エスティマ日和

『ぼくたちと駐在さんの700日戦争』2章まで収録の、エッセイ集です。独立しました。

謝辞

2005年12月31日 | 雑記

10月から始めました本ブログですが、一応、昨日の『バス停』で、本年のブログは終了です。
ご愛読いただきました皆々様、コメントをいただきました皆々様、ありがとうございました。

昨日の『バス停』は実際にあった出来事ですが、いままでここを読み続けていただいた方々には、
ちょっと意外であっただろうと思います。
なにしろ、それまではふざけた内容がほとんどでしたので・・・。
実は、記事は1週間分単位くらいで書きためたものを編集するのですが
『バス停』だけは、11月の時点から、12月30日分としてとってありました。
ところが11月中頃から、内容はエスカレートしてしまいまして、
あまりに(他の内容に対して)浮いてしまったものですから、当日夜中になるまでUPしておりませんでした。


振り返って読み返しますと、まぁ、そこそこに面白いブログであったのではないか、と思います。
タイトルとはかけはなれたものになっておりますが・・・。

また来年も、このペースで継続する予定です。
みなさまには、重ねて深く深く御礼申し上げます。

皆様にとりまして、新年がよい年でありますよう。




バス停

2005年12月30日 | 雑記
毎年、帰郷のシーズンになると、決まって思い出すことがあります。
もう何年前のことだったでしょう。

毎年、休暇前は仕事に追われ、いつも帰郷は夜中でした。
その日も私は夜の国道を、一路郷里に向けて車を走らせていたのですが、
すでに時計は夜の11時をまわっていました。

峠の国道は、すでに通る車もまばらで、降り続ける雪が視界をさえぎっていました。
運転もいいかげん飽きてきたころ、ヘッドライトが、雪の間に人影をうつし出しました。
とある中学校前のバス停。
それは、ほおかむりをしたおばあさんの姿でした。

ああ、バスを待っているのかな、と、私は、なんの気なしに、そこを通り過ぎました。
しかし。
ふと、考えると、すでに時間は11時すぎ。
もうバスが来る時間ではありません。

私は、正直、ぞっとしました。
言うまでもなく、幽霊を見たのか、と考えたのです。
若かった私は、むしょうにそれを確認したくなり、車をUターンさせて、その現場へともどりました。

すると、バス停には、まだおばあさんが座り込んでいるのです。
おばあさんは、雪をかぶり、ちょうど民話の笠地蔵のようなありさまでした。

どうやら幽霊ではないらしい。

私は車からおばあさんにたずねました。
おばあさんは、一瞬驚きましたが、すぐに笑顔で
「ああ。バスを待っているんだよ」。
と答えました。
「もう11時だからバスは来ないよ」。
私の言葉に、おばあさんは照れ笑いしながら
「ああ、そんな時間かえ」。と言って帰ろうと腰を上げました。

バス停の時刻表を見ると、最終は21時15分。
おばあさんは、少なくとも3時間以上、ここにいたことになります。
「うちまで送るから、乗ってよ。おばあちゃん」。
と言うと、おばあさんは、近いからいい、と、丁重に断りました。
見ると、おばあさんは傘を4本も持っていましたが、それをさそうとしません。
「誰かを迎えにきたの?」と私がたずねると
実は、今日、東京に出て行った次男が、10年ぶりに孫をつれて帰って来るので、
朝からずっとバス停と家とを往復していた、と言うのです。
そして、最終バスが行ってしまったことにも気づかず、最後のバスから、雪の中、ずっとここにいたのです。
傘は、息子と孫が濡れないようにと持ってきていたのでしょう。
でも、おばあさんの頭の手ぬぐいは、すっかり濡れきっていました。

「やっぱり乗っていってよ」と、私が車をおりると
おばあさんは、なにか思いついたように
「ああ。そうだ」
「あんた。ばんごはん食っていかんかえ?」
私が答えに窮していると
「ああ、それがええ。食ってきな」
と、私の手をとってさそいます。
その手の冷たさが、やけに哀しくて、私はおばあさんの誘いを受けることにしました。

車中、おばあさんは、いろんなことを話してくれました。
おばあさんは、旦那様と長男を亡くし、子供は嫁に行った長女と次男しかいないこと。
その次男は、大阪が本社の大手電線メーカーに勤めていて、もう10年会っていないこと。

その息子がひさしぶりに孫をつれて帰ってくるのですから、どんなに楽しみだったことでしょう。

国道沿いの小さな家。それがおばあさんの家でした。

おばあさんの家の四角い食卓には、乗り切れないほどのごちそうが並んでいました。
ごちそう、と言っても、レストランや料亭のそれとはちがいます。
雑煮と鯉、おさしみ、おばあさんのできる、せいいっぱいのごちそうなのでしょう。
さほどの彩りのない食卓に、おそらく孫のために買ったのでしょう。
プリンが2つ。フタが原色で輝いていたのを覚えています。

息子たちに用意されていた料理は、すでに冷たくなっていましたが
あったかくて・・・しょっぱくて・・・。
さほどに空腹でもなかったのに、私はがつがつと食べました。実は嫌いな鯉も。
そうすることが、おばあさんにはいいだろう、と思えたのです。
でも、プリンには手をつけませんでした。
それはおばあさんが、かわいい孫に用意したものだったから。

