エスティマ日和

『ぼくたちと駐在さんの700日戦争』2章まで収録の、エッセイ集です。独立しました。

フランクリンのメガネ

2006年02月25日 | 雑記

先日、ラジオで『フランクリン・ジャパン』という会社のことを取り上げておりました。
ここ、なんの会社か、と申しますと、雷予報の専門会社です。日本でただひとつ。
僕は、以前、雷で大量のデータを失っておりますので、この時から、この会社を「事後」で知りました。
社名フランクリンは、言うまでもなく「雷は電気だよ。おヘソが欲しいわけじゃないんだよ」を発見いたしましたベンジャミン・フランクリンからとっております。
代表電話の末尾が5656(ごろごろ)。おちゃめ。

で。今日は、このフランクリンの話なのですが、このかた。日本人には、ただの「カミナリおやじ」(?)と思われておりますが、実は、大変な偉人で、著名な発明家でもあり、政治家でもあります。
しかも、そのほとんどが独学。エライ。

そもそもフランクリンは13人兄弟の11番目。もう、日本だったら「貧しい大家族」の特集番組が組まれそうな兄弟の多さで、しかも男の子としては一番下でございました。
貧乏子だくさんは、なにも日本の話だけではないらしく、学費が続かない、という理由で、あっと言う間に学校やめちゃってます。
その後、いろいろとありまして、印刷屋さんをやるんですが、まぁ、この頃から、やることなすこと当たり出します。
事業としては、印刷屋兼新聞社。作家としても、広告代理店としても手腕を発揮します。
そしてなんと言っても、科学者としてのフランクリン。

フランクリンの発明で、最も知られていなくて、最も偉大と思われる物が
「遠近両用メガネ」です。
そーです。おじいさんや、おばあさん、ひいては、あなたもいつかはごやっかいになるかも知れない、近いものと遠いもの両方を見ることができる眼鏡ですが、これがかのフランクリンの発明です。
意外なものを意外な人が発明してるもんですねー。
こんな偉大な発明が、どうしてフランクリンの発明として有名でないか、と言いますと、彼はこの特許を取得しなかったからです。
特許取得を知らなかった、とか、めんどうくさがった、とか言うわけではなく、あえて取得しなかったらしいんですね。

そしてもうひとつ。
ペンシルバニア式ストーブ。別名フランクリンストーブです。
これは、昔、薪が不足して困った時代、燃焼効率を50%以上!も上げたストーブで、この原理は現在も使用されています。
なにがすごいって、フランクリンがこれを発明した頃、というのは、ニュートンが万有引力をようやく発見した頃のことですので、酸素とか二酸化炭素とか、まったくわかっていない頃なわけです。
元祖エコロジー商品。それも超エコロジー。
当時としては、実に画期的発明であったことは言うまでもありません。
彼はこれを商品化したわけではなく「つくりかたの解説本」を書きました。

驚いたことに、フランクリンは、このストーブの特許も取得しませんでした。
そればかりか、これをまったく他人に特許申請されてしまうのですが、これにも訴訟をおこすでもなく、黙って見過ごしました。
しかし、これがフランクリンの発明であったことは、あまりに有名であったために、現在もフランクリンストーブという名前が生きているのだそうで、まぁ、おひとよしだったのか、大金持ちだったのか・・・よくわからん人です。

フランクリンは、学校もろくろく出なかったのに、事業に成功したばかりでなく、独学のみで、ハーバード大学から名誉修士号、エール大学から修士号、オックスフオード大学より博士号などなど、ほぼ私なみ(超ウソ)の名誉を手にします。
その上で、政治の世界でも活躍し(向こうは金持ちが奉仕活動として政治家になります。金持ちになるために政治家になる日本とは逆)、晩年はペンシルバニアの知事としてその生涯を終えるのですが・・・。

この人。こうやってざっと書いただけでも、あまりに波瀾万丈な上に、あまりにいろんなことをやったため、彼の人生をまとめられる人がおらず、物語として散漫になるためか、あまり伝記が残っていません。
電気の人なのにね。

うまいなー。

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