津軽森林鉄道 小泊海岸林道 片刈石支線
昭和30年度に開設され、翌年までにいくらか延長され、
手元の資料によれば、総延長3,569mとなっている。
ここは、「七ツ滝」から1kmほど北上したところに入口があり、
大きな岩肌が傾いていて、見たままの印象
「傾り石」(かたがりいし)という地名が付けられています。
「みちのく松陰道入口」と標識が立っています。
片刈石支線は、国道339号のここから入っていきます。
片刈石林道の標識。
林道名は、当て字なのかな!?
この一帯は、岩肌がすべて傾いています。
かなり、インパクトのある林道入口付近です。
すぐに傾り石沢を越える橋があります。
橋から左岸側に、軌条の一部を見つけました。
水量が多いときは、けっこう荒い沢だと予想がつきます。
振り返ってのバックショット。
左岸の崖の上に・・・アワワ ヽ(´Д`;≡;´Д`)丿 アワワ
うまいこと、バランスを保っていて落下しないとは思いますが、
こんなところを通ってきてしまったとは・・・
入ってくるときは、まったく気が付きませんでした。
ビックリしましたが、気を取り直して進んでいきます。
切通しが現れたが、軌道としては違和感がある。
ここまで高度が上がりすぎている。
さらに少し進んで振り返ってのバックショット。
現林道は勾配があり、どんどん高度を上げていきます。
軌道跡は、さきほどの橋と同じ位置に沢越えの橋があり、
地形的に左岸から右岸に進行方向を変えて進み、
そのまま沢沿いを進んで行ったと思われます。
現林道は、S字を書きながら、一気に高度を上げてます。
景色もどんどん変わっていきます。
なんかすごいところだ。
進行方向から振り返ってのバックショット。
前方に、辺りの景色とは一変した広い空間があり高原のようになっています。
帰りにちょっとだけ調べてみようと思う。
高原のところからは、特に変わったものはなく、林道をそのまま進んでいきます。
最初にS字を書いて一気に高度を上げ、景色も大きく変わったが、
それを過ぎると、しばらく同じような景色の中を進む。
進む。
っん!?
切通しにしては違和感のある岩。
・・・
質感が骨材の礫が大きなコンクリートの固まりにも見える。
立ち止まって近くで見てないので何とも・・・
沢沿いに出ました。
この橋で沢を越えるので、沢は左手になります。
「こしずばし」と言うのですね。
大きな案内板のところに来ました。
ここまで、ちょっと道のりが長かった印象です。
みちのく松陰道の案内板
江戸時代末期に吉田松陰がロシアの船が北方に出没するということで、その防備状況を確認するため通った道のようです。
この道の踏破の会が発足、関係者らが県に陳情し、整備した遊歩道のようです。
ちなみに吉田松陰が訪れるその50年も前に、「大日本沿海輿地全図」という、日本全土の実測地図を作成した伊能忠敬がこの地を訪れたらしい。
あの「伊能図」と言われる、それまでになかった正確な日本地図を作成するために、第2次測量で津軽半島に来ていたのだ。
「みちのく松陰道」の松陰とは!? から調べて、伊能忠敬に繋がってしまった。
その伊能忠敬が作った、「大日本沿海輿地全図」は
大図(1/36,000)214枚、中図(1/216,000)8枚、小図(1/432,000)3枚と存在していた。
原本・副本ともに焼失してしまったようだ。
「失われた地図」だったのだが、近年、高画質の模写されたものが発見されている。
多くは図書館や博物館に保管されていたもののようです。
その地図を作成するにあたり、どのように測量されたのか詳細が不明な部分もあるという。
津軽森林鉄道に興味を持ってから、地図を見る機会が増えました。
「伊能図」についても少し調べてみたいと思いました。
みちのく松陰道のへの方向案内板
いきなり上がっていく。
なんかすごいところを進んでいく感じ。
ハイキングコースとは、簡単に言えない印象。
っで、進んでいく方向に目をやると、石垣が現れた。
どおおおおおぉ~!!
その先には、木橋が現れた。
これだけ、しっかりしている木橋を目の前にして、
今まで苦労して、橋跡などを調査してきたのがなんだったのか・・・
って思えるくらいだ。
いきなり全貌を目の前にさらけ出している。
場所は、地図上の〇印の箇所だ。
その②へ続く。
=へばまんだのぉ~=
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