昨日の朝、クララが天国へ旅立ちました。
愛しい愛しい大事な子。
あなたが我が家へ来てくれたおかげで、私たちは本当に楽しい幸せな時間を一緒に過ごすことができました。
ありがとう。いい子だったね。可愛いよ。大好きだよ。よしよし、よしよし。
また会おうね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/17/c5b9a4e3e1d71861a1f59c615afde0cb.jpg)
前夜の真夜中から呼吸が荒くなり、時々吐いたりもし、
一度だけ痙攣のような状態になったので、夫が病院から出していただいていた座薬を入れてやりました。
少しでも呼吸が楽になるようにずっと酸素ハウスに入れていたのですが
明け方近く、落ち着いてきたのでハウスから出してやりました。
酸素のチューブを漏斗の形のマスクに繋ぎ変えて、顔の近くにあててやりました。
夫が膝の上で抱っこして、私が酸素マスクをあてがって・・・
4月14日の朝6時に、静かに息を引き取りました。
11歳6か月。
もっともっと長く一緒にいられるものと思っていました。
クララが最後に出したウ〇チは、とてもしっかりした良いものでした。
それを見て、彼女がいかに「元気になろう」と一生懸命にお肉を食べ、
お薬を飲み続けてくれたのかということが、よくわかりました。
クララ、本当によく頑張ったね。
直接の死因は、たぶん腎不全による尿毒症だったのではないかと思います。
赤血球も増えてきていたし、うまく乗り越えればレーザー治療でもう少し長く生きられたかもしれない、
4月11日の夜頃からに急速に元気がなくなったのは腎不全のせいで、
アジソン病の上に、腫瘍のダメージも大きく、連日の点滴治療に
もう余力がほとんどなく、力尽きてしまったのでしょう。
病気に早く気づいてやれなくてごめんね。
嫌がっているのに「運動不足なんだから」と無理やり長時間のお散歩に連れて行ってごめんね。
悔いることはいっぱいありますが
最期に苦しむ時間を最小限にしてやれたのではないかと
一緒に見守る中で逝かせてやれたのはせめてもの救いではなかったかと
そう考えることにしました。
奇しくも、14日というのは、ボビーの月命日と同じ日なのです。
ボビー君、天国でクララのことを優しく迎えてやってね。
とってもおとなしくて控えめで優しい子なんだから、大事に接してやってね。
今日4月15日午後1時、ボビーを見送ったのと同じ斎場で
クララの火葬を終えました。
バスケットの棺には、おやつやお洋服や私たちと一緒に写っている写真といっしょに
自宅の庭にちょうど咲いていたラベンダーやパンジー、ジャスミン、白い大きなハナミズキのお花、オリーブの小枝なんかも一緒に入れてやりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/12/8344a7eb419dffcbeaf3827f725d82f2.jpg)
クララ、お疲れ様。
ゆっくり休んでね。
そして、天国でパパとママのことを見守っていてね。
斎場からの帰り道、助手席で膝の上にお骨になったクララを抱えながら、
10年半前に、同じように膝の上に抱っこして、大阪から初めて連れて帰ってきたときの感触を思い出していました。
蛇足ですが、亡くなる前に撮った直近の写真を載せておきます。
↓ 4月11日 お庭で
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/26/3ddfb20b395524c464165ad9e57d6e14.jpg)
↓ 4月13日のお昼 自宅の居間で
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/76/f4fd0e25ee3fac45bd59ae66374b3b6d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/04/ac3031997672026aa729d58267c75362.jpg)
ああ、こんなに早く逝ってしまうなんて、思っていなかった・・・。
最後になってしまいましたが、ブログを見ていてくださった皆様、
メールやラインで励ましやお祈りのメッセージをくださった皆様、
本当にありがとうございました。
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クララと一緒に出掛けた旅行や楽しい思い出の数々・・ブログにアップできていないものがいっぱい、本当にいっぱいあります。
亡くなってからでは遅いのですが、私自身の思い出の記録のために残しておきたいと思っています。
また、スローペースで更新していくつもりですので、たまに思い出して見に来てくだされば嬉しいです。