タイと語学と日々の暮らし-言葉の力 บล็อกที่ฮิโรมิ

語学に関する事、タイ&バンコク情報、日々の出来事や感じた事などを書き留めています。

世界は狭い、世界は近い。

2018-06-04 | 日々のきもち

 

海外で暮らすのはバンコクが初めてだった。

 

バンコクに住む前は、世界は広いと思ってた。

外国に行って(住んで)しまったら、友人にもう会えない、離れてしまう。

そう思ってた。

自分が外国で暮らすなんて、あり得ないと思ってた。

 

でもバンコクで暮らす様になって、世界は狭いし、世界は近い って思う様になった。

 

バンコクで出来た日本人の友人の1人は、

バンコクからマレーシア、そして自宅のあるイギリスへと移り住んだ。

 

そんな距離があっても、その間、私達はFace bookやLINE、Skypeで繋がっていた。

元気?とLineでメッセージしたり、Skypeで話したり、
 
Face bookで友人の今の状況を見て、リアルタイムで友人の現在を感じたりしていた。
 
 
バンコクに住んでいた私には、遠くにいても近いと感じられた。

 

日本にいて、日本人の友達とも何年も連絡する事もないのに

逆に距離が関係を縮める事がある。

 

私はつい最近、タイ人に日本語を教える事について、

自分の知識のなさに、どうすればいいのか考えていた。

その時に、アメリカにいる日本人の友人にLINEで相談した。

 

彼女もまたアメリカで日本語を教えている。

私達はLINE電話で話した。

 

アメリカとタイって近いんだって心から思った。

それは私達が日本にいた時、電話で話す事なんてなかったから。

そして声がとてもクリアで、距離を全く感じなかったから。

 

日本にいるタイ人の友人達も時々、電話をくれる。

「元気?いつ日本に帰って来るの?帰って来たら飲みに行こうよ。」

「タイに帰って来たよ。〇月までタイにいるよ。会おうよ。」

 

日本にいる時は、電話で話すなんてなかったし、飲みにも食事にも行った事もない。

距離があるからこそ、あまり会えないからこそ、

懐かしく思い連絡をくれたり、滞在中の短い期間に会おうって事にもなる。

 

あー 文明の利器ってすごいな。

 

距離的にはバンコクと日本は遠い。バンコクとアメリカもね。

でもそれは気持ちの問題。

心と心が繋がっていれば、どんなに離れていても心は近い。

 

どんなに近くにいても、遠い時もある。

どんなに遠くにいても、近い時がある。

世界は狭い、世界は近いんだよ。

 

青山テルマも歌っていたよ。

“どんなに離れていようと、心の中はいつも一緒”


チャンスの女神には前髪しかない 幸運の神様は前髪しかない チャンスは一瞬!

2018-05-03 | 日々のきもち

 

私は幸運な事にタイ人友人から、日本語教室や日本語講座のレッスンを頼まれる事があります。

本当の事を言うと、全く・・・本当に・・・300%以上!(笑)

自信なんてないし、日本語についても、まだまだわからない事ばかりです。

 

だから頼まれると、ひとつ返事で「やります!」なんて言えません。本音です。

ほぼ一度、断ります。(笑)

出来る自信なんてなく、あるのは不安・恐怖です。(笑)

 

でもいつも思うんです。

 

「幸運の女神には前髪しかない」

レオナルドダ・ヴィンチの言葉です。


「幸運の女神には後ろの髪がない、前髪しかないからチャンスがやって来たら逃さずつかめ」


つまり、チャンスの神様は突然現れ、物凄いスピードで走り抜ける上に前髪しかないから

過ぎ去った後に掴もうとしてももう掴めない。

だから、チャンスの神様が来た! 

と思ったら、しっかりと前で構えてキャッチしよう

と言う様な事らしいのです。


チャンスの神様が目の前に来たのに、自分に言い訳をして、出来ないとか時間がないとか・・・

で、それを手放す。

私はずっとそうでした。今でもよくあります。



 

女神の前髪を掴む者は、周囲に馬鹿にされながらも、苦労した人間。

 

後ろ髪を掴もうとする者は、物事が爽快に回るのを見て、

我も我もと言わんばかりに真似をしては、上手くいかないその過程ですぐに挫折。

また違う道を探し回り、結果が出る前に転々としてしまう。

 