--

私は休暇を終えてもどる時に、再度、おばあさんをたずねました。
息子たちが帰って来たのか、気になったのです。
その日、おばあさんはあの日と同じ笑顔で迎えてくれましたが
息子たちは、とうとう帰って来なかったそうです。

--

高速道路が通って、私はその国道を利用することがめっきりなくなりましたが
ある年の帰郷で、ひさしぶりに通ってみることにしました。
そして、私はその日、偶然にも、おばあさんの息子と孫を見ることになりました。

その日、その国道沿いの小さな家で、お葬式がとりおこなわれていたからです。


毎年、帰郷の時期。私はバス停に座っていたあのおばあさんと、
食卓の2つのプリンを。今でもきまって思い出すのです。

電車おやじ

2005年12月29日 | 雑記


今日はおそば屋さんのお話です。

唐突ですが、今年、長野にまいりまして
目的は言うまでもなく、須坂市動物園の話題の凶暴カンガルー「ハッチ」だったのですが
途中で昼食にとおそば屋さんに立ち寄りました。
ハッチも期待を裏切らず面白かったのですが、ここもおもしろかった。
紹介しますね。

そのおそば屋さん、とは
「十割蕎麦 レストラン トレインギャラリー」。もう、名前からしてファンキーこの上ありません。
長野市側から(須坂市に向かって)まいりますと、「日本一の鉄道博物館」という、でけー看板が立っています。
看板は「そば屋」のものと、鉄道博物館のものとが、混同して立っていまして
看板を見たときには、意味がよくわからず、
じゃぁ、このレストランで「信州そば」を食べてから、鉄道博物館に行こう、という綿密な(?)計画をたてました。
が。まったくその必要はありませんでした。
この「鉄道博物館」。そば屋内にある!びっくり。
そば屋の中にありながら「日本一」とは、ふてー野郎だ、などと思ってはなりません。
いや。私も初めはそう思いましたけど。
まぁ、立派立派。神田の「のりもの博物館」より壮大なスケール。
聞けばおやじの道楽ではじめたのだとか。道楽もここまでくれば、立派なもんです。

「鉄道博物館」は有料で、「そば屋内の自販機」で切符を買わなくてはなりません。
そばを食うと200円割引になるところが、すでに「博物館」の域を超越しています。
で、道楽おやじのカウンターにこの切符を持っていって、晴れて入館できるのですが。
でも、そこが「そば屋」にくっついている博物館。
おやじが「もう、そばは注文した?」と聴きます。
注文した、と答えますと、電車おやじ、ちょっと困った顔をいたしましたが、
「ああ。じゃぁ、そばができあがったら”館内放送”で呼ぶから。観てきて」
”そばができたら呼ぶ”。もう、他の博物館じゃ、絶対味わえないサービスです。

じゃぁ、注文のそばは電車おやじにまかせて、館内見物、と、いうことでさっそく入館。
博物館では、超でかいジオラマがひろがっておりまして、迫力満点。
ここに朝から夜までの電車を中心とした風景を、刻々とうつしだします。
朝の通勤電車から始まって、新幹線、名物特急、まぁ、電車ファンでない私が観ても面白い。飽きません。

で、ジオラマはライティングも落ちてきて、いよいよブルートレインの発車、ってあれ?「そば」は?
そうです。短縮しているとは言え、朝の風景から夜中に至るまでは、けっこうな時間です。
まぁ、でも館内放送がある、ということだし、まぁ、いいか。と、見入っておりますと
館内放送です。

「おきゃくさん~、おきゃくさん~、たいへんだよ~。そばがのびてるってさ~」

おいおい・・・・。
まぁ、どこの博物館でも、このような館内放送は聴くことができないでしょう。
電車おやじ、自分もジオラマを動かすのにすっかり熱中して、我々の注文を忘れてしまっていたようです。
おやじ、あわてて「館内」に入って参りますと、
「いやぁ、ごめんごめん。はやく食べないともっとのびるから」

もっとのびる・・・って。つくりなおさんかい!電車おやじ!
いやぁ。あきれるより、あまりの面白さに爆笑してしまいました。
だから「そば屋」といっしょに「博物館」すんな!

食卓には、いかにもずいぶんと前に出されたような「十割そば」が置いてありました。
しかし、ここの十割蕎麦。「のびても」うまい!あまりのうまさに、びっくりしてしまいました。

長野は遠いので、なかなか行けませんが、1月には長野県のお客様の仕事が数件あるので、
またたずねてみようかな、と、思っております。

長野に行かれる方。あるいは信州の方。はたまた「そばがのびても電車を観たい方」おすすめです。
このおやじ。ホームページまでつくってやがりますので、興味がおありのかたは見てください。
でも注文は「博物館を観てから」したほうがいいみたい。

この記事に点数をつける

トレインギャラリーNAGANO
自分でレイアウトしておきながらの、すっとぼけたコメントが、電車おやじの性格をものがたっております。


第一発見者

2005年12月27日 | 雑記
事故の第一発見者になったことがありますか?
ワタクシ、あります。
はっきり申し上げまして、なるものじゃありません。

現在の携帯電話の元祖、NTT(DoCoMoではない)から『Mova』が出たての頃です。
深夜、住宅地と住宅地をつなぐ細い裏道を、一路車を走らせていた私は、奇妙なところにヘッドライトが「こちら側を向いて」いるのを見つけました。
そこは、路側から2mほどあった土手の下。
近くまできて車を止めると、ランクルが裏返しになって落っこちているのです。
もうどこの馬鹿が見ても「事故」。
ライトがつきっぱなし、というところが「起きたての事故」であることを物語っています。

当時、Movaを持ったことで舞い上がっていた私は(なにしろ40万もとられました)、さっそくN型携帯電話で110番。
110番に電話するのは、これが初めてでした。警察から電話をもらったことはありましたけど(笑)。
妙に興奮したのを覚えています。
しかも当時としてはめずらしい携帯。ちょっとかっこいいかも?

