「しおじりー、 しおじりー・・・」
塩尻駅到着のアナウンスが、睡眠不足でウトウトしている耳に入ってくる。朝五時頃で外はまだ暗い。
大阪駅始発の急行 “ちくま” に乗るために前夜の夕方から席とりの列に並び、夜八時頃出発、トリスウイスキーのポケットビンで眠らない頭をだましながらやっとここまで来た。 学生時代に毎冬行っていた信州へのスキー旅行だ。
塩尻では二十分ほど停車時間があり、プラットフォームに降りる。
暑すぎる列車内から出たときは気持ちがいいが、やがて身体は冷えてきて、プラットフォームに出ている屋台蕎麦に向かう。
実際のところは、こわばった身体をほぐすためというよりも、ここの蕎麦を食べるために汽車から降りるのだった。
ネギが入っただけのかけ蕎麦の汁とソバが、荒れた胃に温かく、しみ込むように入っていく。それは、関西人の私には合わないはずの濃口醤油で味付けした、だだからい味だったが、身震いするほどのうまさだった。
今まで食べたどんな蕎麦も、真冬の塩尻駅で夜明け前に食べたあのかけ蕎麦にかなうものはない。
つぎはビールのはなしだ。
七月の炎天下、福岡平和台競技場で我々は朝九時から夕方四時半頃まで奮戦した。大学対抗陸上競技会だったが、残念ながら目標の総合優勝はかなわなかった。
閉会式の後のレセプションは、アサヒビール工場の庭園で行われた。
身体中の水分を、しぼれるだけしぼり切ったところへの生ビールだ。 ビールは、口からのど、のどから胃へ、強烈な爽快さを与えながら滑り落ちてゆく。からだ全体に心地よさが広がり、ひからびた身体がみるみるうちに蘇る。
何杯飲んだだろう。
身体の調子がいい時に食べたものが最高のご馳走とよく言われる。それはたしかだが、しかしそれだけではない。
ビール園での体調は良かったが、塩尻の場合はどちらかといえば具合は悪かった。
だから、問題は体調のよしあしではない。 胃袋だ。 そのときの胃袋が切に欲している 「何か」 がタイミングよく入ってくるとそれは最高のご馳走になる。
もし、厳寒の塩尻で“あのビール”を飲み、そして真夏のビール園で “あの蕎麦” を食べたならば、たぶん両方とも “きわめて不味い” ということになっただろう。
2009年記
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