津軽森林鉄道 喜良市川支線は、この相ノ股沢と喜良市川との落合付近で、
これだけの高度を保ったまま喜良市川を遡上していったことが予想できる場所だ。
この崖の上の軌道跡!?を発見できたので、
喜良市川支線の引き返し地点、相ノ股沢の起点と思われるところを見つけられた。
喜良市川支線は、明治43年度、喜良市停車場から金木川沿いの相ノ股沢貯木場までの4,060mを開設。
昭和11年度、既設軌道終点から常家戸沢木違沢落合までの5,590mを延長開設。
その後幾度か延長開設されて、最長時14,858mまでになっている。
(手元資料より)
しかし、大正14年度、相ノ股貯木場から53林班(木違沢、常家戸沢合流部)までの3,982mを延長開設したとの記録もある。
喜良市川支線は、「金木川林道」、「金木二股林道」と所轄の変更、分割や延長していく上で名前が変わっているようです。
そのため、手元の資料の記録も他の支線の情報と混ざっているのか、正確性に乏しい面もあるようだ。
沢山の資料があればデータベース化して分析すると、かなり正確性を求められるのだろう。
そこまでの資料も無ければ、まとめあげるほどの環境も無いし、
・・・ ・・ ・ 一番は分析能力が・・・(´▽`*)アハハ
ここでは、かなりの高度で喜良市川上流方面へと向かっていることが解った。
この現道路に必ず合流しているはずです。
かなり勾配がある道路を様子を見ながら進みます。
当初は、あれほどの高度があったとは解らなかった。
この辺りの現道路より低い位置で進んで、喜良市川の砂防ダム(母沢2号ダム)側のある、右岸側を遡上して行ったのでは!?
と予想してみたり・・・
勾配のきつい斜面を歩き進みます。
車だと、まあまあの坂だが、実際に歩いてみると、結構な勾配。
振り返ってみると、斜面からいくらか木々が薄くなっている部分が見えた。
この上に軌道があることを察した。
さらに進むと、現道路を建設するのに途中で寸断された軌道跡が見て取れる。
あの崖の上の軌道を見つけなければ、軌道の高度から予想しての周囲を観察することが出来なかった。
こういった草木の少ない時期でなければ気が付かないです。
寸断された軌道跡のところから、さらに現林道の先を見たところです。
おそらく、現道路の勾配の緩くなるこの先辺りで合流していたと思われます。
その先は緩やかな勾配とカーブの道がずっと続きます。
ほとんどそれが軌道跡かと。
喜良市川は母沢に、そこのところで、常家戸沢、木違沢、と合流します。
母沢については、そのまま林道が川沿いに続いているものかと思いましたが、
過去に行けるだけ進んでみようとしたら、
途中から高度を上げて、ドンドン離れてしまいました。
軌道跡が途中で寸断されている箇所からよじ登ってみました。
掘割だ。
ちょっと進んだところで、違和感のある柱が横倒しになっており、
真ん中で折れています。
近づいて見ました。
これは、電信柱ですね。
この柱を支えるための支線だと思います。
倒れて時間が経って弱り、雪が降り積もった重みで折れてしまったのでしょう。
現道路が左下に見えます。
かなりの高度差がある、気を付けてゆっくり進みます。
途中、ヒバの小木が行く手を阻んでいた。
さらに斜面を上り迂回して先に進みました。
枕木だ。
ここまでに朽ちた木がいくつか横たわっていたが、これを見て枕木だったことが解った。
ここは軌道跡で間違いないですね。
前方が明るくなった。
軌道跡は右へと曲がっている。
その先は崖になっていた。
相ノ股沢と喜良市川との落合付近ですね。
あれ!?
右の木の影に・・・
「警笛鳴らせ」の標識だ。
すっ、すごい。
当時モノの標識だと思います。
ここは、ブラインドコーナーになっているので、警笛を鳴らして、先に居る者に存在を知らせていたのでしょう。
当時は林道代わりに歩く人もいたようなので・・・
崖の上の軌道跡だ。
土留めの杭が見えます。
崖の上から下を見てみると、相ノ股沢が見える。
かなりの高さだ。
ここまで高いと、高さの恐怖が逆に薄れてくる。
さらに進むと・・・!?
長いボルトが突き出た、朽ちた角材だ。
3列あります。
この先にも同様に3列続いている。
これは、橋桁と同様なものと考えてみた。
崖側へとズレないようにと強度を上げるための軌道の設置の仕方なのでしょうか!?
地面がはっきり見えるこの時期に来てよかった。
草木の多い時期に来ていれば、足元にこのようなものがあっても気が付かず、
つまづいて体勢を崩し、最悪崖下だ。
ヤバイよ、ヤバイよ。 ← 本家も言わなくなったような・・・
崖崩れの場所だ。
この先には、このまま進めません。
近づいてみました。
軌道と思われる躯体の一部が地面からむき出しになっています。
その先は見事に崩れ落ちていました。
さらに高い位置に出て迂回してまで、先に行こうという気力は失せてしまいました。
ある程度の高さまで来ると恐怖感が薄れてしまうことで、高さに慣れてしまっていた。
しかし、とんでもないところを歩いて来たんだと、我に帰る。(;・∀・)
実際には相当な高さにいることが、川が見えたので解る。
さっさと撤収です。
帰りに枕木を良く観察してみたら、犬釘が付いていました。
喜良市川支線は、相ノ股沢分線の起点のところで、沢を渡りこの高さで崖の上を進んでいたことが確認できた。
だが、喜良市川支線は、手元の資料によると、
昭和11年度、既設軌道終点から常家戸沢・木違沢落合までの5,590mを延長開設との記録もある。
しかし、木違沢線は、
昭和7年度、木違沢口から同沢を遡上し42林班い小班までの2,885mを開設とある。
先に終点方面の支線が既設されるのでは、時系列が合っていない。
喜良市川林道延長線「旧金木川林道」として、
大正14年度、相ノ股沢貯木場から53林班(木違沢、常家戸沢合流部)までの3.982mを延長開設。
との記述もあります。
この記録の延長距離や時系列の謎はどういうことなんでしょうか!?
単純に記録の整理ミスとも思えません。
最初に大正14年度に開設された軌道ルートが存在し、
昭和11年度に開設された軌道ルートは、それとは異なるラインで進んでいたのでしょうか!?
なぜか、手元の資料には、昭和11年度に開設された軌道ルートの最大勾配や、最小半径などの記録が公開されていません。
大正14年度に開設された軌道ルートは、喜良市川沿いを進んでいくルートで、それほど高さが無かったのでは!?
当初、そのルートの存在を仮定して相ノ股沢付近を調べていました。
昭和11年度に開設されたルートは、喜良市川からかなりの高さを保ったルートで進むモノだった!?
それが、今回歩き進んだ崖の上の軌道ルートに通じる!?
「どうにも気になる林道」は、ここでも疑問を投げかけている。
謎が増えただけ!?
喜良市川沿いを遡上しながら調査するには、地形的に厳しすぎてかなり難しい。
現道路があまりにも高度があり、急勾配すぎる。
人が安易に近づけない状態になっているので、それほど奥地の川ではないが、
ヤマメとか手づかみできそうな気がします。
そんな気がするだけで、釣りはしないので良く解りませんが・・・
=へばまんだのぉ~=
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