現道路の進む方向が喜良市川支線方面だ。
ここは、喜良市川と相ノ股沢の合流地点。
その相ノ股沢を渡る橋のところである。
台風18号の影響で、この辺りはかなり崩れている。
相ノ股沢方面に向かってみた。
ここは、過去にも訪れている。
2012.10.22
とある林道に来てまして、レールが・・・
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2012.11.10
運動不足解消に、とある林道を散歩
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川縁に降り立ってみた。
突き出た軌条も健在だ。
大きな木の根の影に見える軌条も健在だ。
さらに上流には、相ノ股沢1号砂防ダムが見える。
周囲を見てみると、かなり山肌をあらわにした斜面が左岸側にある。
大きく削れている斜面のテッペン付近に違和感を感じた。
木杭!?
さらに驚き、
水平のラインが見て取れた。
土留めの杭と思われる、細目の杭も写真の左側にも2本確認できる。
道があるぞ。
もう少し手前にも・・・
別アングルで確認。
アップしてみた。
大分朽ちてはいるが、あきらかに加工された大きな柱が横たわっているのが見て取れる。
桟道の部材!?
き、軌道だ!!
かなりの高度に存在する。
さすがに川を越えて対岸に渡り、あの高さまで上って確かめるのは、リスクが高すぎる。
20mはあるだろうか!?
いままで、「どうにも気になる林道」として調べていたのだが、
この橋の付近は謎が多かったのだ。
その一つは、喜良市川と相ノ股沢の合流ポイントまでは、現道路だとアップダウンが激しく、とても機関車が運行できるルートではない。
ここまでは、喜良市川の川岸の斜面に桟道を設けて遡上してきたことが、過去の調査で判明している。
2013.6.15
どうにも気になる林道の行く先は・・・その②
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ここでは、横桟橋スタイルの桟道で進んでいたことが判明。
桟道の存在を知ってから、津軽森林鉄道の調査方法の視点が変わり、飛躍的に向上!?
2013.6.15
どうにも気になる林道の行く先は・・・その③
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金木二股線との分岐点でもあるこの箇所は、かなり見ものである。
が、しかし、崩壊が加速している感じなので、今後は近づかないほうが良いかと思います。
「弁当とケガは自分持ち」と言いますが、ここでは命の危険が・・・
津軽森林鉄道・遺構探しは、かなりのハイリスクです。
己の身体は、己でしか守れないのでね。
2013.7.1
どうにも気になる林道の行く先は・・・その⑤
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ここでは喜良市川を、ここで見つけた橋跡を左岸から右岸にかけて渡っている。
遺構探しの条件には不向きな季節ですが、偶然にも、めったに見られない風景を見ることが出来ました。
写真では、そのときの感動した風景の再現性はかなり薄いです。
あらゆる自然条件が重なったのと、出向いた時期、時間でしか見れないものだったのかもしれません。
軌道が使われていた時代にも、あそこを橋で渡るときにも変わらぬ風景だったのでしょうか!?
2013.6.12
どうにも気になる林道の行く先は・・・その①
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ここでは、桟道を通して相ノ股沢に合流して、そのまま進んで行っている。
・・・その①は、場所の状況から、起点方向からの遡上ではなく、下流方行へと調査を進めました。
調査時との雰囲気とはかなり変わってしまい、橋の付近はかなり崩壊している。
現在は、道路が崩壊してもおかしくないほど、えぐられている。
その桟道の躯体の一部が見え、先からのルートも見える。
昨年の台風18号の影響は相当なものだ。
それまで残っていた津軽森林鉄道の遺構も、かなりのダメージを受けている箇所もあります。
過去に見つけた遺構も流されていましたので、まだ見ぬ遺構も・・・
ここは資料からの机上調査で、気になるプロセスも実行していた記述を見つけていたのだ。
この付近では、そのまま相ノ股沢に遡上し、いくらか入ったところで沢を渡り、
高度を上げながら戻ってくる沢渡りのプロセスを実行をしていたのか!?
