今朝は子どもたちを朝から怒りました
中々起きられない上に、時間がない中ケンカを始めたからです
私の家のある場所が、から遠く離れている事もあり、大抵間に合わない時にはで送ってあげるんですが、さすがに今日は「自分たちで歩いて行きなさい」と言って、送り出しました。
出発時間的にも『間に合うかな?』という心配もあったし、通学路に人気が無い場所が含まれるので、もう私の心はですよ。
いつも甘やかしてばかりではいけないっという気持ちと、ほとんどの子が登校してしまったこの時間に、二人で歩かせて危険じゃないのかという心配とで、ほんとに胸が張り裂けそうでした
よくなんかで、野生の動物の生態を追いかけるドキュメントなんかがありますよね。あーゆーのを見ていると、同じ母として、『強いなぁ…、えらいなぁ…』なんて感心します。
時代がこんなじゃなかったら、何て事の無い問題なんですけどね。やっぱり、手元から放すのは、心配で仕方ありません
しばらくで時計とにらめっこをしていたけど、やっぱり居たたまれなくなって、でゆっくりと通学路を追いかけました。
ところが、学校に着くまでの間に、子どもたちの姿を見る事はなく、『ああ、間に合ったのかな』なんてホッとしました。
とりあえず、校門前まで行くと、上の子の担任の先生が見周りで立っていたんで、一応「今日は二人で行かせたんですけど、もう来ましたよね?」と、確認してみました
すると「さぁ?私は見ていませんけど?」なんて、ふつーに言うんですよ
もう、サーッと血の気が引きましたね
慌てて今の道を戻ってみましたが、どこにも子どもたちの姿はありません
こうなったらと、迷惑や恥をかえりみず、学校に即電話をし、事情を話して教室を確認してもらいました
優しい事務の先生は「いいですよ。少し待っていてくださいね」と言って、調べてくださいました。そして回答は「大丈夫です。二人とも、ちゃんと学校に来ていますよ」でした
やはり、親と言うものは、常に子どもの事が心から離れる事はなく、自立させなくてはと思いつつも、不安がまとわりつくものなのだと、確信しました
時には心を鬼にして、手元から放さねばならないとしても、心情は決して穏やかじゃない
昔、私も子どもの頃に、何度となく母に突き放され『きっと私の事が嫌いなんだ』なんて思った事もあります。
でも、親になった今、母も決して心穏やかだった訳じゃなく、苦しく辛い気持ちをかくしたまま、私を自立させるために人知れず不安な気持ちを抱えていたのかな?などと考えると、今さらながら深い愛情を感じました
安心して、子どもを自立させる事の出来る社会に、ぜひなってもらいたいものです。そうならない限り、自立できない親子が増え、ますます乱れた世の中になっていく気がしてなりません
そのために私が出来る事を、少しずつでもやっていきたいと思った朝でした
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