これは私の見解で、まったく違うかも知れません。

でもそれでもいい。これは私自身の見解で、私の思い、考えです。


ただ迷いながら、前髪を掴んだら、その先があった。未来が続いたのです。

このチャンスを逃したら、前髪を掴まなかったら、その先の未来はなかった、そこで終ったかも知れません。

でも、前髪を掴んだら未来があった。未来が続いていた。

 

今でも前髪を掴んだ事によるプレッシャーはかなりあります。

ただ、前髪を掴まなかったら、何もしなかったら、何も残らなかった。

 

私の根底にある思い、それは私が外国に住んで言葉で苦労した時に経験した様々な思い。

私を助けてくれた、たくさんの人に恩返ししたいその気持ち。

 

って事を書きながらも、私はゆるーーーい人間で、のほほんと生きている人間であります。(笑)

だって楽に生きるのは、本当に楽チン。

 

だから自分への戒めに、

「幸運の女神には前髪しかない」

を忘れないようにしているのかな・・・

 

竹内まりやの “チャンスの神様” でも歌ってる。

 

Oh チャンスの神様は 前髪しかないから
通り過ぎたら 手に入れることは無理よ

Take your chance!
Make your choice!


=バンコクで新しい友達作り= 出会えたからこそ別れもある

2018-02-07 | 日々のきもち

 

今から約5年前、私は不安と新しい生活への期待とでバンコクへ移り、暮らし始めました。

また友達作りから始まるのか・・・
この歳になって、しかも外国で新しい友達なんて出来るのだろうか?

でも蓋を開けてみると、日本よりも気軽に友人になって仲良くなれる事が多かったと感じています。

 

どうやって友達が出来て行ったのか?

一番最初に出来た友人は、タイ語学校で知り合ったいわゆる駐妻の若い奥様でした。
私の行っていたタイ語学校は英語でタイ語を教える学校だったので、あまり日本人はいませんでした。

幼少期、父親の仕事の関係でインドネシアにいた彼女は英語が堪能だったので
私の通っている学校にトライアルでやって来たのです。

それまで外国人ばかりで、英語が通じないでいた私は嬉しくて彼女に話しかけました。
彼女も同様だったようで、バンコクに来てまだ2週間位だけど初めて日本人と話したと言って喜んでくれました。

私達は早速、連絡先を交換して、レッスン後1時間近く色々な話をしました。

食事の約束もしたけれど、口約束だけにならなかったのは、それから1週間後位に偶然、街中で会った事です。
私達は驚き、そこで本当に食事の約束をし、数日後会いました。

それからも彼女とは様々な場所で偶然会う事が多く、縁があったのかも知れません。

ありきたり?の友人が出来る過程もありますが、バーで隣り合った女の子と仲良くなり、意気投合。
その場で連絡先交換をして今に至る関係の友人もいます。

また日本の友人・知人を通してバンコクへ駐在になる相手を紹介され、仲良くなるケースもあります。
今はSNSでも友人が出来るので、SNSを通して日本人の友人もタイ人の友人も出来ました。

そんな風に出来た友人がまた友人を紹介して・・・と言う風に和は広がって行きました。

 

 

外国で暮らす事は決して楽しい事ばかりでなく、
恐らく皆、大なり小なり問題はあったと思うのです。

だからこそ、すぐに通じ合える、共存出来る部分が多い。
バンコクで出来た友人達は、外国で共に戦っている戦友のようなものでもあるのです。

友達が出来るのだろうかと思っていたのに、バンコクでは親友まで出来ました。
彼女とは出会って、あっと言う間に距離が縮まり仲良くなった。

友人が出来るのって、仲が深まるのって、共に過ごした長さだけではないんですね。

世界各国に駐在経験のある彼女とは、いつまでバンコクで一緒に過ごせるかわからないけど
世界中どこにいても、連絡を取り合いこの先も関係は続いていくのだろうと思います。

 

出会ったからこそ、別れがある。出会いに感謝。

考えると、バンコク(外国)でお互いの人生が重なって、知り合う事。友人になる事。
それってすごい事だなと思います。

駐在で来ていた友人達の多くは本帰国をしたり、他の国へと移ったり
日本中、世界中に散らばっています。

今年に入って5年来のバンコクでの友人が本帰国、3月にもまた一人、本帰国となります。
友人達がどんどんいなくなって行くのは本当に悲しいし、寂しいです。

でも出会ったからこそ、別れがあるんです。
出会っていなかったら別れなんてなかった。

別れは淋しいけど、出会えた事に感謝です。

これからもたくさんの別れはあるだろうけど、世界中に散らばっている友人達は私の心を強くします。
日本にいる友人達も然りです。

離れた場所にも頑張っている友人がいる。私に元気を与えてくれます。

 