もしくは、別の気になるプロセスを実行し、一気に高度を上げていたのかも・・・!?
先ほどの高度を進んでいたとすると、もっと奥側になる。
相ノ股沢1号砂防ダム付近では!?
相ノ股沢の上流側に移動してみた。
現林道は、ここから一気に高度を上げていく。
右岸川を遡上していく軌道跡は、写真右側の笹薮の下辺りになる。
これが、相ノ股沢1号砂防ダムだ。
大きな倒木が、ダムから突き出している。
以前は、ダムの手前で止まっていたようでしたが・・・
右岸側の軌道跡は、この砂防ダムの近くで消えているようだ。
さらにその先はダムの中に埋没しているとも思われる。
先ほど確認できた左岸側の軌道跡!?
っと、思われる高さのラインを予想したが・・・
この周辺は、ざっと周囲を見渡してみたが、何も見つけられなかった。
斜面が崩れているようだ。
ダムの建造で周囲の景観が変わってしまっているようだが、何かしらのプロセスが実行されるような雰囲気は無かった。
あの高さを仮に当てはめると、まだまだ奥の上流側へと続く感じだ。
前に訪れたときの記憶では、この上流側にも砂防ダムがあったはず。
水が落ちる轟音だけは聞こえていたが、その存在を確認したかったが、当時は近づくルートが見つけられなかった。
もしかすると、その辺りで気になるプロセスを実行していたのかもしれない。
現道路を、もっと進んでみた。
こちらの現道路は、どんどん高度を上げていく。
対岸側を見ると、細い道が確認できた。
現道路を歩きながら、ちょくちょく対岸を見ると、その対岸の細い道はしばらく続いている。
ってことは、この先で沢渡りを行っていたのか!?
そのポイントは、次のダム辺りが濃厚だと予想。
動物が出てこないかなぁ~とか、ちょっと不安になりながら、歩き進む。
すると、なにやら不気味な声が聞こえてきた。
・・・ (゜Д゜;)
そしたら、山菜採りに来ていた男二人が、ぼそぼそと会話をしながら道を歩いていたのだった。
ちょっとビビりました。(´▽`*)アハハ
収穫は、あまり無かったようです。
さらに進んで、次の砂防ダムに近づけるポイントを探した。
今回は草木が少ない時期なので、沢まで降りるポイントを見つけることが出来た。
周囲が荒れている。
砂防ダムは目視で確認できるところまでは何とか来れました。
しかし、そこまで行くには相ノ股沢を渡らねばならない。
川底を見て渡れそうなポイントを探す。
ここ数日、雨らしい天気が無いのが幸いして水かさが少ない印象。
しかし、水の中は屈折率の関係で目測を誤りがちになる。
実際、思っていたより深くて水流も速かった。
水圧に負けて足下をすくわれそうになった。(;・∀・)
転んでしまうと、場所によっては身体を持っていかれる。
ここは慎重に渡りました。
相ノ股沢2号砂防ダムの案内板。
ここに案内板があるということは、前にはすんなりここまで来れる状況にあったのでしょう。
ここのダムは、もっと大きなものだとイメージしていましたが、こじんまりとしていました。
2段になっているので、見ていて綺麗な印象です。
しかし、周囲を見渡しましたが、これといって何も見つけられませんでした。
気を取り直して、先ほどの川を渡った場所に戻ります。
戻る途中、前方に目線をやると、川岸に・・・
妙な穴が連続して存在していた。
川を渡ったポイントより向こう側になる。
これは、杭の成れの果て!?
近くの川の中に、溝が掘られた木柱があった。
ここには桟道があって、あの川岸の穴は、コーナーの補強のための木柱が設置されていたのかも!?
