op's weblog

文字通りのログ。経験したことや考えたことの断片のアーカイブ。

握手は絆か、理解か、和解か、海容か ― いまさら映画批評シリーズ:愛のむきだし

2010年10月28日 16時16分49秒 | Weblog
長い映画だと聞いてはいたが、まずプロローグにあたる部分もかなり長い。そして、エンタテインメントの側面を強調されることが多いが、実は最初からかなりシリアスな話。だから、コミカルな脚本や表現についても、スタイル的にあまり波長が合わない僕の場合、あらすじをある程度知っていたり、「このエピソードはこの手の話ね」というガード?をしておかないと辛かったと思う。

キャスティングについては、渡部篤郎氏はその演技のクセがあまり好きではなく、渡辺真起子氏については、脚本や演出の影響もあってリアルに苦手意識が先に立ってしまった。二人とも上手に演じたとは思う。主演の西島隆弘氏は、てらいや気取りもなく、違和感のない演技を終始続けてちょっと驚いた。満島ひかり氏については、本当に最初のうちだけタレントさん臭がしてどうなることかと思ったが、どんどん役に入り込んでゆき、こちらもとてもいい仕事をしたなと感じた。『シネマ・ハスラー』でも言及されていた、あの「若いメス」独特の目、表情はナチュラルなものもあるが、実は実社会で“磨かれて”ゆく部分が大きい。安藤サクラ氏も良かったと思うが、ひっかかった部分は演出かな、やっぱり。

それにしてもどうなのかな、若い演技者達、特に女優さんたちは、いい演技をしても、映画の外(現実世界)へ出てしまうと余計フィードバック(現実世界による消費欲)にやられてしまうことが多いのではないかな~と最近感じている。決してバカにするわけではないのだが、柔らかく、何でも受け入れるように洗脳、いや教育されてきたため、磨かれたワイングラスのように中に入れたものをすぐよく見せられるが、本質的にもろく、もしかしたら中は“空洞”になりやすい。


さて、見せ方の部分だけれど、やはり、「オス」としてのどうしようもない部分について、目覚めた自らの生理に翻弄される主人公の中により入り込んだ視点から描くことで、もっともっと切なく、笑えて、観客に深く訴えるものにできたのではないかなと。いや、これは人と人を、そして人々と“現実”をつなぐものという意味では、この映画で最も大事な部分なので、余計もどかしさが残った。こうしたほうが広く受け入れられやすいという考えなのか、監督の好みなのか。これは前段で触れた安藤サクラ氏への演出もそうで、どうしても表面的な怪しさが先にたってしまっていた。

最後の握手の握り方に、この映画全体に感じる若干のもどかしさが象徴されているように感じた。
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ブルース・ウィルスの頭のような作品? ― いまさら映画批評シリーズ(ちょこっと版):サロゲート

2010年10月25日 22時03分30秒 | Weblog
『アバター』の陰に隠れてか目立たなかった、サイバーパンク臭のない攻殻機動隊ならぬ『サロゲート』をいまさらDVD鑑賞。

今現実に進行している事態をそのまま時間を進めた形で、世の中との係わり合い方を問い直すという意味で、至極まっとうに大きなテーマを扱っており、映像もきちんとできている。が、舞台をつくったところで終わってしまっている感じで惜しい、という印象を持った人が多かったのではないかと思う。これは言うまでも無く、現代社会の鏡像から想像を自由に広げて話を作っておらず、さらに観客にもその場を与えることをせず、垂直的に決まった結論へ落としてゆく構造になっているためだ。リアルではあり、子供が見ても混乱しにくいが何も残らない。これは最初からこういう結論を言うためだけの作品なのか、最終的に編集でそうさせられたのか?