 


友達

2017-07-07 | 日々のきもち

この歳になって、しかも外国で、新しい友人をを作るって難しいって思ってた。
でもあっと言う間に距離が縮まる、仲良くなれる友人がバンコクで出来た。
きっとそれは外国にいるからこそ。

この広い世界で、同じ時期にバンコク(外国)で出逢えた。
それって奇跡、すごい事。人生の一瞬が外国でクロスした。

外国で暮らす事は楽しい事ばかりじゃない。
皆それぞれ色々な思いをして来ている。

戦友みたいな・・・そんな気持ちになる。

日本に戻って、バンコクで人生がクロスした友人と会う。
母国では、そんな友人って数が少ない。

昔話が尽きない。話に花が咲き懐かしむ。

タイでで出会ったタイ在住の友人、海外転勤になった友人。

世界中に会いたい友人いる。
落ち込む事が多い私に、それは私の心を強く、世界は近いと思わせます。

母国以外に、会える友人がいるのは、楽しく幸せな事です。


タイから届いたニューイヤーカード

2017-01-05 | 日々のきもち

 

タイに住んでいた時に仲良くなった友人から、毎年この時期にカードを頂きます。

ネットならリアルタイムですぐ話せるけど、郵便で送られて来るカードはまた違う思いを感じます。
その友人とはネットを通してリアルタイムで話すけど、手書きの文字からは友人をより身近に感じます。

カードを買う。
メッセージを書く。
郵便局へ行く。
タイ⇔日本間にカードが届くまでかかった時間。

たくさんの時間がかかったカードが、私の手元に届く時、私は本当に嬉しいです。 
遠く離れている場所にも大切な友人がいる。それは私の心を優しく強くさせます。

 


タイレストランの忘年会

2016-12-29 | 日々のきもち

昨夜はバイト先のタイレストラン&タイマッサージ店の忘年会がありました。
(オーナーと従業員は全員タイ人で、日本人は私一人です。) 

うなぎやお蕎麦など和食全般のお店で行いましたが、日本でタイ人達と日本食を食べながら忘年会。
ここはドコだ?タイ?日本?ナンだか可笑しかったです。 

こんな風にタイレストランでは可笑しい事が時々起こります。

夏祭りの日、タイ人達はみんな浴衣を着て、日本の夏を楽しみ風情を感じる中
日本人の私だけがタイのユニフォームを着ている、と言う反転状態(笑)

そう、昨夜はタイ人オーナーの優しさや、異国で暮らすタイ人仲間達の絆を感じました。

誕生日のタイ人従業員の為に、内緒でバースデーケーキとプレゼントを用意していたんです。
オーナーが彼女が欲しいと言っていたセシルマクビーのジャケットを渡すと
キャーキャー大声をあげて喜んでいました。

同様に彼女が欲しいと言っていたシャネルをケーキにしていました。
みんなでハッピーバースデーを歌って、ケーキも食べました。

見ていて微笑ましく、ほっこりした気持ちになりました。このレストランで働けて良かった。
バイトする様になった経緯は偶然なのですが、縁とは不思議なものです。

 

 


バイト先のタイレストランでの出来事

2016-12-08 | 日々のきもち

バイト先のタイレストランで、今夜はある会社の宴会がありました。
その会社にタイ人の研修生なのかな?若いタイ人の女の子が2人いました。

日本語も上手に喋っていて、会社の日本人達と上手にコミュニケーションを取っているのを見ると
ちょっとウルウルしちゃいます。

外国で仕事をする、暮らすって大変な事だもの・・・

ソムタムを出すと「わぁソムタムだ」と喜んでいました。なんか嬉しいな。
私もバンコクに住んでいた時、日本料理で同じ様な気持ちになった事があるので。 

タイ人の女の子は、自分が食べ切れなかったガパオとタイ米をこれを持ち帰りたいと言ってきました。
量は半人前しか残っていません。タイ料理を食べたいのでしょうね。

もちろんOKです。ここは日本だけどレストラン内は治外法権?タイランドですから(笑)
日本だと衛生上、食中毒の危険もあるので出来ませんと断られる事もありますよね。
ここではそんな事はありません。