周囲を良く観察してみたら、川からかなり高くなったところに水平ラインを確認。
最初は目線よりかなり高いため、気が付かなかった。
歩けるだけのスペースがある。
先ほどのダムまで進んだ高さの2倍以上はある。
これは軌道跡だと感じた。
立ち位置の右岸側は軌道跡と思われるものは無い。
地形的にも設置が困難でもある。
また、川を越えてダムへと進む高さより、さらに一段高くなった軌道跡と思われるラインまでポイントを探して上ってみた。
これより一段低いラインでダムまで進んだが、ここからは下流方向へと進んでみます。
あららぁ~
崩れていて行く手が・・・
立ち位置は、先ほどの川岸の穴がポコポコ開いていた辺りだ。
しかし、ポコポコの穴からは横位置としては離れすぎている印象。
この高さの軌道の補強に使われた部分だとしては、ちょっとつじつまが合わない感じだ。
軌道と思われるラインは、確かに向こうから来ている。
下の川縁からは、川が深くて進むことが出きない。
ここを越えていくしかないが、足場が悪かったら引き返すつもりでいた。
しかし崩れている斜面に足を踏み入れてみると、意外にしっかりしていた。
歩いてきたところを振り返って見ました。
バランスを取りながらゆっくり進むと、右前方の手前から川のほうに、
広い平らな空間が視界に入ってきた。
軌道跡と思われる道は、まだ続いている。
進む先には、ヒバの幼木が・・・
ヒバの幼木で視界が妨げられていたが、そこを掻き分けて進むと、
全体的に広い空間に出ました。
軌道跡と思われるラインは、まだ前方に続いている。
しかし一段下の広い空間には、楽に下りられるように下り坂があった。
このまま軌道跡と思われるところを進むより、下の広い空間を進んだほうが歩きやすそうなので、下りてみた。
下りきる途中で、前方の視界に・・・
えええええぇ~!?
近づいてみた。
コンクリート製の構造物だ。
きょっ、橋脚!?
対岸を見ると、橋台がかろうじて顔を出していた。
その右側は、土留めがされているようだ。
周囲を見渡したが対岸には渡れそうに無い。
振り返ってみると、左岸側に橋台が存在していた。
少し離れての、左岸側の橋脚と橋台を撮影。
なんと、喜良市川支線は、ここで沢渡りのプロセスを実行していたと思われる。
右岸の川縁を遡上してきた軌道は 、ここで相ノ股沢を渡り左岸側を通りながら徐々に高度を上げて進んで行ったようだ。
それで、この相ノ股沢と喜良市川との合流場所までは、かなりの距離になる。
あの辺りでの軌道の高度は、納得のモノとなる。
しかし沢渡りで高度を上げるにしては、ここまで距離が長すぎる印象はあります。
相ノ股沢は、1号砂防ダムと、ここの少し上流側に2号砂防ダムと、2つも砂防ダムを建造するほどだ。
沢自体のパワーがあって、この辺りでないと沢渡りを安全に出来なかったのか!?
相ノ股分線は、昭和12年度、喜良市川支線引き返し点から喜良市山国有林56、60林班青荷沢落合までの2,050mが開設されている。
(手元資料より)
しかも、「スイッチバック」というキーワードを記載している。
このキーワードで、「どうにも気になる林道」として、こだわっていたんですけどね。
ここから2号砂防ダムのある相ノ股沢の上流方向に進んでいくのが、相ノ股沢分線のようだ。
距離からして、ここが喜良市川支線はこの引き返し地点だったと思われます。
喜良市川支線は、ここから喜良市川上流部へと軌道を延ばして行くために、ここの引き返し点の環境を有効利用し、コストを抑えたようとしたのでは!?。
沢渡りのプロセスを実行するには、結果的に長めのルートとなったのでしょう。
橋台からやや相ノ股沢上流方面に向けてのショット。
ここでは、スイッチバックで一気に高度を上げるようなことはしていないようだ。
軌道跡から緩やかに下る坂のほうを見ると、逆Zの字に見える。
機関車が進むには距離も短く、勾配がありすぎる。
機関車の助手がポイントの切り替えとか、何か作業をするために行き来するための道だと推測。
その底辺の部分が左に延びているので進んでみると・・・
2号砂防ダム側から歩き進んできた軌道跡の、崩れた斜面側へと切り開かれて進んでいる。
このまま進むとだんだん狭くなり、その軌道跡の高さ付近にまでになる。
もともとは、この立ち位置の高さで進んでいたのでは!?