さっそく現在地などを詳細に伝え、この事故がすでに通報されているかを確認。
案の定と言うか、まだ通報はされていませんでした。
つまり、私が「第一発見者」です。

ああ。いいことをした。と、切ろうと思いましたが、電話口の警察官が
「で、人は乗ってるようですか?」
「暗くてわかりません」と、私。

すると警察官。
「見てきてください」

げ・・・。これは想定外でした。
すかさず
「いやです」と言うと、
「人命がかかっているかも知れないんですよ?」
えー。

だって、白眼むいて、血だらけで死んでるかも知れないのに、そんなもの確認する勇気はありません。
まして、ひとっこひとり通らない夜道。街灯もなし。
誰だっていやだと思ったので
そのまま
「えーと、血だらけの人が白眼むいて、こっち向いてるかも知れないからいやです」
と正直に理由を述べますと、警察官
「だいじょうぶです」
なにがだいじょぶなんじゃ!?
「だいじょぶじゃありません」と言い返すと
「私がついてますから」
ついてねーじゃん!

土手下で逆さまになっている車。そりゃ運転手だって無事だとは思えません。
でも、死体であれ、けが人であれ、確認したところで私になにができるでしょう?
「けが人がいたら救急車を呼ばなくてはなりませんから」
もっともではある・・・・。しかし
「じゃぁ、さっさと呼んでください。どう見ても無事とは思えません」
猛烈に反論しますと警察官、
「携帯電話なんですよね?」と、自尊心をくすぐってまいりました。
「そーです」と、大いばりで応えますと
「じゃ、そのまま中継できますよね?」
「できますとも!」

しまった・・・・。

もともと警官には弱いのですが(それは後々のブログ内で語ります)
ついつい痛いところをつかれ(?)、言うことを聴いてしまいました。
私は中継しながら、しぶしぶ土手を降り始めました。

「えー、あと1mほどで現場です」

とにかく急な土手で、私が落ちたらこいつのせいだ、とか思いながら、
さかさまのランクルに近づいていきました。

やがて土手を降り、車のナンバーを確認。
そしておそるおそる窓からのぞくと・・・・・・・

ありゃ?

誰も乗っていません。
この安堵と、期待をはずれた落胆。
さっそく
「誰も乗ってませんね」と伝えると
警官も
「ありゃ・・・」

「すみません。その事故、さっき当事者から連絡があったみたいです」

はぁ?????

え?私の不安と恐怖は?

「ご苦労さまでした!ご協力に感謝します!」と、今度は、向こうから電話をきりやがったのでした。

私は、くやしさと、安堵と、落胆で、土手をはいあがり、車にもどりました。
「ふざけやがって」

と、車のハンドルをにぎると、ぬる・・・・

WHAT?

室内灯をつけると、その薄暗いライトに映し出されたのは、
べったりと手とハンドルについた血。
「ぎえーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

そうです。土手を登った時に、その運転手と同じところを、手をついて登っていた私は
おそらく当事者のものであろう、血痕のついた草をしっかりにぎってしまっていたのでした。
その原因に気づくまでの恐怖といったら、もう。

せっかくの善意の通報は、徒労に終わったあげく、血痕と恐怖だけを残したのでした。
ああ。おっかなかった。


マジレッドが赤いわけ

2005年12月26日 | CG
どのような商売につかれていても、その道のスペシャリストというものは
一般人とは、それを「見る目」が異なります。

たとえば左官屋さんは、壁があれば、その塗り方を見るでしょうし、
魚屋さんは、魚の活きがわかります。
花屋さんは、野に咲く花の見方が、やはり一般人とはちがうでしょうし
構造設計屋さんは、建てかけのマンションがあれば「もっと鉄筋が抜けるな」とか
葬儀屋さんは「あのおじいさんは来年死にそうだ」とか・・・。
いずれの商売でも、商売の対象物を見る目はちがいます。
それは一種の職業病みたいなものです。

では、CG屋がどうか、と言いますと、これがたいへん。
なにしろ光と色を商売にしていますから、身の回りすべてが「商売の対象物」なわけです。
はっっきり申し上げて、これは気が狂います。

たとえば、ここに白い玉と赤い玉があります。
これをくっつけると、どうなるかわかりますか?

