2017年10月18日
金閣寺が放火によって炎上したのは1950年、放火したのは金閣寺の若い見習いの僧侶だった。
これを題材として、三島由紀夫が“金閣寺”を、水上勉が“五番町夕霧楼”を書いている。若い頃の私は
三島由紀夫の抽象的な作品より、同郷から出てきた者同士の愛情を描いた水上の、“五番町夕霧楼”のほうが
好きだった。
私の伯母、母のすぐ上の姉で生きていれば103歳、ほとんど100歳ちかくで亡くなったが、そのお坊さんをよく
知っていた。伯母の嫁いだ先は金閣寺と関係があったので金閣寺へはよく行ったからだ。
“はあ、よう憶えてまっせ、めったにしゃべらへんしずかなお坊さんでしたわ”とその坊さんの印象を語っている。
もう一つの話。
伯母の嫁いだ先のだれかが、竹内栖鳳と姻戚関係だった。もっともこの姻戚関係はのちに破たんのようだった。
伯母はあるとき姑にいわれて竹内家に“ちまき”を届けに行った。
すると栖鳳は粽のつるをほどいて、“こういうのがおもしろいのや、言わはって、それをするするっと描かはったんや”。
人に話を聞くことは、そのときはいいかげんに聞いていてもあとになって“ああ、そういうことだったのか”とその時の
場面までもが想い起されてけっこう面白いものである。
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