と思わせる人為的に手が加えられたように感じる場所だ。
斜面が崩れていることから、この先が埋もれて本来のラインと高さが変わっているのかもです。
この立ち位置の高さで進んでいた軌道跡だと考えると、あのポコポコ穴が空いている川岸を桟道にして進むと、2号砂防ダムの案内板があった高さと結びつく。
相ノ股沢分線の記録を見ると、昭和12年度に開設されているが、
昭和24年度末に全線を牛馬道に格下げ。
昭和31年度、2,100mを再度開設。
このことから、当初は「スイッチバック」で機関車の向きを変えて、
この立ち位置の低いラインで進む軌道を使っていたのでは!?
災害で破壊され、対策としてさらに一段高いラインを設けたのでは!?
それで再度開設時の軌道は、ここまで歩き進んできた一段高い軌道を使っていたのではと推測しましたが・・・。
2号砂防ダム側へは途中、崩れているのでそれを進みませんでした。
2号砂防ダム付近をもっと詳しく調べれば、ダムから上流側へと一段高い軌道の痕跡があったのかもしれません。
案内板のある高さで調べていたので気が付きませんでしたし、ダムの建造で埋もれてしまった印象を受けたもので・・・。
さらに、ここから左側を見る。
広いスペースがあり、一段下がっての川縁も広くなっていた。
大きな倒木があるので、増水時はあの領域まで水位は上がるのでしょう。
右岸の橋台、左岸の橋脚を相ノ股沢上流方向に見てのショット。
左岸の橋台の後ろは大きく崩れている。
右岸から渡ってきた軌道跡は左岸の橋台からみると、そのまま右に大きく弧を描き、一段高くなっている軌道へと合流している感じです。
その一段高くなっている軌道は、2号砂防ダム側から歩いてきた軌道跡にもそのまま通じているようだ。
一段高くなっている左岸の軌道跡を、相ノ股沢を下る方向で進んでみた。
振り返って左側に橋脚が見える方を向いてみました。
軌道跡は、この時点で結構な高さになっている。
このまま喜良市川支線の軌道跡を進むと、川からの高度が上がっていくだけだ。
滑落のリスクを避けるため、これ以上は進まない事にした。
この辺りが、喜良市川支線の引き返し点だったと思われます。
ここの橋を越えてそのまま左に曲がるにはRがきつすぎてしまう。
なので相ノ股沢分線は、その引き返しの為の「スイッチバック」を利用し、機関車の向きを変えて進んで行ったと思われます。
しかし、現場が崩れていたりで、向きを変える方法が詳しく解りませんでした。
2号砂防ダムより上流へと遡上していく相ノ股沢分線は、機関車がバックのまま進んでいたのだろうか!?
それだと、ここから引き返すのにもバックになってしまいます。
やはり、うまいこと機関車の向きを変えるギミックが、ここで行われていたと思われます。
デルタ線を構築していたのか!?
もしかして転車台もあったのか!?
「どうにも気になる林道」の謎は不透明のままになってしまった。
もっと現場を詳しく調査すると手がかりがあったのかもしれません。
あまり長居をしていると、遭難のリスクも高まるのでこれで撤収です。
次は、ここに来るキッカケを作った、喜良市川と相ノ股沢の落合付近である、
崖の上の軌道跡を調査してみようと思います。
海ではないので、川には「〇゜ニョ」はいませんでしたが・・・(´▽`*)アハハ
=へばまんだのぉ~=
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