そうです。白い玉には、赤い玉がうつり、白い部分は、ほんのりと赤くなります。
CGをリアルにしあげるためには、この「光のうつりこみ」を、理解していなくてはなりません。
現代の3Dソフトは、ほとんどこれを自動計算しますが、
その玉が木でできていた場合と、プラスチックの場合、金属の場合、スポンジの場合
すべて映り込みがちがいます。
このため、物体ごとの材質の設定は、ひとつずつ人間が行います。

当然、こういうものは、光の当たっている所、全てでおきているわけで
研究対象は腐るほどあるわけです。ああ。書いているそばからいやになりますが。

一般の方が、「光を気にして生きる」などということはありません。
左官屋さんは壁を
花屋さんは花を
構造設計屋さんはマンションを
葬儀屋さんはおじいさんを(?)
気にしていればいいことです。それは世にあふれていたりはしません。

が。光というやつは、本当にちまたに溢れておりまして(当然ですが)、
しかも、我々にとっては、電球の光も、車のヘッドライトも、もちろん太陽も、
みーんな商売の対象物なのです。
もっと言うなら、光を反射するもの、つまり、目に見えているものは
すべて光を発しています。

これを専門用語で「グローバルイルミネーション」と言います。

アカレンジャーがどうして赤なのか?えっと、今はマジレンジャーのマジレッドでしたっけ?
となりにアオレンジャーが来たらどうなるか?えっと、今はマジブルーですけど。
マジレッドは、赤い反射をするので、赤く見えるわけで
見る者にとっては、「赤い光を放っている」ということにもなります。
マジレッドのとなりに、マジブルーが立つと、それぞれの反射部分は
マゼンダ、という中間色が生まれます。つまり、マジマゼンダですね。
また、光そのものの色も、物体には影響するために、
マジイエローに夕日があたると、マジオレンジになります。
これを仮想条件下において計算させるのが、CG屋さんの腕のみせどころなのですが、
普通の人はまぁ、考えませんよね。マジオレンジのことなんか・・。いないし。

したがって我々は、「ナナイロアチャガ、ナナイロニカワルノハ」なぜなのか、知っています。

今度、ペ に会ったら教えてあげようっと。


最後の晩餐

2005年12月25日 | 雑記
スーパーにて。

妻「今日はクリスマスだから、オードブルでも買って帰りましょう」
夫「ああ、いいねぇ。あと、スモークサーモンとか、鳥のもも肉とか・・」
妻「あら。こっちの”おこわ屋さんのオードブル”のほうが安いわね」
娘「ママ、お赤飯、半額だって」
妻「本当!じゃぁ、お赤飯にしましょう」

夫「・・・」
妻「あとは・・・スモークサーモンだっけ?」
娘「ママ、赤まぐろが100gで150円だって」
妻「ほんとだ!じゃぁ、スモークサーモンはやめにしてまぐろにしましょう」

夫「デザートはどうしよう?」
妻「ケーキっていうのも、芸がないわね」
夫「じゃぁ、ババロアなんかは?」
娘「ババロアだったら、杏仁豆腐のほうがいいな」
妻「そうね。じゃぁ、杏仁豆腐できまり!」

夫「ねぇ・・・鳥は?」
妻「そうねぇ。焼き鳥でもいいでしょ?」

こうしてクリスマスのごちそうは、
「赤飯」と「マグロの刺身」と「お味噌汁」、そして「焼き鳥」。デザートには「杏仁豆腐」が彩りました。
それなりに豪華ではあるのですが、
いったいなんのお祝いだ?

女ってやつは・・・・。


聖夜

2005年12月24日 | 雑記
TUTAYA前で。

「ねぇ。今日はクリスマスだし。あれ借りていこうよ」。

「あれって?」。

「ほら、サンタさんがデパートでバイトする・・・」。

「ああ・・・。34丁目の・・・・」。

「そうそう。それ!」。

「ああ、いいねぇ。聖夜だし・・・・」。

「34丁目の夕日!」

うーん。突如庶民的・・・・。

今夜、サンタクロースさんは、我が家は素通りかも知れません。

アーメン。


トナカイ疑惑

2005年12月22日 | 雑記
サンタクロースがつれているトナカイ。
実はそれぞれ名前があります。
私はそれを「栃木県」で知りました。

いっきに紹介しましょう。実は8頭もいるのですが
前から順番に

ダッシャー(Dasher)
ダンサー(Dancer)
プランサー(Prancer)
ヴィクセン(Vixen)
ドンダー(Donder)
ブリッツェン(Blitzen)
キューピッド(Cupid)
コメット(Comet)


暗記できれば、1年で、わずかにこの時期だけ、おおいばりできます。
あと1日しかないけど。

そして最も有名なのが、先頭を走るルドルフ。なのですが。

「赤鼻のトナカイ」は、このルドルフのことを唄ったもので
元の題名は「Rudolph The Red-Nosed Reindeer」です。
歌詞はご承知のとおり。
たいへんよく訳されておりまして、ルドルフの名前以外、原曲も、ほぼあのままの内容です。
ちょうどジャニーズにおける「いのっち」のような立場かと思われますが、
一昨日、『サンタクロースのアリバイ』で、ご紹介いたしました米国防省のサンタ追跡作戦
 ノーラッドも、このルドルフの鼻の赤外線を追跡しているものです。

実は、この歌が出る頃まで、サンタクロースには、トナカイが前述の8頭しかいません。
しかも8頭の鼻は、どうやら普通の鼻みたいです。
ある時から、突如、先頭を走るのですが・・・。

そう考えると、どうやら夜道の暗さに困ったサンタクロースが
便利な鼻を持ったルドルフに目を付けた上で、
おだててヘッドライトがわりに先頭を走らせた
という一連の疑惑が見えてきます。
実際、サンタクロースも「お前の鼻が便利なのだ」と言っており、彼の性格やその他の長所にはいっさいふれていません。

おだてられたルドルフは、そこは草食動物。あまりこのことを深く考えず
おだてられるがままに労働をしているわけですが、先頭を走っているがゆえに、
残りの8頭の「ひがみ」によるいじめも、エスカレートしていることが、容易に想像できます。

でも、がんばれ。いのっち!