そしてタイ人オーナーはそのタイ人の女の子に、他にもタイ料理を包んであげていました。
タイ人の女の子達は、故郷のタイ料理を家に帰ってもまた食べれるんです。
きっと嬉しいだろうな。 

私が垣間見たタイ人の優しさ
 


私はどこにいるんだろう

2016-11-10 | 日々のきもち

バンコクで暮らしている時、
時々、私はどこにいるんだろう、と思った。

周りが外国人ばかりで、聞こえて来るのはタイ語や英語や他言語。
周りを見渡すと日本人は私しかいない。

街の中で、電車の中で、住んでいるコンドミニアムで、至る所で、
私は違和感であったり、外国で暮らす事への慣れを感じていた。

事細かい話が出来て、相手の話す事が理解出来ていた母国。
タイでは言いたい事が全く言えないし、理解出来ない。他愛ないお喋りさえタイ語や英語で出来ない。

時々、フッと日本が恋しくなった。

バンコクの乾季の涼しさに日本の秋を感じた時、
日本の春や秋が恋しくて、旬の食が食べたくなった時・・・

VISAの関係で帰国した今、日本で私は時々思う。

私はどこにいるんだろう? 

 


タイのプミポン国王のご冥福をお祈り致します。そして感じた事。

2016-10-19 | 日々のきもち

タイのプミポン国王がお亡くなりになられました。タイ人達の心からの悲しみに心を打たれました。 
プミポン国王を心から慕い、尊敬し、大切な存在で心の糧になっていたのだと思います。

バイト先のレストランのタイ人とプミポン国王が亡くなったね、悲しいねと話しました。
そしてタイ人達は涙ぐんでいました。

タイ人の一人は
私はあなた(私の事)の誕生日が好き、その日はプミポン国王の即位の日だからと言いました。

日本人でどれ位、天皇の即位の日を覚えているのでしょう?
私は知りません。

日本人の友達と話しました。

国王が亡くなって悲しむ気持ち。
その感覚は日本人にはない。
例え天皇が亡くなっても、悲しいし残念だと思うけど、泣けない。泣くまでは出来ないと思う。

だからこそ、タイ人達の気持ちに尊敬の念を覚えます。

 


帰国後10日のマイペンライサバイサバイ病

2014-12-01 | 日々のきもち
マイペンライ
タイ語で“大丈夫 ”と言う意味。
サバイサバイ
タイ語で気持ちよい・快適・気楽“と言う意味。

タイ人はよくこの2つの言葉を使います。
国民性も表していて、なんとかなるさ、とお気楽な部分もあります(笑)

「マイペンライ」は例えば頼んだ事が遅れても「マイペンライ」
何とかならないでしょーー大丈夫じゃないよーーって
それに「マイペンライ」は私の方が言う言葉でしょ~(笑)と思う時もありました。

でもちょっと困った時、頼み事がある時・・・
「マイペンライ」大丈夫、なんとかなるからと笑顔で言われると気持ちがほっこりしました。

この「マイペンライ」には腹を立てる時もあったけど、タイを離れてみると妙に懐かしく良い言葉だったなぁと思います。
日本はサービスも行き届き、時間は守られ、暮らしは快適です。
でもタイを離れてみると、あのいい加減さも良かった気もします。

そして時間がゆるりと流れ、待つ事が当たり前のあの国で、いつの間にか身に付いたサバイサバイ。
私はもうしばらく日本の生活に対応出来ず、サバイサバイが抜けないでしょう(笑)

うーんマイペンライ

外国で母国以外の人に優しくされると本当に心に染みる

2013-09-10 | 日々のきもち


スーパーでピアスを落としてしまった。お気に入りの物で探したけど見つからない。
床を這うように探していたら、パン屋のタイ人のおじさん、いや、おばさん(Mr.Lady)が一緒になって探して、ショーウィンドーの奥の方から見つけてくれた。
1人だったら絶対に無理だった。

タイに来て母国以外の人に優しくされると本当に心に染みる(/ _ ; )
世界中に優しい人はいっぱいいるんだなぁ。おじさんは女心もわかってくれたんだね^_−☆

タイで初めて出来た友達

2013-04-23 | 日々のきもち
日本国内でも引越しする時に不安なのは 友達が出来るか?って事。
友達がいれば生活も楽しくなるし、まして海外なら尚更。

私は運良く、バンコクで現地採用の日本人の女の子とFBを通じて知り合えて
タイに行く前からメール等で交流をしていた。
タイで暮らすに当たっての質問をしたり、現地に住んでいる日本人の事前情報を得ていた。

