弱い文明

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『パレスチナ人は苦しみ続ける なぜ国連は解決できないか』

2015年06月17日 | パレスチナ/イスラエル
 先々月出版された高橋宗瑠さんの著書『パレスチナ人は苦しみ続ける なぜ国連は解決できないか』。
 パレスチナ/イスラエル問題のわかり易い解説書の類はこれまでにもたくさん出版されていて、良書も少なくないと思うけれど、この本にはとりわけ感激した。

 なにしろ元国連の職員、在パレスチナ人権高等弁務官事務所の副所長まで務めた人が書いている。知られざる国連の内情がわかると同時に、すでにメディアで報じられている事件、状況についても、現地を熟知した目で見て、なおかつ大局に立った公正な目で見て「本当はむしろこうだ(った)」と教えてくれる。
 言わずもがなだけど、大局に立つというのはこの場合、喧嘩両成敗だからお互い事を荒立てずに和平の道を探りましょう、なんていう「国際社会」の猫なで声に従う立場のことではない。むしろパレスチナ人の苦しみがここまで一方的に持続・拡大するなか、公正・公平であればあるほど、イスラエルの不実、イスラエルをかばう米国や「国際社会」(メディアを含む)の不実が圧倒的に浮かび上がる、そのさまを素直に描写できる位置こそ、本当の大局だ。著者の記述の位置は、その点まったくブレがない。
 国連については、いかに大国主体のルールが絶対的で、「中東問題」に関してはアメリカ・イスラエルのわがままぶりが目に余るかということくらい、パレスチナ・フォロワーなら誰でも知っている。だが、なぜそうなのか、なぜそこまでひどいのか、実際の現場で何が起きているのか、まで具体的に把握できている人はそれほどいないのではないか。著者はそれを的確に、誇張なしに語ることができている。
 それは裏情報に通じているから、というのとはちょっと違う。主に依拠しているのは、誰もがアクセス可能な公の情報だ。それらを選り分けたり、要点をつかむ上で、内情をよく知っている元職員ならではの経験が強みになっているとは言えるだろう。だが、インサイダーの裏情報だけを売り物にする本ではない。

 その国連という足場に立って見た時に、ここ数年で明らかに、イスラエルの不正をこれ以上処罰なしに済ませるわけにはいかないという機運が高まってきていることも指摘されていて、興味深い。それは本書の主軸の一つと言っていいかもしれない。
 ICC(国際刑事裁判所)の設置以降その機運は顕著で、アメリカ・イスラエルがこれに加入していなくてさえ、あるいは加入していないことが逆に両国の道義的責任を追求する足がかりになりつつあるという展望を、希望的観測に頼るわけでなく、実務的な観点から示してもくれる。大局を見誤らないということは、こういうことにもつながるのだと思う。
 たとえばパレスチナが国連で非加盟国として承認された(2012年11月)こと。そのニュースを、内実の伴わない形式的なことのように聞き流していた僕は、ある意味大局を見失っていたかもしれない。著者によれば、アメリカ・イスラエルの妨害をすり抜けるために「国連非加盟国」という形になったが、それでも国家として認められたことは画期的で、あとあと必ず効いてくる、という。

 さらに国際政治の場以外でも、特に欧米の世論の著しい変化について、著者はきめ細かく情報を押さえている。それらは独立した局所的な動きでなく、自国の政府が押し付ける代わり映えのしない情勢認識・日和見の行動とは一線を画して、パレスチナにつながろうとする世界的な民衆の意識的な変化の流れだ。今その波は、イスラエル擁護の最大の牙城であったアメリカ議会の足元にすら、異議申し立ての形で押し寄せてきている(例:2012年民主党大会で党員たちによる一種の「謀反」が起きた)。
 パレスチナ/イスラエル問題は、何か変わりつつある。読む前、そんな話は一切期待していなかっただけに、目からウロコが落ちるような思いがした。

 また本書では、通常の「パレスチナ本」とは異なる構成がとても効果的だ。現状のパレスチナ/イスラエル情勢、たとえば直近の3度に渡るガザ攻撃を中心に、著者の現地での体験も交えて話を進め、副題にもあるように「なぜ国連は…」という問題に切り込み、パレスチナ内部と、外の世界での情勢の変化までを見る。そして通常なら最初に説明されるようなパレスチナ/イスラエルの「歴史」を、一番最後にまわしている。
 先にパレスチナの歴史を長々と語ってしまうと、そうした長い歴史を背景に今の情勢があるのだから解決が難しいのも仕方ない、という誤解が入り込む余地が生じてしまう。だが、あくまで問題は「今」なのだ。パレスチナ/イスラエル問題は、パレスチナ人に対する人権侵害が「今」もひたすら更新・蓄積され続けている問題であり、まずは人権侵害をやめなければいけないのであって、それを阻むのは米国を中心とした国際政治の「今」の身勝手なのである。どんな背景があろうと、今起きている侵害を止めるのが先だという視点がブレない点は、「人権野郎」として著者の面目躍如でもあろうが、それは実際に問題の本質そのものなのである。本書はそういう意味でも、「歴史的背景」のさらに背景にある「大局」を見誤っていない。

 などと、僕みたいな輩が「見誤っていない」などとエラそうに言うのは恐縮にもほどがあるのだけれど、実際見誤ってはならないはずの当たり前のことが当たり前にならないのがパレスチナ問題なのだ。
 たとえば、いまだにアメリカではイスラエルの政策を批判するだけで「反ユダヤ主義」「レイシズム」などというレッテル貼りが横行する。イスラエルの個別の人権侵害を批判することが「反ユダヤ主義」であるなど、逆に世界のユダヤ人に対する冒涜に通ずる物言いではないかと思うのだが、リベラルの総本山であるような天下のNYタイムズですら、その論調から抜け出せない。
 そういった馬鹿げた論調を、「それも一理ある」などと受け入れていたのがこれまでの「国際社会」だが、その政治の打算の姿勢に、普通の人々の疑念の声・抗議の声を上げ続け、亀裂が入り始めているのが今の欧州の状況だ。そして遅れてアメリカでも、ファーガソンの事件に怒る人々が、ガザの民衆と連帯するという、少し前までなら考えられなかったような現象が起きている。
 一方で、国際社会の打算に守られてきた新自由主義+軍国主義のモデル国家たるイスラエルの国民は、国家としての孤立ばかりか、みずからの精神的孤立をも深めている。自己欺瞞に自己欺瞞を重ね、当の昔に破綻している教条にしがみつくしかない、そのかたくなな心理と、世界の人々のまなざしのギャップは広がる一方だ。このイスラエルの普通の人々の心理にメスを入れない限り、パレスチナの苦しみが続くのだ。私たち自身がそれに加担していると言ってもいい。
 変化は始まっている。著者のようなエキスパートが自身の経験に基づいてそれをしっかり確認し、変化を後押ししてくれることが、どれだけ重要であるか。大げさでもなんでもなく。

 本書はパレスチナ問題の入門者から、昔からよく知っていて気にかけているというベテランの人にまで、幅広くお勧めできる。
 ただできれば、日本の外交に関係している議員の人とかに読んでもらって、今パレスチナ/イスラエルがどういう局面なのか、よく学んでもらって、日本国として世界に貢献する本当の道を探る糧にしてほしい。アベ一派のようにイスラエルに尻尾を振って利を得るような甘い考えが、いずれ破綻することは本書を読んでも明らかなのだから。

 現代人文社ホームページより
 http://218.42.146.84/genjin/search.cgi?mode=detail&bnum=40135

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