGPにおける問題は具体的に挙げるときりがなく、既に今まで何度も指摘してきたので、気が滅入るだけなので止めますが、結局MotoGPの「タイムが速くて接戦でカネがかかっている様に見えれば観る人は増えて興行は儲かるだろうからそれでOK」路線は、倫理や常識どころか「レースというスポーツ」を「虚無」でガンガン膨らまし、破裂させるところまでいってしまいました。

もっとも、これはMotoGPに限った事ではなく、WSBKでは近年、併催の年少者向けレースで死者まで出していますし、そもそもMotoGPが手本にしているF1は最早「ただ金が動いている」の境地に達して久しい。直近では今年の全仏テニスでは運営側とプレイヤー側両方でモラルハザードと呼べる事件が起きています。男子プロゴルフツアーの新旧興行で「手打ち」が行われたとかいうニュースもありましたね。


世界のプロスポーツで最近色々馬鹿げた事が起きている主な原因は、加速し続ける金融経済の膨張とテクノロジーの進化に対し、昔ながらの「興行師」の考え方を根本からアップデートできない興行側とそれにくっついている既得権益集団が完全に…


いや、もう手遅れになっている「状態」について今更くどくど書くのは止めましょう。書いておかなければならないのは、こういう「吹き出物」の様に顕在化した事象の根源にあるもの、のはずです。
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