この映画を題材にして、観客のみなさんがそれぞれお話を考えてください。そういうコンクールができそうだが、この映画はとにかく自己完結してしまっていて、個人的には想像力を駆り立てるフックが見つからない珍しいSF映画だった。
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ベイビーステップ vol.14

2010年10月24日 23時36分31秒 | Weblog
荒谷戦の後半とその後の小休止的エピソードの巻。雑誌でも読んでいたので、本が届いてからさらっと読んだ感じではあまり書くことないかなと思ったのだが、ちゃんと読み返してみると、十分濃い。

荒谷戦の前半が『左利きという課題』がテーマだったのに対し、また新たなフォーカスを呈示している。荒谷はフィジカルが先天的に優れさらにそれを時間をかけて徹底的に強化してきた(そしてもちろん今も成長し続けている)現在主流のトーナメントプレイヤーの典型*であり、メンタル面でも主人公と対照的な特性を持つ。そんな相手との再戦。

*米国での対戦相手はどうだったのという話は置いておきます。

荒谷自身も成長しているのだが、主人公のレベルが上がった分相手からより多くのことを引き出し、見せている。技術的には例えばTips的にはボールの緩急に合わせたステップの調整。そして大きなテーマとして体力に勝る相手が精神的にも乗ってきた状況への対処。ただでさえコートチェンジの度に「カキカキ」お仕事している主人公は、つまるところ相手のペースに体力的についていけなくなって負けるという、漫画では非常に珍しい状態に陥る。

これは、通常、読者を“夢から醒ましてしまう”ので危険に思える展開だが、リアルさを増すことによって読者の作品への信頼感を強めるだけでなく、こうすることで読者は確実によりたくさんのものが得られるようになっている。これは主人公が読者とともにより上の段階へ進むために必要なエピソードだったというわけだ。

読者への間口を広げ直すために時々目先を変えたりしているようだが*、この先いずれにせよコート内外問わずより高度な、そして生々しい話も色々出てくるはず。それは作品の深みを増すと共に、たぶん漫画のまた新しい可能性を見せるものだし、その姿勢に共感するファンも決して少なくない(と、僕は思う)。

*個人的にはもうちょっとうまいやり方もありそうに思えるが、これはこれで好きな人も多いようなので否定はしません。

ところで前にも書いたけど、海外展開ってどうなのかな…
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最後に見たものは孤独と絶望か、無常か、スタイルか?‐いまさら映画批評シリーズ:シングルマン

2010年10月19日 21時05分40秒 | Weblog
治りかけの風邪と専門外の論文を相手にした仕事の締め切りのため、断片的に聞き流していた「ザ・シネマハスラー」でちょっと興味を持ち、気分転換も兼ねてシングルマンを観に行ってきた。

先に書いておくと、本編が始まってすぐ僕は変なトラップ(製作側が意図したものではない)にひっかかってしまい、また、情報発信側と周波数がうまく合わないような状況で観終わってしまった。だから帰宅後「ザ・シネマハスラー」を聴き直したのだが、僕とは対照的に、宇多丸氏はうまく映画からのメッセージをキャッチして、とてもいい批評をしていた。僕が実際に批評対象の映画を観たうえで聴いた「ハスラー」としては一番に近いものかもしれない。だから僕はもう一回観に行くべきかもしれない。

さて、僕が最初にひっかかったトラップとは、音と画質のことで、バルト9の責任ではないかもしれないが、まず映画の内容に不釣合いなほど音が大きく感じた。これは僕の体調のせいかもしれない。そして画質だが、最初から1960年代の風景とその頃の映画の雰囲気があまりにも忠実に再現されていたために(厳密にはどこまでそうかは知りません)、何と言うか「古い画質の映画を観るモード」に入ってしまったのだ。だから話が進むにつれて微妙に変化してゆく画面のタッチを無意識に無視して観てしまったのだ。ついでに主人公が身につける物や、自宅の様子もあまりにフィットしすぎていて、お約束のようにある“綻び”がなく、つまるところ演出的には感情面でひっかかりやすいフックが少ないトラップにひっかかった形となった。これは僕のセンスの問題かも知れないが、多分監督の好みの問題も少しはあると思う。

音と画質の件はさておき、僕がうまくこの映画のメッセージをキャッチできなかったのは、まず孤独に関する経験のし方の違いだと思う。僕はセクシャル・マイノリティではない(潜在的にはどうか知らないけれど)が、この種の孤独感は非常によく理解できるし、多分いつの時代にも実は少なくない人たちがそれぞれの形で味わってきたことなのだろうと思う。ただ、この映画の主人公はそれでも16年間だったか、それを埋める幸福を分かち合うことができた(もちろん、だからこそ喪失感も大きいのはわかっている。多分。)。しかし世の中には、いつまでかわからないが、既に若くないにも関わらず、昔からそしてこの先も一人で厳しい戦いをしてゆくしかないと観念する性質の何かを抱えた人もいるのだ。

