港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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1969年 『イン・ザ・ゲットー』 エルヴィス・プレスリー

2015-11-25 15:25:33 | 続・60年代ポップス変遷史

”In The Ghetto” Elvis Presley



プレスリーにとっては『涙のチャペル』以来4年ぶりの全米トップテン入り ( 第3位 ) となり、低迷期からの脱出を
果たす記念すべき一曲となりました。
この曲はマック・デイヴィスの作詞・作曲によるもので、シカゴの貧民街に生まれた不幸な子供たちをテーマにし、
下級階層の困窮を訴えた社会派の楽曲で、1969年1月20日メンフィスにて録音されています。
日本では1969年8月から10月にかけてヒットしています。

As the snow flies
On a cold and gray Chicago mornin'
A poor little baby child is born
In the ghetto
And his mama cries
'cause if there's one thing that she don't need
it's another hungry mouth to feed
In the ghetto

↓はエルヴィス・プレスリーの『イン・ザ・ゲットー』 YOUTUBEより




1969年 『シバの女王』 レイモン・ルフェーヴル楽団

2015-11-24 16:46:44 | 続・60年代ポップス変遷史

”La Reine De Saba” Raymond Lefèvre et son Grand Orchestre



この曲は、当ブログの1967年 『サバの女王』 ローラン
1967年 『サバの女王』 ローラン
で紹介しました通り、ミシェル・ローランが作詞・作曲したものです。

この甘美なメロディをレイモン・ルフェーヴルがストリングス風にアレンジして一層際立つ名曲に仕立て上げました。
これによってレイモン・ルフェーヴル楽団は、前年から『恋はみずいろ』で脚光を浴びていたポール・モーリア楽団
と共に二大巨頭と称され、日本におけるインストゥルメンタル・ブームに火がつくことになりました。
この曲はルフェーヴルの他にもポール・モーリア楽団、レイモンド・ポリシア楽団、ヘラルド・ウィンクラーのギター、
カラベリ・グランド・オーケストラ、更にはタンゴ風にアレンジしたマランド楽団などで激しく競合しましたが、
結果的にはレイモン・ルフェーヴル楽団には及びませんでした。
日本では1969年5月から8月にかけて大ヒットしています。

↓はレイモン・ルフェーヴル楽団の『シバの女王』 YOUTUBEより





1969年 『輝く星座~レット・ザ・サンシャイン・イン』 フィフス・ディメンション

2015-11-23 00:37:43 | 続・60年代ポップス変遷史

”Aquarious” The Fifth Dimension



ロック・ミュージカル『ヘアー』のために作られた楽曲で、作詞はジョージ・ラグニ 、ジェームス・ラド、作曲は
ガルト・マクダーモットによるもので、5人組のフィフス・ディメンションによって唄われ全米No.1に輝きました。
レコードとしては『ヘアー』で使用された ”Aquarious” と ”Let The Sunshine in” を繋ぐ構成になっています。
日本では1969年4月から8月にかけてヒットしていました。

When the moon is in the Seventh House
And Jupiter aligns with Mars
Then peace will guide the planets
And love will steer the stars
This is the dawning of the Age of Aquarius
The Age of Aquarius
Aquarius! Aquarius!

↓はフィフス・ディメンションの『輝く星座~レット・ザ・サンシャイン・イン』 YOUTUBEより



1969年 『雨』 ジリオラ・チンクエッティ

2015-11-22 13:13:32 | 続・60年代ポップス変遷史

”La Pioggia” Gigliola Cinquetti



作詞・作曲はマリオ・パンゼリ、ジャンニ・アルゲニオ、コラード・コンティ、ダニエル・パーチェの共作で、1969年の
サン・レモ音楽祭でジリオラ・チンクエッティとフランス・ギャルが唄って6位に入賞した楽曲です。
日本でも1969年3月から7月にかけて大ヒットし、日本で一番売れたカンツォーネとなりました。

Sul giornale ho letto che
il tempo cambierà
le nuvole son nere in cielo
e che i passeri lassù
non voleranno più
chissa perhché

↓はジリオラ・チンクエッティの『雨』 YOUTUBEより




そういえば、日本語盤もリリースしていましたね。

↓はジリオラ・チンクエッティの『雨』日本語盤 YOUTUBEより



ついでにフランス・ギャルを

↓はフランス・ギャルの『雨』 YOUTUBEより




1969年 『マイ・ウエイ』 フランク・シナトラ

2015-11-21 15:06:20 | 続・60年代ポップス変遷史

”My Way” Frank Sinatra



原曲はフランスのシャンソン歌手クロード・フランソワが作曲家のジル・ティボーと作詞家のジャック・ルボーの
協力を得て仕上げ自作自演したものです。この曲にポール・アンカがフランク・シナトラに捧げるために英詩を
書き上げました。シナトラの録音は1968年12月30日でしたが、1969年の全米トップ10に入れなかったものの、
ロング・セラーとなってミリオン・ヒットを記録しました。

And now, the end is here
And so I face the final curtain
My friend, I'll say it clear
I'll state my case, of which I'm certain
I've lived a life that's full
I traveled each and ev'ry highway
And more, much more than this, I did it my way

↓はフランク・シナトラの『マイ・ウエイ』 YOUTUBEより



次いで、その原曲をご紹介します。

”Comme d'habitude” Claude François



タイトルの ”Comme d'habitude” は"いつものように"という意味です。シナトラの『マイ・ウエイ』が初老の男性に
勇気を与える歌なのですが、こちらは、虚無感に襲われながらも冷え込んだ愛情生活を続けているという内容の歌詞で
綴られています。
ミケランジェロ・アントニオーニのテーマである『愛の不毛』を言葉で表現したかのような素晴らしい出来栄えです。
この曲が作られたのが1967年ということは、クロードとフランス・ギャルの破局後なので、彼の実体験がこもって
いたようにも思えます。

Je me lève et je te bouscule
Tu ne te réveilles pas comme d'habitude
Sur toi je remonte le drap
J'ai peur que tu aies froid comme d'habitude
Ma main caresse tes cheveux
Presque malgré moi comme d'habitude
Mais toi tu me tournes le dos
Comme d'habitude

↓はクロード・フランソワの”Comme d'habitude” YOUTUBEより