昨日は「富岡恵美子弁護士50年を祝い、未来へ」というお祝いの会へ出席しました。大勢の皆さんが集まる会合への出席は、食道がんの手術後初めてのことでした。
私が初めて富岡恵美子さんの姿を見たのは、故茂木正男さんに会いに行った時、たぶん高崎映画祭がスタートする前でしたから1985年か86年のことかと思います。富岡さんは高崎映画祭を立ち上げたメンバーの一人でした。
会では、富岡恵美子さんから「恵美子の自分史、そして」というお話がありました。弁護士となったきっかけ、女性差別撤廃条約にもとづく農村女性への差別撤廃、弁護士としての「女性の人権・平等」への取り組み、DV被害者救済活動…、50年の間にかかわって来た社会的な活動のあらましを聞かせていただきました。
私が仕事として富岡恵美子さんと繋がったのはDV被害者の救済でした。(財)群馬女性会館の女性相談支援室長に就任していただき、県、市町村、民間活動、弁護士等司法関係者が、みんな一緒になって被害者の救済をして行く仕組みを実践を通してつくり上げていただきました。ほんとうは、一緒に仕事がしたかったのですが、それはできませんでした。お任せきりで、本当に申し訳なかったと思っています、
そして、現在も2017年に創設したヒューマン政経フォーラムを拠点にいろいろな活動を展開されています。そのフォーラムのお話しの時に、バックにヒゲおじさんのチラシが登場しちゃいました。2018年6月にフォーラムの依頼で「ヒゲおじさんに生き抜く力はあるか」というお話をさせてもらったときのチラシでした。たいしたことではなかったのですが、富岡恵美子さんにとても褒めていただいた覚えがあります。
これが、その時のチラシと、話をしている私です。まだ、がんが見つかる前でしたから、今よりだいぶふくよかでした。いまだに生きているのですから、生物学的には生き抜く力はあるのかもしれません。
会場のGメッセへ向かう車中から真っ白な浅間山が見えていました。Gメッセの4階の窓からは榛名山が眺められました。50年頑張って来られた富岡恵美子さんにはもう少し頑張ってほしいなと思っています。若い皆さんが富岡さんの後を追って走れるようになるまで、もう一息お願いしたいのです。ジェンダーバックラッシュは男女共同参画法が成立した20年前より激しさを増している気がします。
昨日の広瀬川は落ち葉が筏のようになって流れていました。秋になって一番たくさんの落ち葉が流れていたと思います。
岸よりの落ち葉がたまった淀みでカルガモが流れてきた落葉をくちばしで咥えていました。食べるのではなくて、遊んでいるみたいでした。
高崎から帰って来たら、南西の空に三日月が光っていました。きれいな三日月でした。富岡恵美子さんには、立派に機能するDV被害者救済の仕組みをつくり上げてもらいました。それに、行政・民間の別なくたくさんの人材を育てていただきました。感謝に堪えません。そして、一緒に仕事ができなかったことをお詫びします。
夕食はちゃんと作って食べました。用意しといた豚肉と大根の柔らか煮です。子どんぶりに具沢山のキムチチゲ、カブ、豆腐、卵、シメジ入りです。
そして、納豆は海苔につけて焼いて、キムチとほうれん草の浸しです。温かい夕食はおいしいです。
<おい、「ヒゲおじさんに生き抜く力はあるか?」って、どんな話だったんだ?>、「それはね、18年6月17日の記事を読んでほしいな、梗概を掲載しているから」、<あ~ね。で、それの続編はないの?>、「続編てなんだい?」、<「ヒゲじいさんは死なない」とかさ、「ヒゲじいさんの棺桶一直線」とか…、そういう話はねえのか?>、COCOが真面目な顔でとんでもないことを言い出しました。
三代目若柳吉駒でございます。1937年(昭和12年)に祖母の初代吉駒が始め、伯母の二代目吉駒が受け継いでまいりました直派若柳流美登利会を承継しております。毎年春に開催しております舞踊会は、戦時中の開催禁止と一昨年のコロナ禍による延期を除いて、今年で78回を重ねることができました。来年は4月9日に第79回舞踊会を開くことといたしまして、会員一同精進を重ねております。引き続きご贔屓くださいますようお願い申し上げます。
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第78回美登利会と第3回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧下さい。
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