本牧日記

愛犬と楽しむ本牧(ときどき北軽井沢)生活。
ボビーとクララと私たちの Memories & Diary。

思い出

2013年05月11日 | 音楽 アート
かれこれ40年近く前のこと・・私はアメリカ・西海岸の町にホームステイしていたことがあります。
留学なんてものではなく、海外旅行に毛が生えたような感じの、1ヵ月ほどの滞在~。
短期間ですが、アメリカの家庭で過ごさせていただいた日々は、私の人生の中でも大きな位置を占める、素晴らしい体験でした。

そのときお世話になったホストファミリーのお母さんが、3年前にお亡くなりになっていたことが、
昨日、ふと思いついてネットで検索中に分かりました。

日本に帰って来てからもずっと手紙のやりとりが続いていたのですが、
就職した私は、仕事が楽しく忙しく、英語から離れてしまい、だんだんと英語で文章を書くのが億劫になっていき、
お手紙を頂いてもなかなか返事を出せなかったり・・・
それでもクリスマスカードくらいのやりとりが20年くらい、結婚後も、たぶん都内から横浜に引っ越した頃くらいまでは続いていました。

たぶんお元気で幸せにしてらっしゃるのだろうとずっと思っていたのですが、
ここ数年、実家の母も歳をとったし、アメリカのお父さん・お母さんももうかなりの年齢のはずで・・お元気でいらっしゃるのかしら?と思い出すことがありました。
 

パソコンの画面に出てきたのは、地方新聞の死亡記事でした。

80歳だったそうです。
晩年は病のために、好きだった手芸やお料理や(トランプの)ブリッジなどもままならないようになっていたそうですが、
最後まで素晴らしい妻であり、母であり、おばあちゃんであり、愛する家族に看取られて亡くなったと書かれていました。

ホストファミリーのお父さん、4人の子供たち、お家の所在地までしっかり実名で書かれていて、
一気にいろんな思い出がよみがえってきました。

お母さんのバーバラは、手芸が大好きで得意でした。

主寝室のベッドには、彼女のハンドメイドの、キルトの、ものすごく素敵なカバーがかけられていました。
忘れられないのは、テーブルクロス。
ダイニングルームの10人以上座れる大きなテーブルは、来客とディナーを楽しむときにだけ使われたのですが、
そのテーブルの白い生地のクロスには、一面にカラフルな模様が散りばめられていて、よく見ると、それはひとつひとつ、名前の文字なのです。
このテーブルで一緒に食事をしたゲストにクロスにサインをしてもらい、それを色とりどりの糸で刺繍にしていました。
私もサインをもとめられ、「この中からどれがいい?」と差し出されたいろんな色の糸の中から、たぶん、周りの名前の色とのバランスを考えて、紫色を選んだような~。
(写真に撮っておいたらよかったのですが、あのころはデジカメもなく、アメリカ滞在中の写真は、ほとんどありません。。)

お母さんから頂いた手作りのものがいくつかあり、
おヨメに来るときも持って来ました。

帰国するときに頂いたのか、その後誕生日か何かに送ってくださったのか、記憶が定かではないのですが~

プリント模様に綿を入れて立体的にした、可愛い壁掛けです。
(長い年月が経ち、シミが出てきてしまいました~)

20130511mom_016b


 
それから、この巾着のバッグ。

20130511mom_020



20130511mom_023b


内側には、
ハンドメイドだということを示す、
名前入りのタグが縫い付けられています。

 
 
20130511mom_012


上の写真は、キルトのパターンのひとつ「カテドラル・ウインドウ」の作り方の説明のメモと見本です。
私が帰国するときに、持たせてくれました。

当時私は日本でもブームになり始めたキルトにかなり興味を持っていて、お母さんがキルトをされると知って喜びました。
(「キルト」と言うと「クィルト」だと発音を直されました。)

20130511mom_005b




私たちstudentは、平日は昼間英語の授業を受け、その他の時間や週末はそれぞれのホストファミリーと過ごすスケジュールになっていましたが、ときどきイベントもありました。
そのひとつで、ホストファミリーがいろんな分野の得意な趣味などを教えてくれるアクティビティの日がありました。
配られた紙に書かれたいろんなメニューの中から、(楽しそうなのが多くて迷った末に)確かステンドグラスの製作と、レザークラフトを選びました。
夕食後のひととき、その話題が出たときに、お母さんは「あなたは私の教室に来るのよね!」と。
それを聞いたときに私は「しまった~」と気が付いたのですが、もう後の祭り。
「ニードルワーク」というテーマのクラスがお母さんの担当だったのです。
子供みたいにふくれっ面をされたお母さん。
横から家族が「彼女は誰がどれを担当するのかしらなかったのだよ」ととりなしてくれました。

ステンドグラスの講習をしてくださった他のホストファミリーのお母さんが「あなたのお母さんの講座には、誰か参加者がいるの?」と、こちらも子供みたいに勝ち誇ったような表情で話されましたっけ~。

結局帰る日までにお母さんからキルトを教わる時間がなく、帰国時にこの手作りの教材を手渡して出さったのです。

20130511mom_007b




私は、日本に帰ってからさっそく材料を揃え、制作にとりかかりました。
が・・・仕事が忙しくなり、途中でストップしたままに・・。
もちろんこれもおヨメ.に来るときも持ってきたのですが、ちっとも進行せずじまいです。

いつか、ひと夏北軽で過ごせるようなときが来たら、続きを作ってみたいと思います。

ああ、思い出はつきません。

開拓間もないころ(?)のアメリカの生活が描かれた「大きな森の小さな家」という小説がありますが、
お母さんは、「自分の小さなころは、まさにあの本そのままだった」と話されていました。

優しいお父さんと57年間連れ添い、ステキなマイホームで4人の子供を育て上げ、
留学生だちの面倒も見て、趣味の手芸を楽しみ、たくさんの友人に愛された、平凡だけどとても幸せな生涯だったと思います。

もう一度会えると思っていた、会いに行くつもりでいた、夫を紹介したいとも思っていた、
それなのに実現できなかったのが心残りです。

バーバラ、天国でやすらかに。

much love~!