ささなみの志賀の大津は霊魂の都となった
明日香が霊魂の都「飛ぶ鳥の明日香」となったように、近江の大津も霊魂の都となりました。
「ささなみ」は琵琶湖西南の沿岸一帯の地名だそうです。地名としては滅びても枕詞として使われていると、古語辞典に書かれています。
「ささなみ」のという枕詞で始まる歌は、万葉集中に十一首あります。
巻一、巻二までは誰が詠んだ歌か分かりますが、巻七~十二までは「羇旅歌」などで作者名はわかりません。巻一の31の「ささなみの」は「左散難弥乃」と漢字があてられています。
ですから、楽浪・左散難弥・神楽浪・佐左浪。神楽聲浪の漢字が「ささなみ」に与えられているのです。
この中で、石川夫人と置始東人(おきそめのあづまひと)の歌は挽歌です。石川夫人(いしかわのぶにん)が天智天皇の殯宮の時に詠んだ歌ですし、置始東人は弓削皇子のために詠んだ歌です。二人の歌の「ささなみ」には「神」が付け加えられて「神楽浪」となり「霊魂漂う楽浪」の意味を負っているのです。
神となった霊魂はもちろん天智天皇なのです。
ささなみに「神」が付くか付かないかで、枕詞の意味は大きく違ってきます。「楽浪という土地」ではなく「あの近江朝のあった楽浪」となったり、「今は亡き天皇の京があった楽浪」となったりするするのです。「神楽浪」は、歴史の重みというか、滅びた王朝の物語を引き出してしまう言葉なのです。枕詞には十分意味がありました。
神楽浪の枕詞を冠した歌を読みながら、琵琶湖の湖岸に立つと何とも哀しくいにしえに心惹かれるではありませんか。
次回は、この地で生涯を終えた天智天皇の挽歌を詠みましょうね。