9 有間皇子を愛した間人(はしひと)皇后
なぜ、中皇命は紀伊国に来たのか?・それも有間皇子事件の渦中に!
当然の疑問でしょう。間人皇后は有間皇子の父・孝徳天皇の妻でしたから、その皇后が天皇崩御後に息子が起こした事件のために紀伊国まで追いかけて来るなど考えられません。むしろ、兄の中大兄の命を受けて護送に付き添って来たとも考えられても仕方ありません。愛する兄の為に、有間皇子に「あなたは皇太子(中大兄)に逢うべきです」と。
しかし、紀伊温泉まで来た中皇命の歌は、せつせつと相手を思う思慕の歌です。そして、最後に白玉の歌、白玉こそ拾って願いを懸けたかったという歌ではありませんか。事件の本質を知っている人の必死の思いが溢れているのです。
中皇命・間人皇后は有間皇子を愛していた! ということでしょうか。
更に、有間皇子事件の時(658年)に、中皇命が存在したということは、斉明天皇はまだ即位していないことになります。準天皇からまだ玉璽が渡っていないのですから。皇位のためには玉璽が無ければなりません。前天皇の御璽が。これは、大変な事実です。斉明天皇が即位するのは、有間皇子事件の後に玉璽が渡った後となるからです。
そして、亡き天皇の後宮のトップが、紀伊国に来たという事実です。準天皇として来たという…
間人皇后は、孝徳天皇の病が重篤になった時、兄の中大兄と共に難波宮に戻り天皇を見舞っています。そのまま難波宮に留まったと思われます。孝徳天皇から玉璽を預かったのですから。難波宮の内裏で玉璽を以って大化改新後の律令政治の一翼を担っていたのです。
(前期難波宮が孝徳朝の宮跡とされています。掘立柱の異様なほど立派な「いうべからず」という宮殿だったのです。もちろん、後宮も北側にに在りました。)
では、次の天皇は? 後継者は誰だったのでしょう。皇太子となったのは、みんなを引き連れて飛鳥へ戻った中大兄ではなく、孝徳天皇の息子・有間皇子をおいて他に考えられません。
有間皇子が後継者として仕事を始めた矢先の、謀反事件でした。後継者が謀反などありえない話です。中皇命は次の天皇になるべき有間皇子を追いかけてきました。なぜ?
そこが問題です。孝徳天皇崩御後、難波宮の後宮はどうなっていたのでしょう。多くの妃や夫人が居たはずです。彼女たちは全て次の後継者の下に移籍されていた、のではないでしょうか。だから、中皇命は追いかけて来れたのです。他に後宮の夫人もいたかも知れません。
中大兄にすれば、大臣や豪族の承認を得てはいないではないかと、有間皇子の存在を戒めたかも知れません。しかし、有間皇子は律令にある皇室の決まり事をもって後継者となっていた、そう思うのです。
では、中皇命の歌を立場を変えて読みなおしてみましょう。
書紀では「有間皇子は倭の市(いち)経(ぶ)から護送されたとなっています。
しかし、難波宮から、此処から有間皇子が連れ出された可能性は強いと思います。間人皇太后は事の重大さに不安を覚え、皇子を迎えに行きました。しかし、紀伊國に入って、有間皇子に掛けられたその嫌疑に愕然とします。このことは、後日触れます。
皇太后は皇子に語り掛けました。岩代から白浜が見えています。
「殿下、お気持ちをお察しいたします。殿下がこの先々どれほど永らえられるか、わたくしの命さえどれほどのものであるか、誰が知っているでしょう。ですが、岩代のあの岩ばかりの岡の草は根を深く下ろし、あのようにしっかりと命をつないでおります。岩代の岡はその命運を知っているのでしょうか。さあ、あの岡の草根を結んで、互いの代の永からんことを祈りましょう」
君が代もわが代も知るや 岩代の岡の草根をいざ結びてな
皇子も促されて草を結びました。間人皇太后は、白浜に目をやります。
「殿下、白浜が見えております。あす、出立の松原を過ぎれば、太后のおられる白浜は遠くは有りません。太后はわたくしの母君ではありますが、母を捨てて殿下にお味方したわたくしの言葉など聞いては下さいますまい。まして、兄にすれば。……殿下、今夜はどうぞごゆっくりお休みくださいませ。仮廬の草を深く敷かれてくださいませ。草が足りなければ、殿下が結ばれたあの小松の下の草をお刈りくださいませ。必ず、殿下のお体をお包みしお慰めすることでしょう。」
我が背子は仮廬作らす草なくは 小松が下の草を刈らさね
いよいよ、皇子が一人牟婁の温泉(ゆ)に送られる時が来ました。伴の者も、自ら追いかけて来た中皇命も見送るほかありません。中皇命は去りゆく皇子の姿に問いかけました。
「殿下、今一度お声を聴きとうございます。殿下、わたくしがかねてより見たいと申し上げていた野島は見せていただきました。あの野島の海女が潜水して白玉を得ているのですね。願いをかける白玉を。でも、殿下は白玉を拾おうとはなさらなかった。底深い阿胡根の浦の白玉を拾って祈ろうとはなさらなかった。わたくしの心には深い恨みが残りました。ああ、白玉を拾って祈りたかったのに」
吾欲りし野島は見せつ 底深き阿胡根の浦の玉ぞ拾はぬ
中皇命は間人皇太后以外ありえないでしょう。それでなければ、これほどの歌を読むことはできません。後の人が作った歌物語だったとしても、有間皇子の物語を詳しく知っての作となるでしょう。
中皇命は本気で有間皇子に皇位を伝えるつもりだったのです。
また明日