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別に編集された持統天皇の紀伊国行幸の歌

2017-10-26 22:21:27 | 67持統天皇の真意は何処に

持統天皇・もう一つの紀伊国行幸

持統天皇(太上天皇)と文武天皇(大行天皇)の紀伊国行幸を繰り返し取り上げてきました。この行幸の目的は「有間皇子の霊魂を鎮める儀式をするためだった」として巻九の紀伊國行幸13首(1667~79)を紹介しました。また、この有間皇子事件を目撃した額田王と事件そのものに関わった中皇命(なかのすめらみこと)の歌も紹介しました。

大宝元年(701)、持統天皇の紀ノ國行幸を万葉集は「大宝元年辛丑秋九月」と「大宝元年辛丑冬十月」として分けて掲載しています。九月とある歌は巻一に、十月とある歌は巻九と巻二(人麻呂の歌)に掲載されています。

思い出していただきましたか? 紀ノ國の美しい風景の中にひっそりとたたずむ万葉集の物語が、旅人の心を締め付けました。

さて、持統天皇は孫の文武天皇を立派な後継者にすべく、紀伊国に共に行幸しました。そこで語られたのは、有間皇子の物語です。十三首が順序良く「どのような事件だったのか、どの道を辿って最後の地(藤白坂)まで逃げ、どのような最後を遂げたのか」語られていました。ですから、同じ行幸でも目的が違う部分は分けて万葉集は編集されているのです。

巻九には「大宝元年辛丑冬十月、太上天皇大行天皇の紀伊国に幸す時の歌十三首」ときちんと括られて編集されていますので、十三首が他と混じることはないのです。

では、同じ大宝元年辛丑の九月の歌を読みましょう。これは、巻一にあります。

54 巨勢山のつらつら椿は咲いてはいないけれど、つらつら偲ぼうか。春の巨勢山に椿が咲いたその美しい春の野を。

季節は九月で秋なので、もちろん椿の花はありません。坂角人足は秋色に染まった山に春の景色を重ねて読んだのでしょうね。秋もいいけど、きっと春もいいよね、と。

55 麻裳で知られる紀伊の国の人は羨ましい。真土山をいつも見ていられるから。わたしは旅の行き帰りに見るのだが、紀伊国の人はいいなあ。

麻裳は紀伊国にかかる枕詞です。ヤマトから紀伊国に入る辺りに小さな真土山があります。ここを越えると紀伊国なのです。

56 河の辺りに咲くつらつら椿、その椿をつらつら見ても飽きることがないのだろうなあ、椿が咲く巨勢の春野は、きっと。

調首淡海も、春日蔵首老も紀伊國の土地をしきりと誉めました。旅に支障がないように行幸一行が何事も無く旅を続けられるように、従駕の者は土地を誉めながら奉仕していたのですね。土地を誉めることがその地の神々に祈ることでもあったそうです。

持統天皇と文武天皇の行幸は「有間皇子の霊魂を鎮める」ことが目的でしたが、もう一方では土地の神に旅の安全を祈りながらの旅でもあったのですね。旅で土地を誉める歌などを「羇旅歌(きりょか)」といいますね。

万葉集は羇旅歌と「紀伊国十三首」を別の巻に分けて編集しています。同じ行幸時の歌がこのように目的ごとに分けられている事は、ますます文武天皇を伴った紀伊国行幸が特別だったことを教えてくれます。

文武天皇は十分に理解したでしょう。だから、紀伊国に道成寺も建立したのでしょうね。