俺は味方だぞ!


ブラピな男

2005年12月21日 | 雑記
豚は褒めると木に登りますが、人間も褒めるとなんでもします。

ある日、友人は「飲み屋」のおネェさんから、
「唇の半開き方がブラピにそっくり!」と言われ
すっかりその気になってしまいました。

だいたいにおいて、そのような細部に至るまで「褒める所がなかった」ということにそもそも気づくべきなのですが、彼はそこまで判断するには、あまりに純真でした。
こういう褒められ馴れていないヤツを無責任に褒めるのは、はっきり言って「犯罪」です。

翌朝から、彼は口を閉じることをしなくなりました(爆)。
ファッションも、どこであつらえてきたのか、突如「オーシャンズイレブン」になってしまいまして
普段着も、いままで履いた事もなかったジーンズを履くようになりました。
「口の開き方」しか似ていないのだから、ファッションなど真似してもしょうがないのですが、
その上で性格も変わってしまいまして、なにか、いつも「影」を背負っているわけです。
私の知るところ、彼の「人生の影」と言えば「電車の扉に足をはさまれて靴を駅におきざりにしたこと」くらいなのですが
もう、背中で物を語ろうという努力まで見え隠れするほど寡黙になってしまいました。

困惑したのは周辺の人間で、特に彼は営業職でしたからたいへん。
まぁ、その愛想の悪いの悪くないの。
商談中にタバコは吸い出すわ(むろん、せいいっぱいかっこうつけて)、客先相手に親指立てるわ(なんのシーンの真似だ?)、とにかく手をやくありさまでした。

こりゃ少々いきすぎだろうと、彼の部屋をたずねますと、案の定、ブラピ出演映画シリーズがズラリと並んでおりまして
今さら「口の半開き方以外は似ていない」という事実を、とても言い出せる雰囲気じゃないんですね。
だいたいブラピって、そんなにアホみたいに口開いてましたっけ?

ところが。この彼のブラピ病。ある日あっけなく直りました。
聴いたところ、同じ飲み屋のおネェさんに
「目の動きがローワン・アトキンソン(Mr.ビーン)とそっくり」と言われたのだそうで
さすがの彼も、Mr.ビーンの真似まではできなかったようです。

まぁ。誰になりきるのも本人の勝手と言えば勝手ですが、いきすぎは考えものです。
せめて、私の「眉毛の動かし方がイ・ビョンホンにそっくり」
くらい言われていれば話は別ですが。


サンタクロースのアリバイ

2005年12月20日 | 雑記
もうすぐクリスマスですねー。
なにか形骸化されてきてしまっていますが、子供さんがいらっしゃる所では、クリスマスは一大行事。
特にその夜だけサンタさんにならなくてはならないお父さんには、たいへんな行事です。

大多数の子供さんがそうであろうと思いますが、小さな子供にとってサンタクロースは憧れであり
夢でもあるわけで、まぁ、相当にひねくれていなければ、サンタさんの存在を信じています。
この「子供の夢」を壊さぬために、夜中に忍び足で部屋をたずねたり、と、それなりの苦労をするわけですが
子供も序々に大きくなりますと、相応の疑いを持ち始めるのでやっかいです。

実に個人的な話ですが、我が家の子供は、それぞれ小学校6年生になるまでサンタの存在を信じていて
学校でも激論をくりひろげておりました。
それは「サンタクロースのアリバイ」を、工作していたからです。
これからサンタさんになりえる人は参考にされてください。たぶん「参考」にはならないと思いますけど(笑)。

サンタのアリバイ、その1/サンタさんはデジタルものは知らない
 たいていの家庭でそうであろうと思いますが、子供はサンタさんにプレゼントのお願いを書きます。
 おそらく、最近は「ゲーム」やら「ニンテンドーDS」やらが主流になっていると思いますが
 本人には、こうした「要望書」を書かせておきます。
 が、朝あけるプレゼントは「木琴」やら「積み木」やらの旧態然とした玩具。
 当然、もらった本人は不満たらたらですが
 「サンタさんは、デジタルな最近の玩具はわからないんだよ」と、教え
 そういうものはパパが別途買ってあげることにします。
 こうすることによって、せっかく買ってやっても「感謝されるのはサンタさん」という
 お父様の不満も解消できます。
 意外なことに、子供はアナログな玩具でもしっかり遊ぶものです。