で、より普遍的な形式で考えた喪失の物語としての本作品のストーリーを追ってゆくと、やはり普遍的な救済、つまり世の中を赦し受け入れ、もしかしたら少しとんちんかんで、完全に満たされることはないけれど、それでも全くのひとりではないことを感じられる様々な「好意(うつくしいもの)」に時々支えられながら何とかやってゆこうと主人公は最後に決める。だからこの映画の終わりは、主人公にとって残念と考えるか、救われたあとでまあよかったじゃないかと考えるか意見の分かれるところだろう。特にキスをして歩み去ってゆくパートナーを見る主人公から感じ取れるのは孤独と絶望か、無常か、スタイルか、それとも他の何か?

僕は、(ふくろうではなく)小鳥かうさぎのように終わってるなあと何となく思った。
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どこまで書くか/描くか ― いまさら映画批評シリーズ:ヒックとドラゴン

2010年10月02日 23時32分42秒 | Weblog
急遽仕事先に出向かなくてはならなくなったのを利用して、六本木まで行ってきました映画の日。


うむむ、いきなり観る側にハンデを感じてしまった。シネマハスラーやキラキラ他で絶賛されている飛行シーンについてなのだが、戦闘機やアクロ、エアレース等飛行機関係の実写ものをそこそこ観てしまっていると、鮮明さが少しぐらい劣っていても無意識に補完してさえ楽しむ(疑似体験する)目が出来てしまっているからだろう、本当に正直なところ新しい「何か」を与えてはもらえなかったのだ。

ただ、ラスボスの巨大ドラゴンが雲の中でもがく様子、これには不思議な生々しさとともに目を奪われるものがあった。


で、ストーリーをはじめ全体としては、うーん…「普通によく出来ている、多分徹底した子供向け映画」という印象だった。なにせ原題が『How To Train Your Dragon』だし、「ドラゴン退治」という学問的にもかなりめんどくさい素材を扱っているので、映画が終わってから勘ぐったり少し調べたりしてみたのだが、結論としては、全体的に「普通の小学生が家族と観に行って普通に楽しめる(混乱しない、疑問を残さない)」以上のものは多分意図的に排除してつくってある。そういう意味では非常に考えてつくられており、読んではいないが原作のスタイルに忠実にしたのかもしれない。シネマハスラーへの投稿でも賛否あったらしいラストの部分についてもまさに「そういうこと」であり、それはそれで間違いではない。深読みしすぎかもしれないが、大人が子供向けのコンテンツを(勝手に)読み解いて楽しんでしまう「Animeブーム」以降の風潮の「危険性」(大人のおもちゃにしてしまう)を暗に戒めているのかも知れない。

映像の作り込みについては、僕は『アバター』とは単純に予算と製作期間の長さ分の差はあったかなと思った。もちろん不出来では決してない。


今まで3DはIMAX版『アバター』のみ、だから六本木TOHOのXpanD方式について、耳年増になっていたため体調やや不良の状態ではその後仕事にならんのではないかとまで大げさに心配していた。が、暗さについては気にならず、体に負担も感じなかった。困ったのは、映像の中で遠くに置かれたモノはきれいに見えるが、比較的手前に配置されたモノがかなりぼやけており、それに動きが加わると非常に見づらかったこと。眼鏡の角度を色々変えてみたりしたがだめだった。ただ、これは座席が端の方だったためか、根本的な方式の欠陥なのか、それともコンテンツの出来の問題なのか不明。本編が始まる前の予告編でも時々違和感を覚えたが、これもコンテンツの問題なのかどうか。

ちなみに予告編で期待の『TRON LEGACY』をやっていたが、3D効果の出来はかなり厳しいものだった。公開までのブラッシュアップを望む。『シュレック』については別に立体視でなくとも多分安心して観ることができると思う。ジブリはじめ本職の声優以外を使ってひどい状態になっている映画も多いが、藤原氏、浜田氏を始めこのシリーズのレギュラー陣は違和感無く楽しめる。藤原紀香のラジオ番組って過去にあったか知らないのだけれど、結構向いてるんじゃないかな~。ちなみに『アルフ』の所氏も僕は好きです。
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