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50天武天皇崩御の八年後に「持統帝の御歌」

2017-03-23 10:03:19 | 50天武天皇崩御八年後の持統帝の御歌

  天武天皇崩御の八年後の持統帝の御歌

 天武天皇崩御の八年後(693)の九月九日(天武帝の命日)の御斎会(ごさいえ)の夜、持統天皇の夢の中に詠み覚えられた御歌一首が、万葉集にあります。御歌なので(御製歌ではないので)皇后であった時の持統天皇の歌となっています。御斎会は宮内にて行われましたが、まだ藤原宮には遷都していません。飛鳥浄御原宮は天武天皇の宮で、伝板蓋宮(いたぶきのみや)跡から掘立柱の大型建築物址や大井戸址が発掘されていますから、ここが飛鳥浄御原宮跡だという説が有力です宮号を正式に定めたのは、朱鳥元年(686)7月で、天武天皇の崩御の二か月ほど前でした。それまでは、板蓋宮と重なっていたようで何宮と呼んでいたのでしょうかねえ。

 

持統天皇の歌は162番歌で、草壁皇子の挽歌167番より前に載せられていますが、現実には草壁皇子の歌の方が先に歌われています。草壁皇子薨去(689)の方が、天武帝崩御の八年後(693)より早いのですが、天武帝の崩御(686)に合わせて歌を歌集に掲載したのでしょうね。

持統帝は人麻呂の歌を夢の中で思い出したのかも知れません。草壁皇子の挽歌にも共通する「飛鳥の浄見宮」「天の下知らしめし」「高照らす日の皇子」「いかさまにおもほしめせか」が使われています。

 162 明日香の清御原(きよみはら)の宮に天の下知らしめしし 八隅(やすみ)しし吾(わご)大王(おほきみ) 高照らす 日の皇子 いかさまに おもほしめせか 神風(かむかぜ)の伊勢の国は おきつ藻(も)も 靡(な)みたる波に 塩気(しおけ)のみ 香れる国に 味(うま)こり あやにともしき 高照らす 日の皇子

明日香の浄御原の宮に天下をお治めになられた、支配者である我が大王は、高きより天下を照らす日の皇子であるのにどう思われたのだろうか、神風の伊勢の国は沖の藻も靡いている波の上を、塩の気のみが漂い香っている国。そんな国に(何故行かれたのか)。言葉にできないほど慕わしい高照らす日の皇子が…

この歌は中途半端だそうです。確かに、途中で言葉が切れた感じですね。

日の皇子である天武天皇が、持統皇后の夢の中で行かれたのは「塩気のみが香る伊勢の国」でした。持統天皇にとって、天武帝が伊勢国へ行くとは理解しがたいと、いうのです。伊勢とは、壬申の乱で高市皇子(天武側)に加勢した神の坐す土地で、天照大神を祀る神社のある土地でした。壬申の乱後に、天武帝は皇女を斎宮として送りました。

最近こそ二千年の神祀りの神社とかメディアが報道しているけれど、伊勢神宮が歴史に登場したのは新しいのです。更に、明治になるまで、伊勢には天皇の参拝がなかったというのです

しかし、その伊勢に天武天皇の霊魂が行かれたというのですから意味深ですね。

伊勢神宮は天武天皇に取って、その皇室にとって大事な神であり、氏神の神社であったのです。一般の人が願い事をすることも禁じられていました。ご神体は鏡とされています。、玉、剣といえば、三首の神器でも有名ですね。

 そういえば、万葉集に詠まれる神社には「石上神宮」がありましたね。石上神宮は物部氏の神社で、ご神体は剣(空を切る時のフッという音から、フツ主の神ですね)

 とすると、弥生の神であった鏡と剣と玉を祖先神とする氏族のルーツは、北部九州なのでしょうか。イザナミとイザナギがアメノヌボコを使ってオノコロ島を生みましたが、ヌボコのも九州の氏族のシンボルですね。豪族のルーツは祀る神々で分かるのではないでしょうか。

それにしても、持統天皇は仏教で御斎会をしていたのに、天武天皇は神の国に行ったというのです。仏教と神道では葬儀や法要のやり方も違っていましたから、持統天皇には夢の中の天武天皇の行動が意外でした。もちろん、現在の私たちにすれば「夢の中で伊勢に行かせたのは、持統天皇の潜在意識」だと分かります。

しかし、持統天皇は「夫は伊勢に行くことを心の底では望んでいた、が、それは意外だった」と歌に詠みました。夢は古代の人には現実でしたから、夫の本当の気持ちを妻が知ったのです。万葉集はその事を書き残したのでした。

貴方は伊勢に行ってしまった。そこで貴方は安心されたのでしょうねと。

また明日