サンタのアリバイ その2/サンタは泥棒ではない
 日本のたいていの家庭には、暖炉がありません。したがって煙突もありません。
 これを給湯器のあの15cm程度の煙突から入るのには、ちょっと無理があります。
 したがって、子供には「煙突がなければ窓から入ってくる」と教えておきます。
 だから鍵は開けておくことを、しっかり子供につたえます。
 これを2、3度(つまり2、3年ですが)繰り返した後、うっかり鍵をしめてしまう年をつくります。
 朝、プレゼントはなく、鍵を閉めていたことを子供はおもいっきり怒ります。
 たいてい泣き出すので、この段階で初めて「窓の外は見たか?」と、教えます。
 そうです。この年だけは、ベランダかどこか外にプレゼントを置いておくのですが
 この残酷な儀式はききめ抜群。
 「ああ。入ってこれなかったから、外においておいたんだね」
 と言うと、その喜びもあって、サンタさんに感謝しまくってくれます。
 私は、これを雪の降ったクリスマスを狙って行い「ソリの跡」までつけておきました(笑)。

サンタのアリバイ その3/日本語はわかるが書けない
 もともとのセント・ニコルスはオランダ、サンタクロースの本場はフィンランドあたりですから、
 一応、その見た目からも日本語を書けそうにありません。
 ですから、プレゼントに「クリスマスおめでとう」などと年賀状みたいな台詞を書いてはいけません。
 「A happy merry christmas! for ○○」と、なぶり書きします。
 サンタさんは、世界中の子供にプレゼントを送らなくてはなりませんから、とにかく忙しい。
 したがって読みにくければ読みにくいほどGoodです。
 うちの子供(高校生)は、今でもこのサンタさん直筆の包み紙を持っています。

サンタのアリバイ その4/包み紙
 前項に関連しますが、サンタさんがトイザらスあたりで買い物してくるわけがないのであって
 販売店のマークのある包み紙は御法度です。
 包み紙は質素であればあるほどいい。うちは、文具店で、なんの模様もない荒紙を買ってきて
 それで包み直しました。
 なにしろ、世界中の子供ですから、サンタさんもそんなに経費はかけられないはずなのです。
 割れ物は、当然「英字新聞」で包みます。

サンタのアリバイ その5/鈴の音
 子供もテキトーに物心がついた頃に、サンタの鈴の音を聴かせます。
 これは録音して準備しておくのですが、10分くらいのものを作り、当然フェードアウトさせます。
 フェードアウトしないと、子供は探し続けるので、とんだ失敗になりかねません。
 外にラジカセをおき、ちょうど鈴の音がフェードアウトしそうなところで、子供をたたきおこします。
 「サンタの鈴の音がきこえるよ」と言っておこし、寝ぼけた子供に「鈴の音」を確認させます。
 後から子供は、それが夢だったかさえ区別できなくなっていますが、それでかまいません。
 もともとサンタさんは「子供の夢」なのですから。
 私はこれをマンションに住んでいた時にやったものですから、翌朝には、マンション中が大騒ぎになっていました(笑)。

サンタのアリバイ その6/サンタの忘れ物
 ある年に、一度だけプレゼントと別に、サンタの忘れ物を置いておきます。
 うちは「銀の鈴」でしたが、そんなものでなくても、「他所の子の書いたお願いの紙」でもかまいません。
 当然、子供の見つけやすい場所におき、「ああ、サンタが忘れていったんだね」と教えます。
 その上で「住所がわからないから、来年返そう」ということにします。
 翌年、この「忘れ物」がなくなっていると、子供は驚喜してくれます。
 なんと2年ごしのアリバイ工作ですが、それくらいの価値はあります。
 
サンタのアリバイ その7/年齢制限
 サンタクロースにとっての「子供」という概念にも、当然、年齢制限があるはずですから、
 これをあらかじめ子供には伝えておきます。
 うちは「12歳」でしたが、まぁ、10歳でも、11歳でも、とにかく疑い出す年齢がいいでしょう。
 その上で、その年齢を超えた時に、「もう、今年からサンタは来ない」ことを伝えます。
 もちろん、パパがそのかわりにプレゼントをあげることも伝えます。
 そうした上で、その年も「サンタからのプレゼント」を置いておきます。
 「ああ。きっとサンタさんが間違えたんだね」と言っておくと
 予想外の出来事に、子供は大喜びします。

サンタのアリバイ その8/ ノーラッド
 近年になって、たいへん有名になりましたが、アメリカ国防省では、サンタクロースを人工衛星や
 ジェット機で追跡する「ノーラッド」という事業(?)をやっていて、この実況中継をホームページでやっています。
 今年は一段とパワーアップしているので、ぜひごらんください。

サンタのアリバイ その9/多数決
 さて。子供もいいかげんいい年齢になってくると
 「サンタはお父さんだったのか?」という疑いを持ち、当然、たずねてまいります。
 この時に狼狽してはいけません。
 まず子供に逆にたずねることにします。
 「サンタがいるのといないのとではどっちがいい?」
 まぁ、ここで「いなくてもいい」と言うようでは、育て方そのものを誤っていますから
 教育についてもう一度考え直さなくてはなりません。
 たいていは「いたほうがいい」と答えます。
 「ああ。そうだね。世界中の子供もそう思っているだろうね。
  誰も信じなければサンタさんはとっくの昔にいなくなっていただろうから
  今もずっと信じられているということは、きっといるんだろう」
 ここで初めて、自分に贈られたプレゼントのことを聴いてきますが
 これには「パパは知らない」でかまいません。
 そうして
 「君の子供にも、そうやって伝えなさい」
 と、教えます。
 こうして雲散霧消しながら(笑)サンタさんは、伝説として残っていくのです。