彼女はタイでの初めての友人。
友人がいる、いないで精神的に変ると思う。住み始めはわからない事も多いし不安なもの。
言葉がわからない外国にいるなら尚の事。
日本語でお喋り出来るだけで、気持ちは明るくなる。

私は駐在妻でないので、日本人と知り合う機会は少ない。
でもタイ語学校のトライアルレッスンに日本人の女の子がやって来た。

英語でタイ語を教える学校なので、今迄日本人に会った事がない。
だから嬉しくて話しかけたら、彼女も喜んでくれてすぐに連絡先を交換した。
彼女も夫の駐在に伴い、タイに来たばかりで初めて日本人と知り合ったと言う。
幼少の頃、父親の駐在でインドネシアに住んでいたので英語が話せるようになったと。

レッスンの後、30分ばかり色々な話や情報交換をして、今度食事をしようと約束をした。
その彼女が教えてくれたのが、日本のマンガのレンタルコミックの店。
普段、マンガは読まないけど、日本語も恋しいので借りに行った。
その帰り道、偶然に彼女に会った!! シンクロニシティ

そこで一気に距離が縮まり、近々食事をしようと約束した。

思いがけず日本人の友人が出来て嬉しい限り。





タイへ出発 タイで暮らす

2013-04-03 | 日々のきもち
本日バンコクへ出発します!
日本でお世話になった皆様ありがとう。感謝です!
タイの皆様よろしくお願い致します。一緒に楽しい時間を過ごせたらいいな。


三島に越してきたばかりの頃は友達もいなくて、淋しくて泣いてばかりいたけど、今は三島を離れるのが淋しい。
静岡は私の第2の故郷です!

バンコクではまた友達作りから始まるのかぁ~。友達出来るのかなぁ?

色々考えると不安もあるけど、半分ワクワクもしています。
基本的に何も考えない性格で、何とかなるかなぁとか。ダメだったら帰ってくればいいやって。

だって人生で海外で暮らすなんて、ほとんどの人にはないんだもん。
自分の人生で海外で暮らすって経験をしてもいいと思った。

ED VISAも取得して、タイ語学校へも通う事になった。
私の人生で外国語を勉強するとか、話すなんて、これっぽっちも頭になかったけど
学生やってみます。タイ語も覚えなきゃね。

この先、どうなるのかわからないけど、不安と期待とを胸に日本を離れます。


魔法の言葉?

2012-10-01 | 日々のきもち
約半年後、タイへ引越すと思うと最近、許容範囲も広くなったし、行動に移す事が多くなった。

行きたいお店や食べたいものはなるべくガマンしない。
その代わり物は増やさないようにしている。

職場にキツイ人がいるけど、あまり気にならなくなった。
この人との事もいい思い出になるんだって思うとあら不思議。
なんともなくなってしまう(笑)

人間っていつも今日が人生最後って思ってれば幸せに暮らせるんじゃね(笑)

なんでもこれが最後だって思えば許せるものだ(笑)

2012-09-28 | 日々のきもち
職場に新しい人が入社するようで、そうなると係替えがある。
今の部署では勤務年数も長くなってきたので、新しい仕事や責任のある仕事をする事も増えて来るだろうけど
タイで暮らすのに、辞める事を思うと、もう出来ません・・・・

どの仕事をしても構わないんだけど、今後の事を考えたら、残る人の事を考えて仕事を覚えてもらわなきゃいけないもんね(><;)

な訳で今、リーダー格で仕事をしているAさんに実はね・・・と打ち明けた。

仲の良い人達には少しずつ、タイへ行く事を話しているけど
だんだんその数も多くなってきた。

仕事は大変だけど楽しい。
多分、日本で仕事をするのもこれが最後だと思うと、やれるだけやって悔いなく終えたいと思う。

1月で契約が切れるのであと4ヶ月か。
職場の仲間と一緒に仕事したり、笑いあえるのもあと僅か。
嫌な人がいても、嫌な態度でも残り僅かだと思うと許せる自分(笑)
楽しんで頑張ろう

きっと全ていい思い出になるのだろうな