
昭和5年9月20日の新聞記事。「横浜のまん中に原始的な石室村」との大見出しをつけて、屋外で生活をせざるを得ない人々を紹介している。 見出しに書かれている旧横浜駅というのは、高島町にあった二代目横浜駅のこと。初代横浜駅は現在の桜木町駅のところにあったのだが、ここから大阪方面に向かうにはスイッチバックをして保土ケ谷経由でなければならなかった。これではあまりにも不便ということで、大正4年、高島町に新しく二代目横浜駅を建てたのである。 しかし、それからわずか8年で関東大震災が発生。駅舎は焼失したものの、焼け残った外壁などを利用して仮営業を続けていたが、昭和3年、現在の場所に新しい三代目の横浜駅ができた。 この記事によると、昭和5年でもまだ、二代目駅構内には石室をつくれる材料や場所があり、衣食住を失った人たちがここで生活をしていたという。 3畳敷きの石室なので夏は釜の中にいるような暑さだったし、また長雨の時は濁流が押し寄せた……関内駅の地下道と比べたら最悪の環境だったようだ。 ![]() 別画面が開くのでじっくり読んでみてください。 ![]() |
レンガでもなく、石というのが凄いですね。
何に使うために積載してあったのでしょう。
形状はどんなだったのか気になります。
「…かかる人々の救済に理解
ある某官庁勤務の大西氏が…」
大西氏(だれ?)がどうしたのか?!
石室で暮らす人々の救世主なのか?!
続きが気になりました。
一部の篤志家が何かしたとしても、
焼石に水なのてしょうが、
何か心温まるものを期待してし
まいます。
小屋を造るための材料は石しかなかったのでしょうね。
これは震災で壊れた駅舎の一部だったと思います。
写真が出てこないのが残念です。
この先の文章はどこかに飛んでいます。
現代の割り付けからは考えられないやり方です。
マイクロフィルムで閲覧していて、
探すのに苦労します。
本来は別の記事が目的だったので、
追究するのをやめてしまいました。