ああ。めずらしくええ話でした。自画自賛。



一斉検問通過セズ

2005年12月18日 | 雑記
どんな人でも「言い訳」をしたことはあるでしょう。
「言い訳」にランクはありませんが、友人Sクンのはいた「言い訳」は、私が知る上で、間違いなく「史上最低最悪」なもので、どなたに話しても認めてくれる”ワーストワン”。「世界言い訳コンクール」があれば、まぁ、準優勝はするだろう、というものです。まぁ、聴いてください。

ずいぶんと昔のことです。
S君は当時、法学部の大学生で、とある日に彼が引っ越しをすることになりまして、彼の友人と私が手伝うことになりました。
引っ越し前日、私が知人の建築屋からトラックを借りる手配をいたしまして、隣の県まで3人でこの車をとりに行きました。
知人のところにつくと、あいにく大きいトラックが出払ってしまって、軽トラックしかない、とのこと。
貸してもらえるだけでもありがたい、ということで、軽トラックを借りて帰ることにしました。

しかし、軽トラックは、ご承知のとおり、定員は2名。3人で来た我々は、いたしかたなく、その狭い室内に3名で乗車することにしました。まぁ。定員オーバーですが、夜中になっておりましたので、どうにかなるだろう、という結論です。

当時、免許取り立てであったS君は、軽トラックを運転してみたくなったのでしょうか。
もしくは彼の律儀な性格から責任感で言い出したのか「ボクが運転しますから」と、運転手を買って出ました。
まず、これが我々の犯した最初の失敗です。
S君の友人T君は、太っておりましたので、細身の私が運転席と助手席の間の乗り、いざ出発。

夜中のドライブは交通量も少なく、順調でした。
が、とある町、もう今だから言ってしまいますが、山形県の朝日町というところにさしかかったときにそれはおとずれました。
警察の一斉検問です。
「やばい・・・」
そうです。ただでさえ定員オーバー。初心者マークのS君は、この「初めて体験する検問」にすっかり狼狽してしまいまして
「あ。どうしよう、あ。そうだ、そうか」とかわけのわからないことを口走っていましたが、
なにかひらめいたらしく
「そうだ!それだ!」と言うと、私に眠ったふりをするように伝えました。
「いいですか。絶対、みじろぎしないでくださいね」
おお。さすが優等生。なにか思いついたのだろう、と思いまして、彼の指示に従うことにして
私は目を閉じました。

一斉検問と言いましても、田舎町のこと。すぐに順番はめぐってきまして
おまわりさんがやってきました。
例の懐中電灯で車内を照らしながら
「こんばんわぁ。検問です。免許証を・・・」
とまで言われたところでS君。いきなり

「ち、ちがうんです!おまわりさん!、こ、これは・・・」

聴かれてもいないのに、言い訳をし出したS君、
「あの・・・これは、これは死体なんです
「あの・・・だから、これは法律的には荷物扱いなので、 定員オーバーじゃないんです
さすが法学部!よく知ってる、って・・・
あの・・・定員オーバーより、死体積んでるほうが、ずっと問題が大きいと思うんですけど・・・・

突如「死体」にされてしまった私は、その状況下、動くわけにもいかず、事のなりゆきを見守るしかありません。
いきなり死体運搬を吐露されたおまわりさんは、死体の私に懐中電灯をこれでもかと当てますと
例の無線で
「z...ああ。署長?こちらに”死体を積んでる”という若者2名がおるのですが...z」
「z...なにぃ!?・・了解。すぐ向かいます...Z」
こりゃ大事件です。わらわらと警察官が集まりまして、我々の軽自動車はすっかり取り囲まれました。
血色のいい死体にすでに気づいていたおまわりさんは、
「そうかぁ。死体ねぇ。とりあえず車おりて」
とS君たちに指示すると
「はい。そこの死体もおりて!」
うわぁ・・・・。最悪。

別席に招かれました我々は、言うまでもなくみっちりお説教をくらいました。
運転手でもない友人T君も氏名を聴かれましたが
「ああ。そっちの死体はいいからね。荷物扱いだから」。
なんとウィットに富んだおまわりさんでしょう・・・・・・。

でも、事情を話して必死にあやまったところ、朝日町のおまわりさんは、我々を見逃してくれたのでした。
きっと彼らにとっても、一日をなごませる大事件だったことでしょう。
おまわりさんは、最後にアドバイスをくださいました。

「もう少し、ましな言い訳を考えるように」。

おうせのとおりでございます。

ちなみに死体ですが、道路交通法上では荷物同様「重さ」で制限されます。
したがって、5人乗りの乗用車に2、3人分の死体が乗っていて、ほかに人間が満載でもOKです。
同乗したくはありませんけれど。



「ぶたのまんじゅう」のかほり

2005年12月16日 | 雑記
今でもそうした傾向は強くありますが、フランスは母国語を大切にする国で
外来語の多くも自国語に解釈して話します。
もともと「世界で一番美しい言葉」というプライドと
愛国精神がさせるわざであるわけですが、
日本にもそうしたムーブメントが何度かおきたことがあります。
最近では「マニフェスト」という外来語が突如はやった際、どうして「政治公約」ではダメなのか?という議論が政治家の間でもおきました。
そりゃ、おまえらがあまりに「公約」を守らないからだろう、という根本を無視して、日本語論議もなかろうと思うのですが、日本で「日本語を大切にしよう」という動きは、はっきり言ってやめていただきたい
フランス語のそれとはあまりに異なります。

たとえば。

「あほうどり」。
すぐつかまるほど「あほう」なのでアホウドリなのだそうですが
英語では「アルバトロス」。
ゴルフをやるかたはご存知でしょうが、「イーグル」=「鷲」以上の奇跡を「アルバトロス」と言うわけです。それをなにを思ってか「あほうどり」。
「やりました!タイガーウッズ!あほうどりです!」
などという中継があったら、もうありがたみもなにもありません。
同じ種類の鳥に生まれていながら、なぜか英国のアルバトロスはしあわせだなぁ、と思ってしまうのは私だけでしょうか?
そいつが日本に渡ってきたとたんに「あほうどり」。
簡単にとれると、さげすむ傾向はほかにもたくさんあるようで
「バカ貝」も同じような立場でしょうか。

こういう、つくづく日本語をいやにさせる単語。いっぱいあります。

「馬糞ウニ」。
よく食う気になるもんだ、と感心しますが、正式名称ですから、うら若き女性であろうと、そう言わなくてはなりません。
どこのバカが名付けたのでしょう?
しかも美味い。

身近なところで
「はなくそ」。
どうもこれに変わる言葉もないようで、私はなったことがないのでわかりませんが、これもうら若き女性には、相当、言いづらい言葉であろう、と思われます。
そのかいあってか、女性がこの単語を発しているのを聴いた事がありません。
全国どこの小学校でも、鼻のまわりにホクロのある人は、このあだ名がつけられていました。
ただでさえ気にしているホクロを、この呼び方。気の毒この上ありません。
「耳くそ」は、みみかす、「目くそ」には目ヤニ、という辛うじてましな言葉があるからいいですが、
さらに「歯クソ」。もう、これでもか、って感じですね。口の中にありながら。
なぁ先祖。。糞をつけりゃいいってもんじゃないだろ?

まぁ、簡単に言ってしまえば、日本語には「品がない」単語がいっぱいあります。
だから母国語だけ、などという運動は、ぜひやめていただきたい。
いいじゃないですか。マニフェスト。

最後に

「ぶたのまんじゅう」。

シクラメンのことです。
もし、シクラメンという外来語がなかったら、「シクラメンのかほり」という名曲は絶対に生まれなかったでしょう。
球根がまんじゅうに似ていたから「ぶたのまんじゅう」なのだそうですが
なんでじゃ?
花は無視かよ!と言いたいのは、私だけではないはず。

よかった。「ぶたのまんじゅうのかほり」じゃなくって。

よく「美しい日本語をたいせつにする会」みたいなのがありますが
「はなクソ」をなんとかしてからにしてください。


喫煙注意報

2005年12月13日 | 雑記

誰にでも、ふれられたくない過去はあります。


その男は、最後のタバコに火をつけました。

その男はヘビースモーカーでした。それは偶然のことでした。

なにげなく鼻をほじっていたら、鼻血が吹き出しました。

きっとどこかをひっかいてしまったのでしょう。

偶然のことです。

男はそばにあったティッシュで、むぞうさに止血しました。

顔の中心に白い花が咲いたように、それは広がっていました。

とりたてて美しくもありませんが、けなされるほどのことでもありません。

よくあることです。

その男は、最後のタバコに火をつけました。


これが止血したちり紙に引火。

その日は乾燥注意報が発令されていました。偶然のことです。

突如、顔の半分が燃え上がってあせらない人間はいません。

あわててちり紙を抜こうとしましたが、燃え上がっていますから抜こうに抜けません。

これが髪の毛までこがすような大火となり、職場の同僚に助けを求めましたが

口を開くことができないので、言葉になりません。

同僚とて、突然鼻が炎上している人間を見るのは初めてです。

同僚は、男の”新しい芸”だと思い、笑いころげてしまいました。

結局、顔半分のまつげ、まゆげ、から前髪までをちりちりにしながらようやく鎮火。

男は病院をたずねました。

「どうしてこんなところを火傷したんですか?」

「言いたくありません・・・」

誰にでも、ふれられたくない過去はあるものです。

ひとつだけ、彼が決意したことがあります。

2度とタバコなんか吸うもんか。

それが男の最後のタバコになりました。



名刺エレジーEXT

2005年12月12日 | 雑記
▲弊社建築パースギャラリーから(記事内容には関係ありません)

えー。先日『名刺エレジー』という、松下グループとの攻防(?)を掲載いたしましたところ
松下のかたからメールをいただきました。

>弊社の名刺は現在もリサイクルペーパーですがあまりに当たり前なので
>記載はなくなりました。

・・・悔しい。

あんまり悔しいから、次回、松下グループと会う時には
厚さ1cmくらいの材木の名刺にしようかとたくらんでおります。
銭湯の下駄箱の札みたいなヤツ。
そいつに光触媒を塗って、クモ忌避塗装をほどこして。

もっとびっくりしたことに

『どこでもドアホン』を本ブログで馬鹿にしていたら、なんとテレビでCM始めちゃってます。

大阪商人をあなどっておりました。